公安局の鉄仮面と、甘酢天津飯
深夜一時。
コツ、コツ、コツ。
砂利道には似つかわしくない、革靴の規則正しい足音が近づいてきた。
暖簾がめくられると同時に、懐中電灯の光が店内に走った。
「……店舗営業許可証の提示を求めます」
現れたのは、紺色の制服に身を包んだ少女だった。
腕には「公安」の腕章。腰には警棒のようなロッドと、分厚い法令集をぶら下げている。
魔法少女・公安局特務隊。
怪獣災害の現場で、魔法少女たちが引き起こす「行き過ぎた破壊」や「法規違反」を取り締まる、言わば魔法少女界の警察官だ。
「……そこにある」
俺が保健所の許可証を指差すと、彼女はそれをじっくりと確認し、最後に頷いた。
「……確認しました。衛生管理基準、適合」
彼女は懐中電灯を消し、深く息を吐いてカウンターに座った。
その瞬間、鉄仮面のような無表情が崩れ、深い疲労が滲み出た。
「……注文は?」
「……消化が良くて、酸味があるもの。あと、早く出るもの」
公務員らしい、効率重視のオーダーだ。
「なら、天津飯だ。甘酢あんでいいな?」
「……推奨します」
俺は中華鍋を熱し、卵を三個割った。
カニの身(缶詰だが)、タケノコ、ネギを卵液に混ぜる。
多めの油で一気に焼き上げる。ジュワァッ! という音と共に、卵がふわりと膨らむ。
半熟の状態でご飯の上に乗せ、別の小鍋で作っておいた特製の甘酢あんをたっぷりとかける。
あんは、酢、醤油、砂糖、ケチャップを絶妙なバランスで配合したものだ。
「へい、天津飯。酢が効いてるから疲れが取れるぞ」
ドンブリを出すと、酸っぱい香りが彼女の鼻腔をくすぐった。
彼女は「いただきます」と小さく呟き、レンゲを入れた。
とろりとしたあんと、ふわふわの卵、そして白飯。
それを口に運ぶと、彼女の眉間の皺が少しだけ緩んだ。
「……酸っぱい。……けど、美味しい」
クエン酸が疲れた脳に染み渡る。彼女は黙々と、しかしペースを落とさずに食べ進めた。
俺は彼女が食べている間、腰にある「捕縛用ロッド」に目を向けた。
飾り気のない、実用性一点張りの黒い金属棒。
「……『官給品・六式制圧杖』か。また懐かしいモン持ってるな」
彼女はレンゲを止めた。
「……知っているのですか? これは公安の支給品ですが」
「ああ。頑丈さが取り柄だが、重いし、魔力伝導率が悪い。おまけに……」
俺は彼女の手首を見た。
ロッドを握る右手の親指の付け根に、いくつものテーピングが巻かれている。
「安全装置が硬すぎるんだよ、六式は。解除するたびに親指に負担がかかる設計ミスだ」
彼女は驚き、自分の手を見た。
「……その通りです。現場で即座に展開しようとすると、どうしてもスイッチが引っかかる。おかげで腱鞘炎が治りません」
彼女はため息をついた。
「でも、文句は言えません。私はルールを守らせる側ですから……支給された装備に不満を言うのは、規律違反です」
真面目だ。
真面目すぎて、損をするタイプだ。
俺は以前勤めていた会社で、こういう「現場の声」を無視してコストカットされた官給品が、どれだけ現場を苦しめているかを知っている。
俺はカウンターの下から、小さなシリコンスプレーと、マイナスドライバーを取り出した。
「飯食ってる間に貸してみな」
「えっ、でもこれは官給品で、改造は……」
「改造じゃねえ。『現地調整』だ。マニュアルの第24項にも『緊急時の微調整は現場判断に委ねる』って書いてあるはずだぞ」
「……第24項……確かに、解釈によっては……」
彼女が迷っている隙に、俺はロッドを取り上げた。
俺はロッドのグリップ部分を分解した。
中には、無駄に複雑なバネ仕掛けの安全装置が入っている。
「……やっぱりな。バネ圧が強すぎる上、グリスが固着してる」
俺は古いグリスを拭き取り、高品質なシリコンオイルを塗布した。
さらに、スイッチの噛み合わせ部分をヤスリで数ミクロン削り、角を落とす。
カチッ、カチッ
親指一本で、スムーズに解除できるようになった。
「よし。……握ってみろ」
天津飯を完食した彼女は、ロッドを受け取り、恐る恐るスイッチに指をかけた。
カチャッ
力を入れずとも、滑らかにロックが外れ、ロッドが展開した。
「……!」
彼女は何度かスイッチを操作した。
「軽い……。これなら、親指への負担が全然ありません」
「バネの強さは変えてねえから、検査に出してもバレねえよ。……『摩耗して馴染んだ』とでも言っとけ」
彼女はロッドを腰に戻し、俺をじっと見た。
その瞳には、入店時の冷たさはなかった。
「……店主。貴方、何者ですか? ただの屋台にしては……」
「元・出入りの業者だ。役所の理不尽さは嫌というほど知ってる」
彼女は少しだけ口元を緩めた。
「……そうですか。では、この『現地調整』のことは、公式記録には残しません」
彼女は財布から代金を出し、きっちりとレシートを要求……しなかった。
「領収書は不要です。……これは、私の個人的な夜食ですから」
彼女は立ち上がり、帽子を被り直した。
「ごちそうさまでした。……甘酢、疲れが取れました」
彼女は再び「公安の顔」に戻り、規律正しい足音で店を出て行った。
だが、その足取りは来る時よりも少しだけ軽快に見えた。
「……やれやれ」
俺は空になったドンブリを下げた。
甘酸っぱいタレの匂い。
ルールを守る番人も、またルールに苦しめられている。
そんな連中に必要なのは、ほんの少しの「融通」なのかもしれないな。
「さて」
俺はラジオのニュースを聞き流しながら、次の仕込みを始めた。
どんな堅物な客が来ても、この店ではただの腹を空かせた人間だ。
温かい飯を出してやるのが、俺の唯一の「規律」だ。




