王子殿下と変な侍従 3
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**変な侍従~セレン視点**
「殿下!
お一人では危険です!」
必死に止めるが、殿下は私の目を見て首を振る。それを見て、なぜか焦る気持ちが強くなる。
「殿下!」
しつこく声を掛けると殿下は振り返り、後ろ歩きをしながら私に声をかけた。
「私は大丈夫だ、変な侍従。ありがとう」
そう仰って、微笑み手を振られた。
そのお顔に逆らえない何かを感じて、私は殿下を見送ってしまった。
「おいセレン、今のはどういう事だ?」
呆然と立ち尽くす私に、元第二王子殿下の元専属侍従で、現公爵閣下の従者であるクリフォードが話し掛けてきた。
公爵閣下や近衛達も落ち着きなく、私の言葉を待っているようだ。
だが、私は閣下に聞きたい事があった。
身分だどうだと言っていられない。
早く、殿下を追いかけなければ!
「閣下、無礼を承知でお尋ね致します。
なぜ今、殿下とご子息様を会わせようとお考えになったのですか?」
「……年の近い従弟に会えば、あれも心を変えるかと思ってな。
兄上の為にも、本人の為にも真っ当な王子になって欲しいのだ。幼い者同士なら、気持ちも解れるかと、な」
殿下自身を見ていない。
上っ面だけを見て、噂を信じる。
私だって、大きな事は言えない。陛下から殿下付きになって欲しいと言われるまで、殿下の事を考えるなど思いもしなかったのだから。
けれども、あの諦めきった悲しい瞳を見て、気にかけずにいられる訳がない。
傲慢に聞こえる強い口調も、弱味を見せまいと精一杯に強がっている様にしか見えない。
母親とはぐれ、切り立った崖に追い詰められた独りぼっちの小鹿のようだ。
殿下は何も求めない。拒絶されると知っているからだ。
大人は、自分達が誤っているなど思いもしない。
その事が、どれ程あの幼子を深く傷付けているのか、全く知りもしないで。
殿下と同じ血筋と星屑を持ち、殿下と真逆の環境にある、皆に愛され優秀と評判の高い子息を会わせる。
殿下を追い詰めるとは考えないのか。
本心では会わせたくなかった。
時期が悪すぎる。
けれど、殿下に伝えない訳にはいかなかった。
「真っ当な、王子、ですか。
母上様とお祖父様を処刑されたばかりの、しかもそれをお一人でご覧になられた、たった五才の幼子に……」
「おいセレン、閣下に無礼だ!
閣下のお優しさが分からんのか?
殿下の評判は頗る悪い。それを少しでも、」
「評判を落としたのは誰のせいだ!?
何も出来なくなったのは誰のせいだ!?
殿下が一体何をした!?」
「何もしなかったのが問題なんだろうが!」
クリフォードが私に強い声で言い返す。
怒りで腸が煮えくり返りそうだ。
「何が出来たのだ!?
訳もわからず父親には常に威嚇され、叔父にはいつも睨みつけられ、せっかく会えた父親をその叔父が連れ去ってしまう。
懐いていた教育係は知らない内に解雇され、父親は殿下は王にはなれないと、王城中に知らしめた。
母親はお前が不出来なせいだと殿下を叱り、殿下の部屋の本を全て捨ててしまった。
新しい教育係は、殿下に読めと『セルリアン王国の税制度について』という本を差し出した。
殿下が読めないと言うと、アルブレヒト殿下は同じ年で読めたのにと言い、殿下をばかにしたのだ。
その事を理由に殿下は母親から、その本が読めるまで図書室への入室も禁じられた。
剣術や体術については、先ほど殿下が仰った通りだ。陛下に禁じられていた。
まだまだ言い出したらきりがない。
今話した事は、全て二才になるまでの事だけだ!
何が出来た?殿下が何をした!?
今まで出会った人間で、自分をばかにしない者には会った事がないと、殿下は笑いながら仰った。五才だ!」
広い訓練場は、不自然なほど静まり返っていた。
こんな所で時間を無駄にする暇はない。
一刻も早く殿下を探さなければ!
殿下はおそらく……
走り出そうとする私の腕を、クリフォードが掴んで止める。
「どこへ行くのだ!」
「離せ!一刻も早く殿下を探さなければ!
殿下は!」
「クリスハルトに何があると言うのだ!?」
黙って聞いていた閣下が、鋭い声で聞いてくる。
「お命の危険があります。
どこに行かれたのか見当もつかないので、時間がないのです!」
「しかし、五才の幼子だ。行ける場所は限られるだろう。すぐに見つかる」
私は思わず閣下を見て笑ってしまった。
「ここにいる誰よりも、殿下は王城の敷地の隅々までご存知ですよ」
閣下が息を飲むのが分かった。
「では、私は急ぎますので!」
今度は走り出す事が出来たが、閣下とクリフォードが一緒に付いてきた。面倒な!と思ったが、万が一何かあった時人手がある方が都合が良いと、思い直した。
「訓練場にいた近衛に、手分けして捜索するように指示を出した。きっと見つかる!」
閣下が私を励ますように仰った。
今まで放っていたくせに、殿下が孤独になった一番の原因は『家族』だ。
無条件に愛してくれるはずの。
落ち着かなければ、今は私の怒りより殿下を見付ける事が先決だ。
「セレン、どこに向かっているのだ?」
走りながらクリフォードが叫ぶ。
「厩舎だ!」
「厩舎!?幼子が行くとは思えないが」
「何か当てがあるのか?」
クリフォードと閣下が尋ねてくる。
「殿下は、厩舎の子馬を可愛がっていた。一緒に寝転ぶくらいには。何度か話しに出てきて可能性が一番高い」
厩舎が見えてきた。
まず、子馬の馬房を覗く。いない。
手分けして、探すが見当たらない。
厩務員達が休憩の為か、集まって歩いているのが視界に入った。
私は急いで駆け寄り、厩務長らしい男に掴み掛からんばかりに尋ねる。
「教えて欲しい!王城の敷地の中で、誰も足を踏み入れない荒地のような場所はないか?
噂話でも何でもいい!何か知らないか?」
「誰も行かない場所……荒地、なぁ?
誰か心当たりはないか?」
周りの男達が色々な話を出すが、どれもぴんと来ない。
「うーん、分からないなぁ……。
あ、爺さんが知ってるんじゃないか?」
「おぉ!そうだ!爺さん呼んで、おーい!
爺さん爺さん、早く来てくれ!」
話している間に、年配の男がやって来た。
「爺さん、王城の敷地の中で、誰も足を踏み入れない荒地みたいな場所はあるか?」
「荒地?あぁ、それなら、このずーっと先の敷地の境界線の辺りに、むかぁし廃嫡になった王子が、幽閉されていたという屋敷がある。周りは荒地だ」
「そこだ!間違いない!
頼む案内してくれ!」
閣下とクリフォードが、馬を引いてやって来た。爺さんが急いで自分の馬を用意する間に、二人に荒地の話をする。
「そんな話は初めて聞いた」
閣下が驚いていると、馬に乗って爺さんが現れた。
「出来る限り急いでくれ!」
「承知しました!」
私達は爺さんの後ろに付いて、細い道を入って行く。段々と道が砂利道になり、道といえない様相になってくる。高く生い茂った雑草を掻き分け、奥へと進む。
しばらくすると、開けた荒地に崩れそうな屋敷が見えてきた。
「まさか、本当にあるとは!」
唖然とする二人を置いて、私は馬から飛び降り屋敷へと一目散に走って行く。
急いで私を追う二人が、屋敷の建物の方へ向かうのを視界に入れた私は、なんとなく裏手の池の見える場所へ入って行った。
池の周りには朽ちた大木が何本もあった。
周囲を見回すと、何かがきらっと光った気がした。目を凝らして、ゆっくり注意深く見る。
またきらっと光った。
その方向に進むと、金色に光る小さな頭が見えた!
「殿下!殿下!」
私は大声で叫びながら、殿下へと駆け寄る。
殿下は朽ち果てた長椅子のようなものに、倒れるように横たわっていた。
私の声を聞き付けたのか、閣下とクリフォードも駆け付けた。
倒れた殿下を抱き起こし、顔を見ると真っ青どころか紙のように白かった。
意識がない。
至急、医師に見せなければ手遅れになる。
よく見ると、殿下の口元に黄色い何かが付いている。胸元の隠しからハンカチを取り出すと、その欠片を包む。
私の様子を見ていた爺さんが、震えながら殿下を指差す。閣下が何か聞いている。
「お、おうじ……」
「そうだ、王子だ。急いで城へ連れて行き、医師に見せなければ!」
「ち、違う!お、おうじ、だけ」
途端、閣下が目を剥き、爺さんを鷲掴む。
「王子茸か!?お前が言っているのは、王子茸の事か!?」
爺さんはかくかくと首を縦に振る。
なんだ、どういう事だ?
「王子茸は即効性の毒茸だ!
クリスハルトを急いで王城へ運ぶのだ!
クリフォード、先に行って医師の準備を急がせろ!解毒薬があるはずだ」
「はっ!」
クリフォードがすぐに馬で王城へ向かった。
「私が殿下を抱いて、王城へ向かいます」
私は、誰にも殿下を任せたくなかった。
「急げ!」
ぐったりと意識のない殿下を抱き上げ、馬に乗る。しっかりと殿下を抱き締め、なるべく速度をあげる。
永遠にも感じる長い時間を経て、やっと王城に着くとクリフォードが待っていた。
馬を飛び降りて用意されていた部屋のベッドに殿下を寝かせる。
準備を整え待っていた医師達が、一斉に殿下を取り囲み治療が始まった。
私は床にへたり込みそうだったが、殿下の無事が分かるまで倒れる訳にはいかない。
邪魔にならないように、部屋の隅でじっと待つ。
クリフォードが話し掛けたそうにしているのが分かったが、私は殿下から目を離さなかった。
やはり、殿下はお一人で死ぬおつもりだったのだ。ほんの一時でも、目を離すべきでは無かった。危ういと分かっていたはずだったのに!
私は忸怩たる思いで、拳を握り締めた。
しばらくすると、陛下と閣下が部屋に入ってきた。二人共、真っ青だ。陛下は特に顔色が悪かった。
「クリスハルト……なんという事を!
命は助かるのか?目は覚めないのか!?」
すがる様に医師に問うが、医師の答えは残酷だった。
「王子茸を一本全て、食しているようです。時間も経っていて、毒が全身に回っています。
解毒薬も飲ませましたが……」
私は堪らず、殿下のベッドに走り寄った。
医師を押し退け、殿下に叫ぶ。
「殿下!殿下!起きて下さい!殿下!」
クリフォードが慌てて私を押さえつけようとするが、陛下が止めた。
何度も呼びかける内に、殿下の瞼がぴくりと動いた。
「殿下!起きて下さい!殿下!」
「…………へん……じ……?」
うっすらと目を開けた殿下は、私を見つけると微かに微笑まれた。
手を少し動かされたので、しっかりと掴むと安心されたように息を吐かれた。
「殿下、しっかりして下さい!殿下は私にお約束してくれたはずですよ。
起きて下さらないと殿下も皆と同じ、嘘つきになってしまいます」
「……へん、な……じじゅ……てを、……はなさ、な……ぃ、で……」
「殿下?殿下!」
殿下はまた意識を失い、その後目覚める事はなく朝が来た。
殿下は夜の内に自室へと運ばれた。
殿下の部屋を見た、陛下と閣下は愕然としていた。
王城の使っていない客室よりも、物が無かったからだ。
大きな本棚は空だし、机の上には飾り物ひとつ無く、下級文官が使うような無機質な文鎮とペンが置いてあるだけだった。
陛下が引き出しを開けた途端、崩れるように床に座り込んでしまった。
部屋の中、扉の前に控えていたクリフォードが動こうとしたが、閣下が手振りで止められた。陛下は、侍従も護衛も連れて来られなかった。閣下にはクリフォードのみだ。
陛下は手に紙を持っている。
私はそれが何か知っていた。
閣下が陛下に寄り添って、ソファーに座った。陛下は泣いていらっしゃる様に見える。
「セレン、この絵の事を何か知っているか?
礼儀など気にせず好きに話して良い。
クリスハルトの事を、息子の事を私に教えて欲しいのだ。頼む」
陛下に涙の混じる声で頼まれる。
実は、昨日殿下が眠った後、陛下に報告をするはずだったのだが、私はしなかったのだ。
あまりに衝撃的で残酷な内容だった為、陛下に告げる時、余計な者はいない方が良いと思ったのだ。それに私もまだ混乱していた。
陛下が何も知らなかった事を意外に思った。
あの影が、陛下に報告していると思っていたからだ。
おそらく殿下の意向を配慮し、私が報告するまで待っていたのだろう。そう推測出来る程には、非道な内容であった。
今朝ご挨拶に伺った時に、陛下から尋ねられたが、私は視線だけで周りを見て告げた。
「殿下は毒を頂きたいと願われております。
自ら命を絶てば、陛下もほっとされる筈だと。その方が皆にとっても良い事だと仰っておいでです。
もしも陛下が殿下に毒を、とお考えであるならば、私は全力でお諌めする所存であります。
陛下がお怒りでない時に、殿下とお話をされてみては如何かと。
殿下はとても聡明でお優しく、正に次期国王に相応しい、立派な王子殿下にございます」
私の言葉に、陛下は目を見張ると俯かれた。
そして小さく「後悔している」と呟かれた。
陛下が『後悔している』と仰られたのは、ご自分で何か思う所がおありだったのだろう。
それとも殿下が毒を頂きたいと仰っている事を告げたせいなのか。
私は殿下の小さな手を握り、殿下の白いお顔を見ながら陛下に殿下の事を話した。
私が殿下と出会う前、友人だと思っていた首にされた元侍従の話。
侍従長と殿下の元へ行き出会った日から、近衛の訓練場で殿下と別れるまでの全て、思い出せる限りを話した。
侍従長とのやり取りの説明もした。
侍従長が陛下の言葉として伝えた時、殿下が『なぜ侍従がいない事が食事や着替えをしない事になるのか』と、不思議そうにしておられた。
侍従長は、殿下の言葉に侍従の仕事を気にもしていない、ばかにされたと思ったのだ。かなり不機嫌になっていた。
殿下が不思議に思うのは当然だ。殿下は二才からほぼお一人で、ご自分の身の周りの事をされていた。
殿下についていた侍従は、何も仕事をしていなかった。それどころか、殿下の食事を自分達の物と差し替え、更に間引いていた様だ。
おそらく、運んでいたというメイドも共犯だろう。
殿下のお部屋がガラガラなのも質素極まるのも、元侍従達の仕業に違いない。
あと護衛の事は、必ず改善してもらわなくてはならない。殿下には護衛がいないのだ。
聞けば、生まれてから一度もいなかったそうだ。何度でも繰り返すが、殿下はこの国のただ一人の世継ぎだ。
全て話した。
陛下と閣下は青ざめた顔で、震える手を握り締めている。
私は、陛下が持っている絵の話をする。
「その絵は殿下が二才になる少し前、『あの口論』の少し前に描かれたものです。
殿下は爺に勧められたと、仰っておいででした。陛下の生誕祭の頃です。
『爺が、殿下の絵を陛下がご覧になれば、何か良い切っ掛けになるのでは、と考えてくれたが、結局私は何も活かせないどころか、全て無駄にし、爺はいなくなってしまった』と。
最後に爺に会った時『あの口論』の翌日ですが、殿下はその絵を破かれたそうです。
しかし爺が丁寧に絵を張り合わせ、殿下を窘められた。
たとえ破られた跡が残っていても、その絵をご覧になれば、殿下に絵の才能がある事がわかります。
そして、殆んどお会いする事が無く、いつも怒っていたはずの陛下を、殿下がよくご覧になっていた事も」
殿下の描かれた絵は、陛下のお顔から胸位まで。鉛筆画だ。
柔らかい線で、陛下の表情から感情が伝わってくるようだ。少ししか見えない衣装の描写も細やかで、全体的に威厳がある。
何よりも陛下の瞳は穏やかで、怒っていらっしゃる様には、決して見えない。
「なぜ、この絵の陛下は怒っていらっしゃらないのか殿下に尋ねました。
『私には怒っていらっしゃるが、侍従や護衛には、お優しいお顔をお見せになるのだ』と、寂し気に笑っておられました。
その絵が残っているのは、捨てようとすると爺の顔が過って、捨てられなかったと仰っていましたが、もう陛下のお顔を忘れたくなかったのだと、私は思います」
頭を抱えていた陛下が、私の言葉に顔をあげる。
「……もう?」
私は陛下と閣下の顔を順に見ると、陛下に視線を合わせ、話した。
「殿下は、生後三ヶ月になるより前から、周囲の事が分かっていたようです。もちろん記憶もあるそうです。
生まれて三ヶ月を過ぎて、初めて父と母を見た。最初は乳母を、母だと思っていたと。
『初めて父上を見た時、最初で最後、父上が私に笑いかけた。
だがアルブレヒトが父上を連れ去ってしまった。私はもう、父上の笑った顔を思い出せない』
殿下はそう、仰っていました」
陛下はまた頭を抱えてしまった。
「……私達は、王妃と侯爵家を警戒し嫌悪するあまり、何の罪もない幼子に八つ当たり、負の感情を押し付けていたのだな。
あの子はまだ五才だというのに、あまりにも無関心が過ぎた」
閣下が苦い顔で、低く話す。
「私は父親だというのに、あの子自身を見ずに、どこかいつも母親を重ねて見ていた。
母親に対する怒りを、そのまま王子にぶつけ、いつも粗探しをしていた。
それに星屑の話だ。
私達は、此度の王子も駄目なのだと、曇った目で見て決めつけてしまった」
星屑の話?と首を傾げる私に、陛下が「セレンならば良いだろう」と仰り、閣下が私に公爵子息の星屑の話と、陛下が見た夢の話をして下さった。
仰天した。
しかし質問を繰り返し、顛末を理解すると私は女神に怒りを抱いた。
陛下が、私が怒りを覚えている事に気付き、この際だから、思っている事を全て言ってみろと仰るので、洗いざらい話した。
確かに国を滅亡から救うのは、何より優先し解決するべき事だ。
だが、なぜ公爵家だけが救われたのだ?殿下は王族の直系の世継ぎだ。
女神は国を救う為に、公爵子息に星屑を与えてまで手を貸し、国と公爵家は救われた。
女神は殿下がなぜ今の状況にあるのか、知っているはずだ。
時を戻したとき、公爵子息は『何もしなかったのに逆行前とは状況が一変した』と言ったらしい。
そんな訳があるものか。
何かひとつ、風が吹いただか窓が開いていただとか、何か、女神が手を出したはずだ。
何も忘れないらしい公爵子息が、何もしていないと言うなら、彼は何もしていないのだ。
だったら、何かした者は誰なのか明白だ。
おそらく物事の切っ掛けなぞ、目にごみが入ったとか風が吹いたとか位の、本当に些細なものなのだ。
では、なぜ女神は殿下に風を吹かなかった?
国を救う。
たった一人の世継ぎの王子を見殺しにするのは、国を救う事なのか?
一度目、二度目の殿下が情けない事になったのは理由がある。
今現在と同じ状況で、王妃や侯爵は十八年後、王国が滅亡するまで国を恣にした。
殿下の環境が良くなったとは、まず考えられない。むしろ悪くなったはずだ。
今の世は三度目だと言う。三度目、状況は一変した。死んだ人は死なず、意地悪な奴は優しくなった。
なぜ、殿下だけ、駄目な人間のままだと決めつけた?
女神が言ったからではないのか?
次代に期待すると。
一度目、二度目と陛下や閣下は、毒や薬を盛られて苦しんだ。
殿下は、生きる事に毒を盛られたのだ。
それも、家族と王城中の人間に。
二度目の公爵子息が、王妃に尋問した時、使う必要の無かった薬を敢えて使ったのは、
『自らの意思に反した事を、無理矢理させられるのがどの様なものか、思い知らせてやりたかった』からではなかったのか?
殿下は違うのか?
家族どころか、女神も一緒になって五才の殿下を追い詰めた。
自ら毒を食する程に。
こんな理不尽が許されるのか。
私が話終えると、陛下と閣下は絶句していた。
殿下はまだ意識が戻らない。
どんな思いで、毒を食べたのか。
一本全て食した、と医師は言った。
苦く辛かったはずだ。それでも躊躇う事なく食べきった。
何が『親も国も思う事なく』だ!
『親や国を思ったから』毒を食べたのだ!
悔しさに涙が滲んでくる。
ぎゅっと目を瞑り、涙を追いやった。
その時。
待ち望んだ、美しい青い瞳がゆっくりと現れた。
「殿下、大変なお寝坊ですよ?」
殿下はゆっくりと何度か瞬きすると、はっきりと目が覚めたようで少し体を起こされた。
陛下と閣下が、殿下のベッドの側まで来られたが、殿下は私をじっと見ている。
私が殿下に果実水のカップを近付け、背を支えながら、殿下が飲むのを助ける。
私がカップを戻し殿下を見ると、殿下が口を開いた。
「変な侍従、ごめんなさい。
私はお前に嘘をついた。
嘘をつかれるのは、あんなに嫌な事だって、私は誰より知っているのに。
私をただ一人想ってくれた変な侍従に、私は嘘をついた。とても傷付いただろう?
……怒っている?」
不安そうに心配そうに、私の顔を覗き込む殿下に、やっと殿下を見失ってから、消える事のなかった焦燥感が霧散した。
ベッドの横に膝をつき、殿下と視線を合わせる。
「怒っていますよ?
危うく無職になる所でした。
忘れないで下さい。
殿下が私を『私の変な侍従はお前だけだ』と仰って下さったように、私が忠誠を誓いお仕えする主もまた、殿下だけにございますから」
殿下は目を見開き息を呑むと、その澄んだ星屑の輝く青い瞳に、みるみる涙を溢れさせた。
「うぅ、変な侍従、ごめ、ごめんなさい!
嘘を、ついて、ぅっぇっ、きず、つけて!
ごめんなさい!心配させて、ごめんなさいぃっっ~~~!!」
殿下は、私の首に抱き着いて大声を上げて泣き出した。おそらく生まれて初めての事だろう。
しばらくして泣き止んだ殿下は、私に向かって微笑んだ。
「ありがとう、変な侍従」
殿下は寝衣の袖で涙を拭くと、ベッドの反対側に立つ、陛下と閣下に向き直った。
お二人は涙を拭い、殿下を見つめる。
「陛下、閣下、心配とご迷惑をお掛けして、申し訳ございませんでした」
殿下が頭を下げると、お二人は慌てて頭を上げさせ、視線が合うようにベッドの横に膝をついた。
私は部屋の隅から、スツールを持って来て陛下と閣下に座って頂いた。
スツールを運ぶ途中、視界に入ったクリフォードは、目を見開き口をぽかんと開けて固まっていた。忙しい男だ。
私はお二人の少し後ろに控えた。
殿下が不安にならない様に、殿下の視界に入るように。
「謝るのは私達の方だ。
お前の父親だと言いながら、父親らしい事など何ひとつしなかった。
言いづらい話だが、はっきりと言おう。
私はお前の母親が、王妃が嫌いだった。
婚約する前からずっと。しかし婚姻するしか道がなかった。
彼女は、初めて弟のアルブレヒトに会った時から弟に執着した。そして弟の妃に悪質な嫌がらせを続けたのだ。それもあって弟も彼女を嫌っていた。
私達はいつも彼女を避ける為に、あの手この手と考えた。彼女も分かっていて、常に先回りしてきて避けるのは簡単ではなかった。
しかし、婚姻は政略だ。
逃げる事は出来ない。私は王太子であった。
先王陛下が崩御された後、私は即位し彼女と婚姻した。
お前が生まれてほっとしたし、嬉しかった。
嬉しかったのに、会いに行くのが恐かった。
お前が生まれて二ヶ月以上経ったある日、お前の祖父で宰相でもあった侯爵に、王子に会わないのは何故だと、詰め寄られた。
当然の非難だ。
やっと会いに行ったお前は、私によく似た容姿で星屑に輝く瞳をしていた。
なんと美しい赤子かと、この子が私の息子なのかと本当に嬉しくて思わず笑顔になった。
私の笑顔を見た王妃は、顔色を変えたらしい。弟がすぐに気付き私を連れ出したのだ。
お前には、いつでも会えるのだからと思っていたのだ。その時は。
お前が生まれて半年経っても、会話もせず本も読まず普通の赤子と変わらないと聞いた。
そう、私は聞いたのだ。
自らお前に会うでなく。
聞いた話を確認する為にでも、お前に会う事をしなかった。お前の側には、王妃がいると思っていたのだ。
今思えば、この事がお前に対して齟齬が出た始まりだ。
王家や侯爵家に不満を持つ者達が、その齟齬を悪意を持って大きく広げ、一番弱いお前を狙ったのだ。
王子を貶め破滅させようとした。
だというのに、私はお前を守るどころか先頭に立って攻撃していたも同義だ。
お前が二才になる少し前の、あの口論。
王として情けない事に、お前にあのような影響があったとは知らずにいたのだ。
王城内での、お前の噂話や評判は知っていた。なのに不愉快に思うばかりで、何故そんな話しになったのか考えもしなかった。
慚愧の至りである。
お前の行方が分からなくなり、意識が無い状態で見つかったと耳にした時、このままお前を失うのかと恐怖した。
自分のこれまでの仕打ちを棚に上げ、お前を失いたくないと思ったのだ。
セレンにお前の事を教えてもらい、お前の部屋に初めて入り、この上ない衝撃を受けた。
そして気付いたのだ。
私は息子の笑った顔も、怒った顔も泣き顔さえも知らぬ事に。
何もかも私のせいだ。
お前はこの世に生を受け、私の息子として生まれてくれた。
お前がお前であるだけで良いのだ、お前が健康で笑顔でいてくれる事が、何よりの喜びであるのだと、危うくお前の命を喪いそうになって、やっと気付く事が出来た。
このように情けなく不甲斐ない私だが、まだ間に合うだろうか。
もう一度、クリスハルトの父親と名乗る事が許されるだろうか。
心から反省し謝罪する。
すまなかった。クリスハルト」
零れ落ちる涙をそのままに、深く頭を下げ謝罪する陛下に、殿下は小さな声でそっと尋ねた。
「……私が、父上とお呼びしても、宜しいのですか?」
陛下はがばっと頭を上げると、大きく目を見開き、殿下と同じように小さな声でそっと尋ねた。
「……良いのか?
また、私を父上と呼んでくれるのか?」
「はい、はい父上!もちろんです!」
涙の混じる声で『父上』と呼びながら、殿下は陛下に恐る恐る両手を伸ばした。
その両手を陛下は躊躇う事なく、力強く掴み殿下を腕の中に抱き締めた。
殿下は「父上、父上」と泣きながら呼び掛け、陛下も殿下のお名前を繰り返し呼ばれた。
やっとこの父子は出発点に立てたのだ。
これから少しずつ歩を進め、二人らしい親子になれば良い。
後は閣下だが、大丈夫なようだ。
陛下の腕の中から手を伸ばした殿下を、閣下が抱き取りそのまま抱き締めた。
殿下が閣下を見上げ「呼び捨てにして、ごめんなさい」と謝っている。
「私が悪かったのだ。クリスハルトが謝る事は何もない。自己紹介をするか?」
そう言って笑い出した。
殿下も陛下も笑っている。
殿下がご無事で本当に良かった。
「本当にそうだな!」
どうやら嬉しさのあまり声に出ていたようだ。いつの間にか私の隣に立っていた、クリフォードに同意された。
すると可愛い笑顔の殿下が、とんでもない事を仰った。
「女神が私の命を助けて下さったのだ」
部屋にいた全員が唖然として固まった。
殿下が笑顔で、固まる私達を見ていた。
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