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父上が帰ってこない 1


毎週火曜日に投稿予定でしたが、思っていたより早く進んだので投稿していきたいと思います(*´ω`*)


宜しくお願い致しますm(_ _)m




 一才になった。正確には一才六ヶ月だ。

 今の所、両親の仲は悪くはない。

 そう。悪くは、ないのだが。

 父上が頻繁に王城へと呼び出されるようになった。


 私の従者や護衛の話によると、父上はいつも朝早くから出仕するのだが、式典や陛下からの御用でもない限り、夕食前には邸に帰ってきている。

 時間に余裕のある時には、公爵邸裏にある訓練場で鍛練しているか、執務室で家令のアーベルと一緒に領地の書類を片付けているか……



 それが最近はエントランスでお出迎えした後、一時間もしない内に王城から使いがやってきて、少し揉めながらも、結局は溜め息を吐きながら慌ただしく出かけて行く。


 はじめの頃はそれでも、私が眠る前には何とかお戻りになっていた。

 騎士服のままだったがベッドの端に腰掛けて、額にお休みのキスをしてくれていたのだ。



 度々呼び出されるようになってから、およそ三ヶ月。

 父上はすっかりやつれてしまった。

 顔色は悪く、濃く青い瞳は疲労のせいか濁って見える。声にも覇気がなく足元も覚束ない。


 公爵邸に戻られてもソファーの背にぐったりと体を預けたまま目を閉じて、意識を失うように眠ってしまう。

 今現在、まさにそのようにして眠っている。



 公爵家の医師クルトゥスが、過労と睡眠不足だと診断している。

 疲れがやわらぐお茶や、体力が回復しやすい食事など、皆がなんとか頑張ってくれているが、父上は日々憔悴していく。


 クルトゥスははっきり言う。

「ゆっくり眠らない限り疲労は回復致しません」と。その通りだ。



 このままでは数ヶ月も経たず、父上は死んでしまうのではないか?


 

 逆行前、覚えている限り父上はちゃんと生きていたし、窶れていたなど聞いた事はなかった。……私が知らないだけかもしれないが。


 ただ、今と逆行前とでは周囲の環境も、使用人達の態度もまったく違う。今と同じ年の頃、私は自分の部屋から出た事もなかった。


 なぜこんなに違うのか。だいたい逆行前、私には従者も護衛もいなかった。

 こんなにも違う、それなのに。



 まさか…

 まさか逆行前と同じ事が起こっているとでもいうのか。

 父上が公爵邸に帰って来なくなる?

 私はまた、父上と母上を諦めて失ってしまうのか?

 いや、違う、そうではない!

 落ち着いて、そう落ち着いてしっかりと考えなくては。

 今どうなっているのか。何が出来るのか。狼狽うろたえている場合ではない。



 母上も心労のせいか最近は顔色が悪く、今も心配そうにソファーで眠る父上を見守っている。



 今は夕暮れ時。空は朱くなり始めたばかりで日没にはまだ間がある。

 もし、今日もまた呼び出しがくるとしても、一時でも長く父上に休息を取って頂きたい。



 最初の呼び出しから少し経った頃、母上が家令のアーベルに王城からとは言っても誰に呼び出されているのかと、不安そうに問い質しているのを聞いた。

 アーベルによると使者は近衛騎士団からではなく、王城の侍従長から届いているらしい。



 侍従長から……?

 侍従が付いているのは、王陛下、王妃殿下、王子殿下の三人だけだ。王妃殿下は女性なので侍女が付き侍女長がいる。


 が、逆行前、確か王妃殿下に侍女長はいなかったはずだ。長く侍従長が兼務していた。

 少なくとも逆行前では。確証はないが多分同じだろう。思えば異常な事だ。




 侍従や侍女は従者と同じように、主人のそばで身の回りの世話をする者だ。


 王族に仕える者は『侍従、侍女』と呼ばれ、貴族等に仕える者は『従者、メイド』と呼ばれる。

 呼称が違うだけで仕事はそんなに変わらない。



 ただ侍従や侍女は王族に付く。よって、高い教養が求められ伯爵家や子爵家の者など、貴族家出身の者が多い。

 従者やメイドは貴族に付く。仕える家の家格、また仕える主人の身分によって求められる教養は違ってくる。



 ローゼリア公爵家の場合、王族とあまり変わらない。

 公爵家夫妻といっても、二人の兄は現役の国王陛下だ。それだけ取っても普通の貴族とは違う。陛下にいつでも直接会える貴族など、そうそういない。



 だが二人は別だ。父上は陛下のたった一人の弟だし、母上も陛下(隣国)のたった一人の妹だ。それに父上と母上は婚姻しても、王位継承権を放棄していない。王族が少ないせいだ。


 隣国の陛下は、なぜか婚姻さえしていない。本当になぜなのだろう。

 実は私は両国で王位継承権を持っている。



 対外的には公爵と公爵夫人だが、ほぼ王族と同等だ。

 応対する相手が自国も他国も関係なく王族である事が多く、違う場合でも大体が高位貴族か大臣クラスだ。

 従って、ローゼリア公爵家の使用人には高い教養が求められる。

 実際に仕えてくれている皆は、求められる水準よりも教養があり能力も高い。



 父上の側近や従者は何人もいる。ほとんどが父上が第二王子の時代から仕えている者ばかりだ。

 いつも父上のお傍には、最少でも必ず二人ずつ従者と護衛がついていて、父上がお一人になる事はない。

 護衛も、父上が公爵となる時に父上の近衛騎士だった者が近衛騎士を辞し、父上の護衛騎士として公爵家に仕えている。

 従者や側近は、王子時代の専属侍従達だ。



 他にも、家令のアーベルは父上の筆頭侍従だったし、私の好物の焼き菓子を作ってくれるエルマー料理長は、第二王子の専属料理長だった。

 ここはローゼリア公爵家だけれども、第二王子殿下の離宮みたいな感じだ。


 私も皆も『公爵邸』と言うけれど、普通に見て『城』や『宮殿』の規模だ。かなり広大な敷地と設備を持つ豪奢な邸である。



 何人か逆行前にはいたのに、今は見かけないものもいる。けれども、これだけ以前とは環境が変われば、人の移動があっても不思議な事ではない。

 


 母上には専属メイドが何人もいる。いくつも担当があるらしい。ドレスやお化粧や髪結い……

 母上の専属メイド筆頭はライラだ。いつも母上のお傍にいる。母上が隣国から連れてきた乳姉妹だ。

 母上が王女殿下の頃は、筆頭侍女を勤めていた。隣国の侯爵家の令嬢だったと思う。



 私はまだ幼いし公爵邸から出る事はないので、従者はカスペルとカールの二人だけだ。

 カスペルとカールも私の傍にいつもいて、私が一人になることはない。


 護衛はルシアンとブルーノ。二人も私の傍を離れず、いつも守ってくれている。

 それが従者と護衛だ。







 侍従長の話に戻るが、王妃殿下に兼務とはいえ、男性の侍従長が付くなどあり得ない。

 母上の部屋に女性メイドではなく、いつも男性従者がいて世話をしているようなものだ。

 父上が大変お怒りになられるだろう。

 


 誰が呼び出したのか。

 普通に考えれば国王陛下とは思えない。用があるのなら、帰さずに残しておけば良いし翌日でも問題ないはずだ。

 が、王妃殿下が何かしら絡んでいるのなら有り得ない話でもない。

 というか、そうなのかもしれない。



 王子殿下、これはない。殿下は私より三才年上で、まだ四才。

 四才の幼子が連日、近衛騎士団長を呼びつけ窶れさせるなど有り得ないし、殿下は父上をご存知ないと思うのだ。



 残るは、王妃殿下。

 どうなのだろう。王妃殿下の名前を出してはいないが、直接呼び出すだろうか。



 呼び出すにしても国王陛下を介した方が、父上は断り難い。

 父上にしても連日の呼び出しなので、例え国王陛下を介していたとしても、本当に呼び出しているのは誰なのか、きっとご存知のはずだ。



 王妃殿下にはある噂があった。いや、ある、の方が正しいのか。

 しつこく諦めず、今も父上に迷惑を掛けているのであれば。



 母上は隣国の王女であったので、セルリアン王国の噂話までは詳しく知るよしもないが、公爵夫人として社交する間に「親切な」どこかの夫人達から、噂話は耳にしているだろうと思う。


 父上が成人する数年前の噂話だが。

 それでも母上が不安そうにしているのは、父上の体調面の心配だけでなく、その噂話しがどこか引っ掛かっているせいもあるのだと思う。



 陛下と王妃殿下の出会いから即位まで、ほとんどの貴族がその経緯を知っている。

 貴族としては当たり前だ。

 逆行前私はとっくに成人していたし、私が知っているのも、その当たり前の知識があるからだ。

 過去の父上の言動と、今の父上の現況を考え合わせると見えてくるものも、ある。



 王妃殿下は、我が国の元侯爵令嬢だ。

 ゼルフィオーネ侯爵令嬢アンドレア。

 ゼルフィオーネ侯爵家は筆頭侯爵家であり、当主、つまりアンドレア嬢の父親はセルリアン王国の宰相でもある。歴史ある名門だ。



 アンドレア嬢は幼い頃から陛下の婚約者候補として、頻繁に登城していた。

 婚約者候補である第一王子殿下との交流の為だ。

 元々はベルンハルト第一王子殿下(陛下)とアンドレア嬢の二人での茶会のはずだった。


 だが、ベルンハルト王子が毎回二才年下の弟アルブレヒト第二王子(父上)を連れて来るので、いつの間にか三人でテーブルを囲むのが当たり前になった。


 そして本来、二人の交流を目的として開いていたお茶会はそのまま三人で続けられる。

 数年後、ベルンハルト王子とアンドレア嬢が正式な婚約者となるまで。



 噂の元はこの茶会だ。

 当時、茶会はいつも花園と呼称された国王一家のお気に入りの庭園で行われていた。

 三人でといっても、王子二人にそれぞれの侍従に護衛の近衛騎士。侯爵令嬢にしても専属のメイドが何人かいるだろう。

 見える場所にも見えない場所にも近衛はいるし、茶会場所の花園にはざっと二十人はいたはずだ。



 基本的に使用人には、仕える家に対して守秘義務が発生する。それは王城に仕える者達も同義だ。

 上級貴族ましてや王族に仕える場合は、情報漏洩を防ぐために、雇用契約書の中に守秘義務事項が確りと入っている。



 だがしかし、十才前後の見目麗しい王子や令嬢が色とりどりのローゼリアの花に囲まれ、優雅にティータイムを過ごす。

 微笑ましいにきまっている。


 癇癪を起こしたり、乱暴な話し方や粗野な態度をとる事もなく。

 子供といえど、王族と筆頭侯爵家の令嬢。

 物心つく頃から礼儀は徹底的に叩き込まれる。

 小さな大人だ。

 そして人の口に戸は立てられない。



 なので、噂話になったのだ。

 微笑ましい話だから。


 なんて可愛らしいのかしら!ねぇ、知っている?王子殿下がどんなに美しく微笑むのか!


 小さな令嬢の優雅な事!それにあのドレスの素晴らしい事といったら!

 まるで物語のようだわ!


 この程度の囁きに守秘義務云々言って来るものはなかった。

 それはそれで思う事はあるが、今は置いておく。



 ベルンハルト王子は、とにかく弟王子を可愛がっていた。

 それこそ、婚約者候補とのお茶会に連れて来るほどだ。アルブレヒト王子も兄王子を慕っていたようで、仲良しなこの美しい兄弟は、いつでも皆の人気と注目を集めていた。



 お茶会の席でも兄は弟の世話を焼き、それを侯爵令嬢が微笑ましく見守っている。

 と、いうのがいつものスタイルだった。



 しかし、ある時から違う話が出てきた。

 曰く、ベルンハルト殿下はアルブレヒト殿下にしか話し掛けない。

 侯爵令嬢も話す時はアルブレヒト殿下に向かって声を掛ける。アルブレヒト殿下は、基本的に返事だけで、あとは微笑みを浮かべながらも茶を飲み菓子を摘まむだけ。



 ベルンハルト殿下と侯爵令嬢は実は気が合わない、不仲ではないのか……と。



 この噂は、婚約者の座を狙う別の貴族家の流したデマだとされ、それを宰相閣下が密かに消した、という所までがセットだ。



 つまり、当時流れた噂話というのは、ベルンハルト殿下は侯爵令嬢に特に興味がなく侯爵令嬢は弟王子の方が好きだったのではないか……と、いうものだ。



 事実かもしれない。

 だから何だという話だが。



 政略上の婚姻、ということ。



 そこに個人の意思や感情は関係ないし、関係させてはいけない。

 すべては家の為。家臣や領民の為。

 その為に貴族は幼い頃より、知識を学び礼儀を身に付け、感情を制御出来るように己を鍛える。



 ましてや王家との政略だ。

 相手は次期王太子、次期国王となる王子殿下。

 婚姻相手には様々な事が要求される。優先順位に相性や好みはほぼ入ってはいない。



 優先されるのは、国家の利益。

その後に貴族間の力のバランスや影響を考慮する。年齢もなるべく近い者を選ぶ。

 子を生む為だ。



 我が国は一夫一妻制度。

 但し、王妃と王太子妃については婚姻してから三年以内に子が生まれない場合、王は側妃をめとるか()()しなければならない。

 血を繋ぐ事は国家の義務であるからだ。

 


 セルリアン王国建国からおよそ八百有余年。

 側妃を迎えた王はいない、とされている。

 側妃を迎える事は別におかしな訳ではない。王族ならば子孫を増やすのは当たり前だ。



 けれども『王家の色』と、言われるものがある。

 濃い金の髪、濃い色の瞳、そして星屑の瞳。

 これは直系の子孫のみに現れる。



 浮気相手が欲をかいて子を作っても、その子は王にはなれない。

 庶子には髪と瞳に王家の色は現れないからだ。

 その子は王家の血を持つ『ただの子』だ。



 庶子。そう、庶子だ。

 側妃のいる殆どの国の場合、側妃の子供は庶子とはならない。だがそれは他国の話であり、人間視点から見た場合だ。


 王家に伝わるこの髪と瞳そして星屑の瞳は、建国王の妃であり初代王妃であった女神の娘の力だと云われている。

 髪や瞳にあることわりは女神の娘からの視点だ。



 一夫一妻制度は建国の始まりから、そうであったと伝わる。

 で、あるならば、女神の娘から見れば側妃の子供は「余所よその女の子供」という事になる。

 つまり庶子だ。王家の色は継がれない。


 色を継いでいない者に王位継承権はない。

 色を継いでいないという事は、王と王妃の子ではない、つまり直系ではないと、判断されるからだ。


 何百年の間、様々な議論が行われ落ち着いた結論だ。納得は出来る。



 王位継承権がない子を生ませる為に、貴族家当主が娘を王家に嫁がせる必要があるだろうか?



 間違いなく直系の血が続いているのは確かだ。髪と瞳がそのあかしだ。

 色は途切れていない。


 どうしても子が出来ない場合は離婚するしかないが、離婚した国王はいない。

 故に、側妃はいなかった。という訳だ。なっても意味がなかった、とも言う。

 今は側妃の事は置いておく。



 王妃殿下がどちらの王子が好きだったか、そんな事は本当にどうでも良いのだが、父上が明言した事と、関係あるのではないかと思う。



 父上の兄王子(現国王)の婚約者は、ゼルフィオーネ侯爵令嬢で内定していたが、他の貴族家との折衝や調整もあり、当初は婚約者候補となっていたのだ。


 側妃にはなる意味がない。故に王妃への争いは熾烈だ。

 ゼルフィオーネ侯爵家から婚約者が選ばれた理由は、港街ウルを領地に持っているからだ。



 話は先代国王コルネリウス陛下(現国王と父上の父)の御代までさかのぼる。

 当時、港街ウルの賑わいは段々と陰ってきていた。

 ウルの大官(王家から領地の管理者として派遣された)が、何人も続けて変わったからだ。



 最初は病、次は事故、その次は横領……といった具合で領政が纏まらず、不正や不満、ミスやごまかしが山積するようになっていった。


 街は治安が悪くなり商人が減っていき、貿易商達は近隣の領地にある港を、分散して利用する様になった。



 ウルの街は王領の港街として何百年も栄えてきたが、このような事態は初めてだった。

 報告の内容に最初に不審を感じた文官が、上官に進言し宰相(ゼルフィオーネ前侯爵)国王へと、事の次第は明らかにされた。

 すぐに詳細な調査が為されたが、罪に問えるようなものは()()()見つからなかった。



 無情にも時は過ぎていく。

 このまま悪循環を続けていては、国の利益に重大な損害を与えるとして、国王コルネリウスは大鉈を振るった。


 ウルのある隣領の領主であったゼルフィオーネ侯爵領を領地替えし、ウルの港を含む王領の一部をゼルフィオーネ侯爵領としたのだ。



 この措置にはかなり賛否両論あったが、ゼルフィオーネ侯爵(前侯爵)の領政の評価がかなり高かった事と、ウルの港と街の衰退はもはや一目で分かる程だった。

 喫緊の措置が迫られており、大臣や高官達も頷くしかなかった、という。



 ウルの領主となった侯爵は、存分にその辣腕を発揮した。

 一年目で明らかに街は活気を取り戻し治安も良くなっていった。

 二年、三年と経つにつれ以前栄えていた時よりも、ずっと繁栄していると住民や商人、貿易商達からの評判は上々だった。

 そして今日こんにちに至る。


 この話は逆行前の家庭教師が嬉々として、幼い私に授業として話していた。

 仮にも王弟の息子である私に。彼は侯爵家と同じ派閥か縁戚だったか。分かりやすい男だった。



 きな臭い話だと思う。

 王家の評判はガタガタ、いい恥さらしだ。

 王家は無能の烙印を押されたに等しい。

 言いたい事は山ほどあるが、置いておく。



 この時の侯爵家の功績と『侯爵家から王妃を次代の国王を』というゼルフィオーネ侯爵家の野望と、ウルの港を再び王領に取り戻したい王家の思惑が重なり、他の貴族家の追随を許さなかった。



 このような経緯の末、ゼルフィオーネ侯爵令嬢アンドレアは、クリスハルト第一王子殿下の婚約者となった。



 父上が明言した理由だが。

 侯爵令嬢が父上に懸想けそうしているという、あの噂話だ。

 火のない所に煙はたたない。

 で、あるならば……


 これはもちろん推測だが、侯爵令嬢から父上に何かしらアプローチがあったのではないか。

 父上が何かしなければと危惧する程の……



 第一王子殿下は立太子も、その後の即位も確実。弟王子と王位争いするどころか、兄弟仲は非常に良好。

 明言などする必要は全くなかったが、兄王子を、というか侯爵令嬢を先に婚姻させたかった。


 もしも父上が侯爵令嬢からの接触に困り、侯爵令嬢を避ける為に婚約者を決めたとしても、ゼルフィオーネ筆頭侯爵家より身分の高い令嬢はいなかった。


 何も行動せずに、困った困ったと言うばかりでは、良好なはずの兄王子との仲にも、いつかひびが入るかもしれない。

 何と言っても、侯爵令嬢は兄王子の婚約者なのだ。

 


 第二王子であった父上が『苦肉の策』とも言える、この明言をしなければいけないほどの事態。



 この先も侯爵令嬢を、義姉として王太子妃として、ゆくゆくは王妃殿下として仕えて行く事になるのは自明。


 しかしはっきりと拒絶すればかどが立つ。それならば、王位争いを避け国家安寧の為、とあれば皆納得するのではないか。


 侯爵令嬢が王太子妃になり王子を生み、その後であれば、いくら自分に婚約者が出来たとしてももう気にしないだろう、と。だから明言したのだ。



 『兄上が婚姻し王子が誕生するまで婚約者は作らない』と。



 兄王子は侯爵令嬢と婚姻し、王子殿下が誕生した。

 父上は隣国の王女殿下(偶然だが侯爵令嬢より身分は上)と婚姻し、臣籍降下した。

 嫡子である私もいる。


 今更父上を苦しめて、何がしたいのだ?

 母上が不安に思うのも当然だ。

 


 気掛かりなのは逆行後の今の世界でも、私が逆行して赤ん坊になるまでは、逆行前と同じ事が起こっていたと思うのだ。


 つまり、私が生まれる迄の歴史は同じだという事。そこから、逆行前と逆行後へと枝別れしているのだと思う。

 逆行した私が生まれた時点で、違う道に繋がる世界へと枝別れしたのだ。



 逆行前、母上は父上の名を呼びながら、扉の向こうで泣いていた。

 今、父上が大変な事になっている原因は、逆行前にも起こっていたのではないのか?

 私が生まれる前に、既に種は蒔かれていたのかもしれない。



 私が、物事の側面しか見ていないのは、言うまでもない事だ。

 やはり知らない事は多いし、分からない事もまた、あまりにも多いのだ。


 何しろ私は、どこからどう見ても疑い様もない立派な幼子だ。しかもまだ一才。

 一体誰が幼子の前で、そんな話をするだろうか。いる訳がないし、する訳もない。



 逆行して赤ん坊にまでなって、大切な人達が目の前で苦しんでいるのに、私には憶測を巡らせる以外、何も出来ない。

 歯がゆい気持ちでいっぱいだ。


 それに、この迫り来る様な焦燥感は何なのか。






「若様、お眠ですか?」

 私の従者カールが傍に膝をつき囁く。



 一才の幼子が俯きがちに、じっと黙っていれば眠いのかと思うのは普通の事だ。

 思ったより時間が経っていたようだ。



「かーりゅ、だいじょぶ」



 やり取りを見ていた母上も心配そうにこちらを向く。



「眠くないのなら夕食まで時間もあるし、レオの好きな甘いものでも頂いてはどう?」



 ほんの少し、ほんの少しだけ心が動きかけた。

 料理長のエルマーが作る料理は、もちろんとても美味しい。だが、焼き菓子は絶品だ。いつでも食べられる。満腹していても食べられる。



 後でちょっと厨房を覗きに行ってみようか。



 私が厨房に顔を出すと「若様がこの様な裏方になど来てはなりません」と、料理長のエルマーは厳めしい顔で言うのだ。


 高く真っ白なコック帽を被り、同じく真っ白でパリッとしたコックコートの詰襟には、ローゼリア公爵家の紋章が刺繍されている。

 エルマーはまゆ毛まで真っ白で、ふわふわしている。



 口調や言葉はなぜか頑張って厳しくしている感じで、私がコックコートの袖をくぃっくぃっと引っ張って「えりゅまーの、あまいのありゅ?」と聞くと、にこぉ、と笑うのだ。

 だから、少しも怖くない。



「誰にも内緒ですよ?」と言って、いつも私の好きな焼き菓子をそっと包んで持たせてくれるのだ。私はエルマーが大好きだ。



 だがしかし。今は。



「ちちうぇの、おしょば、にいりゅ」


「そう。きっと父上も喜ぶわ」


 母上が優しく微笑む。



「奥様、旦那様を寝室へお連れ致しますか?」


「……そうね。

 もしこの後呼び出しがあったとしても、きっと起き上がれないわね……」



 家令のアーベルが父上の従者に頷くと、大きな体の従者が疲れきった父上をさっと抱え、寝室へと向かう。

 母上とアーベルも後に続き、急に部屋がガランとなる。

 私も父上の傍に居たかったが、きっとお休みの邪魔になるだろう。



 厨房へ行くか自室に戻るか。いや、今日は厨房は諦めて大人しく部屋で過ごそう。

 もしかしたら、父上と一緒に夕食を食べられるかもしれないし。


 そう思い扉へときびすを返そうとした時、何かが視界を過った。



「……にゃに?」


 スッとしゃがむと、ソファーの下に何か包みが落ちている。



「若様?」


「だいじょぶ。おへやに、もどりゅ」


 長文はまだ難しい。

 なるべく文章を区切って話すと伝わり易い。舌が短いせいか息継ぎか?それとも歯が少ないせいか?


 幼子だからと納得出来ないのは、逆行前の幼子の時には、私に滑舌の問題はなかったからだ。

 今度クルトゥス医師に聞いてみよう。



 この包みは、おそらく父上の騎士服の隠しから落ちたものだ。

 とても気になるので、ここで取り上げられない様に急いで自室へ向かう。

 なにか、こう、見過ごしてはならないような、そんな気がする。



「若様、走ってはなりません」


「お抱え致しましょうか?」



 気が急いていた為、思わず走り出してしまった。カールからたしなめられる。

 確かに少しお行儀が悪かったか。貴族は走らない。まぁ、走ると言ってもこの足だ…


 それに抱えてもらった方が断然に速い。

 護衛のルシアンに向かって両手を上げる。


「ん」


 安心感のあるがっしりとした腕に抱えられる。

 ルシアンは近衛に憧れて、数年間ある近衛騎士を師匠に騎士見習いとして頑張っていたが、諸事情あって騎士になれなかった。


 その騎士からルシアンの事を聞いた父上が、ルシアンと少し話し何回か模擬戦をしてみた結果、見事私の護衛に採用となったらしい。


 模擬戦はもちろん父上の圧勝だった。

 父上は強いのだ。物凄く。



 その『諸事情』とやらを、なぜか教えようとしないので、今度もう一人の護衛のブルーノにこっそり聞いてみるか考えてみる。ブルーノはきっと知っているはずだ。

 私がルシアンに聞いた時、教えようとしないルシアンをニヤニヤして見ていたからだ。


 カールは気の毒そうに見ていたから、おそらく不憫な内容なんだと思う。カスペルはやれやれって感じだった。


 けれども、本人は知られたくなくて口を閉ざしているのに、他の人から聞いたと知ったら。


 きっと良い気はしない。

 私だったら不信感を抱くだろう。

 ブルーノに聞くのはやめておく。



 でも、知っておきたい。

 逆行前、私には従者も護衛もいなかった。

 


 乳母と言っても実際の所子守りだ。顔はあまりはっきりしない。

 私の部屋へはほとんど来ていないし、食事や着替え等の世話は、メイドが交代でしていた。

 別に困る事はなかった。



 授乳してくれていたのは、使用人の誰かの妻であったらしい。家令のアーベルが手配したとか。

 たまに世話をしにくるメイド達が、私の部屋でおしゃべりしていたのを聞いたのだ。

 主が寄りつかず、女主人の統制が取れていない貴族家など、いくら公爵家とはいえ所詮この程度だ。



 逆行後のこの世界は全てが違う。

人も名前も立場も何もかも同じ、ただ時間が戻っただけ、のはずだ。

 なのに何もかもが違う。同じ人物にはとても思えない。私には何かをした自覚はない。


 多分『ほんのちょっとした些細な事』がきっかけなのだ。それが、物事を全く違う道へと導くのだ。



 だから、しっかりとした関係を築きたいのだ。

 逆行前の私は、大事な事は何も分かっていなかった。何が大事なのかも分かっていなかった。

 考えは浅く視野は狭く、知らないという事を知らなかった、全く分かっていなかった。


 あんなにも焦がれ欲したもの。

 両親の愛情の詰まった本棚。逆行前と同じ衣装。書き物机の小さなガラス細工。


 全て私の手の届く所、目の前にあった。

 アーベルにでも聞けば、きっとあの無表情で教えてくれたはず。それを聞けば、両親への見方が全く変わったに違いない。


 けれども、私は聞かなかった。

 衣装や置物を覚えていたのは、私が忘れない記憶力を持っているから。それだけだ。



 私は知らなければいけない。辛い事でも悲しい事でも。楽しい事も嬉しい事も。

 知らなければ理解する事も、してもらう事もない。


 会話の力は大事だ。逆行前の私は、本も沢山読んだし勉学だって頑張っていた。

 けれども、肝心な時に言葉が出なかった。

 文字通り一言位しか出ないから、会話にもならない。


 あれもこれも言いたいし聞きたいのに、いつだって頭と口は連動しない。

 幼い頃の記憶しかないのに、後悔はいくらもある。


 知識だけあっても、何の役にも立たないのだと知った。経験があってこそなのだ。逆も然り。



 だから今の私は、回らない舌と口を頑張って動かし、頑張って思っている事を話し、分からない事、気になった事は何でも聞く。

 正しい話し方なんて知らない。知らないからこそ話すのだ。



 今の私の回りには、私を愛して見守り導いてくれる人達がいる。ちゃんと諌めて叱ってくれる人達がいる。

 失敗しても、間違っても良いのだと、彼らが私に教えてくれた。


 難しい事は何もない。



 だから私も、私の回りにいてくれる人達を大切にしたい。

 一人では生きられない事を、私は嫌という程知っている。体は生きている。心が死ぬのだ。



 エルマーの料理はとても美味しい。

 誰かの為に心を込めて作り出すからだ。

 そうしてくれている事を()()()いるからだ。

 そして、『誰かと一緒に』食べるからだ。だから美味しいし、美味しく感じる。



 『時間』を共有する事で、自然と繋がりが出来、それを大切にし続ける事が、また絆へと繋がっていく。


 赤ん坊に逆行し、自覚してから一年。

 皆に可愛がられ大切にされ、接していく内に気付いた。

 忘れない私の頭の中にある沢山の『知識』が『経験』を経て、やっと少しずつ理解しだしたのだ。



 数えきれない程読んだ本の中に、ある物語があった。

 その物語の中で主人公の少年がある場面で、幼い弟の手を繋ぐ。弟はとても喜ぶのだが、私にはよく意味が分からなかった。

 だから何なのだ、この描写は必要か?と、さえ思った。


 けれども逆行して幼子を経験し、カスペルやカールが当たり前のように、私に手を差し出し優しく繋ぐ。

 手を繋ぐ事が、共に歩いてくれる事がこんなに嬉しいなんて知らなかった。

 そして実際、手を繋いでいた事で転ばずに済んだ事が何度もあった。


 手を繋ぐ事は、弟を想う兄の思いやりであり優しさなのだ。

 あの本の一節は、こういう事だったのだと、私はやっと理解し納得したのだ。



 家族や身近にいる人達とは、お互いに信頼し信用出来る関係でいたい。困った時は助け合いたいし、楽しい時は共に笑い合いたい。



 私は公爵家の嫡子だ。知らなかったから、分からなかったからでは済まない。

 私が無知であるだけで、私より下の立場の人達の人生を、簡単に変えてしまうのだ。


 無知、とは学識の事だけではないと、今の私は知っている。

 私は知っていなければいけないし、分かっていなければいけないのだ。



 出来るか出来ないか。

 完璧に出来る人などいない。

 だが、努力は出来るはずだ。

 そう、ルシアンのように。



 何年も頑張って、目指していた近衛騎士を諦めた『諸事情』を知った所で、何も変わりはしないだろう。

 けれども、この武骨で優しい男の事をもっと理解出来るかもしれない。


 

 ルシアンは普段、黙って控えているだけだ。

口数も多い方ではなく、とても真面目な性格だ。別に堅物という訳ではなく、よくカールとブルーノを見て笑っている。


 落ち着いていて、冷静でどっしりしている。

 体も大きく筋肉もしっかりと付いている。相当に努力したのだろう。




 部屋に着くと、お気に入りのアルコーブのソファーベンチに座る。膝の上に例の包みを置き眺める。

 包んでいる布は父上のハンカチだ。母上が刺した刺繍がある。父上のお名前とローゼリア公爵家の紋章だ。



 丁寧にハンカチを開くと、今度は紙の包みが出てきた。どこにでもある白い紙のようだが、なかなか上質な感じだ。こちらもゆっくりと丁寧に開く。



 出てきたのは茶葉だ。良い香りがする。

 どこかで嗅いだ事がある気がするが、まったく思い付かない。甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 なんだか体がほわほわする。



「若様、大丈夫ですか?」


 カールがソファーベンチの横に膝をつき、声を掛けてくる。

 ルシアンも心配そうにこちらを見ている。



「だいじょぶ。ただの、おちゃ、みたい」


 に人を安心させる為にそう言うと、茶葉の端の方を指で少し押して少量手に付けると、ペロッと舐めてみた。



 やっぱりこの香りを知っている。味は特にしない。

 口にいれた茶葉をカリッと噛んでみた。

 この風味……確かにどこかで……なんだ?


 頭がくらくらする……と、思った途端、グラリと体が傾ぎ前のめりに倒れそうになる。血の気が引く感じがする。



 カールとルシアンが叫ぶ声と誰かが体を支えてくれたのを何となく感じて、目の前が真っ暗になった。




お読み下さりありがとうございます。

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