最年少のランドセルと、コーンバターラーメン
午後八時。
屋台を開けるには少し早いが、俺は仕込みを終えて暖簾を出した。
最近、業界の低年齢化が進んでいるとは聞いていた。適正年齢が年々下がり、義務教育中の子供まで動員されていると。
だが、実際にそれを目の当たりにすると、胸糞の悪さは想像以上だった。
「……あの、ごめん、なさい」
暖簾の下から、小さな頭がひょっこりと覗いた。
視線が低い。カウンター越しにようやく目があう高さだ。
現れたのは、ランドセルを背負った、十歳にも満たないであろう少女だった。
ピンク色のフリルのついた戦闘服。頭には大きなリボン。
手には、玩具のようなプラスチック製のステッキを持っている。
明らかに小学生だ。
だが、そのランドセルからは微弱な魔力駆動音が響き、スカートの裾は泥で汚れている。コスプレではない。本物の「現場帰り」だ。
「……いらっしゃい。随分と遅い帰りだな」
俺ができるだけ柔らかい声で言うと、彼女はビクッと肩を震わせた。
「じゅ、塾の、帰りです……あの、ここ、ご飯屋さんですか?」
嘘だ。塾の鞄にしては、そのランドセルは重すぎる。
俺は何も聞かず、水を出しながら丸椅子に座布団を二枚重ねて置いた。
「ご飯屋だ。腹、減ってんだろ」
彼女はよじ登るようにして椅子に座ると、安堵したように息を吐いた。
「……はい。お腹、ぺこぺこで」
彼女はメニューの漢字を一生懸命読み解こうとして、諦めて俺を見た。
「あの……辛くなくて、苦くなくて、美味しいやつ……ありますか?」
俺は微笑を噛み殺し、冷蔵庫からコーンの缶詰を取り出した。
「コーンバターラーメンだ。食えるか?」
「コーン! 好きです!」
彼女の目がパッと輝いた。
俺は麺を半玉、少し柔らかめに茹でた。
スープは鶏ガラベースのあっさり醤油味。胡椒は抜く。
そこに、バターをひとかけら落とし、スイートコーンを山盛りに乗せる。さらに、彩りのナルトと、小さく切ったチャーシュー。
「へい、熱いから気をつけてな」
ドンブリを出すと、バターが溶け出し、甘い香りが広がった。
彼女は「いただきます!」と元気に手を合わせ、小さな手でレンゲを握った。
コーンとスープを一緒にすくい、フーフーと冷まして口に運ぶ。
「……ん〜! あまい!」
バターの塩気とコーンの甘み。子供が大好きな味だ。
彼女は足をぶらぶらさせながら、夢中で麺を啜り始めた。
その時だった。
『ピピピッ! 警告! 心拍数上昇! カロリー摂取過多ノ恐レ! 保護者ニ通知シマス!』
彼女の背中のランドセルから、無機質な電子音が大音量で響いた。
「あわわっ! ち、違うの! これはご飯なの!」
彼女は慌ててランドセルの側面のボタンを連打したが、警告音は止まらない。
『警告! 帰宅予定時刻ヲ超過シテイマス! 速ヤカニ帰宅シナサイ!』
うるさい。食事の邪魔だ。
彼女は泣きそうになりながら、ステッキでランドセルを叩いた。
「もうっ! ナビちゃんうるさい! 今、食べてるのにぃ……」
俺は洗い物の手を止め、そのランドセルを凝視した。
メーカーロゴは『キッズ・ガード』。
子供向け防犯ブザーやGPSを作っているメーカーが、最近魔法少女業界に参入して作った「ジュニア向けエントリーモデル」だ。
「……おい、お嬢ちゃん」
「は、はいっ! ごめんなさい、うるさくて……」
「いいから、そのランドセル。ちょっと見せてみな」
俺はカウンターを回り込み、彼女の背後に立った。
「飯食ってる間に、そのお節介な『お母さん機能』を黙らせてやる」
俺はランドセルの底面にあるメンテナンスハッチを開けた。
中には魔力ジェネレーターと共に、通信モジュールとAIチップが詰め込まれている。
「……やっぱりな。『過保護モード』が最強設定になってやがる」
安全を確保するのはいい。だが、戦闘中や休息中にまで警告を鳴らし続けちゃ、ストレスで逆に危険だ。
俺はタブレットを接続し、設定画面を開いた。
『心拍アラート』『カロリー制限』『門限通知』『位置情報常時送信』……。
まるで囚人の監視システムだ。
俺はため息をつき、不要なアラート機能を全て『サイレント』に切り替えた。
さらに、ジェネレーターの出力設定を見る。
「……なんだこれ。『初心者リミッター』がかかりすぎて、出力が三〇%しか出てねえ」
これじゃあ、重いランドセルを背負って歩くだけで精一杯だろう。
俺はリミッターを解除し、代わりに『パワーアシスト』の数値を上げた。
「重さはそのままだが、体感重量は半分になるはずだ」
俺は設定を保存し、ハッチを閉じた。
「……よし。どうだ?」
コーンを最後の一粒まで食べ終えた彼女は、恐る恐る体を捻った。
警告音はしない。それに、背中がふわりと軽い。
「……あれ? 静かになった。それに、軽い!」
「食事中は静かにするように言い聞かせといた。あと、帰り道も楽になるはずだ」
彼女はランドセルを撫で、満面の笑みを向けた。
「すごい! おじさん、魔法使い?」
「ただのラーメン屋だ」
俺は彼女の頭をポンと撫でた。
彼女はポケットから、百円玉数枚と、十円玉を取り出した。
「お代! お小遣いで足りますか?」
「……ああ、丁度だ」
本当は足りないが、子供から正規料金を取るほど落ちぶれちゃいない。
彼女は「ごちそうさまでした!」と元気に挨拶し、店を出て行った。
その背中のランドセルからは、優しい青色のライトが点滅し、夜道を照らしていた。
「……たく、世も末だな」
俺は空になったドンブリを下げた。
甘いコーンの香り。
あんな小さな背中に、世界の命運と、大人たちの身勝手な期待を背負わせている。
その重さを、少しでも軽くしてやるのが、せめてもの大人の責任ってもんだ。
「気をつけて帰れよ」
俺は誰もいない闇に向かって呟いた。
明日もまた、彼女がランドセルに教科書だけを入れて、元気に学校へ行けることを願いながら。




