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父上が帰ってこない 3


少し虐待のような描写があります。

苦手な方は自衛下さい。


宜しくお願い致しますm(_ _)m




 **護衛ルシアン視点①**




「若様っ!?」


「若様っ!!」



 カールの叫びと私の叫びが重なる。

 若様の傍らに跪いていたカールが、倒れ込みそうになった若様の体を素早く支える。


 私は若様の膝の上に広げられていた包みをサッと纏め掴むと、叫び声に反応し部屋へと入ってきたもう一人の護衛ブルーノに指示を出す。



「旦那様と奥様にご報告を!それからアーベル様に言って大至急医師の手配を!」


「はっ」



 ブルーノは身を翻しすぐに出て行く。

 入れ替わりにカスペルが入ってくる。カスペルも若様付きの従者だ。



「何があった!若様は!?」



 カールが若様を慎重にベッドへと横たえ、手早く上着を脱がせていく。



 カスペルに応えようと口を開く前に、旦那様と奥様が駆け込んで来られた。



「レオニードっ!!」


「レオっ!!」




 お2人共真っ青になって、ベッドの上に横たわる若様に走り寄る。

 若様はぐったりとして顔は青ざめ、呼吸は浅い。



「何があったのだ?」



 若様のお顔を見て、少し冷静さを取り戻した旦那様が、ベッドの足元に並ぶカールと私を見る。



「若様は旦那様が休まれていたソファーの下から布の包みを拾われました。

 自室に戻られてから包みを広げられ中味を確認すると、茶葉のようだと仰られました。

 匂いを嗅がれた後、少量舐めてしまわれて、お声をかけようとした時には倒れ込まれてしまわれました」



 カールの言葉に旦那様がはっとし、胸元に手を当てられる。



「急ぎ若様をベッドへお連れし、旦那様と奥様にご報告した次第です」



「お側に付いておりながら申し訳もございません!」


「申し訳ございません!」



 カールと私は片膝をつき深々と頭を下げる。

 何の為の護衛だ。

 私がただ突っ立ってるだけの間に、若様は死んでいたかもしれない。

 ギリッと歯を食い縛り覚悟を決める。殺されても文句は言えない。



 しかし旦那様は、力なく顔を横に振ると

「二人共立ってくれ」と仰った。



「今は謝罪よりもレオニードだ。その包みは今どこに?」


「はっ。こちらです」



 私は立ち上がりもう一度深く頭を下げると、若様の膝から回収した例の茶葉の包みを旦那様に手渡す。

 旦那様は包みを広げ中身を確認すると、サッと包みをしまい、考え込むように目を閉じられた。



 ノックの音があり、カスペルがドアを開けると家令のアーベル様がいらした。

 後ろに年配の男性が控えている。クルトゥス医師だ。公爵家の専属医師で、旦那様が臣籍降下される際に公爵家へ引き抜いた、元宮廷専属医師だ。

 定期的に若様を診察されている。



「クルトゥス医師をお連れ致しました」


「入れ」



 旦那様が仰るとアーベル様の後ろから医師が続き、若様のベッドの横に立たれると旦那様と奥様に一礼する。

 旦那様が事の次第を説明する傍ら、手際よく若様の状態を確認していく。



「摂取された茶葉は今ございますか?」


「これがそうだ」



 旦那様がクルトゥス医師に茶葉の包みを渡す。

 クルトゥス医師は慎重包みを受け取り、匂いを嗅ぐと「……これは」と、顔を上げ包みを旦那様に返す。



「……恐らくその茶葉には、リリズの花の根から絞り出した汁が、染み込まされているかと思われます」


「リリズの根だと?」


「はい。旦那様も名前はご存知かと……

 北方の山岳地帯に咲く花です。

 神経毒の一種で様々な薬に配合されます。

 根に毒があり、独特の甘い香りが特徴です。

 体の機能や脳の働きを麻痺させる作用がある花です」


「なん、だと……!?」


「……そんな!あぁ、レオニードっ!」



 奥様が泣き崩れる。

 なんて事だ!私は名前も聞いたことはないが、なんて恐ろしい花だ。

 そんな危険なものを若様に触れさせるなど。

 私は護衛失格だ!


 若様は大丈夫だろうか……若様が助かるなら何だってする。命だって差し出す。解毒の薬はあるのか……



 若様が包みを拾われた時、全身で「お願い!とりあげないでっ」と叫んでいた。

 だがやはり、心を黒い獣にしてでも一旦回収するべきだった。甘やかすのと油断は違うのだ。



「ただ若様の摂取量は指先にほんの少し、まだお小さいが故に体が過剰反応し、一時意識を失われたものと思われます」



「それで、解毒は出来るのかっ!?」


「はい。リリズの根の作用は連続摂取が前提で、短期間の摂取であれば解毒薬の服用で後遺症もほぼ残りません。

 必要な材料を至急に手配いたしますので、揃えば直ぐにでも調薬致します」



 あぁ!女神様!!

 良かった!良かった、若様!!



「そうか!クルトゥスどうか息子を宜しく頼む。アーベル、クルトゥスを手伝ってくれ」


「お任せ下さいませ」


「かしこまりました」



 アーベル様とクルトゥス医師は一礼して退出し、カールとカスペルは寝室の壁側に並んで控え、私とブルーノは寝室の扉の脇に控えた。



 旦那様はベッドの横に腰掛け、若様の小さな手を握りじっと何か考え込んでおられる様だ。

 奥様は静かに涙を流し、若様の血の気のない白い頬を優しく撫で、時おり名前を呼び掛けている。



 一時間ほど過ぎた頃、クルトゥス医師がアーベル様と一緒に戻って来られた。



「クルトゥス!薬は!?」


「はい、ここに」


 旦那様がすぐに立ち上がり医師と場所を替わろうとするが、医師がやんわりと止める。



「この解毒薬は液体で苦味が強い為、幼子が自分で飲むのは無理かと。しかも若様は意識がないので旦那様か奥様に口移しで飲ませて頂きたいのです」


「わかった。私が飲ませよう」



 旦那様は即答され、ベッドの上に座り若様を膝の上で、横に抱きかかえる。



「薬をこちらへ」



 旦那様が医師からカップを受け取ると、一気に口に含み若様の頬を片手で固定し口を開かせ口移しする。


 ごくっと、喉が動くと旦那様は口を離しアーベル様から水の入ったグラスを受け取ると、再び若様に飲ませる。

 もう一度若様の喉がごくっと、動いた途端若様が咳こまれた。


 旦那様が背中をとんとんとゆっくり叩き、次第に呼吸が落ち付いてくると、若様がうっすらと目を開けた。



「うぇぇ~っ、うぅぅ……う、ち、ちぅぇ……?」


「あぁ、父だ。レオニード具合はどうか?」



 旦那様が若様の顔を覗き込み、ゆったりと落ち付いた声音で聞く。



「ち、ちちうぇぇ~っ、ぇっぇっぐ、ちちうぇ……!うっ、うわぁ~~んっっ!」



 若様は旦那様の胸にしがみついて大声で泣き出した。

 突然意識がなくなり怖かったのだろう。

 旦那様もぎゅっと若様を抱き締め「大丈夫、もう大丈夫だ。父がついている」と何度も繰返し囁き優しくあやしている。

 旦那様の目も涙で光っている。



「あぁ、良かったレオニード……女神様ありがとうございます!」


 奥様が意識の戻った若様と、その若様をしっかりと抱き締める旦那様をご覧になって、胸の前で手を組み泣きながら女神様への感謝の言葉を口にする。



 奥様の声が聞こえたのか、大分泣き声も落ち付いてきた若様が顔を上げる。

 涙のいっぱい溜まった大きな瞳が奥様を見つける。奥様もベッドの端に座り若様に手を伸ばすと、若様はすぐに奥様に抱きつく。



「ははうぇっっ、ははうぇっっ~~~ぅう……」


「あぁ!わたくしの坊や!無事で良かった!」



 奥様もぎゅぅっと若様を抱き締める。若様は甘えるように奥様の肩に額をぐりぐりと擦り付けている。



 あぁ……良かった。

 本当に良かった。他に言葉が見つからない。

 ほっとしたせいか、今頃になって震え出した手をぐっと握る。


 カールは涙がこぼれない様に何度も目をまたたいている。

 部屋の空気も先程までの刺さる様な緊迫感はなくなり、安堵感が広がっている。



 泣きつかれたのか、母のぬくもりに安心したのか、奥様の腕の中でうとうとしだした若様を旦那様が受け取ると、ゆっくりとベッドに横たえた。



「レオニードを寝衣に着替えさせてやってくれ。

クルトゥス、心から感謝する。ありがとう」


「とんでもないことでございます。わたくしがお役に立つ事が出来、安堵いたしました」


「この後、少し聞きたい事がある。時間を取れるか?」


「かしこまりました」





「これからもレオニードを頼むぞ」


 旦那様は私とカール、カスペルとブルーノをぐるっと見やると、そう仰った。

 私達は一斉に礼の姿勢をとると頭を垂れる。

示し合わせた訳もないのに四人声が揃う。


「はっ!」


 旦那様は満足したように一つ頷くと、奥様と小声で少し話された後、従者と部屋を出られた。



 その後クルトゥス医師は、カールとカスペルに夜にかけて熱がでるかもしれない事。

 起きる度になるべくたくさん水分を摂らせる事、出来れば果実水が良い事などを指示して寝室を後にされた。



 カールが、涙でぐしゃぐしゃの若様のお顔をお湯に浸した布で拭い、体も清めた。

 その間にカスペルがベッドのリネンを手際良く替え整える。


 カールが寝衣を着せると、ゆっくり若様をベッドに寝かせる。

 随分体力を消耗したのかよく眠っておられる。カールが薄手の羽毛布団をふんわりと掛けた。



 若様の着替えやリネンを整えている間、奥様は若様のお気に入りのアルコーブの前に立ち、いつも若様が見つめている景色を眺めていた。



 若様がベッドに寝かされたのに気づくとベッド脇に戻って腰掛け、眠っている若様の頭をそっと撫でると立ち上がり、ベッドを回って私達に向き合った。


 頭を深く下げ礼をとろうとすると「そのままで」と言われたので、右手を胸下に当て左手を背中に回し視線を少し下げる。



「レオニードが助かった事に礼を言います。ありがとう」


「っ、」


カールが息を詰める。


「……発言をお許し下さい」


「許します。皆自由に話してちょうだい」



 私は奥様の足下の床を見つめながら発言する。


「若様を命の危険にさらしました事、心より謝罪申し上げます。どの様な処罰も覚悟致しております」


「私も同様にございます」


「私も!」「私も!」



「……まったく、あなた達は。まずは顔を上げなさい。それでは話しも出来ないわ」


 ふぅ、と息を吐くと奥様はチラッと若様を見て微笑み「後日、また旦那様から改めてお言葉があるでしょうが……」と前置きされ、また私達と向かい合った。



「あなた方に全く非がないとは言いません。

 けれども今回の事は、レオニードに多分に非があります。

 あなた達の主として、仕えてくれる者達の命を預かる責任があの子にはあります。

 ……わずか一才半の幼子に、と思いますか?」



 奥様は穏やかな様子で俺達に問いかける。

 わずか一才半……。確かに。

 だが、若様にその常識が当てはまるのか?

 こ、答えにくいのは私だけか?



「わたくしは自分の息子の事を少しは理解しているつもりです。あの子を年齢で計るのは愚かな事です。

 言葉を覚えるのも早く、歩き出すのも早かった。普通の一才の子供なら何が起こったとしても訳も分からず、ただ泣くしか出来ないでしょう。疑問を持ち解明しようとする一才児など聞いた事もありません」



 奥様は苦笑されている。

 その通りだと納得しかない。が、それが若様なのだ。



「あの子はあの子として、あるがままに素直にあの子が望むように育って欲しい。

 旦那様もわたくしも、あの子の成長や言動を常識に填めようとは思っていません。

 他の一才児など知りませんし関係ありません。旦那様とわたくしは『あの子の成長』を見守ります」


「今日の事も、はっきりと言ってしまえばあの子が悪いのです。

 父の落とした物だとあの子は気付いたはずです。けれども誰にも告げず、自室に持って行ってしまった」



 今度ははっきりと溜め息を吐かれた。

 親って、大変なんだな。

 しかも何でもお見通しだ。



「体調が回復すれば、きちんと言い聞かせねばなりません。

 あの子は自ら考え理解できるのですから、思考が偏らないように諌め、叱ってあげるのも親の仕事です」


「命の危険までなくとも、これからも同じような事が起こるでしょう。

 あなた方の責任や忙しさは、普通の従者や護衛の比ではないと思います。

 あの子はあの通り自由で、常識に填まらない子です。それでも、この先もレオニードを支えてくれますか?」



 奥様の心からの真っ直ぐな言葉と信頼に、返事など考えるまでもない。真っ先に膝をつき奥様の顔を見て答える。



「勿論にございます!この命の限り必ず若様をお守り致します!」


「お任せ下さいませ!我が忠誠は若様に、必ずやお役に立ってみせます!」


「何があっても若様をお守りし、その支えとなる事をお誓い致します!」


「この命に替えても若様をお守り致します!」



「ありがとう」


 奥様は晴れやかに美しく微笑まれた。





 奥様は、何かあればいつでも呼んで欲しいと仰った後自室に戻られた。

 私達四人は若様のベッドから少し離れ、小声で情報と状況の擦り合わせをする。


「若様は何かご存知だったのか?」


「あの包みの事か?いや、あれは本当に偶然に旦那様の胸の隠しから落ちたのだ」


 カスペルとブルーノはあの場にいなかったから、詳細を知らないのだ。

 私とカールで最初から説明する。


「私もカールもあの茶葉を見たが、何も気付かなかった。だが…」


「ああ、若様は少し考え込んでいたな」


「そうだな。……あれは、なんと言うか思い出そうとしているような……」


「そうだ、そうだ!若様は『なんだっけ?なんだっけ?』という風に、体で話されていた」



 こんな時なのに、若様の仕種しぐさを思い浮かべ顔が緩む。

 若様は思慮深い方だが、やはり幼子で、感情が顔よりも体にでるのだ。

 むしろ顔の方が、感情はあまり出てないと思う。

 確かに「思い出せない」そんな感じだった。

 だが、思い出すには知ってないといけない。


「それに若様は多分、噛んだと思うのだ」


 カールが思い出すように呟く。


「確かに。指先で舐めた後、摘まんだな」



 私達は悩む。

 若様はまだ一歳だ。飲みものは、果実水がほとんどで、たまに水、果汁といった具合だ。

 若様は茶葉だと知っていた。

 香りに覚えがあった。

 思い出そうとして舐めた。

 

「ないとは思うが厨房で見たか嗅いだか?」


 カスペルが目を細め、考えこんでいる。


「若様は、とても聡明な幼子だ。いや、幼い大人、の方がしっくりくるか。

 どうやってか、何故なのかなど、全く見当も付かないが、若様は何かご存知なのかもしれないな……」


「カスペルが言うと、そんな気がしてくるから不思議だ。ははっ、若様なら有り得る」


 カスペルの言葉にブルーノが答える。

 私もその意見に賛成だ。 


「何にしろ、お前達は休め。若様にはブルーノと私が付いている。

 明日にはきっとお元気になられる。

 二人が疲れた顔をしていると、若様がお気にやまれる」


 私とカールはお互いの顔を見合う。

 カールと同時に溜め息を吐く。

 確かに疲れきった顔だ。


「そうだな。私達は疲れて見える。自覚はないが若様に心配させる訳にはいかない。

 ふぅっ。ブルーノ頼む。カスペルも」


「任せとけ!」


「しっかりと休めよ」


 カスペルとブルーノに見送られ、私とカールはそれぞれ控え室へと下がった。



 カールと別れ自室となっている個室に入り、ベッドへ横になる。

 出て来るのは、溜め息だ。


 旦那様や奥様はあの様に仰って下さったが、普通なら即首だ。

 まだ幼い公爵家のご子息が、命の危険にさらされたのだ。何かしら処分もされるだろう。


 だが、旦那様は「これからもレオニードを頼む」と仰り、奥様には礼まで言われ、そして旦那様と同じく「頼む」と仰られた。


 この公爵家の御一家は、皆ご自分には厳しくていらっしゃるが、人には優しく寛容な方々だとつくづく思う。


 若様にお仕え出来た事は、私の人生で一番の幸運だった。


 奥様も仰られていたが、若様は確かにまだ一才の幼子だ。けれども、大人顔負けの筋道の通った考え方をされるし、何もかもが幼児の、いや子供の枠を思いっきり飛び出ている。


「あの子を年齢で計るのは愚かな事」奥様はそう仰った。私も同じように思う。

 若様は若様だ。


 若様は本当に凄い幼児だ。

 アーベル様は、王族の子は皆同じような成長の仕方をするので、驚く事ではないと言う。

 けれども、同じ王族でも三才年上の王子殿下は『年相応』だと、見習い騎士時代に同期だった近衛騎士に聞いた。

 しかも小さな暴君、だと。わずか四才で。


 だから思うのだ。凄い幼児だと。

 若様は私が近衛騎士を諦めた話を聞くと、カスペルに飲み物と焼き菓子を頼み、カスペルは退出してしまった。


 若様は真剣なお顔で理由を尋ねられた。

 が、私は情けなくて話せなかった。

 すると若様は困ったように私の手を握ると、小さく頭を下げた。


「ごめんちゃい。りゅしあんが、あきりゃめたなりゃ、きっと、どうにもなりゃないことだったと、おもう。

 すごく、がんばって、どりょくしたのに、こにょえになりゃなくて、よかったとおもった、の。だかりゃ、ごめんちゃい」


 どういう事だ?


「なぜ、私が近衛にならなくて良かったと思われたのですか?」


「もし、こにょえになってたりゃ、りゅしあんは、わたしのごえいには、なりぇなかった、かりゃ」


「そんな、私より優れた者は大勢おりますのに」


 若様の言葉に、困惑しながらも少し嬉しくなった。若様は私を見上げて両手を差し出すと「だっこ」と仰った。


 左腕に若様を乗せると、若様は私と真っ直ぐ目を合わせた。


「わたしは、りゅしあんがいい」


 目を見開いた。


「りゅしあんは、やっぱり、こにょえきしになりたい?」


「いいえ、いいえ。近衛騎士になりたいとは今は全く思いません。私は、若様にお仕え出来る事が、何よりの幸せにございますので」


「ほんと?りゅしあん、ほんと?

 じゃあ、ずっといっしょに、いてくりぇりゅ?」 


「もちろんにございます」


 澄んだ深い緑の瞳を、期待にきらきらと輝かせ嬉しそうに答えを待っている。

 私の返事を聞くと、ぱぁっと、まるで緑のローゼリアが咲いたかのように、その幼い体全部で喜んでいる事が伝わってくる。

 

 まるく柔らかい小さな腕が、ぎゅっと私の首にしがみつく。


「……よかったぁ」


 囁くように呟かれた一言に、ぐっ、と喉が詰まった。

 私の掌を広げれば、隠れてしまいそうな小さな背をゆっくりと撫でる。


「若様が『いらない』と仰るまで私はずっとお側で、若様をお守り致します」


 若様は大きく頷く。

 瞳のエメラルドが、うっすらと濡れている。


「いつか、りゅしあんが、こにょえをあきりゃめたわけを、おしえてくりぇりゅ?」


「……なぜ、そんなにお知りになりたいのですか?」


 さほど面白い訳でもない、ただ話題に上って興味を引かれたにしては、若様は真剣だ。


「わたしは、わたしにかかわりゅひとたちを、たいしぇつにしたい。

 たいしぇつといっても、よしよしと、ねこかわいがりしゅるわけでは、ない。


 『おもい』を、たいしぇつにしたいのだ。

 りゅしあんがうりぇしいこと、かなしいこと。めじゃしていた、きしをあきりゃめたのは、きっとつりゃかったはじゅ。


 けりぇども、りゅしあんはいやなことがあっても、ふきげんになったり、やつあたりしたりしない。


 りゅしあんは、やしゃしいの。

 りゅしあんは、だまってみててくりぇる。

 だかりゃ、わたしはあんしんして、やりたいことがやりぇる。

 りゅしあんがいりぇば、だいじょぶだかりゃ。


 わたしがりゅしあんの、はなしをきいたとこりょで、りゅしあんのつりゃさや、くりゅしみはなくなりゃない。


 でも、りゅしあんのことを、もっとたくしゃんしれば、もっとたくしゃん、りゅしあんのことをりかいできりゅ、とおもったの」


 言いきった!と言わんばかりに「ふぅ」と息を吐くと、私の胸に小さな両手をあてた。


「りゅしあんのことがわかりぇば、つぎにつりゃいことがあったとき、りゅしあんをまもりぇりゅかもしりぇない。


 まもりぇなくても、なぐさめてしょばにいりゅことはできりゅ」



 私は驚きに言葉を失なった。



「りゅしあんがたのしいときは、いっしょにわりゃいたい。


 じんしぇいは、つりゃいことがいっぱいで、ここりょにつりゃいことが、どんどんたまっていく。

 けりぇども、つりゃいことでここりょに、しゅきまがなくなったとき。

 ひとは、どうなってしまうの。

 ここりょは、どうなってしまうの。


 わたしは、こわりぇてしまうとおもう。


 りゅしあんはむくちだかりゃ、わたしがきくの。りゅしあんのここりょが、つりゃいことでいっぱいになりゃない、ように。

 わたしといっしょに、いっぱいわりゃえりゅように。


 だかりゃ、なじぇきしをあきりゃめたのか、おしえてほしかったの」


 このように真っ直ぐと、私の事を、その心を案じ力になろうと気に掛けてくれた者がいただろうか。


 師匠は近衛の部隊長で、もちろん親身になってくれたし素晴らしい人物だったが、子爵家当主でもあった。

 その為、私の事情に踏み込む事はしなかった。他の貴族家の事情に口を出す事は、貴族の間では禁忌とされる。私も師匠になんと言って良いのか困惑しただろう。


 

 近衛騎士は貴族家の出身でなければ見習いにもなれない。

 王族の安全を確保し、王城に関わる全てを守るのが近衛騎士の職務だ。故に、身元が確かである貴族という事になる。それに貴族のマナーや名前や爵位など、最低限の知識が必要だ。

 貴族の子息は幼い頃から必死に覚える。


 これらの教養は貴族であれば当然だが、平民には無理な話だ。


 普段は近衛の階級が優先され、実家の爵位や貴族の身分など意味をなさない。


 しかし近衛の職務上、接する相手はその殆んどが貴族。

 中には近衛騎士を取り込んで、王族の情報や他の貴族の動向を知ろうとする者もいる。

 その様な貴族達相手に、自らの身分や実家の爵位が有用なのだ。


 貴族家は色々と、外からは見えないしがらみで複雑に繋がっていて、爵位の上下だけでは力関係をはかれない。


 王城に勤務し、常に貴族の思惑と隣合わせにある近衛騎士には、騎士としての正義感と公平性、貴族や大臣などを上手くかわすバランス感覚が必要とされる。

 

 美しい緑の瞳を真っ直ぐに私に向け真剣な表情で、若様は私の言葉を待っている。

 若様には敵わない。思わず苦笑をもらし、私はぽつぽつと、公爵家に来るまでの事を話し出した。



 私の実家は伯爵家だ。

 私はスタリオン伯爵家の次男に生まれた。

 伯爵家は代々財務官僚を『務め』何代前かには、大臣にまでなった先祖もいる。

 ただ勤めるのではない。スタリオンの名を持つ者ならば()『務め』なければならないのだ。


 馬鹿馬鹿しい事だ。だが、スタリオン伯爵家では、これが正義なのだ。


 私は幼い頃から騎士に憧れていた。

 絵本や物語の影響だ。

 黒い獣から人々を守る騎士は、とてつもなく格好良く何度読んでも胸が高鳴った。


 五才の時に、五つ上の兄の為に剣術の先生が伯爵家を訪れた。

 騎士にならずとも、貴族の嗜みとして一通りの剣術を習うのが一般的だ。護身術として習う者もいる。


 私は一階にあるサロンのテラスから、兄に気付かれない様に、兄の後ろから見ていた。

 今まで『剣術』など見た事がなかったので、とても興味があったのだ。


 剣術の先生は私にすぐに気付いたが、何も言わなかった。

 兄はとても不機嫌で、そしてとても無礼だった。


 先生は兄の無礼など意に介さず、淡々と基本の型をお手本として見せていく。

 先生は父よりも高齢に見えたが、決して老いてはいない。すっと伸ばした背筋に、程よくがっしりとした騎士の様な方だった。


 ひとつひとつの型が流れる様に繋がり、まるで舞っているみたいだ。

 とても美しいと思った。


 剣術など野蛮だと、父を始め伯爵家の皆が同じように思っている。

 幼い頃は気付かなかったが、父や兄の護衛はさぞや肩身が狭かっただろうと、今は気の毒に思う。


 私は次男なので護衛はいなかった。従者はいたが専属ではなく、朝と就寝前に部屋に来るので、だいたい私は一人で行動した。


 時間がくると兄は模擬剣を放り出し、挨拶もなく立ち去ってしまった。

 私は兄の振るまいに、恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいになり、思わずテラスから庭に駆け出した。


 突然駆け寄ってきた私に驚く事もなく、ゆっくりと屈み目線を合わせてくれた。

 お陰で、いっぱいいっぱいだった私は一息吐くことが出来た。


「あ、兄上がしつれいを……お許しください」


 そう言って頭を下げる私に、先生は大変驚かれた。と、突然笑い出された。

 びっくりした私は頭を上げると、優しく微笑む先生と目があった。


「剣術に興味がおありか?」


「わ、私は……騎士さまに、あこがれていて。

 でも……」


 何とか告げたが、尻すぼみになってしまった。この伯爵家では、騎士になりたいなど、勘当してくれと言っているのと変わらない。


 私は特別頭が良い訳ではないが、勘は良かった。なので五才になるずっと前から、騎士の事を口に出した事はないし、絵本や物語はしっかりと隠し、就寝の支度を終え従者が出て行った後こっそりと読むのだ。

 

「この家では皆が()()なのか」


「兄上は何も言わなかったので、かなりましな方だと思います。財務官僚になる道以外はきんきなのです」


「きんき……禁忌、か」


「私には護衛が付かないので尋ねる者もなく、どうしたら騎士になれるかも分からなくて……」


 先生は憐れむように私を見て、少しの間考える様に黙っていた。


「道はある。あるが、伯爵家から勘当されるかもしれぬ。だから、そなたが騎士見習いになれる年齢まで、黙っているのだ。

 いくら騎士を馬鹿にしていても、そなたの兄にしたように、また剣術の師を呼ぶだろう。

 さすれば、その時に詳しく騎士について教えてやろう」


「また、いらっしゃって下さるのですか?」


「あぁ、来るとも。

 そなたは勉学は始めておるのか?」


「五才になったので、来週先生がいらっしゃると、父上に言われました」


「うむ。騎士になるには貴族家で習う勉学も必須条件だ。次に会うまでは、勉学に励むのだぞ」


 先生は私の頭をぐしゃぐしゃと撫で、にっこり笑うと立ち上がり模擬剣を持って立ち去った。


 次の週始め、家庭教師がきた。

 この日から私の地獄が始まった。

 家庭教師としてやって来たのは、父の叔父で分家の子爵家の前当主だった。もちろん財務官僚だった。今は息子に爵位を譲り、隠居していたはず……


 大叔父は私にとって黒い獣よりも質が悪かった。獣は牙と爪で襲ってくるが、大叔父は鞭と口撃だ。

 何故か大叔父は、私が騎士を目指している事を知っていたのだ。あっという間に邸の隅々まで知れわたったのは言うまでもない。


 私は甘く考えていたのだと、思い知る事になった。

 授業は早朝から就寝前まで毎日、大叔父のムチと罵声で始まり終わる。

 当初は私の部屋で教わるはずだったが、屋根裏の簡素な空き部屋へ変更された。大声を出しても階下に届かないからだろう。

 毎日来ていた従者は、黙って食事のトレイを置いていくだけになった。


 泣いても喚いても、父も母も兄も、助けてはくれなかった。

 誰も助けてはくれなかった。



 けれども、私は諦めなかった。

 もはや騎士になる事は、この家から逃れる唯一の手段だと思ったからだ。


 十歳になるまで。そしたらどうすれば良いのか、きっと先生が教えて下さる。

 大叔父は私を虐めぬいているが、勉学はきちんと身に付いている。



 そして十歳になった。

 が、いつまで経っても先生は現れない。

 夜、屋根裏の部屋からとぼとぼと自室に戻る途中で、兄上に遭遇した。兄は私にとって災難を持ってくる者だ。


 私が騎士に憧れ、騎士になりたいと思っている事を大叔父に話したのは、兄だったのだ。

 先生と私が話しているのを盗み聞きしていた。「兄上がしつれいを」と言ったのが癪に障ったらしい。

 その兄が今、ニヤニヤと嗤いながら壁に寄り掛かって、私を見ている。嫌な予感がする。


「お前、あの剣術指南の男を待っているのだろう?優しい兄が教えてやろう、いつまで待っても来ぬ事を」


「え?来ない?」


「昨年、死んだらしいぞ。獣にやられて」


 兄はにやぁ、と嫌らしく嗤う。


「そもそもお前に剣術など、伯爵家が金を出してまで、学ばせると思う方が可笑しいわ!」


 この兄の前では平静でいたいと思うのに、拳を握りしめずにいられない。


「お話がそれだけなら、私はこれで……」


「話しは終わっていない。優しい兄が、頑張っている弟に、せっかく良いものを見せてやろうというのに、その態度は頂けない」


「……良いもの?」


「三日後に伯爵家以上の子女を集めた、王妃殿下主催の茶会があるのだ。もちろんお前は参加出来ないが、あまりに弟が可哀想だろう?

 だから、父上に頼んだのだ。お前の為に」


 兄は私の耳元に顔を寄せると囁いた。


「私が茶会に出席している間、騎士団の訓練を見学させてやって欲しい、とな」


 驚く私を面白そうに眺め、また壁に寄り掛かると話を続けた。


「実際に騎士達を見れば、お前も諦めがつくというものだ。だいたい、お前が近衛になどなれる訳もない。

 支度に従者を行かせるから、くれぐれも優しい兄を待たせるなよ」


 言い捨てて、兄は立ち去って行った。

 私はひどく動揺していた。一刻も早く自室に戻らなければ!

 廊下はメイドや従者達もすれ違うので、逸る気持ちを抑えて、なるべくゆっくりと自室へ戻った。


 部屋に入った私は扉に背を付けたまま、ずるずるとしゃがみ込んだ。


 最後のチャンスだ。


 先生が亡くなっていたのに、何も感じなかった。思ったのは『もう待っていても、誰も助けてはくれない』という事。


 訓練の見学に行けるなんて。

 絶対に直談判するのだ。

 私は先生が言った言葉を覚えていた。

 先生は『騎士見習いに』と言った。騎士になるには、見習いにならないといけないという事だ。それを直接、訴えるのだ。


 なんとしても、この家から出て行く為に。



 その日の朝食後、久しぶりに従者達がやって来て伯爵家子息に相応しい様に、身支度を整えられた。


 兄と共に立派な馬車に乗り、王城へと向かう。顔が期待で綻びそうになるのを、頬の内側を噛んで堪えた。

 兄は私が悔しさを堪えているように見えたのか「悔しいのは今だけさ」と、嗤いながら言う。

 五才のあの日まで考えた事もなかったけれど、兄はずっと私の事が嫌いだったのだと思う。少しだけ、寂しいと思った。


 王城に着くと、兄は子女達の控えの間へとさっさと行ってしまい、私は一人残された。

 部屋付きのメイドに、近衛騎士の訓練場がどこにあるのか教えて欲しいと言うと、なんと案内してくれた!


「あら、良かったですね。今日は団長もいらっしゃる様ですよ」


 メイドは私に微笑むと軽くお辞儀をして、戻って行った。

 私に残された時間は僅かだ。

 私には誰が団長なのかなんて、全く分からないので、今自分に出来る事を精一杯やった。

 大声で叫んだのだ。


「近衛騎士団長様!!

 私を騎士見習いにして下さい!!

 何でもします!!

 どうか、どうかお願い致します!!!」


 深く頭を下げ、じっと待った。

 すると思いがけず、すぐ側から声を掛けられた。


「もしかして、君はルシアン・スタリオンか?」


 驚いて思わず顔を上げると、目の前に物語の英雄がいた。


「……騎士、さま」


 零れた呟きに騎士様はくすっと笑うと、私の目線に合わせて屈み、もう一度尋ねた。


「君はルシアン・スタリオン。

 リヒャルト・バッカスを知っているね?」


「わ、私はルシアン・スタリオンで間違いありませんが、リヒャルト・バッカス様は存知あげません」


 緊張しながらも、しっかりと言葉を紡ぐ。

 私はその方を知っているはずなのか?


「ん?知らぬ?

 ……あぁ、もしや名前を聞いておらぬのか。

 伯爵家に剣術指南として行ったと聞いた」


「先生!先生の事ですか!?

 先生は私が剣術指南を受ける時は、また伯爵家にいらして、私にどうすれば騎士になれるのか教えて下さると仰いました。

 けれど、けれど先生は亡くなったのだと、兄が……それで私はもう、勘当を覚悟して直談判を……」


 なぜだか胸がいっぱいになって、喉の奥から何かがこみ上げてくる。

 

「大丈夫だ。その先生がリヒャルト・バッカスといってな、近衛騎士団の元副団長だったのだ。

 君の事はだいたいの事情を聞いている。もし君が来たら、騎士見習いになるチャンスを与えてあげて欲しいと、頼まれている」


 騎士様は私の両肩に手を置き、ゆっくりと説明して下さる。

 先生が私の事を頼んでいてくれたなんて!

 なのに私は、先生が亡くなったと聞いても考える事もしなかった。

 自己嫌悪で唇を噛み俯く私に、騎士様が優しく微笑む。


「落ち込む事はない。君が騎士になるべく頑張ったら、きっとリヒャルトも喜んでくれるだろう。

 何か、どうしても手元に置いておきたい大切な物とか、会っておきたい人とかいるかな?」


 聞かれた意図は分からなかったが、そんな物も人もいないので首を振る。


「何もありません」


「ならば君はたった今から、騎士団の見習いだ。見習い騎士には三年後じゃないと無理だが、騎士団の見習いなら十才から可能だ」


「騎士団の、見習い……私がなれるのですか?

 もう伯爵家に戻らなくて良いのですか?」


 信じられない思いで、騎士様に尋ねる。

 騎士様は私の頭を、大きな手でくしゃくしゃと撫でると、にっこり笑った。


「その通り!悪夢は終わりだ」


お読み下さりありがとうございますm(_ _)m


もう一話ルシアン視点続きます。

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