第1章3話 不思議な日常3
俺の調べでは、この世界の二条家はかなりの力を持っているようだ。真姫や光輝などに訊いたところ、姉の天才的な発明によって二条家は機械工学分野で大きなシェアを握っているらしい。前の世界では没落していた二条家が、姉さんという存在一つで日本の勢力図を塗り替えてしまったわけだ。四条家が幅を利かせていたあの未来とは、どうにも様子が違う。
この世界に来て、早くも一か月が経とうとしていた。
当初は戸惑ってばかりだった俺も、姉さんと真姫にべたべたされる毎日には次第に慣れてきた。人間というのは良くも悪くも、同じ出来事を繰り返すうちに慣れを覚える生き物だ。最初は嫌だと思っていたことも、ある朝ふと気づくと平気になっている。それに気づいて自分でも驚くことがある。
そんなある日、姉さんの部屋へ呼び出されて行ったら、彼女はまっすぐこっちを見つめ、無造作に一台のパッドを手渡してきた。
「スマホって、こういうのでしょ? できたわよ」
その得意げな口調に、俺は反射的にパッド型の端末へ視線を落とす。スマホというよりタブレットに近い形状だが、俺が少し未来の話をしただけで、本当に作ってしまうとは驚いてしまう。
毎日のようにべったり張りついていたはずなのに、その合間を縫ってここまで仕上げるとは、やはり姉さんは天才発明家なのだろう。あるいは、ただの天才を超えた別次元の生き物かもしれない。
「そうそう。そのスマホのAIってところをタップしてみて」
姉さんが嬉しそうに促す。言われるまま、画面の「AI」というボタンをタップすると、起動したプログラムが姉さんそっくりの立体CGを映し出した。
「スゴイけど……これを見せたかったのか?」
思わず本音がこぼれる。技術としてはすごそうだが、姉さんならやりかねないという思いもあり、そこまで衝撃は受けなかった。ところがCGが軽快な調子で口を開く。
「おっはー、優君元気? お姉ちゃんだよ」
声も仕草も、姉さんに驚くほど似ている。ただ、いつもの品ある感じとは違い、妙にくだけている気がする。
姉さんは満足そうに頷いた。
「驚いたでしょう? お姉ちゃんAIを作成してみたのよ。データは入力してあるから……ふぁ……詳しいことは、その子に聞い……て……」
そこまで言ったところで、姉さんは力尽きたように寝落ちしてしまう。よく見ると着物の襟元が少し乱れていて、相当疲れている様子だ。徹夜でもしていたのか、いつも超然としている姿とのギャップが大きい。苦しそうには見えないが、床でそのまま寝ては体に悪いだろう。仕方なく布団を掛けて、そのまま寝かせておくことにした。
「まったく、しょうがないな……」
つぶやいても、返事はない。姉さんは穏やかな寝息を立てている。そんな姿を見ていたら、なぜか罪悪感に近い気持ちになった。未来のスマホの話をしたのがきっかけで、彼女の研究意欲に火をつけてしまったのかもしれない。
俺はそっと部屋を出て、自室へ戻る。手渡されたパッドを改めて起動し、AIを呼び出す。姉さんが寝込むほど本気で作り上げたものなら、ちょっと試してやらなければ申し訳ない気がする。
「改めて自己紹介してくれる?」
「お姉ちゃんだよ、よろしくね」
返事はあっさりしているし、自己紹介としては不十分だ。画面には姉さんそっくりのCGが映っているが、どうにも会話がかみ合わない。
「君には名前ないの?」
「お姉ちゃんだからね」
回答がちぐはぐだ。まだAIとしては初期段階で、学習が終わっていないのかもしれない。
「俺のことはわかる?」
「佐倉優……弟よ」
顔認証でもしているのか、その情報だけは正確に返してくる。少し感心した俺は、さらに問いを重ねる。
「君のお名前、何ですか?」
「お姉ちゃんAI試作125号よ」
「それは名前じゃないだろ」
「じゃあ、名前なんてないわ」
開き直る態度がどこか生意気だ。姉さんの性格が反映されているのだろうか。若干ムッとしつつ、俺はちょっと意地になってしまう。
「じゃあ、俺が名前をつけてあげる」
「やったわ」
あっさり喜ぶのは可愛いが、どこか挑発的な雰囲気もある。考え込んだ末に、ごく単純な案が浮かんだ。
「姉さんと同じ名前だとややこしいし……エリーがいいかな」
姉さんにそっくりでも別物である以上、呼び方くらい変えておきたい。するとCG上のエリーは腰に手を当てる仕草をして、にやりと笑った。
「ええ、私はエリーよ。仲良くしなさい」
妙に偉そうな口ぶりは、どこで覚えたのか。姉さんが仕込んだとしか思えない。そんな生意気なエリーとやりとりしているうち、気づけば時間があっという間に過ぎていた。
プログラムの仕組みは正確にはわからない。だが、音声認識やデータ学習の構造には興味がそそられる。俺の理系の血が騒ぐようで、つい熱中してしまう。
「……朝か」
ふと時計を見てため息がこぼれた。俺も姉さんのことを笑えないほど、夜通しパッドをいじっていたらしい。背中や首が痛むので軽くストレッチをしながら、隣の部屋をのぞくと、姉さんはまだ着物姿のまま、ぐっすり眠っていた。
「ありがとう、姉さん」
小さく声をかけても、当然ながら応答はない。姉さんの研究熱心さに感謝しつつ、俺はパッドを手放さないまま自室に戻る。この天才的な姉の能力が、俺の目的を果たすうえで必要になりそうな気がしていた。だからこそ、彼女と上手くやっていく必要がある。
エリーは画面の向こうで相変わらず生意気な笑みを見せる。姉さんの作り出す発明が、今後どんな形で俺の生活を塗り替えていくのか——その想像に心が躍る一方、少しだけ不安も感じる。けれど、目の前にあるこの可能性を生かすしかない。
そんな思いを抱きながら、俺は再びパッドを起動し、エリーとの会話を続けた。外の空が白み始めるなかで、徹夜明けの体はきついはずなのに、不思議と気分は悪くない。むしろ、新しい何かが始まる予感に、胸が高鳴る気さえするのだった。