王子殿下と変な侍従 5
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「変な侍従のお陰だ。これは事実として、本当に。どうして女神が私を助けて下さったのか、ちゃんと理由があるのだ」
変な侍従が、先ほどの私のようにぽかんとしている。目は普通だが、口が空いている。
変な侍従は、私にあまり感情を隠さない。
たとえ父上、陛下の前であっても。
その事が、どれほどの安心感を私に与えてくれているのか、変な侍従は知っているのかいないのか。
本来の侍従は、あの侍従長のように感情を出さず表情も崩さない。そういう教育を受けるのだそうだ。
だけれども変な侍従が言うには、それは仕える相手にもよるそうだ。
今の所、特に侍従長から叱られたりはしていないらしい。
「すまない。話の前に、どうしても知りたい事があるのだ。
ずっと気になっていたのだが、クリスハルトがセレンの事を『変な侍従』と呼ぶのはなぜた?
確かにセレンは侍従として優秀だが、ごく普通の男ではないか?」
叔父上が首を捻りながら私に仰るのを、変な侍従が変な顔で聞いている。
父上や他の者達も、だいたいが叔父上と同じ意見のようだ。
「変な侍従は、元は『変な男』と呼んでいました。ですが、私の侍従になる事を認めたので呼び名も『変な侍従』に変更したのです。
『変な』の由来ですが。
変な侍従は、実は『押し掛け侍従』なのです。変な男です。
皆がばかにする王子に、自分から仕えようなんて。他に言い様がありません。
そして、きっかけがあったとはいえ、私の言葉を聞きたいと言ったのです。
私から話を聞くまでは、一歩も動かないと。
本当に変な男だと思いました。
そんな事を言われたのは、生まれて初めてでした。あんなに長く話した事も、初めての事でした。
私には、あらゆる嘘がわかりますが、あの日変な侍従が、嘘をついたり誤魔化したりした事はありませんでした。
多分、あの目を見開く顔が、変な侍従の心の内を代弁しているようで、変な男だ面白い、と思っているうちに、変な侍従はいつの間にか私の心にするっと入ってしまったのです。
ふふっ、案外危険な男かもしれません。
そうでした、正式には『頑固で変な侍従』です。
頑固で変な侍従は、私に忠誠を誓ってくれました。私が『変な侍従』と呼ぶ者は、これから先も彼しかいないのです」
「なるほど。
セレン、お前は『危険で頑固で変な』侍従だったのだな。以前、私は主人だったというのに全く気付かなかった。許せ」
「陛下!!」
笑い声を上げる父上と叔父上に、変な侍従が抗議?している。
変な侍従が私を見ながら大きな声で、必死に話題を変えようとする。
「殿下、私のお陰とは、一体どういう事でしょうか?」
「ふふっ。そうだね、ちゃんと最初から話した方が分かりやすいかな?」
父上と叔父上はまだ、くすくすと笑っていた。
翌朝、朝食の後少しして、昨日の居間で女神の話をすることになった。
色々あって、自分で思うよりも体は疲れていたようで、私は早目に夕食を食べると変な侍従に手伝ってもらい入浴した。とても気持ち良かった。
変な侍従は侍従長に呼ばれているらしく、私が眠ったら向かうと言っていた。
ベッドに入ると、あっという間に夢も見ずぐっすりと朝まで眠っていた。気分は爽快だ。
ゆっくりと朝食を食べた。
少しずつメニューを増やしていき、カトラリーが使える様に練習しながら食べる。
その内落ち着いたら、マナーの教師を呼ぶと父上が仰っていた。
それまでは、変な侍従が教えてくれる。
私はずっと変な侍従が良いなと、こっそり思う。
変な侍従と居間に入ると、突然何かがお腹にぶつかってきた。
「うわっ!」
「ごめんちゃいっ!」
私のお腹にしがみついている、金色の小さな頭から声がした。
「え?どうしたの?叔父上?」
私のお腹にしがみついている、この小さい金の頭の持ち主はレオニードだ。
ここにいる理由は何となく分かるが、なぜ突然しがみついて謝っているのか?
変な侍従を見るも、こちらも驚いている。
叔父上は苦笑いしている。
「レオニード、それではクリスハルトが困ってしまうだろう?
こちらに座って、ちゃんと話した方が良い」
叔父上の言葉に、やっと顔を上げたレオニードは、涙の滲む潤んだ瞳で私を見ると、私の手を握りソファーへと引っ張って行った。
「くりゅしゅはりゅとは、ここ。わたしはここ」
レオニードはにっこりと笑って、靴を脱いでソファーの上に座り込む。そして私を見て自分の隣をぽんぽんと叩く。
私が座ると、レオニードは体ごと私の方を向き、ぺこっと頭を下げてまた謝った。
「くりゅしゅはりゅと、ごめんちゃいっ」
「どうして私に謝るの?もしかして、近衛の訓練場で話した何かかな?
そういえば叔父上が何か、」
「しょうなの。わたしは、くりゅしゅはりゅとのことを、じっしゃいには、なにもしりゃなかったのに、うわしゃや、ひとのいうことだけをしんじて、くりゅしゅはりゅとを、しぇめた。
とても、ひどいことをした。だかりゃ、ごめんちゃいっ」
緑の瞳は、また潤んでいる。
柔らかい金の髪を撫でると、緑の瞳が私を見上げる。
「叔父上に何か聞いたんだね。
レオニードは、何も気にする事はないんだよ。
私の方こそ、君に謝らなければ。
大好きな父上を呼び捨てにされて、腹が立っただろう。嫌な思いをさせて悪かった」
私が謝って頭を下げると、レオニードはぶんぶんと音がしそうな程頭を振った。
目は回らないのか少し心配になる。
「ありぇは、ちちうぇもわりゅかった。
ちちうえは、ははうえにおこりゃりぇたの。
あっ!かしゅぺりゅ!わたしは、くりゅしゅはりゅとに、じこしょぅかい、した?」
近くに控えていたらしい、レオニードの従者が微笑み顔のまま答えた。
これも、ある種の無表情ではないのか?
今度、変な侍従に聞いてみよう。
「いいえ、若様。若様が初めて殿下を見られた時には、既に跳び蹴りを、殿下のお顔に決められておりました。ですので若様は、殿下に自己紹介どころかご挨拶もされてはおりません」
レオニードがびくっとして、私の袖を掴む。
従者は、微笑み顔のままだ。
なんだか面白くなってきて、笑ってしまった。
「ふふふっ。レオニードの従者は、ちゃんと叱ってくれるのだね。
大切にしなければいけないよ。
私は、クリスハルト・ルアージュ・セルリアン。君の従兄だ。宜しくね」
従者に叱られて、しょんぼりしていたレオニードは、はっとして顔を上げるとすぐに笑顔になった。
「わたしは、りぇおにーど・ふぉん・りょーじぇりあ。わたしも、くりゅしゅはりゅとのいとこ!なかよくしてくりぇりゅ?」
「はははっ。もちろんだよ。仲良くしよう、レオニード」
レオニードはソファーの上で、ぴょん!と飛び上がると叔父上に叫んだ。
「ちちうえ!なかなおり、できました!」
叔父上が微笑み、レオニードに言葉を掛けようとした時、レオニードの横に膝をついて目線を合わせる従者がいた。
「か、かしゅぺりゅ?」
「若様、ソファーの上で飛び跳ねるのは?」
レオニードが、しまった!と、いう顔をする。
「……わりゅいこだった。ごめんちゃい」
「ふふ。レオニードの従者はカスペルと言うのだね?
私はクリスハルト。これからレオニードと会う事も増えるだろう、宜しく頼む」
微笑み顔の従者は、表情をきりっと引き締めて私に礼をとる。
「王子殿下にご挨拶申し上げます。
レオニード様の筆頭従者、カスペル・ヴィンザムと申します。お見知りおきを」
さすが公爵家の従者だけある。
レオニードなら大丈夫と思っていたが、周りにも人材が揃っている様だ。
「レオニード、私の侍従を紹介しよう。
変な侍従」
声を掛けると、いつの間に側にいたのか、すっとレオニードの前に屈むと礼を取り、挨拶をする。
「ローゼリア公爵子息にご挨拶申し上げます。
クリスハルト王子殿下の筆頭侍従、セレン・ノアールと申します。殿下には、変な侍従と呼ばれております。お見知りおきを」
「へんなじじゅー?しぇりぇん?」
「どちらでも、お好きにお呼び下さい」
レオニードが私を見るので、頷く。
「へんなじじゅー!」
「はい」
楽しそうに呼ぶレオニードに、変な侍従も優しく返す。
レオニードの好きな菓子の話を聞いていると、父上が部屋に来られた。
「待たせたな。皆揃っているようだ。
クリスハルト、ここにいるのは皆信用に値する者達だ。安心して、お前の話したいように話すが良い」
父上がソファーに腰を下ろすと、侍従長の指示の元、茶と菓子が置かれる。レオニードはオレンジの果汁、私は果実水だ。
一口二口飲んでカップを置くと、皆をぐるっと見渡して口を開いた。
「私が近衛の訓練場から立ち去った所から、話そうと思う。
訓練場から出た私が向かったのは厩舎のずっと先、王城の敷地の境界にある荒れ果てた土地に残る廃屋だった。
その廃屋は、何百年も前に廃嫡された王子が幽閉されていたらしい。
初めてその場所を見た時、とてもしっくりと感じるものがあって、私にとっては居心地の良い空間だった。
私は廃屋の裏手にある、池のような水溜まりのある場所に行くと、いくつもある朽ちた大木の一つから、一本だけ生えている黄色い茸を取ると、長椅子だったような木に座り、茸を食べた」
私が死にかけたと知っていても、やはり詳しく聞くと生々しく感じるのか、息を呑む声がいくつか聞こえた。
「一口目を飲み込んだ時、すぐに体中がびりびりと痛んだが、私に出来る唯一の事だと思い何とか全てを飲み込み、ほっとした所で意識が途絶えた。
目を覚ました私は落胆した。
私は満足に死ぬ事も出来ないのか、と。
目の前には、茸を食べる前と何ら変わらず、崩れそうな廃屋と、朽ちた大木と水溜まりがあったからだ。
けれど、何か引っ掛かるものがあって、景色に目を凝らすと、分かった。
黄色い茸が無かったのだ。
私が考え込んでいると、突然声がした。
顔を上げると、とても美しい女性の姿をした、人ではない誰かがいた」
一旦話を止めて果実水を飲むと、横で小さな拳を固く握り締めて俯いている、レオニードを見る。
私はその小さな手を、自分の両手で包み優しく拳を開いていく。柔らかい掌は爪跡がくっきりと付いて痛そうだ。
「レオニード、私は今ここにいるだろう?
だから大丈夫だ。力を抜いて、私が女神に会った時の話を楽しんでおくれ」
「くりゅしゅはりゅと……」
レオニードの瞳を見ると、ゆっくりと頷いてくれた。
「ありがとう、レオニード」
小さな金の頭を撫でると、私は再び口を開いた。
「なぜ、人ではないと分かったのか。
その女性は浮いていたからです。
もし私が生きていようと死んでいようと、この世界でそのような事の出来る存在は、たった一つしか思い当たりません。いくら無知な私であったとしても。
ですが、私は敢えて質問致しました。
『あなたはどなたですか?』
『あら、気付いているのではない?』
彼女は私を見透かすように笑いました。
自分からは何も言う気はないようでした。
『何のご用でしょう?
ご存知のように、私は死ぬ所なのですが』
『そうよ、だから会いに来たのよ!
なぜ死ぬの?』
どうも私が死ぬ事に、腹を立てているようで何となく怒っているように感じる。
『死にたいから?』
『なぜ、死にたいのよ?
あなたを想う侍従も付いたじゃない。あなたを縛っていた王妃ももういない。これからは、ちゃんとした環境で過ごせるわ』
納得がいかない!とでも言うように、女神が腕を組んで私を睨む。
『私が死ぬ事を、どうしてそんなに貴女が気に掛けるのですか?
私は陛下に見放され、ばかにしない者がいない程軽んじられる存在です。実際、私は何も知らないし何も出来ない。
私一人いなくなった所で、何の問題もありません。王国は安泰ですよ』
『……私の事を恨んでる?』
感情の読めない顔で私を窺っている。
『私が貴女を?まさか。
私は誰の事も恨んでなどいません。
それに私は貴女の事を知りませんから』
『けれども、王妃が捕まり侯爵家が粛清された後、レオニードの話が伝わってもあなたが誤解されたままだったのは、わたしのせいでもあるはずよ。
あなたには、分かっているでしょ?』
自分のせいだと言うわりに、強い口調と眼差しは、まるで『お前のせいだ』と言われたがっている様だ。
『その『レオニードの話』というのが何かは知りませんし、なぜ私が『分かっている』のかも、分かりません。
そして、誰かのせい、そう言ってしまうのは簡単です。
そうしたら自分は被害者で、全ての責任はその『誰か』の物になります。
でも、本当にそうでしょうか?
物事は一つの選択だけで、全てが決まるのでしょうか?
誰かが決めた一つの選択で現れる新たな道を、また別の誰かが選択する。幾つもの道、多くの人物、様々な環境、数えきれない程の結果の可能性。
ただ一人のただ一つの言葉や選択で、何かが決定する訳ではない。たとえそれが貴女であっても。
だから、私は誰かを恨むつもりも無いし、責めるつもりもありません』
彼女は驚いていたけど、それでも不満気に食い下がってくる。一体、何が気にいらないのか。
『それなら、誰も恨まず責めないのなら死ぬ必要はないじゃない。
あなたの事を理解してくれる人にも、出会えたわ。それなのに死ぬの?』
『私は恨みません。
けれども、王妃や侯爵家の血を引く私を、恨む者や責める者も沢山いるでしょう。
侯爵家に関わる、文字通り全ての者を処分したのに、一番近しい息子である私はお咎め無し。そのうち陛下を声高に責める者も現れる可能性も、ある。
確かに、私を私として理解し支えてくれる者と出会いました。きっと、このまま生きていたとしたら掛け替えのない存在となる。
でも、だからこそ、私がいてはいけない』
私は彼女の顔を真っ直ぐに見ると、聞いた。
『貴女は何がしたいのですか?
私がなぜ死ぬのか、私が生きるか死ぬか。
そんな事は些細な事です。
それに、貴女は私を王にしたくないのでは? まぁ、生きていた所で私に王になるつもりは無いですし、既に貴女も含めて皆、誰が世継ぎになるのか腹積もりがあるはず。
私が死ぬ事の何が問題ですか?』
女神は少しの間、じっと私を見つめた後大きく溜め息を吐くと片手をさっと振った。
私は目を見開いた。
今までいた廃屋と荒地が、一瞬にして美しい姿の離宮になった。荒地だった大地は嘘のように、整えられた素晴らしい庭園となった。
大木の木陰には、装飾の施された白いベンチがあった。
『……これは』
思わず声が零れる。
ずっと体を浮かせていた彼女は両足を地面に着け、座っている私の前までやって来た。
『それで?』
彼女が聞いてくるが、意味が分からない。
首を傾げる私に、彼女が溜め息を吐いた。
『本当に分からない?』
『何を分かれというのか、貴女の行動は全て意味が分からない。
貴女は今、私の意志に反した事をしている。
質問ばかりして、理由の説明も謝罪もない。
その上聞いても名乗りもしない。
私にこれ以上、貴女に付き合う理由がありますか?』
彼女は無表情で私を見つめていたが、水溜まりがあった場所にある、美しい小さな池にサッと片手を振った。
なんとそこには近衛の訓練場で、ある程度の距離はあるが、近衛騎士に囲まれる変な侍従の姿があった。
変な侍従は、私が見た事のない表情で酷く怒っていた。
アルブレヒトの従者の言葉に、激しく反論している。私の為に怒り、抗議している。
彼は従者に対してだけではなく、アルブレヒトや周囲にいる近衛騎士達、訓練場にいる全ての者達に叫んでいた。
彼女はまた片手を振る。
池には、変な侍従を先頭にアルブレヒトと従者が走っている姿がある。
私が子馬と寝転んでいた事が、変な侍従の手懸りになるなど、思いもしなかった。
変な侍従は厩務員の爺さんに、この廃屋の話を聞き確信を持ったようだ。
爺さんを案内に、廃屋に着いて私を見つけた。
変な侍従が私を抱え、馬で王城へ着くと私の体は医師に囲まれ、治療が施されたが意識は戻らないようだ。
陛下とアルブレヒトが、私の部屋の中を見て愕然としている。そして、私が捨てられなかった未練の塊が、陛下の手に握られていた。
忘れてしまった笑顔。向けられる事の無い穏やかな表情。いつか、と願ってしまう弱い心。
変な侍従には、爺を理由に捨てられなかったと話したが、やはり、陛下に話す変な侍従の言葉は中々に核心を突いていた。
陛下とアルブレヒトが『レオニードの記録』というものについて話し出した。
『レオニードの記録』と、陛下の夢の話が終わった所で、池に映っていた三人の動きが不自然に止まる。
変な侍従の顔は、またしても怒りに染まっている。
彼女を見て片眉を上げると、無表情で見つめるだけだ。
女神様は、時を操るらしいから、意図的にここで止めたのか。
仕方がないので、今の三人の話しを考えてみる。
なるほど。
色々と辻褄が合うのが分かる。
私にその『逆行』という、時間を遡る前の記憶などない。
ないが、その二十才を過ぎた私が女神を相手に『なぜ私が』『分からない』と言った理由は、何となく分かる。
今の私でも同じように答えるだろう。
『なぜ私が』救わなければならない。
私が苦しかった時、誰か手を差し伸べてくれた事があったか?
救うどころか、苦しむ私を指差し嗤いばかにしたのではなかったか。
その、私をばかにし続けてきた者達が今苦しんでいる、だから救えと?
女神とは、全ての事を知っているのではないのか?
その上で、なぜ私に聞くのか。女神の神経が『分からない』もしくは『理解出来ない』だ。
なるほど。
何度目であろうが誰も彼もが、如何に私自身を見ていないのか。
どうでもいいと、何の関心も無いのか。
この女神とのやり取り等から、私は無能の烙印を追加されていたという事だ。
母上の事にしても、思う所はある。
女神や陛下の裁きは公平ではなかったと、私は思うのだ。
母上はアルブレヒトに執着していた。
陛下に毒を盛り、アルブレヒトにも薬を盛っていた。実際、三度目というこの世界でも、母上は既に陛下に毒を盛っていた。
母上が許されない悪事を、幾つも働いていたのは、事実だ。アルブレヒトにもかなり執着していた。
だが、きっかけは?
母上とアルブレヒトを引き合わせたのは?
いつも一緒にお茶会をしていた。
まだ少女だった母上に、例え社交辞令であっても、美しい顔で微笑んだのは誰だ?
母上のしてきた事を、正当化したい訳ではない。だが、母上が誰かを傷付ける前に何か出来たのではないのか。
皆が言うように、本当に最初の最初から、母上は『悪』だったのか?
母上を避けていただけの陛下には、何の過失も無かったのか?
その時その場にいなかった者には、何とでも言える。そう言われれば言葉はない。
だが。
母上は処刑された。私ももう死ぬ。
何を思っても詮無いことだ。
黙って私を見つめる彼女を見上げ、同じ言葉を返した。
『それで?』
彼女は目を見張り、無表情の仮面が消えた。
『それで、って。
何か言いたい事や不満は無いの?
誰も、誰一人、貴方の気持ちや置かれていた境遇を気にも掛けず、自分が見ただけの印象であなたを決めつけた。……わたしでさえも』
『そうだな。
しかし、私に一度目、二度目の記憶などない。三度目?今の私は、セレンに出会った。
死ぬ前に彼と出会えた事で、五年と短かった私の人生は、不遇ではあったが不幸ではなかったと、最期にそう思える』
『まだあなたは、死ぬつもりなの?』
『まだ、とは失礼だな。
私は毒茸を食べた。あれでは助からないし、私に助かる気はない。
今、こうして話しているのは、あなたが勝手をしているだけだ。
そして、死のうが生きようが私の勝手だ』
『どうして、どうしてあなたはいつもそうなの!』
女神が突然叫んだ。
『前のあなたも、どれだけ私が説得しても絶対に自分の意志を曲げなかった。
今だってそう。
思考や言葉使い知識だって、今の五才のあなたには無かったもの。それらを自然に受け入れ、使いこなしているというのに。
あなたの意志と感情が、頑なに拒否して記憶を受け入れようとしない。
だからあなたは、いつまでたっても、わたしを『知らない』なんて言うのよ。
あなたは三百年前、廃嫡されこの地に幽閉された王子だった。
王となる兄と国を混乱から守る為、自ら命を絶った。
八百年前、建国王の実弟にしてわたしの義弟だったあなたは、謀略に巻き込まれ兄とわたしを守り、生まれたばかりの国を争いから守る為、自ら命を絶った。
そして今またしてもあなたは、国の為、あの侍従の為に自ら命を絶った』
心臓がどくんっ、と大きく鼓動する。
その瞬間、私の体の中に、奔流の様に膨大な記憶が一気に流れ込んでくる。
そうだ。
あの時の兄上は国を創り、私は兄上を支えられる事が喜びだった。
だが、それまで協力し合っていた勢力が、国が整い体制が出来上がり、一番大変な時期を越えた頃、牙を剥いた。
理想に燃え、人々が平和で安心して暮らせる国を創る為に皆が奔走した。
だが実際に国が出来れば、王が起つ。
確かに主導者であり指導者であった。
けれども『王』とは違う。
そうして体制が整う程に、納得出来ない消化出来ない不満が、育っていったのだ。
呑気に兄上を支える事しか考えていなかった私は、いつの間にか反体制派の旗頭とされていて、反逆者として追われる身となった。
もちろん、兄上も義姉上も私が反逆者など、塵ほども思ってはいなかった。
密偵を使い粗方の証拠は掴んだ。だが、このままでは内乱になるかもしれない。
私は一計を案じ、王の前に皆が集まる時、全ての謀略を暴露し証拠を皆の前で王に手渡した。そして、王に背を向けたすぐ後『国王陛下に光あれ!』と叫び、自ら剣で胸を突き刺し死んだ。
死ぬ間際、兄上と義姉上の悲痛な声が聞こえた。
ずっと私が支えるのだと、あんなに思っていたのに。私が二人を悲しませている。
だから私は願った。
二度と二人を悲しませない様に。
例え生まれ変わったとしても、二人とは別の人生を。
女神である義姉上に見つからない様に、と。
次の人生は、第二王子として生まれた。
もちろん、前の人生の記憶など無い。
最初の頃は順調だった。
だが、兄が十五才で成人し立太子の儀を行う時に、問題は起こった。
私は知らない内に、王位を狙う反逆者にされていた。黒幕は母上だ。
母上は、なぜか私だけを可愛がり兄上を疎んでいた。
兄上はとても優しくて勇ましく、王として申し分のない才覚を持っていた。
黒い獣の討伐にも積極的に参加し、その首を一刀両断した。
二才上のこの兄が私は大好きで、いつも自慢に思っていた。
母上はそれも気に入らなかった。
私を王にしたかったのだ。
兄上が立太子するその儀式の朝、兄上は暗殺者に襲われ負傷した。
暗殺者は捕縛されたが、口に仕込んでいた毒ですぐに死んでしまった。
母上は捕縛されなかったが、証拠は掴まれていた。父上は、とにかく先に兄上を立太子させてからだと、言っていた。
だが私は、母上の眼を見て心を決めた。
あれは、放っておいてはいけない。
幽閉など甘い対応をすれば、後々寝首を掻かれるだろう。
私は母上を自らの手で殺した。
剣で刺したのだ。
兄上は私に掴み掛かり、人目も気にせず怒鳴りつけてきた。
なぜお前が泥を被るのだ、と。
母上は、あの人は兄上にとって純粋な『悪』だった。もし、私が死んだとしても必ず某か理由を付けて、兄上の治世を邪魔するだろう。
王の母だ。
簡単には殺せない。
だから私が殺した。
父上には号泣された。
兄上は立太子され、私は廃嫡された。
私は一年の間、王城の一室に幽閉されていた。その間に、兄上が私の為と離宮を造ってくれたのだ。
私は兄上に心から感謝をしたが、このまま生きていく訳にはいかない事は、理解していた。
私は良い餌なのだ。
兄上は私の為に離宮を造った。
母上に協力していた残党は、全てを捕らえた訳ではない。兄上を廃そうと考える者に、私の存在は兄上の弱点と映るだろう。
国内の情勢を見つつ、なるべく兄上に迷惑のかからない時期を選んだ。
半年後、離宮の敷地内に自生していた毒茸を食べ、私は死んだ。
『全て思い出せたかしら?』
彼女は心配そうにしている。
おそらく、今の私の体が五才の幼子だからだろう。
『大丈夫だ。思い出した。
だが、なぜ私に関わる?』
『やっと貴方の魂を見つけたのよ!
なのに、貴方はまたしても自分を犠牲にしようとしていた。
その上、原因の一端はわたしだったなんて』
彼女は片手で、額と両目を覆う。
『人間は誰であっても、運命なんて決まっていないわ。一人一人の生き方が、自分の人生を決める。
けれども一定の割合で、なぜか似たような境遇、似たような死に方をする人達がいる。
貴方もそう。
だというのに、貴方は死に際して生まれ変わっても、魂が私達から離れるように願ったでしょ?
貴方も貴方の兄も、魂の力が抜きん出ていて、とても強いのよ。そういう者が死に際して心から願うと、叶う事がある。
わたしはずっとあなたを探したわ。
三百年前、やっと見つけたあなたは虫の息だった。貴方が死を選んだ状況も、貴方の強固な意志もわたしには変えられなかった。
八百年前の貴方にも、わたしは何度も説得したわ。けれど貴方は聞く耳を持たなかった。
悪い予感はあったけれど、まさかあんな死に方をするなんて』
時を操れる女神にとって、八百年という時間は昨日の事のように感じるのか、涙ぐんでいる。
いくら記憶が蘇ったとはいえ、何百年も昔の話だ。
『思い』は覚えていても感情は風化している。あくまでも『記憶』であり、今の『クリスハルト』にとっては、本の中の出来事のように感じる。
感情移入が出来ても、またそれを冷静に見られる自分がいる。
『私は自分がやりたい事をやっただけだ。
兄と貴女が創ったこの国が、今も存続していて、頂点には王がいる。あなたが色々と手を貸したにしても。
私の行動は正しくはなかったかもしれないが、間違ってもいなかった。
愚かだったかもしれないが、必要な事だった。だから、後悔は無い。
人は死ぬものだ。
貴女が今の私を引き止める理由は、なんだ?
全ての状況を、今は理解しているのだろう?』
彼女の心を落ち着けるように、長くゆっくりと息を吐く。
『間違っているからよ。
五才のあなたには、何の瑕もない、ただ虐げられていただけ。
全てがあなたのせいじゃない。
もっと幼い頃は、誰も味方がいなかった。
けれども今は違う。侍従がいるわ。
一人増えれば後はどんどん増えていく。
あなたには、王に相応しい知勇と決断力がある。きっと立派な王になれるわ。
わたしはレオニードの逆行に関わる、一度目と二度目の貴方と話した。すぐに駄目だと切り捨てたわ。わたしは結果しか見なかった。
あなたは王家の唯一人の直系継承者だったというのに。
あの時にちゃんと考えていれば、三度目の貴方を不遇から救えたはず。それに貴方の侍従から、あんなに正論で責められる事もなかった』
首を傾げる私に、彼女はさっと片手を振る。すると、池の中で止まったままだった三人が動きだした。
陛下に促され、変な侍従が心の内をいい放つ。その内容に、私は笑ってしまった。
曝しすぎだ、変な侍従。
『はっはっはっ!はははっ!』
笑いが止まらない。
『笑えば良いわ。
完全に私のせいよ。
この侍従の言う通り、国を守ると言いながら幼い世継ぎの王子を見捨てた。
最初の貴方の義姉としては、今度こそ自分の為に生きて欲しい。
そして女神としては、過ちを正す為にもしっかりと生きて、この国の王となって欲しい』
感情を抑えた無表情の彼女には、神の威厳と畏怖を感じさせる。
私は考えを巡らせ、自分の心に問う。
生きたいか?
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