父上が帰ってこない 4
ルシアン視点はここまでです。
宜しくお願い致しますm(_ _)m
**ルシアン視点②**
それから騎士様は私を連れて、訓練場の隣にある大きな建物へ向かった。
近衛騎士団の本部だと教えてもらった。
騎士様の執務室に着くと、改めて自己紹介されて私は驚きのあまり、目と口を大きく開けたま動けずにいた。
私が物語の騎士様だと思っていた人は、なんと第二王子殿下で近衛騎士団長様だった。
今日は団長様がいらっしゃると聞いたので、勢いもあって「近衛騎士団長様!!」と、確かに叫んだけれど、まさか本当にいらして下さるなんて思いもしなかった。
団長(団長様と呼ぶと嫌そうに様はいらないと言われた)は、私に説明をして下さった。
伯爵家には戻らなくても良い事、騎士団の見習いとして騎士団の宿舎で暮らす事、十三才になったら騎士見習いとして一人の騎士に付き修練を積み、十五才の成人を迎えれば騎士の試験を受ける事が出来る事。
伯爵家の事は、団長が手配をするので何も心配はいらないと言われた。
私は座っていたソファーから立ち上がり、ソファーの横に立つと深々と頭を下げた。
「本当に、本当にありがとうございました。
心から感謝します。
これからは、先生と団長に恥じない様に、日々自分に出来る事を増やしていき、努力する事を怠りません」
「リヒャルトも約束を守れてほっとしているだろう。君はまだ十才だ。何かあればいつでも頼って欲しい。頑張れ!」
こうして私は騎士団の見習いとなり、伯爵家から逃れる事が出来た。
十才から十三才までの間、私は騎士団の雑用から団長の書類整理まで、ありとあらゆる近衛騎士に関わる事なら何でもやった。
本部と訓練場、王城の近衛棟、第二王子殿下(団長)の執務室、王立騎士団の黒騎士棟と……
王城の敷地内の近衛騎士団に関わる場所には、毎日の様に行った。
お陰で自然と色々な知識を吸収出来たし、人脈も出来た。
私の世界はあっという間に広がった。
そして十三を迎えた日、私は団長からある部隊長を紹介された。
「部隊長のユリウス・ギルフォードだ」
「私はルシアン・スタリオンと言います。
騎士団の見習いです」
きちんと礼をとる。
「ま、顔見知りであるとは思うが最初はな。
ルシアン、今日からギルフォード部隊長が君の師匠となる。これからは、騎士見習いとしてしっかりと修練に励む様に!」
私が、騎士見習いに!
「はい!
一心不乱に修練に励みます!
ギルフォード部隊長、どうぞ宜しくお願い致します!」
「良い意気込みだ。私は厳しいぞ、覚悟は良いか?」
ギルフォード部隊長が、私を正面から真っ直ぐに見てくる。その強い眼差しに負けない様に視線を合わせて返事をする。
「もちろんであります!!」
ギルフォード部隊長は満足気に頷き、団長に向き直る。
「本日より、わたくしユリウス・ギルフォードが、ルシアン・スタリオンを近衛騎士となるべく指導致します!」
「うむ。宜しく頼む。
ルシアン・スタリオン、君が近衛騎士となる日を待っている。励め!」
「はい!」
やっと私は、騎士となるスタートラインに立ったのだ。とても嬉しかった。
ギルフォード部隊長、師匠はとても厳しい方だったが、私は必死で食らい付いた。
毎日へとへとになるまで、訓練、訓練、訓練の繰り返し。当たり前だが死にそうだった。
宿舎には湯を浴びて寝るだけ、最初の一年は食事さえ何を食べたのか記憶になく、訓練漬けの毎日だった。
そんな日々を一年半ほど過ごした頃、師匠が実家の用事があるとの事で、騎士見習いになって初めて一日休みをもらった。
何をしたら良いのか分からなくて、宿舎の裏庭で素振りをしていたら、長く伸びた髪が邪魔に思っていた事を思い出し、髪を切りに行く事にした。
宿舎の管理人をしているクラウドさんに聞いた、お薦めの店に向かう。
入った店は、ちょうど客が切れた時間だったらしく、すぐに案内された。
が、椅子に座り正面の鏡を見て驚愕した。
誰だ、これは!?
私が固まっている間に準備は終わり、店に入った時に注文した通り、店主が近衛騎士が好む短髪にカットしていく。
私は呆然と鏡を見つめていた。
思えば日々を生きる事に必死で、鏡を見る余裕など全くなかった。
今鏡に映る自分の姿に、十才で伯爵家を出た時の面影はどこにも無かった。
その事が無性に嬉しかった。
自分が頑張った証の様に思えた。
どこからどう見ても、財務官僚になる様には見えないし、スタリオン伯爵家の誰にも似ても似つかなかった。
何か、体に纏わり付いていた見えない蜘蛛の糸のような物が、綺麗さっぱり消え去った気分だった。
次の日師匠から『良く似合っている。顔付きが変わった。良い目をしている』と言われ頭をぐりぐりと撫でられた。嬉しかった。
騎士見習いになって二年が経った。
師匠から、次の騎士試験の受験票を渡された時は、信じられなかった。
師匠は、お前なら大丈夫だ、と言って背中を叩かれた。夢まであと一歩。
まずは実技の試験が行われる。
今回の試験には、およそ百人ほどの受験生がいる。試験自体は、年に数回行われるが一人が受験出来るのは年に一度のみ。
だが、師匠から推薦を受けての試験なので、不合格になる者はほぼいない。それほどに、師匠は皆厳しいし修練は過酷だ。
近衛騎士は王城が主な管轄ではあるが、もちろん黒の森へ討伐の遠征にも行く。
だから、騎士への道が極めて厳しい事は、当たり前の事なのだ。
試験は騎士としてのマナーから始まり、最後は現役の騎士を相手に、試験官から「止め」の声が掛かるまで模擬戦をする。
私の相手の騎士は、かなりの大柄で上から見下ろされると、その威圧に飲まれそうになる。
だが、黒の獣はもっと巨大だし威圧だって人間とは、比べようもないはずだ。
騎士の打ちつけてくる重い剣を、歯を食い縛りながら受け止め、流し、後ろに下がろうとする足を、必死に前に出し攻撃を仕掛ける。
無我夢中で剣を振り体を動かした。
「止め!」の声が掛かり、はっと意識が現実に戻る。後ろに数歩下がり、相手と距離を取るとお互いに礼をする。
と、途端に周囲の音が聞こえてきて驚いた。
皆が興奮し、歓声を上げていたのだ。
控えの場所まで戻ると、師匠がいた。
「良くやった。ローガンの剣を、あそこまで受け止めながら攻撃も仕掛けられるなど、新人にはなかなかいない。私も鼻が高かった」
初めて師匠から誉められた。
今までどんなに頑張っても必ず叱責された。
『頑張っている』と自分で意識している内は、ただ『頑張っている』だけ。そこに騎士としての成長は無い、と。
どんな事でも、やる以上頑張るのは当然の事だ。それを胸を張って、頑張っていると自ら言うのは、確かに騎士としては情けない話だ。
今日の模擬戦は、何も考える余裕はなかった。ただ今までの訓練を信じ一心不乱に体を動かした。
これまでの訓練の成果が、ちゃんと自分の体に刻まれていた事に驚くと共に、師匠と団長、そして先生に心から感謝した。
「師匠、ありがとうございます!」
「後は学科試験だけだ。あれは貴族の一般常識みたいな物だから、お前なら問題ない」
「はい。最後まで気を抜かず全力を尽くします!」
私は師匠に礼をとると、試験会場へと向かった。
学科試験の会場は、本部棟の最上階の隅にある専用の部屋だ。
外の音はほとんど聞こえない。
決して粗末ではないのだが、装飾などは一切無く簡素に机とイスが並べられ、その正面に試験官の机があった。試験官の机にイスはない。
私は背中に冷たい汗が流れるのを、白くなりそうな意識の中で感じた。頭の中から「逃げろ!」と幼い叫び声が聞こえる。
この会場は、あの大叔父と過ごした伯爵家の屋根裏の部屋とそっくりだった。
私は騎士試験に落ちた。
最初周囲は驚愕し、次いで腫れ物に触るように遠巻きにされた。話しかける者は師匠しかいなかった。
師匠には面目を潰した事を、誠心誠意謝罪した。そして、どうか出来れば来年も受験させて欲しいとお願いした。
師匠は、先生の話を団長から聞いていたらしく、だいたいの事情は把握していた。
私に何度でも挑戦すれば良い、と言ってくれた。だが、心の傷は自分以外どうにも出来ない事なので、あまり無理はするなとも言われた。
結果、私は師匠に甘えその後二回試験を受けて、二回共に学科で落ちた。
あの会場に入ると、否応無く幼い頃へと意識が戻ってしまう。
今や私は騎士どころか、人生までも諦めようとしていた。ぽっかりと心に穴が空いて、生きる道筋が見えなくなってしまった。
私は騎士見習いのまま過ごし、日々を淡々とおくっていた。
そんなある日、団長の執務室に呼ばれた。
執務室には団長と師匠がいて、とうとう騎士見習いを首になるのかと、他人事のように思った。
しかし話は、私が考えていたようなものではなかった。
なんと、団長のご子息であるローゼリア公爵家の嫡子、レオニード様の護衛にならないかという打診だったのだ。
レオニード様の事を話されようとする団長に、その前に質問させて欲しいと、大変無礼だが話を遮った。
私のような、伯爵家からほぼ勘当されている状態の、しかも前代未聞の騎士試験三回失格と、これ以上の醜聞がある者は中々いない。
そのような人間を、公爵家の嫡子に近付けるなど正気の沙汰とは思えない。
私が、しどろもどろに説明すると、なんと団長は声を出して笑われた。
「はははっ!
そんな事を心配していたのか。問題ない。
ルシアンには何も、不安も問題もないよ」
私の常識がおかしいのかと思ったが、師匠を見ると、「まったくこいつは……」と、ため息を吐いていた。
師匠が公の場以外で、団長に気安いのは近衛騎士の同期だかららしい。それにしても、怖いもの知らずだと思う。
「そんなだと、ルシアンの困惑が深まるだけだ。団長は実力主義でな。
気にする事は物事に誠実であるかどうか、だな。お前は護衛として、全部問題ないどころか理想的なんだよ」
理想的?私が?
「ルシアンは今、自信を失って落ち込んでいるけれど、君の事をちゃんと見ている者は沢山いる。
君の剣術の腕と、戦いに於ける勘は見事だし、無口だけれど人に対して冷たい訳ではない。むしろ親切や優しさをひけらかさない、謙虚な所に好感がある。
君はもっと自信を持って良いんだよ」
「うちのレオニードはね、とっても勇ましくて可愛い男なんだよ」
団長はにこにこと話し出した。
その話を聞きながら、私は目を白黒させる。
師匠は胡散臭げに団長を見ている。
いや、私も自分の事しか分からないが、一才になったばかりで、意思の疎通が出来たはずがない。しかも一人で移動?勇ましい、男?
「団長、そんな幼児いるわけないでしょ?
親ばかは公爵家の中だけにして下さいよ」
まったく、とため息付きで、師匠が団長にこぼす。
すると団長は、一瞬きょとんとしてから不思議そうに聞き返した。
「親ばか?まぁ、そう言われても仕方ない位には、レオニードが可愛いけれども、私も兄も同じような感じだったよ。むしろ普通だな」
「なん、だと……?本気か。え、王族の血を引いているからか。はぁーっ、それが本当なら、護衛がいないと大変な事になるな……」
凄いな、王族……。
「もし引受けてもらえるなら、一度レオニードに会ってもらいたいのだ。
これから長い付き合いになるから、本人同士で納得して欲しいしね。
どうだろう、やはり騎士の夢は諦められないかな?」
親ばかなんてとんでもない。団長は恐い位に鋭く冷えた眼差しで、私を見極めようとしている。直系の王族しか持つ事の出来ない、深い青。
私は臆する事なくその深い青を見返し、はっきりと告げる。
「護衛のお話、お受けしたいと思います。
ただ申し上げておきたいのは、騎士の試験に落ちたからお受けするのではない、という事です。
私が幼い頃、絵本や物語の騎士様に憧れたのは、強い事もありますが『弱い者だけ』を守るのではない所です。騎士は、全てを守る。
どんな人であれ、騎士様は差別も区別もしない。それは誰にでも出来る事ではない。
どんな苦しい状況でも、それを悟らせない。
それでも守る為に戦い、傷付いた人に手を差しのべる。
師匠の修練は、死にたくなるほど厳しく辛かったです。
けれども、それが師匠の優しさなのだと気付くのに、時間は掛かりませんでした。黒の獣に殺された、先生の話を聞いたからです。
どれだけ強い人でも、いつ何時危険に陥るか分からない。
その確率を少しでも減らし、一人でも多くの者を守る為に、弟子にも己にも怠る事無く、厳しい修練を課す。
その信念こそが、騎士を強くするのだと私は知りました。
私は先生や団長、そして師匠のお陰で伯爵家から逃げ出し、憧れの騎士になる為に努力する道を進む事が出来た。
厳しく辛い日々でしたが、充実し心躍る毎日でもありました。
今の私は前線に出て、黒の獣と戦う事だけが『守る』事ではないと知っています。
私が幼い頃に、私を守り導いてくれる人はいませんでした。
ご子息が何事も恐れる事なく、のびのびと日々を過ごせる一助となれるのなら、それは私が憧れた、どんな人も守ってくれる『強い騎士』になる事と、同義だと思えたのです」
「うむ。やはり君は私が思っていた通りの人物だ。私の息子を任せるに相応しい。
是非ともレオニードに会って欲しい」
先程の凍える様な眼差しが嘘のように、団長は優しく微笑んだ。
「うぅっ……うぇっ、ぇっ…」
「若様」
「ご、ごめ、ちゃいっ!
わた、しが、おしぇてぇって、いったかりゃ、りゅしあんに、つりゃいはなしを……」
大きな瞳から、大粒の涙をぼろぼろと零しながら、必死に言葉を続けようとする若様。
「いいえ若様、少しも辛い話ではありません。若様に出会えたのですから。
確かに、幸せな家に生まれたとは言えません。私にはもう、家族もいません。
けれども私は、きっと誰よりも『出会い』に恵まれた。
あの五歳の日、先生に出会えなかったら、こうして若様にお仕えする事は叶わなかった」
若様は泣き止んで、袖で涙をごしごし擦ると、潤んだ瞳で私を『きっ』っと見た。
「りゅしあんには、かじょく、いりゅっ!」
「え?」
「わたしは、りゅしあんのかじょく、いりぇてくりぇないの?」
涙が。
十才で枯れたはずの涙が、零れた。
零れて、零れて、止まらない。
なぜ……
「よしよし、りゅしあんは、えりゃかった。
よく、ひとりでがんばったねぇ。
もう、だいじょぶ。もう、りゅしあんはひとりじゃないかりゃねぇ。
ここには、かじょくが、いーぱぃいりゅかりゃねぇ。みーぃんな、りゅしあんのみかただかりゃ、つりゃいことは、もうないかりゃねぇ」
小さな小さな手が、優しく優しく頭を撫でる。
あの五歳の日に、泣きながら求めた母の手は幼い私を慰めてくれる事は、無かった。
誰かに助けて欲しくて、寂しくて一人ぼっちだった私を、今、この小さな手が救い出してくれた気がした。
「若様は、私の一番の大切な家族です」
目の前で、緑のローゼリアがぱっと花開く。
今度は私が、柔らかい濃い金の髪をゆっくりと撫でると「りゅしあん!」と、嬉しそうに抱きついてくる。ぷーっと膨れていた、まるい頬は笑顔に綻んでいる。
あの時、騎士試験に落ちたのは幸運だったのだと、私は思う。
幸運はもしかしたら、どこにでもあるのかもしれない。
しかし、誰にでも見付けられる訳ではない。
見付けられても、そうとは分からないかもしれない。幸運は時として、不運の様にしか見えない事もある。私のように。
幸運を見つけるには、自らの苦難を乗り越えなければならない。
そして、未知の道に足を踏み出した時、初めてその姿を目にする事が出来るのだ。
私は、そう思う。
私の不運の先に見つけた幸運は、濃い金の髪に澄んだ緑の瞳の可愛らしくも勇ましい、一才の幼子だった。
「ルシアン、もうすぐ交代の時間だぞ」
軽いノックと共に、カールの声が聞こえた。
いつの間にか眠っていたようだ。
昔の夢をみた。
師匠はお元気だろうか。
起き上がり、軽く身だしなみを整えると、部屋を出て共有スペースに向かう。
我々、護衛や従者の使う控えの間には、そんなに広くはないが、共有スペースがある。
男四人が充分寛げる位の広さがあり、居間として使われている。
小さいが簡易キッチンもあり、若様にお茶をご用意したり茶菓子等のストックなども準備されている。
何しろ若様のお部屋は三階にあるので、こういった備えは必須なのだ。
居間に入ると、カールが用意してくれたのか、テーブルに二人分の軽食が載っていた。
湯気のたつ、大きめのカップを両手に持ったカールが、微笑みながらカップをテーブルに置きソファーに座る。
「ちゃんと休めたようだな、お互い」
「全くだな。
本当に酷い顔をしてたからな、お互い」
二人して顔を見合わせて笑った。
軽食の礼を言って、二人で食べながら話す。
「さっき休んでいたら、
若様と初めてお会いした時の夢を見たんだ。まだそんなに経っていないのに、懐かしかった」
カールの言葉に、ふっと笑いが漏れる。
「やーのー、か」
カールも笑う。
若様が『若様』と呼ばれるきっかけとなった、カールとの初対面の時の話は公爵家では、知らぬ者はいない。
貴族の子息は大抵が『お坊っちゃま』と呼ばれる。若様は、それが嫌だったのだ。
しかし、あまりに可愛らしい抗議に、皆が笑ってしまい若様はご機嫌斜めに。
慌てて旦那様が、若様の意見を聞きながら決めたのが『若様』だ。
若様の猛抗議は、名台詞と共に公爵家に語り継がれると、カールは言っていた。本気なのか冗談なのか判断に悩む。
その若様の猛抗議の台詞とは、あれだ。
『おぼっちゃまは、やぁ~のぉ~!!』
若様はいつもどんな事にも、真面目に真剣に取り組むのだが、とても可愛い結果になってしまう。
一番人気は、朝のお見送りだ。
初めてお見送りをされた日、旦那様は堪えきれず、早々に馬車に乗ってしまわれたらしい。お付きの従者や護衛達は、鍛練よりもよほど身体中の筋肉か鍛えられたと、大好評だ。
若様付きの私達は若様が一才になり、お一人で歩けるようになってから、公爵家に来たので当時(若様が生後半年ほど)の事は人伝だが、若様は今も旦那様のお見送りをされている。
あのお気に入りのアルコーブのガラス窓に、愛らしいお顔を張り付けて。
若様の中では、多分こっそりと。
そのような事をカールと話しながら、軽食を食べ終えそろそろ行こうかと言っていたら、ブルーノがあわただしく入ってきた。
「急いで若様の寝室にきてくれ!
私はこのまま旦那様方をお呼びに行く」
言い捨て、急ぎ足で出て行った。何事かと、私達も急いで若様の寝室へと向かう。
寝室の扉を開けた途端、若様の泣き叫ぶ声が響き渡った。
「ちちうぇ~、ははうぇぇ~……ぇぐっ……」
驚いてベッド脇にいたカスペルを見ると、首を振り、若様の涙を拭っている。
「……かーりゅぅ、かしゅぺりゅぅ……いにゃぃ~、りゅしあん、りゅしあん!……ぶりゅーにょぉぉ~ぅぅ」
夢の中でお一人で、恐くていらっしゃるのだ!カスペルが若様の肩を揺すって、声を掛けているが、目を覚ます気配はない。
旦那様と奥様が、あわただしく寝室に入られ若様に駆け寄る。一緒にアーベル様とクルトゥス医師もいる。
泣いて父母や私達の名を叫ぶ若様は、見ていて胸が潰されそうになる。もしかすると、まだ薬の影響が残っているのかもしれない。
旦那様も同じように感じられたのか、若様の触診をしていたクルトゥス医師に目を向ける。
医師は首を振り「お熱も高くないですし、薬の影響はないかと」と告げ、慰めるように若様の頭を撫でると、後ろに下がった。
「レオニード、目を覚ますのだ!」
「レオ、母に貴方の瞳を見せて!」
怖がり不安そうに泣く若様を、なんとか起こそうとお二人も呼び掛けるが、やはり若様は目を冷まされない。
と、若様がぴたっと泣き止まれた。
何か様子が違う。
カスペルが若様のお顔をきれいに拭い、脇に下がると若様が口を開いた。
「……なんだ」
いつもの若様の声音ではない。
冷めたような、何の関心もないような、声音。しばらく間があり、また話される。
「誰からの『御達し』だ?」
「……へぇ」「いつ?」
「これは、もしや誰かと会話をしているのか?夢の中で?」
旦那様が独り言のように呟かれる。
私は旦那様に近付き「お人払いをされた方が良いのでは」と囁いた。
旦那様は、はっとした様に私に頷き、ご自分の従者であるクリフォード殿に小さく指示を出す。
部屋には旦那様と奥様、家令のアーベル様、若様付の私達四人と、旦那様付の従者と護衛の四人だけになった。
その間も若様は誰かと話されていたが、若様付の私達はずっと驚きを隠せずにいた。
カールとブルーノは、驚きが口から漏れていた。カスペルがじろっと見ていた。
「若様の滑舌が……」
仲良く重なっていた。
そんな呑気な事を考えていたら、若様の言葉に唖然とする。
「王子殿下、王弟閣下、お初にお目にかかります。お呼び出しに従い参上致しました」
旦那様も目を見開いている。
驚きに浸る間もなく、若様は驚愕の発言を続けらる。
ご自分の名前を聞いた事も使った事もなく、系図を三才の時に自ら調べ知ったと。
何よりも、王弟閣下とは恐らく旦那様の事だ。なのに、対面するのは初めてとは!?
若様のこの一見丁寧だが、嘲笑うかのような冷たい口調。
そして殿下に、はっきりと忠誠は誓えないと仰った……このようなお言葉を発するなど、一体何があったというのか。
若様は本当に『夢』を見ているのか?
旦那様も奥様も、そして私達も。
顔を青ざめさせ、驚愕に体を震わせ、力無く若様を見つめ目覚めを祈る以外、出来る事は何も無かった。
お読み下さりありがとうございますm(_ _)m