ep15. 精霊の国編 創夜 vs 勇者
スーの村は、清涼な空気に満ちていた。創夜の心から重い霧が晴れたように、村の穏やかな光景は、より一層彼の目にはっきりとうつった。
シオン、スー、そして創夜の三人は、水路のほとり、白樺の木で作られた小さなテーブルを囲んでいた。スーが運んできた温かいシチューからは、ハーブの香りが立ち上り、冷えた身体を内側から温めてくれる。
「さあ、創夜。沢山食べて。私の特製よ!アレルには少し残しておこうかしら」
スーが微笑みながら勧める。創夜は小さく頷き、久しぶりに食事に手をつける。シオンも隣で、ゆっくりとシチューを口に運んでいた。
食事の温かさが創夜の身体に染み渡る頃、シオンが口火を切った。
「さて、腹も満たされたところで、現状の整理をしよう」
シオンはテーブルの上に、石の欠片で簡単な地図を描き始めた。
「まず、俺たちがワープで辿り着いた『炎の神殿』。あそこを出ると、本来は雪山が広がっているはずだ」
創夜の頭の中にも、炎の神殿の先に広がる雪と氷の世界のイメージが蘇った。
スーが補足する。
「そうよ。ワープポイントは、雪山の中腹にあるのが普通なの。そこから、頂上を目指して歩かないと、光の神殿には辿り着けない」
「ああ。雪山の頂上にあるのが、『光の神殿』だ」
シオンは、地図上の雪山の頂点に印をつけた。
創夜は静かに問いかけた。
「俺とアレルは、雪山の中腹にワープした。ワープの光が収束した直後、人型の雷の塊、テラズマが目の前にいたんだ。これが、今回起きた異常事態の全てだ」
スーが小さく息を呑む。
「そうよ……創夜とアレルがワープして、私とシオンがワープし終わった頃。創夜が飛んできてもと居た場所に戻されて驚いたわ」
シオンは顎に手を当てて考え込んだ。
「なぜ、山を登らないと行けない神殿の精霊がワープポイントの出た先にいたんだ?しかも、鳥のモンスターとかになってくれてればいいものを、なぜテラズマなんだ」
創夜の表情が険しくなる。
「テラズマは光の速さで攻撃してきた、だからあの時の俺じゃ攻撃を避けることもできなかった。ただ…」
沈黙がテーブルを包んだ。シオンは、創夜が既に次の行動を決めていることを察した。
創夜は立ち上がると、シオンとスーをまっすぐに見据えた。彼の声は静かだが、強い決意に満ちていた。
「シオン、スー。俺にテラズマを一人でやらせてほしい」
シオンとスーは、驚きに目を見開いた。
「どういうことだ、創夜?」シオンが尋ねる。
「俺の心の乱れが、本来の力を、俺のスキルを使えなくしてたんだ。テラズマの動きは、確かに速い。だが、俺なら対処できる」
創夜は、ふと遠い目でシオンとスーに感謝を告げた。
「アレルとシオンが、俺の心を晴らしてくれたんだ。礼に、良いものを見せてやる」
創夜は、村の奥にある、木々に囲まれた広い演習場を指差した。
「口で言うより見せた方が速いだろ。演習場はあるか? 本気で来てくれ。二人ともスキルも魔法も使っていい、本気で来てくれ」
創夜の言葉に、シオンは真剣な表情に戻った。
創夜の瞳は、これまでにない確信の光を宿していた。創夜はフーッと息を吐いた。
急に、創夜の雰囲気が変わりはじめた。体全身に不思議なオーラを纏っている。強化魔法は光の精霊を解放しないと発現できないはずだ。何を纏っているのだろうか。
創夜は、懐に愛用の剣があるにも関わらず、それを抜くことなく、静かに右手の拳を、顔の横でそっと構えた。その立ち姿は、まるで千年の時を生き抜いた武術の達人のように、一切の隙がない。
シオンは双剣を抜き、スーも魔法の杖を強く握る。
シオンが深く息を吸い込んだ。
「いくぜ!」
スーも呪文を唱え始める。
「いくわよ、創夜!」
最強の勇者シオンと、知恵ある魔法使いのスーを相手に、創夜の『信頼』の戦いが、今、始まった。
風を切る音が響いた。
光速にも等しいシオンの突きが、創夜の顔面すれすれを通過する。
一歩も動かない。
創夜は、その場に棒立ちのまま、ただ首の筋肉を、紙一重だけ弛緩させることで、刃の軌道を回避した。
「なっ……!」
シオンは驚愕の声を上げる。創夜の動きは、避けたというよりも、攻撃が勝手に逸れたように見えた。
刹那、スーが詠唱を完了させる。
「ファイヤー・ストーム!」
巨大な火球が創夜めがけて一直線に飛来する。その熱波が肌を焦がす一瞬前、創夜の左手の人差し指と中指が、わずか一ミリだけ上向きに動いた。
それは、魔法の弾道を見極め、わずかな空気の揺らぎを利用した、最小限のカウンター。
バシュン!
火球は創夜の指先で触れられた瞬間、意志を失ったように四散し、無害な火の粉となって消えた。
「そんな……素手で、それも指二本で私の上級魔法を?」
スーの顔から血の気が引く。彼女の魔法は、岩をも溶かす威力のはずだった。
創夜は沈黙したまま、微動だにしない。まるで彼自身が、攻撃の当たらない空間の中心に立っているかのようだ。
シオンは瞬時に体勢を立て直し、双剣による連撃を仕掛ける。
創夜の体の中心を狙い、剣が喉元を薙ぐ。
創夜の身体は、その場に立ったまま、上下にわずかに揺れた。
剣は創夜の制服の胸元をかすめ、その剣圧だけが服を切り裂いたが、肉体には届かない。剣は、創夜の顎の下を通り過ぎ、一本の髪の毛すら切ることができなかった。
シオンは後退し、冷や汗を拭う。
「今の動きはなんだ…完全に軌道を見切っている。避けようとする動きすら、まるでしていないぞ!」
スーも再び魔法を構築する。ウインドウ・カッター×六、単体への超高速攻撃魔法だ。
「避けられるものなら避けなさい!」
風刃が放たれる。その速度は、音速を遥かに超え、通常の視覚では捉えられない。
創夜は、膝の関節を、ごく僅かに内側に捻った。それだけの動作で、地面から巻き上がった微細な砂埃が、風刃の進路上に極小の空気の壁を作り出す。
キン!
甲高い金属音のような破裂と共に、風刃は創夜の体表から数ミリの場所で霧散した。その衝撃波が創夜の髪を揺らしたが、彼の身体には一切触れていないまるで、風刃が避けたようにも見える。
「魔法の軌道を、物理的な手段で捻じ曲げた…?」
スーは、自分の常識が音を立てて崩れていくのを感じた。
創夜はゆっくりと口を開く。その声は、戦闘中とは思えないほど静かだった。
「テラズマの攻撃は、確かに速かった。だが、それは光の速さという、一つの決まった法則の上で成り立っている」
彼はシオンとスーをまっすぐに見据える。
「これが、リンに教わった気を使うってことだ、例え、勇者の攻撃だろうと俺にその刃は届かない。これが無我の境地だ」
シオンは瞬時に体勢を立て直し、双剣による連撃を仕掛ける。シオンは、常人では視認できないほどの速度で、双剣による『絶技・五連撃』を繰り出した。
創夜の身体は、その場に立ったまま、上下、左右、前後に、それぞれ数ミリ単位で揺れた。
五本の剣は全て、創夜の制服の布地を掠め、繊維を切り裂き、風圧を残したが、彼の肉体には全く届かない。
シオンはそのまま踏み込み、双剣を高速で交差させながら、一度の振りで風の斬撃を四つ発生させる。
「はやぶさ切り!」
双剣が交差するたびに、空気は押し出され、破壊の風が四つ、創夜へと襲いかかる。
創夜は、右拳を半歩だけ前に出し、その先にある『空気』を、見えない的と見なして殴りつけた。
ドン!
爆発的な衝撃波が、四つの破壊の風を相殺する。
「なんだ、今の…風圧を風圧で打ち消したのか!?」
シオンの動揺をよそに、スーの次なる魔法が放たれる。
「創夜!これは避けられないわよ!《ウインド・カッター》×十二!」
青白い風刃が、十二枚の鎌となって、四方八方から創夜を襲う。速度は音速を遥かに超える。
創夜は、膝の関節を、ごく僅かに内側に捻り、纏うオーラで風刃の魔力を無害なものへと変質させながら、すべての風刃を体表数ミリの場所で霧散させる。
「魔法の軌道を、物理的な手段で捻じ曲げた…?」
スーは驚愕に息を詰める。
創夜は沈黙したまま、微動だにしない。
この攻防が、まるで舞踏のように高速で十数分、繰り返された。シオンとスーの攻撃は、破壊力を増し、連携は極限まで磨かれていくが、創夜の周囲、半径数センチの空間だけは、まるで時間の流れが違うかのように、静謐さを保ち続けていた。
その時、演習場の奥から、快活な声が響いた。
「おもしろいことやってんじゃねぇか!俺も混ぜてくれ!」
大剣の勇者アレルが、焼き立てのパンを口にくわえながら、豪快に現れた。彼の背中には、彼自身の身長を優に超える巨大な大剣が担がれている。
「アレル!」シオンとスーが声を上げる。
アレルはパンを一口で飲み込むと、大剣を地面に突き立て、興奮した笑みを浮かべた。
「あの創夜相手に、シオンとスーが本気で攻めてるなんて、なかなかないぜ!創夜、少しは手加減してやれよな!」
シオンが冷静に返す。
「手加減?アレル、見ろ。俺たちの攻撃が全く当たらねぇんだ」
アレルは創夜を見て、その静かな立ち姿に目を細めた。
「へぇ。面白ぇ。確かに、あの空気、何かに似てるな。よし、二人とも!やるぞ!『勇者連携・三位一体』だ!」
シオンとスーは即座に意図を理解し、創夜を囲むように三角形の頂点に位置取る。
アレルは、大剣を構え、大地に風の魔力を集中させる。
「創夜!俺のはやぶさ切りは、二度の破壊の風を生むぜ!覚悟しな!」
シオンがアレルに楽しそうに叫んだ。
「アレル!俺のはやぶさ切り!もかわされた。俺たちの連携見せてやろうぜ!」
シオンがまず動いた。双剣を交差させ、四つの破壊の風を生み出す『はやぶさ切り』が創夜の正面を覆い尽くす。
それに呼応し、アレルが大剣を一閃!二つの巨大な破壊の風が、シオンの斬撃の隙間を縫うように、創夜の側面を狙う。
「大渦!」
スーは、詠唱破棄で風の魔力を極限まで圧縮。創夜の真上から、逃げ場を塞ぐように、凄まじい吸引力を持つ巨大な風の渦を叩きつける。
正面から斬撃六つ、側面から風の渦による拘束と押し潰し!
これは、三人の熟練した勇者たちの、身体の動きすら許さない、完璧な連携攻撃だった。
創夜は、動かない。
しかし、その瞬間、創夜を包むオーラが光った。
シオン、スー、アレル。三人の体に触れる寸前、創夜は三方向に向かって、空気を最小の動作で、しかし、信じられないほどの精密さで殴りつけた。
ドッ!ドッ!ドッ!
三度の衝撃波が、それぞれの勇者の攻撃を相殺し、さらにその反動で、シオンとスーとアレルは、攻撃した方向とは逆に、凄まじい勢いで吹き飛ばされた。
同時に、創夜の姿が消える。
彼は、最小の動きだけで、吹き飛ばされた三人のそれぞれの着地点の反対側へと高速で移動していた。
吹き飛ばされ、地面に激突寸前だった三人の背中に、創夜がそっと触れる。
その指先から、創夜の纏う穏やかなオーラが三人の身体へと創夜の優しさが伝わった。
瞬間、彼らを襲っていた風圧の反動が嘘のように消滅し、三人の体は宙でふわふわと浮かび、優しく地面に着地した。反動によるダメージは完全にゼロだった。
シオン、スー、アレルは、驚きと興奮で創夜を見つめた。
アレルが真っ先に興奮した声を上げる。
「な、なんだ今の!避けねぇで、空気を殴って俺たちを飛ばした…ってことは、俺たちに触れずに、俺たちの動きを止めるための反動を作り出したってことか!? しかも、そのあとすぐに、俺たちの反動を消すために触ってきた!?」
シオンの額に汗が滲む。
「しかも、あの最小の動きで三方向の空気の壁を、正確に創り出し、さらに三ヶ所へ瞬間移動に近い速度で移動した……」
スーも絶句する。
「まるで、全てを予測して、私たちに怪我をさせないように計算された、神業よ。あの速度で飛んでいたら死んでいたかもしれないわ」
そこから十五分、シオンとスーは連携を続け、創夜はそれを完璧に捌き、時には空気を殴り、時には紙一重で回避する。その度に、創夜の回避の動きは、より洗練されていく。
そして、その攻防の最中、アレルが、創夜に吹き飛ばされた時に体に触れられた感覚を思い出した。
「…あぁ、そうか!そういうことか!」アレルが突然、歓喜の声を上げた。
「アレル、どうした?」シオンが尋ねる。
「シオン、スー!俺、わかったぞ!創夜が言ってた無我の境地ってやつだ!」
アレルは、創夜が動いた時の、体の筋肉の弛緩と、空気の流れの変化を、創夜のオーラを通じて受け取っていたのだ。
「創夜の動きは、避けているんじゃない。来る攻撃の『法則』を読んで、その法則が成立しないように、周囲の空気や、俺たちの魔力に干渉しているんだ!」
アレルは、持っていた大剣をそっと納刀した。そして、創夜と同じように、右手の拳を、顔の横でそっと構える。
「行くぞ、創夜!今度は、俺もそいつで動く!」
アレルが放った、シオンとスーの攻撃を回避する動きは、まるで創夜のコピーだった。最小の動作で体を揺らし、風の斬撃を紙一重で逸らす。
「なんだと…!?」シオンが目を見開く。
アレルは、戦闘を通じて、その極意を創夜から盗み出したのだ。彼は、体の感覚だけで創夜の『無我の境地』に達してしまった。
アレルは、回避しながらシオンとスーに叫ぶ。
「シオン!スー!体の力を抜け!創夜は俺たちに、この戦いを通じて教えてくれてるんだ!俺たちの攻撃の『法則』を読むんだ!」
(そう言うわけではないのだが、聞いていた通りアレルは戦闘で強くなるすごいやつだ!)
その言葉を受け、シオンとスーも、創夜の動き、そしてアレルが生み出した新しい空気の流れに、意識を集中させた。
そして、さらに十五分が経過した頃、シオンとスーも、創夜の空気を殴る動作を、するりと最小の動きでかわし始めた。
今や、三人の勇者と一人の無職の青年の戦いは、極限の境地で繰り広げられる、まるで達人同士の舞いのようになっていた。
アレルは興奮冷めやらぬ様子で、創夜の肩を力強く叩いた。
「創夜!最高の稽古だったぜ!これでテラズマのヤツも怖くないぜ!」
創夜は、肩を叩いたアレルの手を静かに払い、真っ直ぐにアレルを見据えた。
「アレル。勘違いしているようだが、これは俺が一人でテラズマを倒せることを証明するための戦いだったんだ。お前が『無我の境地』を使えるようになったのは正直驚いている」
シオンとスーが口を開く。
「四人で決まりだな」
「四人で決まりね!」
アレルは、創夜の目から一切の迷いがないことを悟ると、ふっと笑い、大剣を担ぎ直した。
「なんだかわからねぇが、創夜さっさと倒しに行こうぜ!いい運動になったな。今なら創夜に似た白いやつも倒せそうだ」
創夜はため息をついた。これでは、一人で行くという発言が、結果的にテラズマを倒せる仲間を増やしてしまっただけだ。




