王太子をやっているが、婚約者の聖女とは気が合わない
俺はこの国の王太子である。
婚約者は聖女だ。
平民生まれながら、その存在は聖女の名に相応しく清廉潔白、その信仰心は一点の曇りもない。
……そして、俺とは全く気が合わない。
先日も、婚約者アンジェラと交流の場を持っていたが、一つも話がかみ合わなかった。思い出すだけで、イライラする。
そんなある日、突然、教皇がアンジェラと見知らぬ女性を一人連れて王城に押しやってきた。
教皇の右隣に立つアンジェラは、俯いているので表情は分からないが、服の一部を固く握りしめ、全身を細かく震わせている。
「王太子殿下! 真の聖女様をお連れしましたぞ! つきましては、偽の聖女アンジェラとの婚約を破棄し、真の聖女様と婚約を結び直していただきましょう! 真の聖女様も王太子殿下と同じ位の年頃、入れ替えに問題はございませんでしょう」
「何だと!?」
咄嗟に歩み寄り、アンジェラの頭部を隙間なく覆う布を思い切りはぎ取る。
「ぐおおっ!」
その途端、聖女の頭上を照らすLEDの如き強烈な光に、至近距離で目を焼かれる。……愚かな行為だった。
ていうか、ホント参ったな。しばらくは、目がチカチカするぞ、コレ。
この国の聖女は、公式には教会が神託で決める事になっているが、頭部を覆っていない限り、天使の輪の様なものが頭上に輝いているので、素人目にも直ぐ分かる。
……そして、その輝き以外に、超人的な要素を持たずに生まれてくる。
ただの灯りかよ。意味なく光るな。
しかし、誰の目にも特別であることが分かる為、基本、王家に取り込まれる。
生まれた時から光っているため、先ず、教会が取り上げ、成人まで預かって教育を施す。
一方、王家は教会の神託を受けて、年頃の合う王子を生贄、もとい、婚約者とし、聖女の教育にも携わる。
今回の様に平民生まれだと、政略結婚としての旨みはゼロだが、100年に一度しか生まれてこないので、権威付けにはそれなりに役に立つ。
この国の現国王夫妻には、俺しか子供がいない。いとこも女だけだ。従って、自動的に俺が相手となる。とんだ貧乏くじである。しかし、国の最高権力者であるのに浮気をしなかった父にも、俺しか子供を産めなかった母にも、文句を言う事は出来ない。
……話を戻そう。
「教皇、残念だが、アンジェラが聖女である事実は変わらない様だぞ」
「殿下、何を言われますか? 聖女とは、教会の神託が与えられた者。頭上に光がある者ではありません」
いや、確かにそうだけど、こんなに光ってるのを無視できるか?
「異世界からやって来ました♡ よろしくね♡ 王子様♡」
その時、教皇の左隣に居た女性が頭部の覆いをずらし、顔をさらして進み出てきた。それなりに可愛いと言える顔だ。
そのまま、豊満な胸を俺の腕に押し当て、しなだれかかってくる。あざといが、感触は悪くない。
しかし、異世界ときたか。
「……アンジェラはどうするんだ?」
「聖女ではなくなったのです。国外追放刑が妥当でしょう!」
教皇が胸を張る。この男の信心深さは本物である。
「残念だが、それは受け入れられない。ソイツを育てるにも税金がかかっているのだ。王妃陛下に預けよ。きっと良きように取り計らって下さる。近衛! アンジェラを王妃陛下の所へ連れて行け!」
母である王妃陛下も俺と同じく、アンジェラとは気が合わない。間違った事にはならないだろう。
教皇の傍から動かないアンジェラの腕を掴み、俺の命令に応じて近づいてきた近衛に押し出す。
「ルーカス様……」
アンジェラが俺の名を呼び、涙ぐんだ目を向けてくる。
「今まで何度も言ってきたが、母上の言う事を聞くんだ」
冷たく言い放つと、やっと諦めたのか、近衛についてトボトボと歩み去った。
「では、詳しい話を聞こうか」
座って話せる場所に移動している。
「こちらの方が、本物の聖女だったのです!」
フンスと、胸を張る教皇。それ、さっき、聞いたわ。
じろりと、一行の最後の一人、若き枢機卿を見やる。
「では、私からご説明します」
やっと通じた様だ。
席は、俺の向かいに教皇が一人、俺の腕に異世界人女性がそのまま貼り付いており、枢機卿はその反対側にベッタリしている。
つまり、暫定新聖女は俺と枢機卿に挟まれてるわけだ。
枢機卿はその豊かな胸元をガン見しており、さっき視線をやるのも目が合わなくて大変だった。
聖女と判断した理由を、枢機卿が滔々と話しているが、要は異世界知識無双系の話だった。どちらにも神託があったのならば、有用な方を正式な聖女とすると言っている。
こちらに現れてから、まだ一月も経っていないため、実行まで進んだことは料理しかない。その間、教会からほとんど出る事もなかったらしい。良かった。
なお、覆いを取った異世界人女性の頭上に天使の輪も存在していない。
「了解した。では、新聖女殿の身柄は、こちらで預かろう」
会話の途中で、女性が成人している事が確認出来たので、教会預かりの必要は無い。
「それは受け入れられませんね」
枢機卿がモノクルを光らせながら言う。
「西の離宮で丁重にもてなそう。心細いというなら、枢機卿も一緒に滞在なさると良い。そこで、医師の診察を受けて頂きたい。護衛にはこちらの近衛騎士団長をつけよう」
近衛騎士団長を紹介する。移動の際に呼んでおいた。
「護衛さんってば、イケメ~ン♡ わたしはウェルカムだよ~♡」
暫定聖女はマッチョ系の近衛騎士団長をお気に召した様だ。
「では、そのように」
諸々ぶった切って、話を終わらせる。当の本人が納得してるなら問題ないだろ。
枢機卿は近衛騎士団長の存在には不満だった様だが、聖女と一緒の滞在には納得していた。
教皇は元より、暫定聖女と俺を婚約させるために連れて来ていたのだから、抵抗を示したのは、アンジェラとの婚約破棄が延期になった事だけだった。
「母上、参りました。アンジェラの様子はどうでしょうか?」
「ああ、ルーカス。どうもこうも無いわ。とりあえず、部屋の掃除をする様に命じたのだけどね。道具を手に取ろうともしないのよ」
母上は頭が痛そうな素振りをしている。
いや、実際、頭痛が痛いみたいな状況だな。
母上の後ろに立って、アンジェラはただプルプルしているだけだ。
「アンジェラ、まだ理解できないのか。呆れた奴だ。……そうだ。北の農村に行ったらどうだ? もう、教会預かりではないのだから、ちょうどいいだろう」
「まあ! そうね! ちょうどいいわ。行ってらっしゃい、アンジェラ」
「北の農村ですか? おお、神よ!」
膝をついて祈りだすアンジェラの様子に、母と目を合わせてため息をつく。
後日、早速手配した馬車で、北の農村に移動する。
王子としての仕事は父に、異世界人女性の事は近衛騎士団長達に任せておけば安心である。
「あ、あの、ルーカス殿下も一緒に行かれるのですか?」
アンジェラがおずおずと聞いてくる。
何言ってんだこいつ。
「当たり前だが?」
「そ、そうでしょうか?」
納得出来なさそうな様子だ。本当に困ったヤツ。
その後も馬車が揺れて上手く座ってられないとか、お尻が痛くないかとか、色々と気を遣わされる。
なんでクッションを外しちゃうんだよ。
ようやく落ち着いたと思ったら、気分が悪いと言い出したので、窓を開けて様子を見る。
今は、子供の様に窓に齧りついて外を見ている。やっと静かになった。
これで、俺と同じ18歳なのか。参るな。
「着いたぞ」
アンジェラに声をかけ、馬車から降りるのに手を貸してやる。
「これから、どうするのですか?」
アンジェラはキョロキョロしている。
「あの家に泊めてもらう。俺はしばらくしたら帰るが、お前はそのまま滞在するんだ。ちゃんと役に立つ様になるまで城に戻ってくるなよ」
アンジェラに説明していると、家主夫婦がやって来た。彼らには事前に連絡をしている。
「ルーカス殿下、ようこそおいで下さいました」
家主の男性テッドに声をかけられる。
「ああ、久しぶりだ。世話になる」
「汚い所ですが、どうぞお入り下さい」
夫人のマーサに促される。
だが、その前にやる事がある。
「テッド、マーサ。アンジェラを連れてきた。
アンジェラ、二人に挨拶しろよ」
「……二人は、どうして、その様に汚れているのですか?」
「! アンジェラ! 言っていい事と悪い事があるぞ!」
アンジェラの言い方に悪意はないが、あんまりな物言いである。ちゃんと馬車の中で説明したはずなのに、何で、こんななんだ。
「ルーカス殿下、いいんです。汚れているのは事実ですもの。お帰りなさい、アンジェラ。帰って来てくれて嬉しいわ」
マーサはアンジェラに会えて喜んでいる様だが、汚れていると言われたので、久しぶりに会う娘を抱く事が出来ずにいる。
「ルーカス殿下、気にしないで下さい。分かっていますから」
テッドの目にも光るものがある。
「すまない、二人とも」
主犯は教会だと思うが、頭を下げる。
何はともあれ、家の中に招き入れてもらう。
御者兼護衛は、村長の家に泊めてもらいにいった。
翌朝、アンジェラを連れて畑に来ている。
「それは、何をしているのですか?」
アンジェラが不思議そうに尋ねてくる。
「畑を耕している」
テッド達の手伝いである。働かざる者食うべからず。泊っている間は手伝うのだ。
「不思議です。大地の恵みは神への祈りで得られるもの。何故そんな無駄な事をするのですか?」
この認識が、アンジェラと気が合わない理由である。
「だから、いつも言ってるだろ! 労働、舐めんな。何も不思議じゃないし、無駄じゃない。畑仕事をしないと作物は実らないし、掃除をしないと部屋は綺麗にならないし、馬が走ってくれたりしないと移動は出来ないんだよ」
我が国の今の教皇は、隣の大国からやってきたボンボンで、実務を伴う労働は全て使用人がやってくれていた。……彼の見えない所で。そして、おつむが弱かった彼は、それらの成果は、呼び鈴を鳴らせば自動でなされるものだと勘違いしてしまったらしい。彼の家人は、気がついてからは是正しようとしたのだと思われるが、どういう経緯か、出来たのは呼び鈴を神への祈りに変える事だけだった。
斯くして、彼は教会に捨てられたのだが、実家の権力と財力によって、隣の貧乏小国家である我が国の教会で最も高い地位に就くに至ってしまった。マジ迷惑。
しかも、家族の情がまだ切れていないらしく、教会の内部は寄付金でジャブジャブ。勘違いは正されないままである。強制で清貧生活に突っ込めば、勘違いも自動的に治るだろうに。マジ迷惑(2回目)
そして、折悪しく、聖女が生まれた。
アンジェラは、立派な農民だったご両親の間に生まれたにもかかわらず、乳離れするかしないか位で教会へ連れ去られてしまい、教皇の洗脳の元で育つに至った。
教会に訪ねてくる両親には定期的に会っていたが、よそ行きの格好の二人と話した事しか無かったのだろう。
そんな訳でアンジェラは、食事が欲しければ神に祈り、部屋を片付けたければ神に願い出るようになってしまった。
そして、教会では成るはずの成果が、城では成されない事を、聖女としての己の不徳と言い切るのだ。勿論、教会では使用人達が裏で働いてくれているだけである。なお、教皇も移動に馬車が必要な位は分かっているが、洗脳されて育ったアンジェラは教皇にもまして重症な上、馬車を使った事が無かったのもあって、移動もまず神に祈ってみるのだ。
……マジなの? 本当は分かってて、面倒くさがってるんじゃないの? 頼む、そうだと言って。
しかし、残念ながら、アンジェラと教皇の心が至って清らかなのは間違いないのである。
そして、実家の寄付金で生きている教皇はともかく、王太子が畑を耕せる様な貧乏王家に、嫁いでくる平民の嫁が家事が一切出来ないのはとても困る。というか、無理。
いや、貧乏具合はそこまでじゃないんだけど、精神的に無理。話が合わな過ぎて、俺が死ぬ。別に上手く出来なくてもいい。でも、必要性だけは知っていて。お願い。
数日経ったが、引き続きテッド達の世話になっている。というか、アンジェラを少しはどうにかしないと、置いて帰るのあんまりだと思ったのだ。
最初は神に祈るしかしないアンジェラだったが、実の両親や俺達が実際に働いているのを目の当たりにして、少し変わってきている。作業を教えれば、覚えようとする様になってきたのだ。城でも見せてたはずだったのだが、何が違うんだろうか。やはり、実の親だからか?
ただ、変わってきていると言っても、何か出来るようになった訳ではない。そんなに突然、実作業は身に付かない。箱入りで、力も無いしな。
「神の恵みに感謝を」
「「神の恵みに感謝を」」
この世界での食事前の作法である。家主が声をかけ、他の家人や客が復唱して祈りを捧げてから食事を始める。
「……どうして、神に祈るのですか?」
意外な言葉を、アンジェラがポツリと呟いた。いつもの元気がない。
「突然、どうしたの? アンジェラ」
マーサがアンジェラを気遣う。
「私は今まで、食べる物や着る物は、全て神が与えて下さる物だと思っていました。お父さんとお母さんも、教会で一緒に食事する時は、今みたいに神に祈っていたと記憶しています。そうする事で食べる物が出てくると、二人もそう思っているんだと信じていました。
だから、城でルーカス様や王妃様が、お茶を淹れて見せてくれたり、料理を作って見せてくれても、不信心なせいで、そんな不便な事をしていると思っていたんです。
でも、違うんですね? 食べ物は、祈るだけでは出てこない。料理をしないと食べられる様にはならない。
ならば、何故、神に祈るのですか?」
おお、やっと分かってくれたか! と言うところだが、これはこれで、アンジェラにはショックな事だったんだな、というのも分かって、迂闊に口を開けない。
「……そうか、私達の祈りも、誤解の素だったんだね。アンジェラ、よく聞いておくれ。神に祈っただけでは、何も出てこない。それは確かだ。でもね、自分達が頑張っただけで、何でも出来る訳でもないんだ。大地の実りはまさにそうだ。土を耕し、種を蒔き、懸命に世話をしても、天候に恵まれなくて育たない事がある。努力は必ずしも報われない。だからこそ、私達は神に祈るのだよ」
テッドがアンジェラに語る。
「……私には分かりません。何故、報われないと分かっている祈りを捧げられるのか。……ルーカス様。貴方は、神を信じてはいないですよね? 何故、祈るのですか?」
アンジェラは力なく落としていた顔を上げ、弱々しく視線を彷徨わせた後、俺に問うてきた。
「全く信じてない訳じゃないさ。ただ、俺は王族だから、やらなきゃいけない事を優先していると祈りが疎かになるんだ。心の中では、居てくれればいいなと思っているよ」
「『居てくれればいいな』ですか?」
テッドとマーサが目を丸くしている。
「報われない努力だと分かっていても、しなければならない事がある。人知れず背負った苦労を、誰にも言えない時がある。そんな時に、神が何処かで見ている、そう思うと慰められる気がする。だから、特に何かしてくれるのでなくとも、居てくれればいいと思う」
「それは、神の御許に召された後の裁きのためですよね?」
確認の様に問うのはアンジェラだが、テッドとマーサも頷いている。
「違う。報われない苦労を伴う生き様を、人知を超えた存在が知っているだけで、何となく気が安らぐと思うだけだ。子供が親に見ていてもらいたいのと似た様なものだと思う」
俺の信仰のあり方は、前世を引きずっているのかもしれない。
「神を信じているけれど、何かを求める訳では無い。そういう考え方もあるのですね……」
それぞれ信仰心の在り方というセンシティブな話題になった事で、微妙な空気になってしまったが、アンジェラが何か納得した様なので、いい事にする。
翌朝、また畑に来ている。
「ルーカス様。雑草を取りましたわ」
アンジェラは汚れてもいい格好をして、得意そうに畑仕事を手伝っている。
「あ~、雑草は根ごと抜く様にな」
アンジェラの手には葉っぱしか握られていない。
「ルーカス様。今度は根も取りました」
「あっ! それは作物の苗!」
説明はしてあるんだけどな。近くで見ていたマーサが、苦笑しながらやって来たので任せる。
適当にアンジェラの相手をしたり、休ませたりしながら、野良仕事に精を出す事、しばし。
「そろそろ昼休憩の準備をしてきます。アンジェラは、ここでルーカス様と一緒に居なさいな」
マーサが家に戻って行く。
「ルーカス殿下、危ない! 聖女が狙われています!」
マーサを見送った後に一息ついていると、離れた所で野良仕事をしていた護衛が、こちらに急いでやって来ている。
振り返ると、剣を持った見かけない男がアンジェラに迫っていた。
「アンジェラ!」
箱入りで、何が起こっているかも分かっていないらしいアンジェラを背中に庇う。
「ぐあっ!」
躊躇いの無い男の剣で、腹を切られてしまった。立っていられなくて、膝をつく。……畑仕事ばかりではなく、少しは剣も習っておけば良かった。貧乏な代わりに長閑な国だったから、油断していた。
「ルーカス殿下!」
男は、駆けつけた護衛に一撃で仕留められている。護衛のライリーは手練れなので、無力化しつつ急所は外してあるだろう。事情を聞きだすのも任せておける。
「う、ぐっ」
大丈夫ではないのは、こっちだ。自力で止血しようにも、切られた範囲が広すぎる。……目が霞んできた。
「……ルーカス様? 一体、どうなさったのですか?」
アンジェラがおっとりと尋ねてくる。事態が分かっていない様だ。
「マーサを呼んで来い! 殿下が賊に切られて死にそうだと言うんだ! 速く!」
ライリーがアンジェラを怒鳴りつける。
「……ルーカス殿下、なんて馬鹿な事を。アンタの方があんな聖女より遥かに稀有な存在なのに」
走り去ったアンジェラを見る事もなく、俺の応急処置をする護衛が、泣きそうな声を出している。
……やべえな、俺。いつも冷静沈着なライリーが、こんな取り乱すって事は、思ったより重傷なんじゃないか?
「ルーカス様!」
マーサ達が駆けつけてきた。家に運び込まれ、応急処置よりはマシな手当が行われるが、この村には医師が常駐していない。油断した。
「はぁ、はぁ」
横になっているのに、眩暈がする。血を流し過ぎたのか、酷く寒く感じる。
アレ? これ、もしかして、俺、死んじゃうかも?
「ルーカス様……」
涙ぐんだアンジェラがやって来た。
恐らく、誰かから説明されたのだろう。さっきまでは怪我という概念も知らなかったのかもしれないが、今は悲壮感で真っ青になっている。
「はぁ、はぁ」
声をかけようにも、話せる状態に無い。
「わ、私の事、お嫌いだったのではないのですか? なのに、何故、私を庇って……」
アンジェラの目から、宝石の様な涙が零れる。
……なんというか、命がけで庇っておいて、このクライマックスシーンの如き状態でこう表現するのは憚られるが、俺は、アンジェラを、本当に…………好きでも何でもない。
気が合わなさ過ぎたんだよ。仕方なくね?
ただ、ずっと可哀想なヤツだと思っていた。
然程役にも立たない聖女という重荷のために、愛してくれる両親と引き離されて、普通に暮らす事もままならない。
俺の両親は事態を打開しようとしたのだが、ある事情があって、結局、アンジェラを教会から出すことは出来なかった。
「ルーカス様……」
アンジェラが溢れる涙もそのままに、俺にしがみついてくる。
……その瞬間、辺りが光に包まれ、俺の怪我が傷跡も残さずに癒えていた。
「ああっ!? アンジェラ、お前、やりやがったな!」
「ルーカス殿下!? 起き上がってはなりません!」
「ライリー! 箝口令だ! 俺の身に起こった事を隠しつつ、王城に戻る! 聖女の体液を使えば重傷ですら一瞬で治癒できるなどと知られたら、アンジェラの身が危険だ」
タイミング良く戻って来たライリーに、怪我をしていたはずの体を見せながら言うと、驚愕の事態だろうに「かしこまりました」の一言で、直ぐに応じてくれる。
俺も自分やアンジェラの支度をする。
「ルーカス様。涙です。体液なんて、そんな言い方……」
アンジェラを振り返るとこんな事を言われた。
この緊急事態に、気になるのソコだけ!?
「ルーカス殿下、準備出来ました」
ライリーに声をかけられ、出発する。テッドとマーサは、元々、事情を知っている。静かに別れの挨拶を交わした。
「襲って来た男の正体ですが、教会からの刺客でした。尤も、技能は完全に素人でしたが」
人気の無い所まで来た時点で、ライリーの報告を聞く。
「そ、そんな……。教皇様、そこまで、私を……」
アンジェラがショックを受けている。教育の質はともかく、教皇はアンジェラの親代わりだったからな。
「いや、教皇ではないだろう。国外追放刑も含めて、アンジェラへの情がなくなったのではないと思う。黒幕は、あのモノクルの枢機卿ではないか?」
アンジェラへのフォローを含め、考えを口にする。
「そうです。もっと言うと、聖女を詐称している異世界人女性の寵愛を買うための独断だったようですね」
ライリーから肯定の返事をもらいつつ、アンジェラに教皇の話をする。
教皇は、隣国の正当な王族の生まれなのだが、とにかく、おつむが弱い。そこで、子供が出来ない様な処置を施されて教会に放り込まれているのだが、それでも内乱の旗頭になり得る。いっそ殺してしまえばという考えもあったのだろうが、邪気の無い子供の様な相手にそこまで出来なかったのだろう。監視付で他国の教会に半幽閉、という状態に落ち着いた。
監視は表向き使用人であり、身軽な独身の者が選ばれていた。逆に言えば、祖国に戻って結婚するためには、監視を交代する必要がある。
それで、教皇は、自分の使用人が頻繫に交代しては、外国に行って(帰国して)結婚した、という話を聞く事になる。自分が今いる場所が、生国の外である事も碌に分からない教皇にとって、外国に行く=結婚、の様な理解になったらしい。
尤も、詳しい話はアンジェラにはしない。しても、今はまだ分からないだろうと思うからだ。
「アンジェラと俺の婚姻が無しになったのだから、外国に出しておけば、他の誰かと結婚すると思っているんだろう。教皇の国外追放刑は、その程度の意味しかないんだ、多分」
アンジェラはホッとした様な、それでも許せない様な複雑な表情をしている。仕方ないだろう。これを期に教皇とは距離を取って、色々な事を自分で考えられる様になってもらいたいものだ。
隣国に恩を売っておくために教皇を引き受けていた訳だが、今回の事は目に余る。交渉をして、引き続き引き取るが、権威のある地位からは降りてもらおうと思う。
「ルーカス殿下、この件、自分に任せて頂いても宜しいですか?」
「ライリー? うーん。偽聖女は、まだ感染症を検証しているところだからなあ」
「カンセンショウ、ですか?」
「件の女性は、ここから遥かに離れた所から、突然やって来た。そういう場合、俺達が抵抗出来ない様な病気の原因を身につけていて、それでいて本人は平気、という事があるんだ。もしそうなら、枢機卿は既に病に侵されている危険がある」
異世界人女性が来てから一ヶ月ほど経った今のところ、特に誰にも異常は出ていないので、多少は安心している。しかし、枢機卿は濃厚接触者なので、まだ警戒が必要だ。ライリーに不用意に近付いて欲しくない。
「その割に、近衛騎士団長は近付けていますよね」
「異世界の知識は利用したいんだ。近衛騎士団長には注意してある。」
前世は高校生で死んでるから、碌な知識が無い。
世間知らずの教皇は若作りを見抜けなかったんだろうが、あの女性はアラサーと見た。
教会での様子を聞くにかなりのビッチだったが、勤務態度は誠実でも絶倫すぎて女性問題を起こす事のある近衛騎士団長との相性は悪くないんではないかと思っている。
「分かりました。では、その様に」
アレ? いつの間にか、許可した、みたいになってるな。まあ、いいか。
ライリーは、元々、この国の人間じゃない。
隣国どころか、もっと遠い大国で、若くして剣聖とも英雄とも呼ばれた人物だ。おまけにイケメン。
そんな人間が、20代半ばの全盛期に、何故こんな辺鄙な国に来たのかは知らない。
「人殺しの技が上手いだけの人間など、この国では何の役にも立たないぞ。ここに居たかったら、せめて自分で飲む茶を淹れられる位にはなれ」
俺が10歳の頃だ。
初対面にして、かなり失礼な事を言った自覚はある。
アンジェラとの話の合わなさにイライラが抑えきれなかった時だ。
八つ当たりとも言う。
「そういう王子殿下は、淹れられるのですか?」
「当たり前だろ」
その流れで、茶を淹れてやり、ついでにパンケーキを焼いて出してやった。
そうしたら、何故か忠誠を誓われて今に至る。
「そんなにパンケーキが気に入ったのか?」
「断じて違います」
「じゃあ、なんで?」
「もしも殿下が、戦いに有利な能力を持っていたとして、何処にでも好きに行けるのなら、争いのある場所にわざわざ出かけますか?」
「俺なら行かない」
「そういう事です」
いや、俺は行かないよ? 関係が無いんだし、全く向いてないし。でも、アンタは、英雄だろ? とは言えなかった。未だに、思ってはいるけど。
「報酬、安くてゴメン」
「それは、はい」
そこは否定して欲しかったなーと思いつつ雇っているライリーに任せておいたら、全てがキレイに片付いていた。
「件の枢機卿の処刑は、陛下のサインを頂いて執行済みです。殿下の交渉により、隣国からの親書に許可がありましたので、教皇は平の神官になっております。異世界人女性のカンセンショウは、医師から問題無しとのお墨付きをもらっています。よって、近衛騎士団長殿との婚姻の件を進めておきました。異世界知識の報告の仕事が負担になると思われますので、団長職は自分が引き継いでおります」
戦う能力以上に、戦後処理の能力が高いタイプなんじゃないだろうか。出身国が取り返しに来たら、今のままだと、どうする事も出来ないと思う。自由人過ぎて王族なのにまだ結婚してない従姉とのお見合いでも設定しようかな。
偽聖女が、監視付き無罪放免なのは、実際に無実だからだ。自分で聖女を名乗った事は一度もない。
教会の風紀を乱しまくっているが、相手の同意を得ているので、罪とまでは言い難い。誘惑されてしまった方が悪い、という事で、元教皇の生国の厳しくて有名な修道院に何人も行く事になった。我が国には、教会施設自体があまりないからね。元教皇を残しているのは勿論、利益があるからだ。彼だけは偽聖女とそういう関係を持っていなかったし。
この世界は時々、異世界から事故的にやってくる人がいる。突如として、右も左も分からない状態になる事を憐れんでか、大体、保護を要請する様な神託が下る。今回もこのケースだったはずだ。
男遊びの好きな異世界人女性に、いち早く籠絡された枢機卿は、教会の地位を保ったまま、彼女を手に入れようとした様だ。自分以外の相手を次々と増やしていく女性の関心を独り占めしたくて、望まれてもいない聖女の地位を与え、美貌と若さ故に僅かな嫉妬の対象だったアンジェラの排除を企てた。
処刑は火炙りの準備をしていたらしいが、点火前に雷が落ち、降りしきる雨にも負けず火柱が立ったというので、天罰だという噂が広まっている。
俺と両親の間では、磔に使用した支柱が避雷針の役割を果たし、油を撒いていたので燃えただけだという事になっている。この国の王族は、あまり信心深くないのだ。天罰の噂はそのままにするつもりだが。
「ところで、殿下はいつから、聖女様に癒しの力がある事をご存知だったんですか?」
先日結婚して以降、俺に貼り付いて剝がれなくなったアンジェラをチラリと見てから、ライリーが問う。なんだか、怒りを感じるんだが。
「聖女がある条件を満たすと治癒能力を持つのは、婚約者となる王族なら、子供の頃に教わる事だ。しかし、条件が整わなくて力が発現しない事もある」
王家に代々の聖女の記録が残っている。
「つまり、あの時の怪我は、完全に無策だったんですね?」
ライリーは怒りを隠す気がなくなったらしい。「今後は、殿下から離れない事にします」と付け加えて、俺の背後に立った。嫌だなあ、こんな威圧感のある護衛が四六時中いるの。
「はあ。ちょっと休憩して、本でも読むか。アンジェラ、こっちに移ってくれる? そうそう、そこ、そこに居て。頭の覆いはちょっとだけずらして」
「ルーカス様? 私、読書灯ではありませんよ?」
「まさか! そんな事、思ってないさ。読書灯よりも100倍は明るいと思っている」
加えて言うと、お茶も淹れられる様になった。もう少し離れている時間が長ければ、言う事なし。
「それを読書灯扱いだと言っているんですよ!?」
聖女の体液がエリクサー化するのは、当の聖女が愛を知った瞬間からだ。親愛ではなく、恋愛的な意味での強い感情が必要となる。
碌な能力では無いので、発現しない様に、毎回、王族との愛の無い政略結婚を押し付ける事にしている。
教会から不用意に出してこれなかったのも、このせいだ。王家だけで聖女を囲う様な実績を作ってしまうと、子孫の代で王家が腐敗していた場合に危険だ。今のまま、教会と王家の両方から関われる様にしておきたい。
しかし、愛の無い結婚を押し付けているのに、発現しないで済むのは、結婚相手の王族が大病も大怪我もない穏やかな人生を過ごせた場合ばかりだ。逆に言うと、結婚相手が死にかけると、ほとんど発現している。
「代々の聖女がチョロすぎるんだよな」
「何の事か分かりませんが、絶対に違いますよ!?」
横からアンジェラの叫び声、後ろからライリーの笑い声を聞きながら、本を読む。
もう少し静かにしてくれないかなあと思うが、まあ、今世はそれなりの人生が送れそうかな?
読んで下さってありがとうございます。
「労働、舐めんな」が口癖の王子、というアイデアだったのに、1回しか出せずに終わってしまった。
しかも、最初に思いついた時点では影も形もなかったライリーが、むしろコイツが主人公の相手役では? になってしまって、慌てて聖女と結婚させたり。
他の作品を書いてますので、感想欄を抉じ開けてでも送ってやるぜ! という気合のある感想のみ受け付けたいな、と思っています。
なろうにそんな機能はありませんけれども。