白き令嬢の決死圏(キルゾーン)と、カレーうどん
深夜二時。
店先に一台の黒塗りの高級リムジンが音もなく滑り込んできた。
こんな屋台にリムジン? 俺が眉をひそめていると、後部座席から一人の少女が降りてきた。
運転手が傘を差し出そうとするのを手で制し、彼女は一人で暖簾をくぐった。
「……ごめんあそばせ」
現れたのは、この薄汚れた屋台にはあまりに不釣り合いな、純白のドレスに身を包んだ少女だった。
金色の縦ロール髪。手には白亜の扇子。周囲には、小型のシールド発生ビットが三機、衛星のように優雅に浮遊している。
Sランク魔法少女、「プラチナ・リリィ」。
鉄壁の防御を誇り、戦闘後もそのドレスに埃一つ付けないことから「不潔恐怖症の処刑人」の異名を持つ。
彼女はハンカチを取り出し、丸椅子を丁寧に拭いてから腰を下ろした。
「……いらっしゃい。お嬢様がこんな吹き溜まりに何のようだ?」
俺が尋ねると、彼女は扇子で口元を隠し、少し頬を赤らめて言った。
「……わたくし、庶民の『刺激的な味』に興味がありましてよ」
彼女はメニューをチラリと見て、意を決したように告げた。
「カレーうどん。……一番、ドロドロのやつを」
自殺行為だ。
俺は彼女の純白のドレスを見た。一点のシミもない最高級の魔導繊維。そこにカレーの飛沫が飛べば、それは死にも等しい惨劇になる。
「……悪いこたぁ言わねえ。親子丼にしておけ。その服、クリーニング大変だろ」
「いいえ! わたくし、どうしても食べてみたいのです!」
彼女は譲らなかった。
「それに、わたくしの『イージス・システム』があれば、飛沫など恐るるに足りませんわ!」
俺はため息をつき、うどんを湯がいた。
豚バラ肉と玉ねぎを炒め、特製のカレールーを出汁で溶く。片栗粉でとろみを強めにつける。
ドロリとした濃厚なカレー出汁。
茹で上がった極太うどんを丼に入れ、その上からカレーをたっぷりとかける。表面張力ギリギリだ。
「へい、特製カレーうどん。……紙エプロン、使うか?」
「不要ですわ。それは敗北を意味しますもの」
彼女はビットを展開した。
ブォン……
三機のビットが丼の周囲に展開し、不可視の障壁を形成した。
「ターゲット確認。飛沫迎撃モード、起動」
彼女は割り箸を割り、うどんを一本、慎重につまみ上げた。
ズルッ。
うどんが暴れる。粘度の高いルーが鞭のようにしなり、茶色い雫が弾け飛ぶ!
バチチチッ!!
空中で青白い火花が散った。
ビットが正確無比なビームで、飛沫を蒸発させたのだ。
「……ふふ、見まして? これが鉄壁のリリィですわ」
彼女は勝ち誇った顔でうどんを口に運んだ。
ハフハフ、ズルズル。
スパイスの効いたカレーと、出汁の甘み。彼女の目が大きく見開かれた。
「……美味っ! なんですのこれ、舌が痺れるのに止まりませんわ!」
彼女はペースを上げた。
ズルッ、バチッ! ズルズルッ、バチバチッ!
食べるたびに火花が散る。まるで溶接作業現場だ。
だが、半分ほど食べたところで、異変が起きた。
ビットの動きが鈍くなり始めたのだ。
ウィーン……ガガッ。
一機のビットがふらつき、迎撃のタイミングが遅れた。
「きゃっ!?」
危うく飛沫が袖にかかりそうになり、彼女は慌てて回避した。
「ど、どうしましたの!? まだエネルギーは残っていますのに!」
俺は洗い物の手を止めた。
「……『過剰反応』だ」
「え?」
「お前のビット、センサー感度が高すぎるんだよ。直径一ミクロンの飛沫まで全部撃ち落としてるだろ。……うどん一杯食うのに、スパコン並みの処理能力を使ってりゃ、そりゃ熱暴走もする」
俺はカウンターを乗り越え、ふらつくビットを一機掴んだ。
チンチンに熱くなっている。
「……『白銀テクノロジー』社製の『ガーディアン・ビット』か。高級品だが、排熱設計が上品すぎて実戦向きじゃねえな」
俺はビットのカバーを外し、内部の制御チップを露出させた。
「お嬢様、ちょっとプログラムいじるぞ」
「えっ、あ、はい。でも壊さないで……」
「安心しろ。……間引くだけだ」
俺はタブレットを接続し、迎撃アルゴリズムを書き換えた。
「全ての飛沫を撃ち落とす必要はねえ。ドレスに当たる軌道のヤツだけ弾けばいいんだ」
俺は『全方位防御』から『予測弾道防御』へとモードを変更した。
さらに、出力設定を下げ、ビームではなく、微弱な反発フィールドで飛沫を「逸らす」設定に変えた。
「これなら消費エネルギーは十分の一だ。熱も持たねえ」
俺はビットを放した。
再起動したビットは、涼しげな青い光を放ち、静かに丼の周りを回り始めた。
「……さあ、続きを食いな」
彼女は恐る恐る箸を動かした。
ズルッ。
大きな飛沫が飛ぶ。
フワッ。
ビットが小さく波動を放つと、飛沫はドレスを避けるように軌道を変え、テーブルの上にポタリと落ちた。
「……!」
彼女は驚喜した。
「すごい……! 全然熱くないし、静かですわ!」
「汚れなきゃいいんだ。完璧に消し去る必要なんてねえよ」
「……汚れなければいい……」
彼女はその言葉を噛み締めるように繰り返した。
「わたくし、今まで『完璧』であることにこだわりすぎていたのかもしれませんわね。……防御も、生き方も」
彼女は憑き物が落ちたような顔で、残りのうどんを豪快にかき込んだ。
ズルズルズルッ!!
もはや令嬢の食事マナーではない。だが、その白いドレスには、最後までシミ一つ付かなかった。
完食。
彼女は満足げに息を吐き、ハンカチで口元を拭った。
「……美味しゅうございました。庶民の味、侮れませんわね」
彼女は財布からブラックカードを出そうとして、止めた。
代わりに、小銭入れから五百円玉と百円玉を取り出し、丁寧に並べた。
「ここは、現金払いが流儀ですのよね?」
「ああ。毎度あり」
彼女はビットを収納し、優雅に一礼して店を出た。
リムジンに乗り込む直前、彼女はドレスの裾をひらりと翻し、俺にウィンクしてみせた。
「また来ますわ。次は……そう、『ソース焼きそば』への挑戦権を頂きに!」
黒塗りの車は、夜の闇へと消えていった。
「……焼きそばか」
俺は空になったドンブリを洗った。
カレーの黄色い汚れは、洗剤を使えばすぐに落ちる。
多少汚れたって、洗い流せばいい。
完璧じゃなくても、美味いもんは美味い。
あのお嬢様も、少しはその味が分かったみたいだな。
「さて」
俺は換気扇を全開にした。
店内に充満したスパイスの香りが、夜風に溶けていく。
どんなに高貴な客でも、胃袋の形は皆一緒だ。




