繰り返す絶望と、勝利のカツカレー
深夜一時。
俺は寸胴のスープを混ぜながら、奇妙な違和感を覚えていた。
……なんだ、この感覚は。
さっきから、同じラジオのニュースを三回聞いた気がする。それに、洗ったはずのドンブリが、なぜかまだシンクに戻っているような錯覚。
強烈なデジャヴ(既視感)。
俺が眉をひそめていると、暖簾が勢いよく開かれた。
「……ハァ、ハァ、ハァ!」
飛び込んできたのは、懐中時計をモチーフにした盾を持つ、小柄な少女だった。
桃色のツインテール。フリルのついた可愛らしい衣装だが、その顔は悲壮感に満ちており、目は血走っている。
彼女はカウンターに駆け寄ると、悲鳴のような声で叫んだ。
「おじさん! 一番早く出るもの! エネルギーになるもの! 30秒で出して!」
切羽詰まった様子。ただの空腹じゃない。
「……カツカレーだ。カツは揚げ置きがある」
「それ! 早く!」
彼女は腕時計型のデバイスを何度も確認し、貧乏ゆすりをしている。
俺は皿にご飯を盛り、揚げて休ませておいたロースカツを乗せ、黒褐色の濃厚なカレーをかけた。
福神漬けを添える暇もなく、彼女の前に出す。
「……食え」
彼女はスプーンを掴むと、噛むことすら惜しいといった様子でカレーを飲み込んだ。
熱いルーと肉の塊が喉を通る。
「……っ! 熱っ、でも、力が……!」
彼女は涙目でカツカレーをかき込む。
その間、俺は彼女の左腕にあるデバイスに目をやった。
歯車が回転し、異常な高熱を発している。文字盤の針は、逆回転しようとして震えている。
「……おい」
俺が声をかけると、彼女はビクッとした。
「……何回目だ?」
彼女の手が止まった。
「……え?」
「お前、今夜、ここに来るのは『初めて』じゃねえな?」
俺の言葉に、彼女は目を見開いた。
「……わかるの?」
「いや、記憶にはねえ。だが……」
俺は彼女のブーツを指差した。
「その泥。……この辺りの土じゃねえ。二キロ先の河川敷の粘土だ。だが、今のラジオの交通情報じゃ、河川敷への道はまだ封鎖されてない。……つまりお前は、『これから起こる戦闘』で泥だらけになって、時間を巻き戻してここに来た」
彼女はスプーンを落とした。
堰を切ったように、涙が溢れ出した。
「……四六回目」
彼女は震える声で言った。
「四五回やっても、勝てないの。河川敷に出た怪獣が、どうしても相棒を殺しちゃう。……どんなに時間を戻しても、あと一秒、間に合わない!」
彼女は「時操」の魔法少女だ。
時間を数分だけ巻き戻すことができる。だが、それには莫大な魔力を消費する。
四六回のループ。彼女の精神は、もう摩耗しきっていた。
「もう、魔力がない。次で最後なの。……でも、どうやってもあの一秒が縮まらない……!」
彼女は頭を抱えた。
俺はカウンターを乗り越え、彼女の腕を掴んだ。
「……デバイスを見せろ」
「えっ、でも時間がない……!」
「いいから出せ!」
俺は彼女の腕にある『クロノス・ギア』を強引に引き寄せた。
スイスの精密時計メーカー『エターナル・ワークス』製の超高級品。
だが、その盤面は熱で歪んでいた。
「……やっぱりな。安全装置が誤作動してる」
俺は厨房から、アイスピックと、潤滑用のサラダ油(本来は機械油がいいが、今はこれしかない)を持ってきた。
「お前が焦って『時間跳躍』を連打したせいで、歯車の同期がズレてる。そのラグが、転移後の硬直時間を生んでるんだ。……それが『足りない一秒』の正体だ」
俺はアイスピックの先端を、回転する歯車の隙間に突っ込んだ。
ギャリッ! と嫌な音がする。
「ひっ!?」
「黙ってろ。……この『強制同期リミッター』をへし折る」
バキンッ!
小さな金属片が弾け飛んだ。
瞬間、歯車の回転音が、苦しげな低音から、キーンという甲高い高周波音に変わった。
「……仕上げだ」
俺はサラダ油を可動部に垂らした。
「これでリミッターは消えた。跳躍後の硬直はゼロになる。……その代わり、ブレーキも効かねえぞ。着地の瞬間に全力で走らねえと、慣性で吹っ飛ぶ」
俺は彼女を離した。
彼女は軽くなったデバイスを呆然と見つめ、それから俺を見た。
「……本当に、間に合う?」
「カツカレー食ったんだ。……『勝つ』に決まってんだろ」
俺はニヤリと笑った。
彼女は涙を拭い、残りのカレーを一気にかき込んだ。
「……うん! 行ってきます!」
彼女はデバイスの竜頭を回した。
世界が歪む。
時計の針が逆回転し、彼女の姿がブレて消える。
「……頼むぜ、お嬢ちゃん」
俺は誰もいなくなった店内で呟いた。
直後、ラジオのニュース音声が、テープを巻き戻すようにキュルキュルと逆再生され――。
――そして、世界が再構築された。
深夜一時。
俺は寸胴のスープを混ぜていた。
デジャヴはない。スッキリとした、新しい時間だ。
ラジオが、臨時ニュースを告げていた。
『――速報です。先ほど河川敷に出現した怪獣ですが、現場の魔法少女チームにより、出現からわずか数秒で撃破されました! 奇跡的な連携プレーです!』
「……数秒、か」
俺は口元を緩めた。
どうやら、最後の一回で、あの一秒を縮められたらしい。
カウンターには、空になったカレーの皿が残っていた。
時間が巻き戻っても、彼女が食った事実は消えていない。あるいは、ここが時間の特異点になっているのか。
皿の横には、代金の五百円玉が置いてあった。
それは、何度も何度も握りしめられたせいで、生温かく、そして手汗で少し濡れていた。
「……お疲れさん」
俺はその硬貨を、レジの一番手前に入れた。
四六回の絶望を乗り越えた、勝利のメダルだ。
俺は皿を洗い始めた。
カレーの匂いは、スパイスの刺激とともに、どこか希望の匂いがした。




