1-8 朝のひと時
鎧戸の隙間から柔らかな日差しが差し込む。完全には眠れなかったが大分感覚も慣れてきたため、うたた寝程度はできたようだ。それでも体の調子は悪くはなく、身を起こして窓を開けて日の光をとりこむ。まだ空は完全に明るくなってはいないものの、太陽はやはり同じ高度にありつづけ、ただ明るさと空の色だけが夜から変わっていた。周囲の気配を感じる感覚はより鋭敏になっているが、つまるところ慣れなのかそれらを自然に受け入れられるようになっていた。
部屋にあった埃をかぶった小さな鏡で髪を整え、あとは何もないがゆえに身支度といえるものはすぐに終わってしまった。しばし外を眺めていたが、動き出すリンガの気配を感じて部屋の外に出る。その音を聞いたのかリンガも部屋から顔を出した。
「やあリンガ、おはよう、良い朝だね。」
「ああ、おはよう。もう起きていたんだね、今から荷物をまとめるからもう少し休んでいてもいいけど。」
やはりこの小鬼は口調の割にはこちらを気遣ってくれる良き存在だとエンドは思う。その厚意に甘えてもいいとも考えたが、眠気も無い以上それは憚られた。
「いや、眠気もないし大丈夫だ。井戸で水でも汲んでくるよ。」
「そっか、眠れたならいいけど、一人じゃ危なくないかな?」
「いや、おそらく大丈夫だと思う。今のところ外に昨日みたいな、『ファング』、だったかな?似たような気配はないようだしね」
「ん?ファングの気配って、一体何の話?」
訝しがるリンガにエンドは自身が視覚や聴覚とは別の感覚で周囲のものが感じられること、昨日のファングの群れの件でもその存在が感知できており、今思えばファングを応用に接近してきた気配がリンガのものであったのだろうと伝える。
「はあ~、本当にキミの種族がわからないな。一つ目族とかは周囲のマナの気配に敏感とかは聞くけど、エンドはマナのことだって知らなかったのに気配がわかるんだよね?」
「うむ、この感覚は一般的ではないのかな?」
「ボクだって全部の種族知ってるわけじゃないけど、こんな仕事をしていれば音とか痕跡とか、マナとかの気配みたいなのは何となく分かってくる・・・でもエンドみたいに感覚に近いレベルで分かるのは種族の特性かな?やっぱりあまりこの辺りにはいない種族なのかも、旗が手から生えてくるなんて聞いたこともないし。」
「む、そういうものか。記憶がないと色々と判断がつかないのは不便だな。とはいえ、無いよりは便利そうだから良しとしよう。」
「そうだね。少なくとも今は役立ちそうだし、夜だって便利だと思う。あ、外に出るなら少し待ってて!」
リンガは自身の部屋に引き返すと、すぐに何かを持ってきた。それはファングの皮や有り合わせの布でできた、野趣溢れる履物と腰巻であった。
「とりあえずそれを履いて、腰にも巻いて。上半身はマントである程度隠れているからいいけど、今の格好じゃあ流石に、ね。これも急造品だから街まで持てば上々な感じだけど。」
「ありがとうリンガ。はは、貰ってばかりだ。私も何か返せればいいんだが。」
その言葉にリンガは少し思案すると言う。
「じゃあさ、ボクの角にマナを流してみてくれないか?昨日マギアを使った時のように・・・あ、でもゆっくり、優しくやってよ!」
「そんなことでよければ。優しくできるかは・・・まだ感覚が分からないが、善処はしよう。では、今から早速やってもいいのかな?」
頷くリンガの角にエンドが右手でゆっくりと触れると、僅かにその肩が揺れる。だが、拒絶する様子はないのでエンドは内なる感覚に気を向ける・・・慣れのせいか、昨晩よりもマナを感じる力は確かに向上しているのが分かった。体の内面から湧き上がり、そして巡っている。その流れの一部、右腕を通る流れを意識的に外に向け、押し出すように放出する。
「んっ、ああ・・・」
そのマナの流れが角へと吸い込まれていき、リンガが声を漏らす。しばらくの間そのままの状態でいたが、頬を上気させたリンガが身を引いた。
「・・・ん、もういいよ。久しぶりにかなりマナを回復できて助かったよ。体は大丈夫?もっと早く止めたほうがよかったかも・・・あまりマナを流しすぎると男もキツイって聞くし。」
エンドは特に気持ちが悪かったりするところはなく、むしろ何かコリがとれたような感覚があり必要ならばまだまだ余裕があると伝える。安心した様子のリンガであったが、表情を険しくした。
「そっか。エンド、キミはやっぱり訳ありだよ。これだけマナを出しても大丈夫ならキミの価値はとんでもないことになる。ヒトはマナが足りないと体の調子が悪くなるし、最悪生きていけない・・・いや、もっと酷いことになる。だからマナは誰もが欲しがっているし、売れるんだ。いや、売れてしまうんだ。」
マナは本来ベースとして普通に存在してしかるべきもの、衣食住以前に本来意識せずともあるべきで、そして無いことが異常であるはずのものであり売買されることがおかしいとリンガは語る。
「マナはそこまで不足しているのか?」
「ああ。マナが豊富な土地でも住んでる奴が自然に取り込める量じゃ足りない。飯とかからでも多少は取れるけど、それでも十分じゃない。だからボクたちみたいな流れ者や下町の奴らは上層部が売っているマナを金で買ってなんとか生きてるんだ。だから活きのいい男は好条件で『保護』される。ま、男にとってもいい生活ができるし、家族も一緒に上層に引っ越せるから別に強制しなくても殆どが進んで男が生まれたら申請して引っ越してるらしいけど。」
「それは・・・むむ、上手くやっているというか、何とも評価しがたいな。」
話を聞いた点ではひどい搾取にも聞こえるが、上の者が体制や秩序を維持するために力を保持し続けるのは不自然ではないとエンドは考える。男性やその家族としても治安や生活環境のいい場所でより良い待遇が得られるのであれば拒否する理由もない。
ただし、この世界はマナというリソースを巡る、仲良しこよしで豊かなものではないということを知識として得ることができた。エンドにとってここでそのような事情を知れたことは非常に大きかった。
「だから下町に男なんて殆どいないんだ。仮に男が下町に住んでいても縁がなきゃ結局マナを買うしかないからそんなに変わらないけどね。」
表情を緩めて笑うリンガに、エンドはそのような男性がいないのかを聞くと、途端に不機嫌になって強い口調になる。
「そんなのいたら苦労しないっての・・・とっとと水でも汲んで来なよ!」
エンドとしては親切な小鬼故にパートナーがいてもおかしくないと思い聞いてみただけの事であったが、リンガが不機嫌になり部屋に引っ込んでしまったため、言葉選びに失敗したかと頭を掻きつつ外へ向かった。