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婚約破棄されて三カ月が経った。今でも彼は同じことを言い続けている。

作者: 天辻 睡蓮


「ソフィーナ・アイビス! 貴様との婚約を破棄する!」

「あーはいはい。ちょっと今ご飯食べてて忙しいから後でにしてもらっていい?」


 婚約者シェイムの厳しい視線にも動じず、ソフィーナはフォークで野菜を口に運んだ。


 時刻は昼頃。授業も終わりほとんどの生徒がランチタイムを過ごしている。

 教室中に響いたシェイムの声に少しびっくりした者もいたが、すぐに慣れた様子で元の動作を再開した。


 「あいつまたやってるよ」とある生徒は呆れ、「可哀想に」とある生徒はシェイムを哀れんだ。


「ええい、話を聞け! 俺は今とても重大なことを話しているんだぞ!」

「私にとっちゃ目の前の野菜の方が重大なんだけど」

「野菜なんかいつでも食えるだろ!」


 シェイムの怒声が響き渡る。


「ノンノン。君は何にも分かっちゃいない。私たちはいつ死ぬかも分からないんだよ? もしかしたら謎の心臓発作で今日死ぬかもしれない」

「何が言いたい?」

「刹那を有意義に過ごすべきだってことだよ。だから私は今野菜を食べる」

「…………」

「そんな訳で私は忙しいから席に戻ってくんない?」


 むしゃむしゃむしゃむしゃ。あー野菜最高。


 もはやソフィーナはシェイムを見向きもしない。

 

 シェイムが地獄の悪鬼も裸で逃げ出すような形相になったあたりで、流石に彼を可哀想に思ったのか一緒に食べていた同級生のカリンが助け舟を出す。


「ね、ねえソフィーナちゃん。そろそろ彼の言い分を聞いてあげたら? かれこれ三カ月以上ずっと婚約破棄だとか言ってるけどソフィーナちゃん全然取り合ってくれなくて彼も困ってるよ」

「別に困ってもいいじゃん。婚約破棄なんて寝惚(ねぼ)けたことを言ってる奴には丁度いいでしょ」


 シェイムがソフィーナに婚約破棄を申し立てたのはこれが初めてではない。

 ある時を境にシェイムは今日と同じようなことを騒ぐようになり、その度にソフィーナに軽くあしらわれていた。当初こそクラスメイトたちも驚いていたが三カ月もすると次第に慣れていき、今ではそれが日常の風景であるかのように特に反応することもなかった。


「寝惚けてなどいない! 俺は真剣に言ってるんだぞ!」

「なら余計重症だね」

「何だと!?」

「ふ、二人とも落ち着いてっ」


 いきり立つシェイムをカリンはどうどうと宥める。


 俺は牛ではない!と怒声が響いた。


「で、でもどうしてシェイムくんはそんなにソフィーナちゃんが嫌なの? 確かにちょっと殴りたくなる瞬間はあるけど、基本的には良い子だよ。昨日だって転んでるおじいさんを助けてたよ。その後にさりげなくお礼を要求してたのはアレだったけど」

「ちなみにジュースを奢ってもらいました」

「そういう所だぞ」


 ドヤ顔でソフィーナは己の戦果を誇る。自分の行動を微塵にも恥じておらず、どころか戦で大将の首を打ち取ったかのようなドヤ顔にシェイムは溜息を吐いた。


「俺が婚約破棄を申し立てる理由にお前の普段の目に余る言動も含まれているが、それも一部に過ぎない。一番の理由は別にある」

「勿体ぶらずに早く言いなよ」


 ビキッ。

 思わず怒鳴りかけるが寸前のところで自重し、コホンと咳払いしてシェイムはこの三カ月言えなかった「一番の理由」を口にする。


「俺はな……真実の愛に気が付いたんだよ」

「は?」


 想像もしていなかった内容に二人とも絶句してしまった。


「隣のクラスにサテラさんという美しい女性を知っているな? そう、あの絹糸の如き長髪が風に(なび)く姿が美しい彼女だ。数か月前俺はハンカチを落としてしまってな。それをな、彼女は拾って俺に渡してくれたんだよ。『次は気を付けてね?』と天使のような微笑をたたえて……。その時俺は気付いたんだ。この胸が高鳴る感情こそ『愛』なのだと」


 二人は思った。チョロっ!と。


 シェイムが真実の愛なんてほざくから浮気でもしたのかと身構えていたら全然そんなことはない。確かにソフィーナも同学年なので何度かサテラを見たことがあるし、実際相当な美人だった。でも今の話を聞く限りそのサテラという人物はただシェイムが落としたハンカチを拾っただけだ。それだけでこんなに惚れてしまうなんて……。


「真実の愛に気付いた以上、婚約者であるお前は邪魔でしかない。どうだ、これで納得できたな?」

「……うん。おかげでシェイムが底抜けのお馬鹿さんだって再確認したよ」


 ソフィーナは深く、それはもう深く溜息を吐いて呆れる。


「な、なんだその顔は!」

「そもそもさぁ、私たちが婚約してるのは色々な政治的思惑が絡まった結果でしょ? それを当事者であるとはいえシェイムが勝手に台無しにしてもいいのかな?」

「うっ……」

「きっともうシェイムの両親に駆け合ったけどダメだったからわざわざ私に婚約破棄だとか言ってるんでしょ? 確かに私を合意させたら書類上は婚約も破棄できるからね。ま、私は死んでも合意しないけど」


 あー下らない下らないとソフィーナはパスタを頬張る。

 ソフィーナの言葉の一つ一つが的確にシェイムの急所を突き反論の余地を与えない。カリンも内容が内容だけにシェイムのフォローできず呆れたような視線を寄越した。 


 それにさぁとソフィーナは付け足す。


「あの人、彼氏いるよ」

「え?」


 シェイムが間抜けな顔で放心する。


「……おいおいおいおいおい、ちょっと待て。今なんて言った?」

「いや、だから彼氏いるってあの人。先輩の男の人と去年から付き合ってるんだってさ。私もたまたま二人で仲睦まじく歩ている姿は見たことがあるけど、サテラさん幸せそうだったなぁ」

「あっ、あ、あ、あっ。止めろ脳が破壊される……!」


 爪でも剝がされたような苦悶の形相でシェイムは頭を抱える。

 

「嘘だぁ、そんな訳がない! これはきっと俺を苦しめるための嘘……」

「何ならサテラさん本人に聞いてみる? 今ならお昼休憩だし聞きに行けないこともないけど」

「あああああ!! 止めろ、それだけは止めてく」

「あ、サテラさんじゃん。丁度良いね。ちょっとこっち来てよ」

「? 私に何か用事でもあるの?」


 都合よく廊下を通るサテラを見かけたのでこれ幸いとソフィーナは声をかける。

 首をかしげながらサテラは教室に入った。動揺しすぎて酸欠寸前みたいな顔になるシェイム。


「ねぇ、サテラさんって付き合ってる人いるの?」

「ど、どうしたのいきなり!?」


 唐突なソフィーナの質問にサテラも困惑してしまう。

 彼女の答えを聞きたくないシェイムとしては、いっそソフィーナの無遠慮な質問に機嫌を損ねてサテラには帰ってもらいたかったが……彼女は恥ずかしそに目を細める。


「…………内緒、かな」


 頬を赤らめて恥じらうその姿は恋する乙女そのもので、同性であるソフィーナやカリンもつい彼女に魅入ってしまった。


「用事はこれだけかな?」

「う、うん、忙しいのにわざわざ呼び止めてごめんね」


 我に返ってソフィーナはぺこりと頭を下げる。

 サテラは嫌そうな顔一つせず「またねっ」と笑って自分の教室に戻っていった。

 ソフィーナは棒立ちするシェイムに視線を向ける。

 

「ははははは、そうだよなあんな可愛い子に彼氏の一人や二人いない方がおかしいよな。それを俺は一人で何を血迷って……。何が真実の愛だ、死ねよ」

「彼、めちゃくちゃ凹んでるね」

「ふん。これくらいが丁度良いよ」


 不倫でこそないが、ソフィーナという婚約者がいながらサテラを好きになってたなんて少し面白くない。

 ざまぁ見ろとソフィーナは舌を出した。


「はぁ、これから大変だよ。落ち込んでるシェイムを慰めなきゃいけない。気が重いね」


 やれやれとソフィーナは教室の角で丸くなるシェイムに近付く。

 婚約者にほとんど浮気に近いことをされたのにソフィーナは大してダメージを負っているようには思えなかった。

 それはソフィーナがシェイムとの関係を所詮は政略結婚と割り切っているからではないことを知っている。


 どころかその逆だ。

 カリンには正直あまり理解できないがソフィーナはシェイムという男にどうしようもなく惚れているらしい。

 何でも犬みたいに単純で愚鈍なところが可愛らしいのだとか。

 アイビス家はシェイムの家とは比べ物もならないくらいの大貴族だ。今更シェイムの家と関係を持っても大したメリットはないのだが、それでもソフィーナとシェイムが婚約したのはソフィーナの我儘だったりする。


 今も傷心のシェイムに付け込んで自分に依存させようとワクワクした表情をしている。


「……確かにこれから大変だね。主にシェイムくんが」

 

 ほとんど自業自得とはいえソフィーナに惚れられたシェイムがこれからどうなるかを考えると、カリンも同情を禁じ得なかった。

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