第1章 小鬼 1-1 落下
1-1 落下
「ぐふぅ!」
突如としたひどい衝撃に男が目を開けると青空が映る。体の痛みに顔をしかめつつ改めて何が見えるのかを認識すると、そこは屋内の個室の天井、いやさっきまでは天井があったのだろうが今は大穴が開いている。
痛む体をゆっくりと起こし、むせながら周囲を伺うと、目に映るのはひどい埃とボロボロの壁、もう何年も使われていない建屋の様であった。男の体は屋根を突き破って落下し幸いにも古いベッドに受け止められたようであった。
割れた化粧台の鏡が姿を映す。大柄な男性の肉体、筋肉の隆起した体は、しかして全裸であった。幸いにして体に痛みはあるが怪我は見受けられなかった。男は無く全と考える。まずは服をどうにかしないといけない。そして、それから、いや待て?
「・・・私は、だれだ?」
その場で座してしばし考えるが、自分の名前も顔も思い出せない。鏡に映る姿はどこか作られた彫像じみており、体毛は燃え尽きた灰の如くの白みがかっており、暗い金色の瞳がどこか仄暗く、しかして輝く。自身の姿なのであろうが、一切の見覚えもなく、そして何か言葉に表せない強い違和感があった。
だが男には目の前にあるものが鏡であり、傍にあるのが壊れた椅子であることは分かり、ここが部屋であるのも分かる。つまり一般的な知識はおそらく存在すると思われた。
「まぁ、いいさ。」
不思議なことに男には自身のことはなぜかそこまで重要とは思えなかった。とりあえずボロボロのシーツを手で裂いて腰に巻き付け、さらに足にも巻いて乱雑に縛り足裏を保護する。そして何か役立つものが無いか物色するが、廃屋とはいえ中が荒らされたような様子は無く、家具類以外はほぼ物が残っていない。前の住人は引っ越しており空き家になっていたと思われた。
身を取り繕った男は空き家のドアを開け周囲を伺うが、ヒトの気配はない。見回せば今いる場所は森に囲まれた廃村、いや村というよりも集落といったほうがいい規模であり、雑草が野放図に生え、どの建屋も古びていて誰かが住んでいる様子は無かった。
「さて、どうするかね。」
不審者として囲まれるのは防げたようではあるが、むしろそちらの方が良かったかもしれないとさえ男は考えた。ここがどこか分からず、水も食料も持っていない。誰かに助けを求めることもできず、自身のことさえも分からないかなり困った状況だ。生命の危機にあるといっていい。
―――だが、それが何の問題だろうか?
口元に笑みを浮かべる。男は危機感を感じるとともに、真底から言葉にできない愉悦に似た気持ちが湧いていることに気が付く。何かが在るということは、感じる様々な存在はかくも五月蠅く、そしてそれが堪らなく、嬉しい、と。そして、生まれ変わったような爽快な気分で外へと踏み出した。