Sランクの重圧(トップアイドル)と、染み染み大根
深夜二時。
丑三つ時を過ぎても、都市のネオンは消えない。
屋台のラジオからは、昨日の戦闘のダイジェスト番組が流れている。
『――昨夜の戦闘で見事な殊勲を挙げたのは、新人ながら急上昇中のラピス・ナイト選手! あの見事な一点突破、まさに騎士の鑑です!』
俺は煮卵の殻を剥きながら、ふんと鼻を鳴らした。
あの日以来、あの「青い子」は調子が良いらしい。ミツビシ製の排熱不良をカバーする運用法を覚えたおかげか、あるいは単に腹いっぱい食って吹っ切れたか。
どちらにせよ、俺の仕事はラーメンを作るだけだ。
今日は冷え込みが厳しい。俺は寸胴の横にある四角いおでん鍋の火加減を確認した。
透き通った出汁の中で、大根、こんにゃく、厚揚げ、牛すじが静かに出番を待っている。
ヒュン、という風切り音と共に、屋台の前の砂埃が舞った。
足音はない。重力を制御して着地する、上位ランカー特有の挙動だ。
「……やってる?」
凛とした、だがどこか棘のある声。
暖簾をくぐって現れたのは、深紅のツーピースに身を包んだ少女だった。
派手な金髪のツインテール。腰には二丁の魔導拳銃。そして何より目を引くのは、肩と背中に装着された過剰なほど巨大なスラスターユニットだ。
俺は見覚えがあった。いや、この都市に住んでいて彼女を知らない奴はいない。
対魔戦線ランキング三位。人気投票二位。「紅の閃光」こと、バーミリオン・エース。
だが今の彼女は、テレビで見る自信満々の笑顔ではなく、眉間に深い皺を寄せていた。
「やってるよ。ラーメンか、おでんか」
「……おでん。大根と、あと白滝。それだけ」
彼女はカウンターの端に座ると、大きなため息をついた。
「カロリー、気にすんのか」
「当たり前でしょ。事務所がうるさいのよ。『空を飛ぶ時のシルエットが美しくない』とか何とか」
彼女はイラついた様子で、カウンターに置かれた割り箸を手に取った。
俺は黙って大根と白滝を皿に盛り、少量の和辛子を添えて出す。
飴色になるまで煮込まれた大根。箸を入れると、何の抵抗もなくスッと切れる。
彼女はそれを口に運び、ハフハフと息を漏らした。
「……ん。美味しい」
「そりゃどうも」
「味が染みてる。……私の心なんかより、ずっと深くまで」
冗談めかしているが、目は笑っていなかった。
彼女、バーミリオン・エースが所属するのは大手芸能事務所だ。
魔法少女を「タレント」として売り出し、怪獣退治をエンターテインメントに昇華させたパイオニア。
だが、俺の古巣である防具屋業界での評判は最悪だった。
「……肩、凝ってんだろ」
俺はあえて、客のプライベートに踏み込んだ。
彼女がピクリと反応する。
「なんで分かんの?」
「右肩が下がってる。それに、さっきから首を回す頻度が多い」
俺は彼女の背中の巨大なスラスターに視線をやった。
「『クリムゾン・ウィングVer.5』。大和重工製だな。出力は高いが、重心設計が甘い。見た目のインパクト重視で、バッテリーの位置が悪すぎるんだよ。長時間背負ってると僧帽筋が死ぬ」
「……詳しいのね、おじさん」
彼女は驚きつつも、苦々しげに顔を歪めた。
「その通りよ。これ、事務所が『映えるから』って無理やり装備させてんの。おかげで最近、空中での機動がワンテンポ遅れる。昨日のランク落ちはそのせい」
彼女は悔しそうに白滝を噛み切った。
「マネージャーに言っても『根性でカバーしろ』の一点張り。……私だって、本当はもっと軽く動きたいのに」
ブラックな現場だ。
営業マン時代、俺も似たようなクレームを何度も受けた。現場を知らない上層部が、カタログスペックと見た目だけで装備を選定し、現場の少女たちに負担を強いる。
俺は一度、奥に引っ込むと、工具箱から一本の六角レンチを取り出した。
「……ちょっと後ろ向きな」
「は? 何すんの」
「いいから。おでんのサービスだ」
訝しむ彼女の背後に回り、俺はスラスターの基部にある小さなボルトにレンチを差し込んだ。
「そいつはな、デフォルトだと『ショーモード』になってるんだ。翼を大きく広げて見せるために、無駄な油圧を使ってる」
カチッ、と硬質な音がした。
「ここのリミッターピンを一本抜いて、可動域の設定を『コンバットモード』に変える。そうすりゃ、翼の展開幅は少し狭くなるが、重心が背骨に寄る。体感重量は三割減だ」
俺は手早く調整を済ませ、レンチをポケットにしまった。
「動かしてみな」
彼女は半信半疑で肩を回し、それから目を見開いた。
「……うそ、軽っ!?」
「見た目の派手さは少し減るが、まあ、素人が見ても分からんレベルだ。マネージャーには『姿勢が良くなった』とでも言っとけ」
彼女は立ち上がり、軽くステップを踏んだ。その動きは入店時よりも明らかに鋭い。
「すごい……これなら、トップスピードで旋回できる!」
彼女の顔に、テレビで見せるあのアグレッシブな笑みが戻っていた。
俺は空になったおでんの皿を下げる。
「お代は?」
「あ、待って」
彼女は懐から、くしゃくしゃになった千円札を取り出した。
「お釣りはいらない。……ねえ、おじさん。名前は?」
「ただの屋台のオヤジだ」
「ふーん。まあいいわ」
彼女は屋台の出口で振り返り、ニヤリと笑った。
「次の戦闘、見てなさいよ。私の『本来の動き』、見せてあげるから」
言うが早いか、彼女は真紅の炎を噴射し、夜空へと駆け上がっていった。
その軌道は、先ほどまでとは違い、迷いのない一直線だった。
「……元気なこった」
俺は再び鍋の前に戻った。
遠くでサイレンが鳴り始める。またどこかで怪獣が出たらしい。
俺は手元のラジオのチューニングを合わせ直す。
大和重工の『ウィングVer.5』は、あの調整を施すと排熱効率が上がり、冬場は背中が温かくなるという副作用がある。
この寒空の下だ。カイロ代わりにはなるだろう。
「さて、牛すじでも煮込むか」
おじさんの夜は長い。
平和を守る少女たちの胃袋と、装備の不具合を支えるために。




