1-5 腕試し
「じゃあ、力を入れてみてよ」
リンガの言葉を聞き少しづつ男が腕に力を入れる。だが少しもその腕を押し込むことができない。
「ん?これで終わりなのかな?」
ニヤニヤと笑みを浮かべ挑発するようなリンガに男は負けじとさらに力を籠めるが、全く動かない―――ふと先ほど獣と対峙し、危機を感じた際に急に力が漲ってきたことを思い出した。そして、そのわずか前にあった自身の数少ない体験をなぞる様に気合を入れる。
「カッ!」
「うわ、すごいマナの量!勿体ないなぁ・・・よいしょと」
それがわずかに、ほんの少しだがリンガの腕を揺らすが、健闘空しくリンガの軽いかけ声と共に男の手の甲はあっさりと木箱に押し付けられた。
「うん、男にしては頑張ったと思う。マナも多いし体も大きいからかな?というかなんで男なのにそこまで体鍛えてるんだか・・・ああ記憶が無いとわかんないか。でもわかった?基本的にオーラのない男は女には勝てないんだ。これ常識。」
「・・・ああ、よく分かったよ。これは次にテストに出ても回答できそうだ。付き合ってくれてありがとう。」
「よろしい。でもテストとかそういうのは覚えているんだ、学校とか行ってたならいいとこの出かな?・・・そうするとやっぱり厄介事かなぁ」
体験を通しリンガの言葉が正しいことが男にはよく身に染みて分かった、これは子供が大人に挑むようなものだと。そしてこれがこの世界の常識というものなのだろうと。
自身の手をじっと見ている男の様子を見て、リンガが慌てたように話す。
「で、でも、男は貴重だよ。マナが作れるうえに数が少ないから。ボクもキミが近くにいるだけで少しづつマナが溜まってきてるし・・・これってかなりすごいことだよ。街とかでも歓迎されると思う。」
「それは、歓迎されないよりは嬉しいね。しかし、男は少ないという話だが、割合はどれくらいなのかね?」
「うーん、多分、15人に1人くらい・・・だったかな?年々少なくなっているし人口も昔より減ってるって詳しい奴は言ってたけど。」
「それは・・・かなり歪に感じるが?」
「え?ボクにとってはこれが普通だけど。ま、でも男は基本街の中心部に保護されるからあまり会う機会は無いね。だからこそキミがこんなところにいるのはとても怪しいし、正直何かすごい厄介事だと思っている。」
とはいえ困っている男を助けるのは女としては当たり前だから街までは送るし、心配しなくてもいいとリンガが話す。
「保護される、か・・・質問ばかりですまないが、街では男性はどのように扱われているのかな?」
「あー、聞いた話だと中心街に家を貰えて生活も全部面倒見てくれるらしいけど・・・マナは金みたいなものだから、多分中心街のお偉いさん達や軍が独占したいんだと思う。ボクみたいに他から来たり金がない奴は外街にいるけど、男なんて全然見かけないかな。」
「金の卵を産むガチョウか。」
「なにそれ?」
「いや、ふと思い浮かんだんだが、私自身意味がよくわからない。」
「はぁ?記憶喪失ってのも大変だね。ま、とりあえずキミを街までは送るけど、今日はここで一泊するよ。ここはほかの場所よりもマナが濃い場所だし過ごしやすい・・・キミがいるからマナの心配はなくなったけどさ。でもまずボクも自分の仕事を片付けるのと、このファングをばらさないともったいない。それに、もう日も暗くなってきたし急がないと夜になる。」
男はリンガの言葉に天を仰ぐが、不思議と太陽の位置は変わらず真上にあり、雲一つない。しかし日の光が先ほどよりも明らかに弱くなってきたことに気が付く。
「・・・まさか、このまま夕焼けもなく、夜になるのか?」
「え、そうりゃそうだよ。そこまで覚えてないの?というか夕焼けって何さ・・・といってもそれも覚えてないか。」
何故か目が覚めてから初めて、それが死を感じるときでさえ感じることのなかった、強く、暗い衝撃を男は心に受けていた。その身から力が抜け、膝をつきそうなる。とっさに支えを求め、無意識に男の手から旗が伸びて地面をつき何とか踏みとどまる。風になびく旗、暗い黄金色が目に映り、心のうちから渇望にも似た感情がその内面に湧き上がる。そして咄嗟に駆け寄り男を支えたリンガの熱が、その四肢に力を取り戻させた。
「大丈夫!?どこか痛む!?」
「ああ、すまない。少しふらついただけだ・・・問題ないさ。」
男の心は何故かひどく傷ついていたが、それでも倒れずにすんだことに安堵した。だがその心の傷が記憶とも呼べない己の何かを垣間見せ、言葉となって男の口から漏れ出た。
「・・・エンド」
「ん?何?」
「名前だ。私はこれからエンドと名乗ろうと思う。」
「うん。名前が無いと不便だからね、思い出したわけじゃなさそうだけど・・・ま、よろしく。エンド。」
「ああ、だが自分でも驚くほどしっくり来ているから、もしかしたら本名かもしれない。」
男はそう言いつつも、その名前はそれが記憶を失う前の本名ではないと何処か確信していた―――だが、『終わった者』。ならばむしろこの名前こそがふさわしい、と男は、いやエンドは何かのピースが埋まったかのように感じていた。
「改めてよろしく、エンドだ。手伝えることであれば何でもしよう。」
「え?今何でもするって言った?・・・じゃあ、お墓の掃除とか休めそうな家の掃除をお願い。それと、はいこれ」
リンガは暗褐色の布をエンドに渡す。
「それはマナを漏れにくくするマントだよ。移動中に雨が降ってきたときにマナが奪われるのを防いだり、魔獣に見つからないようにするものだけど、とりあえず羽織っておかないとエンドはマナで目立つから・・・大分はみ出してるけど」
小鬼をすっぽり覆えるマントは男の上半身をかろうじて覆うほどの大きさであった。
「ああ、色々とありがとう。またいろいろ聞きたいことはあるけどそれは夜に頼むよ、リンガ。」
暗くなる空を見て、二人は足早に動き出した。