星となった約束 〜プラネタリウムの奇跡〜
僕の名前は杉山悠斗。
いつからだろう、星空に魅せられるようになったのは。
おそらく、あの日から——沙織と出会った日から。
幼い頃の僕は、体が弱く、よく熱を出しては学校を休んでいた。他の子どもたちが外で元気に遊んでいる声が窓から聞こえてくるのが、何よりも寂しかった。
でも、そんな僕の世界が変わったのは、隣家に越してきた沙織との出会いだった。
「ねえ、星って好き?」
彼女は、初めて会った日にそう尋ねてきた。大きな瞳に星の光を宿したような少女だった。
「知らない。見たことないもん」
病弱な僕にとって、夜更かしは禁止されていた。
「じゃあ、今度一緒に見よう!」
そんな約束から、僕たちの秘密の時間が始まった。
二階の小さな窓から、交互に肩を寄せ合いながら星空を見上げた日々。沙織は星座の物語を知っていて、僕に教えてくれた。
「あれがオリオン座だよ。勇敢な狩人さ。」
「あの四角い形が、ペガスス座。空を飛ぶ馬なんだって。」
弱々しい僕とは違い、沙織はいつも生き生きとしていた。でも彼女には彼女の辛さがあった。家族の不和、転校を繰り返す孤独。それでも彼女は星を見て笑った。
「私ね、大きくなったらプラネタリウム作りたいんだ。空が曇っていても、雨が降っていても、星を見られる場所。」
その言葉に、僕も夢を持った。
「僕も手伝うよ。二人で作ろう。」
あの約束から十年——僕は彼女との約束を果たすため、建築を学んだ。
そして今、僕は古びた倉庫を改装し、小さなプラネタリウムを作っている。工事は最終段階を迎えていた。
初めて投影機を起動させた夜のことは、一生忘れられない。
天井一面に広がる満天の星。オリオン座の三つ星が輝き、冬の大三角形が浮かび上がる。そして、北極星を中心に星々がゆっくりと回転していく。
そこには宇宙の神秘、時間の流れ、そして——沙織との約束があった。
僕は星々の間に彼女の面影を探していた。
「沙織、見てる?僕たちのプラネタリウム、完成間近だよ」
自分の声が、ドーム内に反響する。
窓のない空間で、地球の自転に合わせてゆっくりと動く星たち。正確に再現された星座たち。沙織が教えてくれた全ての星座が、この空間にはあった。
あの日から、僕は星座の本を読み漁り、天文学を独学で勉強した。沙織との約束を忘れないために。彼女が見せてくれた夜空を、もっと多くの人に見てもらうために。
それが、突然この世を去ってしまった沙織への、せめてもの恩返しだと思った。
疲れた体を椅子に預け、僕は星空を見上げたまま、いつの間にか深い眠りに落ちていた。
そして夢の中で——十年ぶりに、彼女に会った。
変わらない笑顔で、沙織は僕に手を差し伸べていた。
「悠斗くん、頑張ったね」
沙織の声は、十年前と変わらず優しかった。
夢の中とはいえ、彼女の姿を見るのは久しぶりだった。小学校五年生のまま時が止まった沙織。僕は大人になったというのに、彼女はあの日のままだ。
「沙織...本当にお前なのか?」
彼女は微笑み、プラネタリウムのドームに目を向けた。
「綺麗だよ、この星空。私が教えた星座、全部ちゃんと再現してるね」
夢の中でも、僕のプラネタリウムは稼働していた。天井いっぱいに広がる星々は、まるで実際の夜空のようだ。
「約束、覚えててくれたんだね」
彼女の瞳に星が映り込んでいる。それは現実の星なのか、涙なのか、判別できなかった。
「忘れるわけないだろ。あの日から、ずっと...」
言葉が詰まる。伝えたいことが多すぎて、何から話せばいいのか分からなかった。
沙織との思い出。彼女が突然入院した日のこと。そして、再び会えることはないと知らされた、あの雨の日のこと。
「沙織、なんで...どうして...」
彼女は僕の言葉を遮るように、くるりと回って夢の中のプラネタリウムを歩き始めた。
「覚えてる?私たちが見つけた、あのオリオン座の下の小さな星」
思い出した。誰も名前を知らない、二人だけの星。
「あれね、実は双子星だったんだって。二つの星が寄り添って、何千年も一緒に輝いてるの」
その言葉に、胸が締め付けられた。
「悠斗くんのプラネタリウム、きっと多くの人を幸せにするよ」
沙織はそう言って、投影機に触れた。するとドーム全体が、まるで宇宙空間にいるかのような立体的な星空に変わった。
「これが...私からのプレゼント」
星々が僕たちの周りを回り始めた。まるで、宇宙を旅しているような感覚。
「どうやって?」
「夢だよ、悠斗くん。夢の中なら何でもできるの」
彼女は僕の手を取り、星空の海を泳ぐように進んでいく。
「見て、ここが私のいる場所」
彼女が指さした先には、これまで見たこともないほど美しい星雲があった。
「もう行かなきゃ。でも、また会えるよ」
「待って!まだ話したいことが...」
彼女の姿が星の光に溶けていく。
「プラネタリウム、明日オープンだよね?私も見に行くから」
その言葉を最後に、夢から覚めた。
朝日が窓から差し込み、完成したプラネタリウムの中で目を覚ました僕は、頬に涙が伝うのを感じていた。
*
翌朝、プラネタリウムのオープン日。
僕は早くから準備を始めていた。昨夜の夢の余韻が残る中、何度も投影機の調整を行い、客席を整え、パンフレットの最終確認をした。
「本当に来てくれるのかな」
沙織の言葉が頭から離れなかった。夢の中の約束なのに、どこか現実味を帯びていた。
開場時間が近づくにつれ、小さな列ができ始めた。地元の新聞に小さく掲載されただけなのに、予想以上の人が訪れていた。
「一枚お願いします」
最初のお客さんは、七十代くらいの老婦人だった。
「星が好きなの?」
思わず尋ねると、彼女は穏やかな笑顔を浮かべた。
「亡くなった夫と、よく星を見に行ったのよ」
その言葉に、胸が熱くなった。
続いて、家族連れや若いカップル、星好きの学生たちが次々と来場する。小さなプラネタリウムは、あっという間に満席になった。
プログラムは僕が一人で作り上げた。季節ごとの星座解説、星にまつわる神話や物語、そして最後に——沙織との思い出から生まれた、オリジナルの星空の物語。
暗闇の中、投影機が動き出す。
「本日は、皆さまをプラネタリウム『星の記憶』へお迎えできること、心より嬉しく思います」
震える声で挨拶をした。客席からは温かい拍手が返ってきた。
星々が天井いっぱいに広がると、会場から小さな歓声が上がった。
そのとき、後方の席に見覚えのあるシルエットを見つけた気がした。
沙織?
心臓が高鳴る。
でも、そんなはずはない。
解説を進めながらも、視線は何度もその席に向いていた。よく見ると、小学生くらいの少女が座っていた。隣には母親らしき女性が。
「こちらの明るい星は、冬の大三角形の一つ、シリウスです。全天で最も明るく輝く恒星です」
僕の説明に、少女は目を輝かせながら聞き入っていた。
プログラムの最後に差し掛かったとき、投影機が突然、予想外の星空を映し出した。
それは昨夜、夢で沙織が見せてくれた美しい星雲だった。
「あ、これは...」
予定外の映像に戸惑いながらも、僕は説明を続けた。
「これは...友人が教えてくれた特別な場所です。天体望遠鏡では見ることのできない、心の中にだけある星空です」
上映が終わり、明かりがついた瞬間、あの少女が駆け寄ってきた。
「すごく綺麗だった!特に最後の星雲!あれはなんていう名前なの?」
少女の目はキラキラと輝いていた。
「それはね...」
言葉に詰まった僕に、少女の母親が近づいてきた。
「ごめんなさい。娘が星好きで」
その顔を見た瞬間、僕は息を呑んだ。
「もしかして...沙織さん?」
「沙織さん...ですか?」
女性は少し困惑した表情を浮かべた。
「いいえ、私は佐々木美咲です。でも...」
彼女は少し言葉を選ぶように間を置いた。
「沙織は私の従姉妹でした」
その言葉に、僕の世界が一瞬で凍りついた。
「従姉妹...」
「はい。彼女のことをご存知なんですね」
美咲さんの表情が柔らかくなる。
「私たち、子どもの頃からとても仲が良かったんです。沙織は星が大好きで...」
そばにいた少女が母親の袖を引っ張った。
「ママ、この人が沙織おばさんの言ってた悠斗くん?」
美咲さんは娘の頭を優しく撫でながら説明した。
「この子は陽菜。沙織の話をよく聞かせていたんです」
僕は動揺を隠せなかった。他のお客さんは既に帰り始めていた。
「もし良ければ、お話を...」
休憩室に案内し、三人で向かい合って座った。
「沙織は最期まであなたのことを話していました。『悠斗くんなら、きっと約束を守ってくれる』って」
美咲さんは小さなバッグから一通の手紙を取り出した。
「これ、沙織が遺したものです。『いつか悠斗くんがプラネタリウムを作ったら渡して』と」
手紙を受け取る手が震えた。
「実は私、ネットで地元のプラネタリウムオープンの記事を見て...もしかしたらと思って今日来たんです」
封筒には「悠斗くんへ」と、懐かしい字で書かれていた。
「開けてみて」
美咲さんの促しで、十年以上前の手紙を開く。
『悠斗くん、約束を覚えてる?私たちのプラネタリウム。もし見ているなら、きっと素敵な場所になっていると思う。
私ね、病院で天文学の勉強をしてたんだ。先生に特別に本を持ってきてもらって。でも、もう会えないって分かった時、悲しかった。
でも、星は死なないよね。何億年も輝き続ける。だから私も星になろうと思った。
そして、私からのお願い。もし双子星を見つけたら、片方に私の名前をつけて?もう片方は悠斗くんの名前。そうしたら、いつか星図に「悠斗・沙織星」って載るかもしれないね。
あと、美咲お姉ちゃんに頼んであるの。私の星座図鑑と望遠鏡を渡してって。
これからもずっと、星空から見守ってるからね。約束守ってくれて、ありがとう。
沙織より』
読み終えると、目から涙が止まらなかった。
「あの、これも...」
陽菜ちゃんが小さな紙を差し出した。それは沙織が描いた星図だった。そこには昨夜の夢で見た星雲と、その中心にある双子星が描かれていた。
「この星雲、さっき見せてくれたのと同じだよ!」
彼女の言葉に、全身に電流が走った。
「沙織おばさんの望遠鏡、今日持ってきたよ」
美咲さんが車から古い望遠鏡と星座図鑑を持ってきた。それは確かに、沙織が使っていたものだった。
「彼女は本当に星が好きでした。最期まで空を見上げていました」
その夜、プラネタリウムに三人きりで残り、特別な上映会を開いた。
投影機を沙織の星図に合わせると、夢と同じ星空が広がった。そして中心にある双子星が、まるで二人の魂のように輝いていた。
「あれが『悠斗・沙織星』だね」
陽菜ちゃんが指をさした。
その瞬間、不思議なことが起きた。ドーム全体が星の光で満たされ、星々が私たちの周りを舞い始めた。夢の中で見た光景と同じだった。
美咲さんと陽菜ちゃんも息を呑んでいた。
「見える?沙織が踊ってる」
陽菜ちゃんの無邪気な言葉に、僕たちは星空を見上げた。
そこには確かに、星の光で描かれた少女のシルエットがあった。一瞬だけ、だがはっきりと。
それから一年。プラネタリウム「星の記憶」は地域の人気スポットになった。
陽菜ちゃんは熱心な天文少女となり、週末には手伝いに来るようになった。
そして僕は、沙織の望遠鏡を使って新しい星を発見した。小さな双子星。
正式に「悠斗・沙織星」と命名申請中だ。
今日も星空の下、沙織との約束を胸に、多くの人々に星の物語を伝え続ける。彼女は本当に星になった。僕らの心の中で、そして本物の夜空で、永遠に輝き続けている。
「ねえ、星って好き?」
陽菜ちゃんが新しいお客さんにそう尋ねる姿を見て、僕は微笑んだ。
沙織の言葉が、新しい命を得て受け継がれていくのを感じながら。
~あとがき~
みなさん、こんにちは!いつも星空モチの作品を読んでくださり、ありがとうございます。今回の小説「星となった約束」はいかがでしたでしょうか?
多摩六都科学館のプラネタリウムに魅了され、気づけば月一ペースで通っている私ですが、あのドーム型の天井に映し出される満天の星空に毎回心を奪われています。特に解説員さんの語る星座にまつわる神話や伝説に、物語としての魅力を感じていました。「いつか自分も星空を舞台にした物語を書きたい」と思っていたのが、今回の小説の原点です。
実は悠斗と沙織のキャラクターは、プラネタリウムで見かけた真剣に星空を見上げる少年と、熱心に星座を教えている少女からインスピレーションを受けました。二人の間にどんな物語があるのだろう?と想像したのが創作の始まりでした。
書いている途中、「双子星」という概念にこだわったのは、実は私自身が双子座生まれだからなんです。星座と人間の運命を結びつける神秘性に、いつも心惹かれています。
この作品を書く際に最も苦労したのは、科学的な正確さと物語としての幻想性のバランスでした。多摩六都科学館の学芸員の方に星座や天文学の質問をさせていただいたり、実際に新しい星に名前を付ける国際天文学連合の命名規則まで調べたりしました。でも最後は「物語の力」を信じて、少しファンタジー要素も取り入れました。
執筆中に思わぬアクシデントも!パソコンがクラッシュして原稿が一部消えてしまったのですが、その日の夜に見た夢がヒントになり、結果的に今の展開になりました。不思議な創作の神秘です。
私たちの人生は星の一生に比べれば、まばたきのような一瞬かもしれません。でも、その短い時間の中で生まれる約束や思い出は、星のように永遠に輝き続けるのではないでしょうか。
皆さんの心の中にも、きっと大切な「星」があると思います。時には忙しさに紛れて見えなくなることもあるでしょう。そんな時は、ぜひプラネタリウムの暗闇の中で、自分だけの星を思い出してみてください。
次回は多摩六都科学館の裏側に潜入取材してきた記事を予定しています!今後ともよろしくお願いします。もしよろしければ、皆さんの「心の星」についてコメント欄で教えてくださいね。
それでは、また次回の更新でお会いしましょう。今夜も素敵な星空が広がりますように。