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戦果報告は、チャーシューメンの湯気向こう


都市の空が、紫色に歪んでいた。


 遠く離れたこの場所からでも、ビル群の隙間で炸裂する光の粒が見える。時折、重低音が腹の底に響くのは、怪獣の咆哮か、それとも魔法少女が放つ「必殺技フィニッシュ・ブロー」の衝撃音か。

 俺は屋台のラジオのボリュームを少しだけ下げた。


『――現在、千代田区上空に発生した空間亀裂より、識別クラスCの怪獣が出現。現場には“スターライト・バレット”および“騎士団シュヴァリエ”部隊が急行しており……』


 アナウンサーの緊迫した声を聞き流しながら、俺、黒木くろきは黙々と寸胴鍋のアクを掬う。

 四〇年前。突如として世界に「怪獣」という名の災害が現れた。

 物理法則を無視して現れるそれらに対抗できるのは、妖精と契約し、魔法という名の超常リソースを行使できる少女たちだけ。

 世間は彼女たちをアイドルと持て囃し、戦闘中の映像はリアルタイムで配信され、視聴率と「いいね」の数が彼女たちの防衛予算に直結する。

 狂った世界だ。だが、商売人としては悪くない市場だった。

 俺が去年まで勤めていた会社――「大和重工・対魔防具事業部」も、そんな狂騒の中で急成長した少しブラックな企業の一つだ。


「……麺、茹ですぎちまうな」


 俺はため息をつき、客のいない屋台を見渡した。

 ここは都市防衛圏の境界線ギリギリ、国道沿いの寂れた空き地だ。

 冬の寒空の下、揺れる赤提灯には「おでん」「ラーメン」の文字。

 怪獣が出れば、人は避難するか、あるいは安全なシェルターで配信にかじりつく。こんな最前線一歩手前の吹きっさらしに、ラーメンを啜りに来る物好きはいない。

 そう思っていた矢先だった。

 ザッ、ザッ、と砂利を踏む音がした。

 不規則で、重たい足音。

 俺は手元の菜箸を止め、視線を上げる。

 提灯の明かりが、闇の中から現れたその姿を照らし出した。


「……いらっしゃい」


 俺は極力、無愛想に声をかけた。

 立っていたのは、少女だった。

 年齢は一五、六といったところか。だが、その格好は明らかに「カタギ」ではない。

 フリルが幾重にも重なった、青を基調とした豪奢なドレス。背中には半透明の羽のようなマント。手には身の丈ほどもある巨大なランスを引きずっている。

 魔法少女だ。

 だが、テレビで見るようなキラキラした姿ではない。

 スカートの裾は煤で汚れ、白い肌には擦り傷が無数に走り、整えられた髪はボサボサだ。何より、その瞳には光がない。疲労困憊、という言葉を人の形に固めたようだった。

 彼女は呆然と屋台の暖簾を見つめ、それから俺を見た。


「……お店、やってますか」


 消え入りそうな声だった。


「やってるよ。座んな」


 俺はパイプ椅子を顎でしゃくった。

 彼女は槍を屋台の柱に立てかけると――その際、金属ともプラスチックともつかない重い音がした――、ドスンと椅子に崩れ落ちた。

 変身を解いていない。いや、解く余力もないのか、あるいは身バレを防ぐための防衛本能か。どちらにせよ、俺が詮索することじゃない。


「ご注文は」

「……温かいもの。なんでもいいです」


 思考停止している客への最適解。俺は無言で麺をテボに放り込んだ。

 茹で時間は一分半。

 その間、俺はチラリと彼女の装備を観察する。


(……青の騎士装束。型番MJ-04系列か。大和重工製じゃねえな、ライバル社のミツビシ・マジック・アーツの新型か。装甲は薄いが機動性重視……なるほど、今日のクラスC相手じゃ相性が悪い)


 職業病だ。俺の脳内で勝手にスペックとコストの計算が弾き出される。

 彼女はカウンターに突っ伏し、スマホをいじっていた。画面の光が、彼女の沈んだ顔を青白く照らす。


『今日の戦闘、騎士の子とろくない?』

『やっぱスターライトちゃんの火力が正義w』

『青の子、邪魔してね? 被害拡大してるじゃん』


 流れるコメントの滝。彼女の指が震え、画面を閉じた。

 小さく、鼻をすする音が聞こえた。


「はい、お待ち」


 俺はドンブリをカウンターに置いた。

 醤油ベースの鶏ガラスープに、縮れ麺。具は厚切りのチャーシュー二枚、メンマ、ナルト、そしてたっぷりの刻みネギ。

 湯気が彼女の顔にかかり、彼女はハッとしたように顔を上げた。


「……ラーメン」

「食えるか」

「……はい」


 彼女は震える手で割り箸を割り、麺をすくい上げた。

 最初の一口は、恐る恐る。

 だが、スープを一口飲んだ瞬間、彼女の肩から力が抜けたのが分かった。

 ズルッ、ズルズルッ。

 すする音が大きくなる。

 彼女は一心不乱に麺を啜り、チャーシューに食らいついた。熱いスープが冷え切った内臓に染み渡り、魔力欠乏マナ・ドレインで乾いた細胞を潤していく。

 俺はその間、黙って鍋を磨いていた。

 客が泣きながら飯を食っている時、店主ができる最高のサービスは「見ないふり」だ。

 五分とかからず、彼女はドンブリを空にした。


「……ごちそうさまでした」


 声に少しだけ生気が戻っていた。


「お粗末さん」


 コップに水を注いで出すと、彼女はそれを両手で包み込み、ぽつりと呟いた。


「……私、向いてないのかな」


 独り言だったのかもしれない。だが、この距離だ。聞こえないふりをするのも不自然だった。


「何がだ」

「魔法少女、です」


 彼女は自嘲気味に笑った。


「今日だって、一生懸命やったんです。でも、私の槍じゃ、あの怪獣の殻、全然貫通しなくて……。視聴者コメントもボロクソで……」


 彼女の視線が、立てかけた槍に向く。


「事務所からは『クールな騎士キャラで売れ』って言われてるから、弱音も吐けないし。……もう、辞めようかな」


 俺はタバコを取り出し、火はつけずにフィルターだけを噛んだ。

 目の前の少女は、俺がかつて売り歩いた「商品(防具)」を身にまとい、命がけで戦っている「現場」の人間だ。

 そして俺は、その現場の理不尽さを誰よりも知っている「元・業者」だ。

 口を出す義理はない。俺はただのラーメン屋だ。

 だが。

 ……あの大和重工時代、コストカットのために安全基準ギリギリの盾を納品した時の、あの胃が焼けるような罪悪感が、ふと蘇る。


「……デザート」

「え?」

「うちはセットでデザートがつくんだよ。勝手にな」


 俺は冷蔵庫から小さな器を取り出した。

 自家製の杏仁豆腐だ。クコの実を一つ乗せ、シロップをたっぷりかけてある。

 それを彼女の前に置き、俺は洗い物をするために背中を向けた。

 そして、あくまで「独り言」として呟く。


「……その槍、ミツビシの『トライデント・マークⅣ』だろ」

「えっ?」


 背後で衣擦れの音がした。俺は振り返らずに鍋を磨き続ける。


「あいつはカタログスペックじゃ貫通力Aってなってるが、連続使用すると冷却機関が追いつかずに、三撃目以降の威力が四〇%落ちる欠陥があるんだよ。初期ロット特有のバグだ」

「え、あ、おじさん、なんで……」

「だから、お前が弱いわけじゃない。道具のクセを掴んでないだけだ」


 俺は水道タンクの蛇口をひねり、水の音で彼女の声を遮った。


「二発撃ったら、一回排熱動作を入れろ。具体的には、つかの下にある赤いバルブを一瞬ひねるんだ。マニュアルの裏表紙の隅っこに小さく書いてあるはずだぜ」

「バル、ブ……?」

「それと、今日の怪獣。あれは亀みたいに見えるが、骨格はヤドカリに近い。甲羅の継ぎ目、右肩の後ろあたりに、魔力伝導の神経が集中してる。そこなら、冷却してない状態の槍でも通る」


 水音が止むと、静寂が戻った。

 彼女は杏仁豆腐のスプーンを口に運んだまま、固まっていた。


「……おじさん、何者?」

「ラーメン屋だ」


 俺は短く答え、ふきんで手を拭いた。


「甘いもん食ったら、さっさと帰りな。親……いや、事務所が心配するだろ」


 彼女はしばらく俺の背中を見つめていたようだが、やがて器に残った杏仁豆腐を綺麗に平らげた。


「……美味しかった。すごく」


 椅子から立ち上がる音がする。

 振り返ると、彼女は槍を手に取り、真っ直ぐに立っていた。先ほどまでの悲壮感は消え、その瞳には小さくとも確かな光が宿っている。


「お代、置いておきます!」


 カウンターに小銭を置くと、彼女は一礼し、屋台を飛び出した。

 直後、ふわりと重力が消失する気配。

 青い光の帯となって、彼女は夜空へと飛翔していった。再び戦場へ戻るのだろう。


「……たく、商売っ気出すとこれだ」


 俺はカウンターの上の硬貨を回収した。

 そして、懐から古ぼけたスマートフォンを取り出す。

 登録名は『大和重工・技術開発部 佐々木』。

 呼び出し音三回で、不機嫌そうな声が出た。


『……黒木か? 珍しいな、お前からかけてくるなんて。また未払いの請求書でも見つかったか?』

「よせ。……佐々木、お前んとこ、今度の入札でミツビシと競合してるだろ」

『ああ、次期主力装備の選定な。苦戦中だよ』

「情報を一つやる。ミツビシの『マークⅣ』、冷却系の不具合を隠してるぞ。現場の魔法少女が泣いてた」

『……マジか。確証は?』

「現物を見た。排熱バルブの設計ミスだ。あそこを突けば、お前んとこの『イージス・シールド』が有利になる」

『ハッ……相変わらず性格悪いな、お前。「元」営業マンのくせに』

「その代わりだ、佐々木」


 俺は屋台の提灯を見上げた。


「次の補給物資、あの青い子――リストにいるだろ、『ラピス・ナイト』とか言ったか。あの子に、試供品でいいから予備の冷却カートリッジを回してやれ。あくまで『企業のファンサービス』とかなんとか言ってな」

『……お前なぁ。慈善事業じゃねえんだぞ』

「ラーメン一杯分の借りだ。頼んだぞ」


 俺は一方的に通話を切った。

 遠くの空で、青い閃光が走ったのが見えた。

 直後、ズドンという轟音と共に、巨大な影が崩れ落ちる気配。


「……ふん」


 どうやら、右肩の後ろを上手く突けたらしい。

 俺はタバコに火をつけ、深く吸い込んだ。

 冬の夜風に、紫煙と豚骨の匂いが混ざり合う。

 今日は客が一人来た。売上は七五〇円。

 脱サラしたラーメン屋にしては赤字だが、まあ、悪くない夜だ。


「さて、と」


 俺は新しい麺をテボに放り込んだ。

 戦いが終われば、腹を空かせた連中がまた来るかもしれない。

 ここは戦区外の止まり木。

 世界を救う少女たちが、唯一、ただの少女に戻れる場所なのだから。

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