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1-2 獣

「うむ、まあこんなものかな。」


男はしばし廃集落を探索したが、どの家にも古びた家具以外は残されておらず、使えそうなものは見つからなかった。装飾品や小物はあったのだが、あまり価値は無いように見えたし、空き巣ではないので必要なもの以外は拝借する気は無かった。


ようやく見つけたものは錆びた包丁と火かき棒、縄などの小物程度で食料などは見つからなかった。どの家も特に荒れている様子もなく、物もほとんど無いので住民たちは皆どこかに引っ越したものだと思われた。限界集落のようなものであったのだろうかと男は考える。


幸いにも小規模な井戸が集落にあったため、水の安全性は兎も角喉を潤すことはできていた。遭難した際には基本動かないのがいいのだろうが、それはいずれ救助が来る前提の話となる。どこかに移動するか周囲を探索し生活基盤を整える必要がありそうだが、この集落がきれいに放棄されているということはあまり暮らしやすい場所では無かったと思われた。


とはいえ安定した水場は魅力的ではある―――だが、何よりも探索というものは非常に面白そうだと男は思う。空を見上げると太陽はほぼ真上、既に昼だとすれば出発には遅い時間ではあったが・・・まぁ、いい。自分のことも分からない存在がどこまでいけるかというのも見物だ。と男の機嫌は上々であった。


落ちていた太い枝に錆びた包丁を縄で括り付けて武器と杖を兼ねたものとし、細々としたものは汚れた布を使い風呂敷として包む。そして、いざ集落を出ようとしたときに、草むらの向こうから何かが強い意志を持って、男の方へ確実に近づいてくるのが不思議な感覚で分かった。


低く唸り声をあげて男に姿をみせたのは異形の獣、あえて例えるならば大型犬か。しかし目も鼻も耳さえ無く、額の場所にルビーのようなゴルフボールサイズの玉がついている。薄汚れた黒い毛並みに、太く発達した足が体を支えている。その足の先端には鉤爪が硬質な黒光りを放っている。だが毛は半ば抜け落ち、体は痩せこけ、口からは涎をたらし続けていた。


次の瞬間、獣が急に飛び掛かってくる。かなりの距離があった筈だがその跳躍力は凄まじく一瞬で眼前に迫る―――慌てて包丁のついた枝を振り獣の顔面を殴るが、枝はあっさりと折れてしまう。それでもわずかに獣の体勢を崩したが、勢いを殺せず頭突きで跳ね飛ばされて地面を転がる。


男は風呂敷から散乱した火かき棒を咄嗟に拾い、迫ってくる獣の口に突っ込むが、金属製のそれはあっさりと折れ、あろうことかねじ切られてしまった。


―――ここまでか。


男は不利を悟った。今生きているのは、高い身体能力を持つ獣ではあるがその体重は軽く体当たりの衝撃が少なかったことと、その顎や爪で体が引き裂かれるのを運よく回避しているだけに過ぎなかった・・・心中で男は嘆く。なんという不運!目覚めたばかりで、何も分からず、そして終わりの瀬戸際にいる。


そして男に恐怖が忍び寄り、呼吸は上がり、汗が噴き出る。逃げようか、いや諦めるしかないのか。



「くはっ」


男は笑う――――もっと暗い何かを、この程度の事など、死ぬ程度なんて屁でもない恐ろしい何かを自分は知っている。記憶があるわけではないが、最もおぞましき、何かがあった筈だった。それに比べれば、いや恐怖を感じることができることさえ愉快だ。


体に熱が戻る。なぜかは知らないが、覚えていないが、男は確信していた―――自分は終わった者だ。終わった者が死を恐れるとはなんとも滑稽だ。笑いが止まらない。


「はっはっは!」


先ほどよりもずいぶんと体が軽く、力もみなぎってきていた。


獣は急に笑い出したことを警戒していたようだが、空腹が勝っているのだろうか、再度涎をまき散らしながら飛び掛かってきた。


凄まじい速度で迫り、顎を大きく開き迫りくる死の牙。迎撃するために、右腕を突き出す。ささやかな抵抗、防ぐことかなわぬ暴力。だが、それを防いだものは―――


『旗』であった。


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