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愛しい息子 1

残酷な描写があります。

苦手な方は自衛下さい。


宜しくお願い致しますm(_ _)m





 真っ暗だ。いや、真っ黒か?

 この場所は知っている。

 夢で来た事があった。

 あの時は誰かに引っ張られたような気がして、振り向いたら目が覚めたのだった。


 周りを見渡しても、ただ首を回しているだけだ。前と同じ。目を閉じても開いても暗闇はかわらない。不思議と恐怖や焦りなどは感じない。


 とりあえず歩いてみた。

 全てが、止まっているように感じる。物音一つ、どんな小さな変化も感じられない。

 自分の呼吸する音と、規則的に動いている心臓の鼓動だけが、まだ死んだわけではないのだと、安心させてくれる。


 声を出してみようか?


「ちちうぇー、ははうぇー」


「いましぇんかぁーー!」



 何の反応も、音の反響もない。

 が、他に出来る事もない。

 何度も繰り返していると、何故だかだんだん不安になってきた。心細い感じ。

 この感じは、よく知っていたような。


「ちちうぇ、ははうぇ、……」


「…かーりゅぅ、かしゅぺりゅぅ……りゅしあん!ぶりゅーにょ!」


「ちちうぇっちちうぇ!うぅ、ぇっぇっ、ぐっ、うぅぅ」


 

 もう完全に泣いている。

 なんだか、胸が締め付けられるように苦しい。

 袖口で涙を拭いて顔を上げると、あの時のようにまた、ぼんやりと何かが見えてきた。

 心細かった私は早足で近付いて行く。



 どれ位進んだのか、少しずつ前に引っ張られるような……違う、が、よく分からない。

 しばらくすると、目の前が急に明るくなって思わず両腕で顔を隠す。と、ぐいっ!と体が引き寄せられる。

 周りがぐるぐると景色を変える。どれも知っている場所だ。そして気付いた。

 私は何かに()()()()()()()()



 あぁ…あぁ、わかった。これは、私だ。ここは、私の心だ。

 私は私の中に吸い込まれている。


 意識が重なっていくのが分かる。

 あの時の、逆行前の私に……重なって、いく。




 

 私は色とりどりのローゼリアが咲き乱れる、美しい花園にいた。

 少し先には、綺麗にセッティングされたティテーブルやイスがある。

 いつまで待たされるのかと思いながら、1人突っ立っている。



 今朝目覚めて身仕度が終わった頃、久しぶりに家令が私の部屋へやってきた。

 何年ぶりだったか、少し老けたか?

 いや、何年は言い過ぎか。



「おはようございます。若様にお伝えする事がございます」


「……なんだ」


「本日、登城するようにとの御達しにございます」


 一瞬驚いたが、すぐに納得した。

 私はもうすぐ十三才だ。そろそろ呼ばれると思っていたからだ。準備をしていて良かった。


「誰からの『御達し』だ?」


「王子殿下からにございます」


「…へぇー」


 三才上の従兄殿下だ。

 ()()()()()()()()()()()

 が、今は置いておく。


「いつ?」


「出来るだけ早目にと」


 今まで十年以上時間はあったが、今日は急ぐのかと皮肉に思う。


「では用意を」


 そのつもりで来ていたのだろう。

 家令が何人かの男性使用人を部屋に入れた。従者のようなお仕着せをきているが、私に従者はいない。

 その者達が、あっという間に私を着替えさせ髪を整える。

 濃い金の髪に澄んだ濃い緑の瞳。鏡に映る私は王族のように見えた。

 気に入らないが仕方がない。


 「参る」


 振り返りもせず、扉に向かう。

 家令と使用人達は一礼すると、黙って付いてきた。

 エントランスホールに着くと、使用人達がずらりと並んでいた。


「本日は、こちらの者達が若様に付き添いますので、」

 

「いらん。馬車の体裁が整えばよい。一人で参る。護衛もいらん」


 家令の言葉を途中で遮る。

 私が公爵邸で、便宜上であっても会話をするのは、この家令だけだ。それでも5分も一緒にいた事はない。今日は最長だな。

 だというのに、得体えたいの知れない者達と長時間一緒にいるなど、不快でしかない。

 護衛?守るというのか、私を?

 馬鹿馬鹿しい。


「やり取りが必要なら私がやる」


「……は。では、そのように」


 しぶしぶと家令が頷く。

 気にせず、さっさと馬車に乗る。

 

 馬車は軽快に進み、程なくして城門を通過する。馬車に付いている紋章で問題ないのだ。

 馬車を降りると、執事と侍従が護衛騎士二人と待っていた。

 案内するという。二人がそっと辺りを伺っているようなので、先に教えてやる。


「従者も護衛もいないので、気にしなくてよい。私一人だ」


 執事と侍従が驚愕する。護衛騎士二人も目を見開いている。普通の反応だと思う。

 ちなみにこの護衛騎士は近衛騎士だ。

 セルリアン王国では、王城の全ての守りは近衛騎士団の管轄だ。そして私は、近衛騎士団団長の子息でもあるわけだ。彼等の上司の。


 通常、貴族の子息が従者も護衛も連れず一人で行動するなど有り得ない。ましてや、一応『王弟公爵閣下の令息』なのだ。

 最初に見た時、少し不遜な感じがしたが今は戸惑っているようだ。どうでも良いが。


案内あないを」


「っ、はい。こちらでございます」


 声を掛ければ、すぐに立ち直り執事が先導をする。侍従と護衛騎士二人は私の後ろに付いている。


 回廊の途中で鮮やかな青が目の端に映った。

 思わず向けた視線の先で、青いローゼリアを背景に二人の人物が見えた。

 後ろでかすかに息を飲むような気配がしたが気にしない。

 あぁ、やはり。と、思った。

 それだけだ。

 視線を戻し淡々と進む。

 やがてローゼリアの花園に着くと、執事が礼を取り告げる。


「こちらでお待ち下さいませ。間もなく殿下がお出ましになられます」


「相分かった」


 執事と侍従は後ろの方に下がり、ややうつむいて静かに控える。護衛騎士二人は執事達の後ろに立っている。

 それから、およそ一時間。そろそろ目を瞑っていても花園の写生ができそうだな、と考えているとようやく声が掛かった。


「待たせたようだな」


 穏やかな若い声がした。

 振り返ると、濃い金の髪に濃い青の瞳をしたそっくりな顔の2人がいた。内一人は星屑だ。


「これは失礼を」

 片膝をつき頭を下げる。

 改めて挨拶の言葉を続ける。


「王子殿下、王弟閣下、()()()()()()()()()()()。本日はお呼び出しに従い参上致しました」


 何も反応がないが、私にはそれ以上口にする言葉はない。

 しばらくたって王弟閣下が口を開いた。


「なぜに名乗らぬ。不敬であるぞ」


 低い声が不快さを隠さずに私に届く。

 これが生まれて初めて、父親と思っていた人に掛けられた言葉だ。


「これは大変な失礼を。しかしながら、己のものかも分からぬ、しかも使った事もない名を名乗るなど、却って不敬かと」


「…なんだ、と?」


「アルブレヒト?、これは……」


 私は頭を下げたまま何も言わずに、待つだけだ。


「どういう意味だ。分かるように説明せよ」


 思わず笑いそうになった。

 分かるように?

 いつか何かの本で読んだ事がある。

 曰く、やった方は忘れる。やられた方は忘れない。その通りだ。


「どういう意味も何も、言葉の通りにございます。生まれてこのかた、名を教えられた事も呼ばれた事もございませぬゆえ。ましてや使った事など、一度もございませんでしたので」


 二人が息を飲んだのが気配で分かった。


「……自分の名を、知らぬと、言うのか?…それに、自分の父親になぜ『初めて』なぞ言うのか?」


 怯えるような小さな声で、王子殿下が呟く。

 「信じられない!」と、心の声が聞こえる様だ。



「名は存じております。系図を確認いたしましたので。ですので、年齢も存じております。

 初めて……は、言葉の通り、私の記憶にある生後半年からにございますが、対面致しましたのは今が初めてにございますれば」



 片膝をつき下を向いているので、二人がどんな表情をしているのかは分からない。

 唖然?呆然?……私には関係ないが。

 はぁ、このやり取りがまだ続くのだろうか……


 やっと殿下が口を開く。


「……系図?」


「三才の時に。自分は『何なのか』判らなかったので。本で系図を知り、図書室を探したらありました。生まれた年月日を見て、おそらく己の事だと思いました」


 二人共無言だ。

 こんな事を説明して何になる?

 さっさと要件を終わらせて欲しい。


「それで、本日呼び出されたご用件は、何でしょう」


 少し待って、殿下が話し出した。


「……私は先日十五才を迎えた。三ヶ月後には立太子の式典を行う。そこで立太子に伴い、そなたに私の側近になってもらいたい」


 内容は想定内だった。

 溜め息を飲み込み返事を返す。

 どうやら退出するまで、片膝を付いたままで居なければいけないようだ。


「それは、おめでとうございます。けれども、側近の儀は謹んで辞退させていただきます」


「な、なぜだ!?」


 王子殿下は、分かりやすく驚いているのが伝わるが、隣からもまた分かりやすく威圧を感じる。……よく似ているものだ。

 私が喜ぶとでも思っていたのだろう。迷惑な。


「なぜ、と言われましても。忠誠も誓えぬ私のような者が、殿下に必要だとは思えないからにございます」







 ぐらぐらと、頭が揺れる。目の前が暗転し景色が変わる。



 叫び声が聞こえる。


「団長がっ!バッカス団長が!重傷を負い戦線を離脱されました!!」


「何だとっ!間違いないのか!?」

「間違いございません!今、騎士達に運ばれ本部に向かっております!」


 私は伝令に向かって怒鳴りながら、確認する。


「団長が本部に到着次第、私が戦線に出る!

今前線にいる部隊は、一旦引き揚げるように伝令を!部隊長達は、そのつもりで準備をいたせ!」


「はっ!」


 伝令の騎士が身を翻し、前線へと戻っていく。ここは黒の森の入口付近。遠征の為、幾つもの天幕が並び立つ。

 その中、本陣の天幕へ地獄の様相を呈している前線からの報告が、次から次に入って来る。

 ほとんどが主だった者の戦死報告だ。



 今回、王立騎士団が黒の森に遠征して早半年。もう少しで近衛騎士団と交代という、そんな時期だった。かなりの大物とち当たったのは。

 そいつとの戦闘に入って既に一ヶ月、今日は団長が前線で指揮をとっていた。



 小一時間程経った頃、即席の担架に載せられて団長が戻った。

 一瞬、喉が詰まって声が出なかった。


「副団長!!」


 はっとした。


 バッカス団長は、鋭い爪で右の耳の下から顎を掠めるように、左の頬下まで深く切られ、左足の膝から下がなかった。身に纏っていた装備も、その下の騎士服もぼろぼろだった。

 兜は担架の横で副官が抱えていた。



「スーザ砦に早馬を出せ!!応急処置をし、大至急団長をスーザにお連れせよ!!」


「はっ!」


 

 医療用の天幕に運ばれたバッカスは、ぼろぼろの装備と血に濡れた騎士服を脱がされていた。


 簡易ベッドの横にあるイスに座ると、バッカスの大きくて硬い、がさがさとした手を握った。今は力なく冷えているその手に、自分の熱を移すように力を込める。


 耳の下から付けられた長い傷は、止血され包帯で巻かれている。呼吸は安定しているが、血が流れ過ぎている。


 バッカスの従者が身を清め着替えさせたので、今はパリッとした騎士服を着ている。

 バッカスはいつも騎士服だ。もちろん寝る時も。冗談かと思ったら本当だった。

 理由を尋ねたら「いつ何時何事が有ってもこれならば直ぐに動ける」と、豪快に笑っていた。

 これで伯爵家当主なのだから、開いた口が塞がらないとは、この男の事だ。

 従者の苦労が偲ばれる。

 


 ふと、バッカスが目を開いた。


「師匠、気分はどうですか?」


「……レオニード?……そうか、私は……

 獣にられたにしては悪くない」


 ニヤリと笑い、私の格好を見て真顔になる。

 顔色は非常に悪い。


「お前が出るのか」


「はい。私がちゃんとり返してきますから、団長は安心してベッドで休んでいて下さい。

 くれぐれも、鍛練場で剣を振りながら休まないで下さいよ?」


 この男は以前討伐で左腕を負傷し、医師に安静を言い渡されたが、不満そうにしていた。

 すると案の上、少し目を離した隙にベッドからいなくなっていた。

 なんと、鍛練場で片手で素振りをしていた。

 叱りつけると、左腕は動かさず『安静』にしていたから大丈夫だとのたまった。



「はははっ。そんな事あったか?……だ、大丈夫だ。ちゃんと横になってる。弟子を安心させるのも師匠の役目だ」


 誤魔化すように、サイドテーブルにあったカップを手に取り、ぐいっと煽り飲み干した。

 何か、甘いような独特の香りがする。


「それは?」


「ん?医師が持って来た。何でも痛みの感覚を麻痺させる薬が入った茶だそうだ。顔の傷は痛みを強く感じるから、ある程度痛みが引くまでは飲め、とな。話せるなら私は何でも構わない」


 はぁーっ、と息を吐くと遠くを見つめる。


「なぁ、レオニード。お前はさ、もっと自分の事を甘やかしてやれ。あいつはもうすぐ()()()()()んだろ?

 一発くらいはちゃんと殴っとけ。

 それが息子の礼儀だ」


「……師匠」


「私は、お前の親代わりのつもりだからな。

 本当の親にはしっかりしてもらわないと困るだろ?」


 本当にこの人には敵わない。どこまで知っているのかと考えて、全てわかっているのだろうと思う。


「ちゃんと『ただいま』と挨拶に来るのだぞ。待っているからな」


 騎士見習いとなり師匠に付いて、師匠の屋敷で過ごすと決まった時に言われた事がある。

 『出先から帰ったら必ず、ただいま戻りましたと報告しろ』と。

 それから私は師匠の屋敷に帰ると「ただいま戻りました」と言うのが習慣になった。今なら分かる。

 私に、帰る場所をくれたのだと。


「もちろんです!必ず」


「ん。それで良い」


 青ざめた酷い顔色をしているが、師匠はしっかりと私の目を見て言った。


「頼んだぞ、副団長!武運を祈る!」


「はっ!お任せ下さい!

 行って参ります!」


 私はさっと立ち上がり礼を取ると、踵を返し退出した。



 本陣の天幕に戻ると、出陣の準備は終わって部隊長達が整列し待っていた。

 腹から声を出す。


「これより出陣する!前線から戻った道の分かる者は案内あないせよ!!」


「出陣!」「出陣!!」

「参るぞ!!!」

「はぁっっ!!」




 鬱蒼とした薄暗い森の中。

 鋭い爪と重い長剣がぶつかり合い火花を散らす。その巨体からは想像も出来ない程の、素早い跳躍と長く伸びてくる両の爪。

 ともすれば、防戦一方になるのを何とか踏みとどまり、爪をかわし肉を削ぐ。

 お互いに首を狙うので、兜は既に頭には無い。


 対峙して、もうどのくらい経ったのか。

 体中の血が滾り耳のなかで、どくどくと轟音を立てている。ギラギラと黒く濁ったまなこと睨みあったまま、じりじりと少しずつ間合いを縮める。


 

 むせ返るような血の臭い。

 立ち込める人と獣の死臭。

 地面の中から沸きでて、肌の上をずるずると這い上がってくるような、怨毒えんどくの塊。

 逃げ出したくなるような張り詰めた緊迫感。

 今にも飛び掛かりたくなるような闘争本能。

 血が、沸騰する、命の、瀬戸際。



 額の汗が一滴、落ちた。

 刹那。



 鋭い爪が命を刈り取ろうと首を目掛けて襲い掛かる。

 ぎりぎりでかわすが、右の蟀谷こめかみから顎までざっくりと切られる。

 吹き出る血が目に入るままに瞬きもせず、渾身の力を込めて長剣を下から斜め上へと振り上げる。


「はあぁっっっ!!!」


 ザンッ!

 鈍い音を立て長剣が獣の首を跳ね上げた。







 ぐらぐらと、頭が揺れる。目の前が暗転し景色が変わる。



 風が、頬を撫でた気がした。

 ゆっくりと意識が浮上する。

 ここは……。あぁ、王城の医務室だ。

 ずっと眠っては目覚め、眠っては目覚めと繰り返していたが、久しぶりに頭がすっきりしている。ようやくだ。


 ベッドの上で上半身を起こす。

 大丈夫なようだ。拳を握る。爪先に力を入れ両足の指を曲げる。

 ほっとした。とりあえず体は無事だ。



「確認は終わったか?」


 窓際に立ち、青い目を少し細めながら苦笑いする、背の高い壮年の男。


「体調はどうか?」


 深く息を吸いゆっくりと吐く。


「なぜ、ここに?」


「副団長への連絡と、少し…話がしたかった」


 心臓が、少し煩くなった気がしたが気付かない事にする。



「副団長への連絡とは?」


「……今朝、バッカス騎士団長が息を引き取った」


 ひゅっ、と息を飲む。

 目を閉じ、両の拳を握り締める。

 歯を食い縛り、喉が唸る。


 しばらくして体から力を抜き、ゆっくりと深呼吸をする。

 そして、やっと目を開ける。


「覚悟はしておりました」


「お前に、遺言がある」


「はい」


「『その男に全ての思いをさらけ出せ。そして気が済むまで殴れ』だ」


「くっ!あははははっっ、うっつぅ!」

 

 師匠!あなたはそういう人だった!!

 りにって、この人に言うなんて!!

 そういえば、出陣前に「息子の礼儀」とか言っていた。悲しい気持ちは霧散していた。

 どころか、笑いが込み上げてくる。



 『その男』は、苦り切った顔をして笑い続ける私を見ている。


「それ以上笑うと傷が開いてしまう」


 心配そうにそう言う男に、もう嫌な思いは何も感じなかった。

 深呼吸し、何とか笑いを治める。


「大丈夫です。ちょっと深めに顔の上から下まで切られただけで、すぐに治ります」


 良かった。普通に話せた。

 安心した。

 そして、師匠曰く誠実で一途なその男は。

 真っ直ぐに私を見つめ、言った。



「すまなかった。私の油断と見通しの甘さが、お前の人生を歪め、これ以上無い程にお前の心を傷付けた。本当に申し訳ない事をした」


 そして、深く深く頭を下げた。


「頭を、上げて下さい。……解毒が出来たようで、安心しました。

 依存性は無いといわれる薬でしたが、あまりにも長期間飲まされていたので」


「いや、本当に感謝している。心から礼を言いたい。ありがとう、おかげで人に戻れた」



「……私は、私は少し前まで、貴方と殿下は本当の親子だと思っていました。……辻褄が、合ったからです」


「っ!」


 私の言葉に、青い目を一杯に見開く。


「陛下と王妃殿下は表向きの婚姻で、内実は弟の貴方と婚姻関係にあったのではないかと。

 不愉快な話ですが、団長の、師匠の言葉もありますし、とりあえず聞いて下さい」


 無言で頷いたのを見て、話しを続ける。

 これは推測だったのですが、と前置きし、


「王妃は昔から、貴方に懸想し貴方を欲しがった。あの明言も彼女を避ける為だった。

 だが、上手くいかなかった。

 兄王子は彼女と婚姻したが、実質的に貴方が夫だった。陛下を盾に取り貴方を脅していたのでしょう。

 もうこの時には、陛下は薬を盛られていたのだと思います。

 後に王太子となる王妃の腹の子は、貴方の子だった。貴方はそれでも彼女を避け、臣籍降下をしようとしたが、妨害されていた。


 疲れていた貴方は逃げるように外交に出かける。丁度、エッカルドとの同盟の節目の二十年が近付いていた頃。

 王女と出会って、本当に恋に落ちたのでしょう。少なくとも王女は。

 エッカルドとの都合で、王子妃として嫁いだ王女は暫く王城で暮らしていました。


 王女に命の危険があったのでは?

 王妃にとって貴方の妃の座にいる王女は、抹殺すべき憎い敵。まずは孤立させた。貴方を王城に縛りつけて。

 この頃すでに、陛下は盛られ続けた薬の中毒症状が出始め、体があまり自由に動かせなかったのだと思います。政務は、もうずっと貴方が代行していた」


「王妃は貴方を脅し続けた。

 陛下を使って、王女を使って。


 王妃が子を孕んだ。

 けれど、自分の子だと言う訳にはいかなかった。建前上は陛下が夫だが、陛下は酷い不調が続いている。自分の不貞を疑われる訳にはいかなかった。些細な噂ひとつが命取りとなり得るからだ。

 王妃は貴方を餌に王女を脅し、赤子を王女に押し付ける事にした。

 自分の子とするより、王女が生んだ子にすれば何よりの嫌がらせになるし、もしかしたら()()()()()()()()()()()()()

 長男の王子は健康に育っているし、問題はない。王女は受け入れるしかなかった。


 自分の子でないなら、自分達を苦しめている女の子供なら、面倒など見るわけがないし放置される充分な理由だと思えました。

 それに、……王城で見掛けるあなた方は、本当によく似ていて、……親子のように睦まじく見えた。

 ですが……」


「十五才で成人し正式に騎士となった時、バッカス団長が私に言いました。

 『あいつはあんな濁った目はしていなかった、誠実で一途な男なんだ』と。


 そう言われて初めて思い出した。

 私は幼い頃、いつもエントランスホールの柱の陰から貴方を見ていた。従者や護衛の頭が重なって目と髪しか見えなかったけれど。

 でも、あの葬儀の翌朝の、あの眼差しだけは、脳裏のうりに焼き付いている」


「……私は、どんな目をしていたのだ?」


 静かに聞かれて思わず顔を向けた。

 深く濃い、澄んだ青い瞳。


「……あの時、初めて貴方を見た。

 真っ先に青い瞳が見えた。

 ……背中がぞくりとした。鋭く突き刺すような強い眼差し。凍えるような冷たく澄んだ濃い青」


「……団長の言った通りだった。 十三才で騎士見習いになり騎士団の仕事で、貴方を目にする機会が増えた。けれども幼い頃のように、ぞくりとする事はなかった。

 団長に言われて、初めてしっかりと思い返して、客観的に考えられるようになった。


 例え凍っていても澄んでいた瞳は、暗く濁っていた。それでまた気付いた。陛下に薬を盛ったなら、貴方にも盛った筈だと。


 貴方と殿下が親子だった、王女は私の母親ではなかった。貴方には王位を継ぐ、同じ青い瞳の息子だけがいれば良いと思っている。辻褄は、合っているように見えた。


 でも、それは私に、自分に都合が良いだけだった。それでも、可能性に気付いても。

 貴方が操られていると、認めたくなかった。

 貴方が苦しんでいるのを、認めたくなかった。

 貴方の行動が本心ではないと、認めたくなかった。

 ……貴方が『悪』であれば、私は()()()()無関心でいられる。


 時間だけが過ぎ、私は二十才になり副団長になった。それでもまだ、ぐずぐずと考えていた。


 今度の遠征に行く少し前、団長に言われたんです。気になるものがあるなら、白黒つけて来いって。今の黒の森は、そんな中途半端な気持ちを抱えて行って生き残れる甘い場所ではないぞ、って。

 そこまで背中を押されて、やっと私は覚悟を決め行動に移した」


「行動?……っ!まさか!?」


「貴方が今、思っている通りです。

 分からない事があるならば聞けば良い、知っている者に」


「殺されていたかもしれないのだぞ!?」


「はい。

 けれども私はいつも疑問に思っていました。

 何故生きているのか。

 何故両親の顔も知らないのか。

 何故いつも1人なのか。

 数え上げればきりがない。私の人生はいつも何故が付きまとう。その何故が、答えが解るのなら身の危険など些末な事だった。


 真夜中を待って王妃の寝室に忍び込みました」


「っっ!」


「近衛騎士団長の前なので、詳細は省かせて頂きます。が、……結果、全部吐きましたよ。何もかも。あの毒のような女が知っている事は全部。実家の悪事まで。

 それで陛下と貴方に盛っていた毒と薬が特定出来た。


 そしてはっきりと聞きました。

 王太子殿下はベルンハルト国王陛下の子であると、貴方とは一切そういう関係は()()()()()()と。

 自分の太腿に剣を立てたそうですね?

 あの女は随分と悔しげに私を睨み付けていましたよ」



 あの毒女、王妃の悔しげな顔を思い出しながらニヤリとする。

 父上は、驚き過ぎてか口を開けて私を見ている。貴重な表情だ。



「……なんとっ!よくあの女が口を割ったものだ。お前は凄いのだな」



 内容が内容なので自慢出来る事ではない。

 だが、父上に感心したように凄いと言われると、なんだかくすぐったかった。

 年甲斐もなく、胸を張りたくなる。



「そんな事ないです。

 ……ああいう、人を脅したり薬を使ったり、あるいは権力に物をいわせたり。そういう人種は自分の痛みや脅しには物凄く弱いものだと、聞いた事があった。

 その考えはしっくりきました。

 

 なので、あの毒女が大好きな薬と脅しで、徹底的に恐怖を煽ってあげました。


 本当にあっさりと話し出したので、薬は必要なかったのですが、自分の意思と反する事を無理矢理させられるのががどういう事なのか、その身を持って思い知らせてやりたかった。

 二度と、他人を思い通りになど出来ないと思いますよ」


「まぁ、今は廃人のようになっているからな」


 二人で顔を見合わせて笑った。

 父上は姿勢を正し私を真っ直ぐに見た。



「お前の推測はその殆どが事実と合っている。

 が、断じて違う事がある」


「この命に懸けて誓う。

 レオニード・フォン・ローゼリアは、アルブレヒト・フォン・ローゼリアとシャルロッテ・フォン・ローゼリアの息子であると」


 私の両手を取る父上の、濡れて光る青い瞳が優しく揺れている。


「お前は、私とシャルロッテの唯一人の愛する息子だ」


 父上はベッドの端に座ると、私を強く抱き締めた。その腕の中は、硬く熱く揺るぎ無く、そして強かった。


「父上、私は……」



 ガァンッッ!!ドスッ!!


「うっ!!」


「父上!?」


 衝撃音と同時に扉が打ち壊された瞬間、父上の背に剣が突き刺さっていた。

 あまりの事に動揺する私と違い、父上はゆっくりと体を起こし扉へと体を向けた。


「……エッカルド国王ヴィルヘルム」 


 父上の声にはっとする。

 扉の方を見ると、父上と同年代の険しい顔に、深い皺を刻んだ男が、一人立っていた。

 

 私はベッドから立ち上がると、立て掛けていた自分の剣を取り鞘から抜き構える。

 だが、その男、エッカルド国王の目は父上しか見えていないようだった。

 狂気を孕んだその目は刺す様に、父上を睨み付けている。


「久しぶりだな、すぐにあの世へ送ってやる。妹の仇だ!」


「まだ、そんな事を言っているのか!私がロッテを殺す訳がない!!」



 剣を振り上げ躍り掛かってくる男を、父上が軽くいなし、男が体勢を崩した所を私が肩から腹に向かって斬り下ろした。

 男がうつ伏せに倒れ息が無いのを確認し、念の為落ちた剣をベッドの下へ蹴り入れた。

 何故たった一人でやって来たのか理解に苦しむが、今はそんな事はどうでも良かった。



「父上!父上、大丈夫ですか!?」


「…レオニード。私は、大丈夫、だ」


 言いながらもくずおれる。父上の顔は青ざめその手は氷のように冷たい。

 騒ぎを聞きつけたのか、騎士達が雪崩れ込んできた。


「医師をっ!!」


 父上は急ぎ別室に運ばれ、医師達が懸命に治療をしている。


 私はとりあえず寝衣から騎士服に着替え、剣帯と剣を装着し身仕度を整える。

 何気無く鏡を見た私は愕然とした。


 どういう事だ!?

 ()()()()()()()()()()()()!!?


 嫌な予感がして部屋を飛び出し、父上が治療されている部屋の前に立つ近衛騎士を、掴み掛からんばかりに問い詰めた。

 

「一体何があった!?殿下は無事か!?」


「っ!はっ!謁見中のエッカルド王国の使節団が突然襲撃してきて、……国王陛下、王太子殿下は、せ、逝去されました!」


「我々は王弟閣下の指示を仰ごうと……」


 父上!!

 私は力任せに扉を開けると、父上のベッドに飛び付いた。

 部屋にいた医師達は、私の威勢に驚きながら、退出して行った。



「父上!しっかりして下さい!」


 父上は疲れたように、ゆっくりと瞼を開けた。

「あぁ…、レオニード。お前が無事で良かった」


 青い瞳には力がなく眠そうで、ゆったりした口調で私に語りかけるように話す。



「レオニード……もう少し、お前とゆっくり話したかったが、叶いそうにないようだ。

 私は随分と時間を、無駄に…した。

 お前…は、すきに……生きて、欲しい。

 ……国など、気に、する…な」



 私は、次第に力を失くしていく父上の言葉を聞き逃さぬように、必死にその手を握り身を乗り出して、父上を見つめる。



「これだけは、話しておかなければ……

 シャル、ロッテは、お前の母上は、王妃の…仕打ちの……せいで、心を壊して、いた」



 父上は反対の手を震えながら持ち上げると、私の頭に載せ優しく撫でた。



「お前を……うとんで、いた…訳では……断じ、てない。

 ははを、守って……やれなかった……。

 腹に、いた…お前に、ふたりで……レオ、ニー……ドと、なづけ、た。

 ……生まれて、くる…のを、とても……たの…し……いた」



 父上は話せた事にほっとしたのか、小さく息を吐くと、零れ落ちる涙に瞬きもせず私に語り続けた。



「……いつも……抱き…締めて、やり…た…か……

 あたま……な…でて、やり……た……

 あいし……て……いる。

 わた、し…の……レオ、ニー…………」



「…ちちうぇ、ちちうぇ、っ!!」



 父上の手が頭から落ちた。

 そんな!

 私の握る父上の手は、まだこんなにも温かい。お顔は、眠っているようにしか見えない。


 お呼びしたら、もう一度その瞳を見られるのではないか?

 もう一度名を呼んでくれるのではないか?



「父上、父上、お願いです。初めてのお願いです。もう一度だけその瞳をお見せ下さい」


「お願いです……父上、もう一度父上の瞳が見たいのです。もう一度だけ、名を呼んで頂きたいのです」


「……もう一人は嫌なのです!」


 ちゃんとわかっている。

 涙はぽろぽろ零れて止まらないけれど、悲しくて悲しくて堪らないけれど、父上の為に泣けた事が嬉しくもあった。



「父上!うっぅぅ!父上!

 いつも、父上と、お呼びしたかった。

 私の父上だと大声で叫びたかった。

 なぜ、私を見てくれないのかと……


 ……父上の胸を叩いて…、詰って……!

 あああああぁぁっっーーっ!!!!!」



 

 大声を上げひとしきり泣いて、父上の穏やかに眠るお顔を見つめ、私は段々と落ち着きを取り戻した。



 治療の為に脱がせていた、父上の騎士服の上着を丁寧に着付け、ベルトや剣帯も全て装備する。セルリアンブルーのマントは畳んで、枕元にそっと置く。

 濃い金の髪を、手で撫で付け整える。


 胸の上に父上の長剣を置き、その上から両手を組ませる。


「もうすぐ、クリフォード達が来るでしょう。

 父上の事だから、強引に無理矢理お一人で来られたに違いない。

 皆が公爵家に連れ帰ってくれます。アーベルもあの無表情で、ずっと父上を待っているはずです。きっと酷く叱られる事でしょう。


 用事が終わったら、私もすぐに追いかけますからね。ご安心下さい」



 ベッドから一歩下がると、騎士の礼を取る。


「セルリアン王国王弟アルブレヒト・フォン・ローゼリア公爵閣下!

 王国民の為にその一生涯を捧げられた。

 閣下に心からの敬愛と感謝を!」



「不甲斐ない息子で申し訳ありませんでした。

 また来世も、どうかあなたの息子にして下さい。母上にも宜しくお伝え下さい。

 ゆっくりとお休みを、愛する父上」



 父上の額にキスをすると部屋を出た。



 静かに扉を閉めると、私は王城の最奥にある白いローゼリアの咲く庭園に向かった。

 城内は控え目に言って乱戦状態だった。

 乗り込んできたエッカルド軍も、迎え撃つセルリアン側も、指揮する者がいないのだから仕方がない。


 国王陛下と王太子殿下が逝去、と言っていたが、二人共使者の振りをしたエッカルド軍に襲撃され殺されたのだろう。


 エッカルド国王は私が殺した、あの男だ。

 父上に剣を投げつけ殺した男。


 王妃は国王と王弟に薬と毒を盛り続け、王太子はいつも誰かに寄り掛かり意志薄弱。

 国民に脅威を与える狂暴な獣は、国を喰らい尽くそうとする勢いで増え、今頃はもう溢れているだろう。


 黒の獣の討伐で、王立騎士団の団長は戦死、副団長は負傷し倒れ、近衛騎士団の大半は黒の獣討伐で不在。

 王妃は何者かに廃人にされ、同盟の更新時を狙って隣国エッカルドが騙し討ちし侵略。

 国王、王太子、王弟の殺害。侵略側の国王も殺害された。

 そしておそらく、王太子が死亡した時に私の瞳が星屑になったのだと思う。



 そんな事が出来る力を持ち、かつ実行出来るのは、一人しか思い浮かばないし間違いないだろう。


 視界の邪魔になる顔の包帯をむしり取る。

 私の行く手を邪魔する輩を容赦なく屠り、やっと目的の場所に到着した。


 

 美しいローゼリアの庭園。

 ここは八百年以上の昔、建国王と女神の娘が出逢った場所であるとされている。

 真偽など知らないが、伝説ではこの庭園の泉のほとりで、いつも王国を見守っているらしい。

 今、その畔に着いた。



「ずっと見ていたんでしょう、女神の娘よ。

 姿を現したらいかがです。

 すっかり滅びてしまうまで、もう少し待ちますか?

 それとも、早く滅亡させる為に最後の一人を殺しましょうか?」

 



 

お読み下さりありがとうございますm(_ _)m

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