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氷の女王の震えと、熱々もやしあんかけ


 その夜、気温は氷点下を記録していた。

 屋台の隙間風が、容赦なく俺の足元を冷やす。

 寸胴の湯気だけが頼りだ。俺は首にタオルを巻き直し、鍋の様子を見た。

 こんな極寒の夜に客など来るはずがない――そう思っていた矢先、空気がピキリと凍る気配がした。


「……やって、ますか」


 暖簾がパリパリと音を立てて持ち上がった。凍りついている。

 現れたのは、透き通るような銀髪の美少女だった。

 衣装は白と水色を基調とした、ドレスのような軍服に薄手の丸眼鏡。周囲の空気中の水分が、彼女の歩みに合わせてダイヤモンドダストのように結晶化している。

 彼女の名は「ダイヤモンド・ダスト」。

 あらゆる敵を瞬時に凍結させる最強の氷使いであり、その表情の乏しさから「氷の女王」と恐れられているSランク魔法少女だ。

 だが。


「……ら、らーめん……くだ、さい……」


 その声は、ガチガチと小刻みに震えていた。

 彼女はカウンター席に座るなり、体を小さく丸め、両手で自身の腕をさすっている。

 クールなのではない。単に、死ぬほど寒いのだ。


「いらっしゃい。……とびきり熱いやつでいいな?」

「……はい……おねがい、します……」


 彼女は涙目で頷いた。

 俺は中華鍋を強火にかけた。

 たっぷりのもやし、豚肉、人参、キクラゲを炒める。

 そこに鶏ガラスープを注ぎ、醤油とオイスターソースで味を調える。

 ここからが勝負だ。

 水溶き片栗粉を回し入れ、スープ全体に強烈なとろみをつける。

 粘度を増したスープは、熱を一切逃がさない「断熱材」となる。

 茹で上がった麺に、その熱々のあんをたっぷりと掛ける。


「もやしあんかけラーメンだ。……火傷すんなよ」


 ドンブリを置くと、湯気すら上がらない。表面の餡が熱を閉じ込めているからだ。

 彼女は震える手でレンゲを差し入れた。

 とぷん。

 餡を割った瞬間、閉じ込められていた爆発的な湯気が顔を直撃した。


「……あ」


 彼女の眼鏡が、一瞬で真っ白に曇った。

 彼女は眼鏡を外すと、フーフーと懸命に冷まし、とろみのついたスープと麺を口に運んだ。

 ハフッ、ハフッ、熱っ……!

 だが、その熱さが今の彼女には救いだったようだ。

 胃袋に灼熱の塊が落ちると、彼女の青白かった頬に、さっと赤みが差した。


「……あったかい……」


 彼女は心底幸せそうに、吐息を漏らした。

 ハフハフと麺を啜るたびに、体温が戻ってくる。彼女は一心不乱に「熱」を貪った。

 俺は彼女が食べている間、彼女がカウンターに置いた手袋ガントレットに目をやった。

 氷のような半透明の素材で作られた、美しい装具だ。

 だが、俺の目は誤魔化せない。


「……『クリスタル・アーツ社』の『ゼロ・システム』か。また極端な装備を使ってやがる」

 彼女は麺を飲み込み、驚いたように俺を見た。

「……わかるの?」

「ああ。そいつは魔力効率を上げるために、術者の体温を強制的に奪って冷却材にする機能がついてる。……本来は雪女ユキオンナ系の妖精と契約した『寒冷地適応型』の人間専用だ。お前みたいな普通の人間の体温じゃ、低体温症で倒れるぞ」


 彼女はシュンと肩を落とした。


「……やっぱり。事務所が『クールなキャラ作りには、これくらいの演出が必要』って……。夏場はいいんですけど、冬場は本当に死にそうで……」


 彼女は再びレンゲで餡をすくった。


「でも、外せないんです。これがないと、出力が安定しなくて」


 俺はため息をつき、お玉を置いた。


「貸してみな」

「え?」

「飯食ってる間に直してやる。……見てるこっちが寒くなるんだよ」


 俺は手袋を手に取ると、内側のサーモセンサーの配線をむき出しにした。

 クリスタル・アーツ社の製品は美しいが、設計思想が「芸術点」に偏りすぎている。


「このバイパスラインだ。ここが『常時冷却』になってるのを切る」


 俺はニッパーで極細の回路を一本切断し、代わりに横の予備回路にハンダ付けした。


「これで『排熱循環モード』に切り替わった。魔法を使う時に発生する余剰熱を、冷却に回すんじゃなくて、お前の手のひらに還流させるようにした」


 つまり、魔法を使えば使うほど、手が温まる仕様だ。


「……そんなこと、できるの?」

「原理はエアコンの暖房と同じだ。……ほらよ」


 俺は手袋を返した。

 彼女はあんかけラーメンを完食し、体の中からポカポカになった状態で、手袋をはめた。

 試しに、指先で小さな氷の結晶を作ってみる。

 キィン、と美しい音がして氷が生成された瞬間、手袋の内側がじんわりと温かくなった。


「……っ!?」


 彼女は目を見開いた。


「温かい……! 氷を出してるのに、ホッカイロ握ってるみたい!」

「出力効率は数%落ちるかもしれんが、震えて狙いを外すよりマシだろ」


 彼女は手袋を頬に当て、うっとりとした表情を浮かべた。


「すごい……これなら、冬の巡回も怖くないです」


 彼女は財布から千円札を出し、さらにポケットから何かを取り出した。

 キラキラと輝く、氷の華だ。溶けない魔法の氷。


「これ、チップです。……お店の冷蔵庫に入れておくと、電気代が浮くと思います」


 彼女は少し悪戯っぽく微笑んだ。


「おじさんのラーメン、魔法より温かかったです」


 彼女は軽やかな足取りで、極寒の夜空へと飛び去っていった。

 その背中からは、もう寒々しい気配は感じられなかった。


「……電気代が浮く、か」


 俺は受け取った氷の華を、ビールケースの横に置いた。

 周囲の空気がひんやりと冷える。確かに性能は良さそうだ。

 俺は空になったドンブリを洗った。

 とろみのついたスープの跡が、頑固にこびりついている。


「……洗うのは大変だけどな」


 苦笑いしながら、俺はスポンジを握った。

 氷の女王が溶けた夜。


 屋台の熱気は、まだまだ冷めそうになかった。


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