王子殿下と変な侍従 2
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**クリスハルト王子視点**
「陛下は大勢の前で『宣言』されたのですか?」
目を見開いた変な侍従は、瞬きが極端に減る。しばらく経てば、驚く事も無くなるだろうけど、面白いと思う。変な侍従だ。
「あれは、私が二才になる少し前の事だ。
夕食の後、私は母上に呼ばれていて部屋まで行ったのだ。
でも、扉に行くまでもなく廊下の方まで口論する声が聞こえていた。
廊下には私の侍従が三人、扉の前で待っていた陛下の侍従と護衛が五人位、母上の護衛が二人。
後はメイドも何人か見かけた。
陛下は、私の記憶する限り一番お怒りだったし、その分声も大きかった。
私が王になるのは夢のまた夢、だそうだ。
その後、扉を開けた陛下と対峙して、話しを聞いたならお前はどう思うかと聞かれた。
自分の顔を見ろ、お前はなぜ自分で考えない、いつも誰かを頼り自ら行動しないのはなぜだ、と。
私は、いつも頑張っている、父上は母上と私が嫌いなのでしょう?と答えた。
今思い出しても、よく声が出たと思う。
爺が読んでくれた本に出てきた黒い獣も、あの陛下を見たらきっと逃げ出したに違いない。恐ろしい姿だった。
私は怒っていない陛下は、一度を除いて見た事はない。だからあの時も、嫌っているのだろうと言ったのだ。
陛下は『やはり駄目か』と、首を振りながら立ち去った。
そこにいた者達も、母上の部屋にいた者達もみんな見て聞いていた。
あの時を境に、はっきりと城中の者達が私を見放した。ばかにしてもいい相手だと、私は思われたのだ。
誰がそんな者達の王になどなりたいと思うのか、こちらが聞いてみたいものだ」
変な侍従は、小さく息を吐くとソファーの前に跪いて私の両手を取った。
「初めてお会いした時も昨日お話した時も、そして今も。殿下はずっと、この小さな手を握り締めておいででした。
今よりもっとお小さい頃より、そのようにされていたのでしょうね。
殿下はちゃんと、ご自分でお考えです。
部屋に閉じ籠もる事も出来たのに、王城を散策なさっている。きっと色々と見聞された事でしょう。
教育係の持ってきた本ですが、二才の殿下に、いえ今の五才の殿下にも必要な物だとは思えません。
殿下は我儘ではありませんし、身勝手でもありません。
殿下はお優しい方です。
変な男と仰りながら、私の疑問に丁寧にお答え下さり、私を殿下の侍従にして下さった。
殿下は決して不出来ではありません。
ばかでも可哀想でもありません。
殿下はセルリアン王国王家の、直系の血を引く尊いお方です。
王子として当たり前の環境を整えれば、たちまちその才能を開花させる事でしょう」
驚き過ぎて声も出ない私に、変な侍従は続けて言った。
「これは私の勝手な推測ですが。
もしかして、殿下が処刑場へ行かれたのは、母上様のお姿もお祖父様のお姿も、もう二度と見る事は出来ないと、そう思われたからではございませんか?」
喉が詰まる。
涙が溢れて変な侍従の顔が見えなくなった。
言葉にならない声が、涙と一緒に体から勝手に溢れでて止まらない。
「母上もお祖父様も、嘘つきで悪い事をしたのだけれど、私の事などどうでも良かったのかもしれないけれど。
私にとっては、たった一人の母上でたった一人のお祖父様だったっ!」
いつの間にか変な侍従が、私をソファーの上で抱き締めていた。
私が誰かに抱き締められたのは、乳母以外では初めてだった。
私は変な侍従にしがみついて、腹の底から泣いた。変な侍従の胸が温かくて、大きな腕が私を守ってくれている様で。
それは生まれて初めて知った、安心だった。
しばらくして泣き止んだ私は、少し照れ臭かったが、変な侍従の言葉が嬉しくて素直にその気持ちを伝えた。
「私は母上にも陛下にも、抱き締めてもらった事も触れられた事も、心から褒められた事もない。
お前の言葉は、とても嬉しかった。
抱き締められると、とても温かくて心強かった。
お前が私の側にいてくれて良かった。
お前が私の侍従になってくれて、良かった。
ありがとう、セレン」
微笑んだ私の顔を、またもや見開いた目で凝視した変な侍従は、突然涙をひと粒こぼした。
「殿下、私の名前を……」
「もちろん覚えている。セレン・ノワール。
だけど、お前が『変な侍従』である事は間違いない。
だからこれからも、私は『変な侍従』と呼ぶ。私にとっての『変な侍従』はお前だけだ」
「殿下!」
「私は『処刑』にも『病』にも、ならないのだろう?
母上やお祖父様、元侯爵家を恨む者達は多く、その恨みは深い。
前までいた侍従達は、侯爵家との繋がりを持っていた。お祖父様や母上のお陰で、王城で働けると喜ぶ顔で、隠す振りもせず全ての王族や侯爵家をばかにしていた。
そうだ。全ての王族だ。もちろん陛下もだ」
変な侍従は目だけではなく、口まで開いている。新しいな。
「どうして陛下まで、と思うか?ふふ。
陛下が、母上と私を嫌っているのは明白な事実だ。この王城で知らぬ者はない。
母上の言動は、私には分からない事も多いが、アルブレヒトに執着していたのは知っている。王城の皆も、な。
だから、国で一番偉くても女房には浮気されると、嗤われていた。
そのアルブレヒトもな、いつも王妃から逃げ回っている、もてる男は大変だと、一緒に嗤われていたな」
固まったままの変な侍従を見て、ほっとする。この変な男は、そんな事考えもしなかったのだ。
爺が言っていた『誠実な人』とは、変な侍従のような人間の事だと思う。
「……殿下は何処でそのような話を、聞かれたのですか?」
小さな声で絞り出すように、変な侍従が聞くのが面白かった。
「そうだな。下働きの、メイドや従僕達の休憩場所や、厩舎の子馬と昼寝してる時とか?
あ、アルブレヒトの話は洗濯場だ」
「殿下……」
「王城を一人でぶらぶらしていて気付いたのだ。
ほとんどの人は見たいものしか見ないし、聞きたくない事は聞こえないのだと。
私は誰にも気付かれた事はない。
いや、気付かれても気付かなかった事にされているのではないか?
まあ、そんな事を話していた者達は、もう王城には残っていないと思うぞ?
ははっ。王妃であっても処刑した、恐ろしい王なのだ。後暗い所のある者達は、さっさと逃げただろう。
だからな、私が言いたいのはお前の事だ。
今王城にいる者達の中には、侯爵家に関わるその悉くが処刑されても、恨みを忘れずにいる者達は大勢いる。
いくら彼らが慕う王の決定でも、私が生きている事を不満に思っているはずだ。
彼らの王に嫌われている私は、きっと常に命の危険を感じる人生になる。
でも、死なせてはもらえない。
私の側にいればお前は誤解され、私に巻き込まれて、嫌な思いや危ない目に遭うだろう。
それだと言うのに私はお前を侍従とし、その忠誠を許した。身勝手な私を許して欲しい」
「殿下!私に許しなど!
お側に置いて欲しいと、侍従にしてくれと押し掛けたのは、私の方です!
殿下が何と仰っても『死ぬまで』お側にいる事、既にお許し頂きました。撤回は受付けておりませんので、悪しからず」
「はははっ!そうだな、確かに言った。
お前は本当に変な男だ。
受付けていないのなら、仕方がない。
それにしても声を出して笑うなど、私はお前に会うまでした事はなかった。これは楽しいな!」
「殿下、先ほども申し上げましたが、陛下は後悔しておいでです。
殿下の事を、知ろうとしなかったと誤解していたと、悔やんでおいでなのです」
変な侍従は苦しそうな顔をしている。
どうしてなのか考えてみた。
「……変な侍従はもしかして、私の部屋に侍従長と来る前は、陛下に付いていたのではないか?」
変な侍従は驚いた顔で私を見た。
もちろん目は一杯に見開いている。
口は開いていない。
「その通りです。なぜ、お分かりになったのですか?」
「変な侍従は案外抜けているな?ふふ。
私に付いていた侍従を覚えているなら、分かるだろう?
陛下に付いている侍従以外に、まともな侍従は残っていないと思う。
おそらく、陛下の侍従の中からも、何人かは首になったのではないか?
それなのに、我儘で不出来な王子に付けと言われたら、不本意だったに違いない。
お前と一緒に来たあの者は、今頃ほっとしているのではないか?」
「言われて見れば……
はぁ。誰が殿下を不出来などと言ったのか、こんなにも聡明であられるというのに!
もう一人のあの者も、私の話を聞いて酷く後悔しておりました。
殿下にお詫び申し上げたいと」
私は苦笑いする。
「何を詫びるのだ。謝罪など必要ない。
陛下も同じだ。誰であっても私に申し訳ないなど、思う事はない」
「なぜですか!?
皆噂を信じ、誰も殿下ご自身を見ようとしなかった。そのせいで殿下は、大変なご苦労とご心痛を抱えられたのですよ!?」
「それはな、お互い様だからだ。
私は、陛下が恐ろしかったのもあるが、母上にもお祖父様にも、爺にさえ自分の思いを伝えた事はなかった。
昨日お前には、ばかにしなかった者はいないといったが、爺だけ、爺だけは私をばかにしなかったし嘘もついた事はなかった。
爺に、思っている事を伝えようと考えた事もあったが、恐くなって出来なかった。
不思議か?
だってな爺は会う度、私の頭を撫でてくれた程には、私の事を気にかけてくれていた。
母上に何度か、意見をしに行っていたのを知っている。
私が何か言ったら、爺は母上に抗議に近い事を言っただろう。辞めさせられるだけなら、まだいい。でも、爺の身に何かあったら?爺の家族や家に何かあったら?
そうなったら、私は爺に謝る言葉もない。
それに、爺は私を恨むだろう。その爺の顔を私は見たくないと思ったのだ。
母上やお祖父様、陛下も同じだ。
これ以上、嫌われたくなかった。
陛下があの『宣言』をされた後から、母上もお祖父様も、私にはあまり会って下さらなくなった。
王になれない私には、用がなかったのだ。
陛下は、侍従だったのなら知っているだろうが、元々お会いする事はほとんどなかった。
それに、たまにお会いした時『父上』とお呼びすると、嫌な顔をされる事が何度かあった。
余計な事を言ったりしたら、もう『父上』とお呼びする事も出来なくなると思った。
私は自分の事しか考えていない。
だから、私に謝罪など必要ない」
変な侍従は、今度は痛みを堪えるような顔をしている。
「変な侍従が苦しむ事はない。お前は優しいから、陛下や私の事を心配してくれているのだろうが、大丈夫だ。
きっとお前は、陛下に私との話を報告する度に、罪悪感に苦しんでいるのではないか?
それはお前の職務だ。辛く思う事は何もない。そこのお前もな。ふふ」
私は天井の裏に隠れている、陛下の影に顔を向けて言った。
「私には隠す事など何もない。だから、お前達は心配しなくても大丈夫だ」
「殿下」
「まだ何か言う事がありそうだな。
言いにくい事か?
大丈夫だ、言ってみろ」
変な侍従はしぶしぶといった感じで、とても言いにくそうにやっと言葉にした。
が、その内容は私にとって楽しい事ではなかった。確かに言いにくかったはずだ。
「アルブレヒトが、息子を私に紹介したいだと?」
顔が引きつるのが分かる。
「はい。レオニード様と仰って、二才だそうです。殿下とはお従兄弟の関係になります」
「次期王太子か」
「殿下!」
「知っているぞ。元侍従達が話していた。
公爵家嫡子として生まれながら王家の色を持ち、なんと片目が星屑だと。
……ふむ。なるほど」
変な侍従は心配そうに私を見ている。
「それで、どこで会うのだ?」
「はい。午前の内に近衛の訓練場を出る予定だそうで、昼食をご一緒に、と」
「近衛の訓練場、なるほど近衛に息子の披露目か。ふふ」
少し考えてみる。
アルブレヒトと昼食など、あり得ない事だ。
だが、息子には会って確認したい事もある。
この機会を逃したら、もしかするともう会う機会はないかもしれない。
「では、今頃はまだ近衛の訓練場にいるという事か?」
「はい。まだいらっしゃるかと」
「よし、では行こう」
立ち上がって扉へ向かう私を、変な侍従が慌てて止める。
「殿下、殿下お待ち下さい!
お会いになるのは昼食の席が宜しいかと、」
私は歩みを止めて、振り返る。
「まず、私はアルブレヒトと同じ部屋で食事をする気は全くない。たとえそれが、陛下の命令であってもだ。
おそらく急病になるだろうな。
だが、息子の方には会って聞きたい事がいくつかある。だから、近衛の訓練場にいるというなら、私が会いに行く」
「殿下……それほどに、閣下の事がお嫌いでいらっしゃいますか」
変な侍従が陛下の侍従であったなら、もちろん、アルブレヒトの事もよく知っているのだろう。だけれど、私が話せるようになる前から刷り込まれた感情は、簡単には消えない。
「私が生まれて三ヶ月、初めて母上と一緒にいる時に、陛下と一緒にアルブレヒトはやって来た。
その時最初で最後、初対面の陛下が私に向かって笑いかけたのだ。
それを遮って、陛下を部屋から連れ出したのがアルブレヒトだ。
母上と生まれて三ヶ月の私を、冷たい目で睨みつけながらな。
私はもう、その時の陛下の笑った顔を思い出す事は出来ない。だと言うのに、その時のアルブレヒトの冷たい目だけは覚えている。
皮肉な事だ。
それ以降、陛下が私を見る時はいつも怒っていた。既に嫌われていたのだ。望まれた子ではないのは知っていた。
アルブレヒトは中々会う機会のない陛下が、たまに私に会う度に、あれこれと理由をつけて陛下を私の前から連れ去って行った。
城の中で会う度に、睨みつけられた。城の者達は言っていた。『お優しく聡明なアルブレヒト殿下が、あれほどの態度を取られるとは王子殿下はよほど……』とな。
そして極めつけが『陛下のアルブレヒト』だ。好意を持つ理由は欠片も無いな」
変な侍従は絶句していた。
目はいつも通りだ。見開いている。
「だいたいな、城の者達は私が『アルブレヒト』と呼び捨てにする事に、嫌悪感があるようだが、おかしな事だ。
私は誰にも、もちろん本人にも紹介などされた事はない。陛下と母上が、アルブレヒトと呼ぶ、だからあの男が『アルブレヒト』だと知ったに過ぎない。
私も自己紹介などしていない。だが、あの男は私を『クリスハルト』と呼び捨てていた。
私がアルブレヒトと呼び捨てる事の、何が問題だ?
そもそもだ。私に名乗りを上げて、きちんと挨拶したのは、変な侍従、お前が初めてだ。
爺ですら、名を知ったのは辞めた後だ。
やはり、お前は変な男だな。ふふ。
城の者達が王子としての私を見放した二才の頃から、アルブレヒトは皮肉気に『殿下』と呼ぶようになったがな。
分かっている、臣籍になったからだろう?
ちなみに城の者達の話を聞いたのは、謁見の間に続く、貴族達の控えの間だ」
最後の一言に、変な侍従は目を普通の大きさに戻した。少しほっとする。
「そんな、事が……
あの、殿下は生まれて三ヶ月の記憶があるのですか?」
この変な侍従の凄いところは、立ち直るのが早い事だ。本当に変な男だ。
私は話ながらまた歩き始め、変な侍従が扉を開けた。
「ん?そうだな、それより少し前からある。
初めの頃は、乳母の事を母上だと思っていた。
その乳母は一人でよくしゃべったから、自分がどういう生まれなのか、自分が生まれてどれだけ過ぎたのか、わりと直ぐに分かったな。
後は、私は生まれてもずっと一人で、自分(乳母)と手伝いのメイド以外、誰も部屋にはやって来ないとかな。
そういえば、その頃は『可哀想な殿下』ではなく『お気の毒な殿下』だったな。
うるさかったが、知らないよりは良かったのかもしれない。多分な。
半年程たってから、侍従に変わった。
そういえば、その侍従達はお前のように世話焼きだったな。一年程でいなくなったが。
それからは、あの退屈そうな侍従達がずっといた」
話ながら城の廊下を歩いて行く。
王族の住む区域を出れば、近衛騎士や文官達とすれ違うようになる。
変な侍従はまた、目を見開いている。
私の話もそうだが、私を見る、城の者達の様子に気付いたのだ。
変な侍従が、また苦しまないと良いのだが。
「二才からずっと変わらない。
慣れているし私は何とも思っていないから、お前も気にするな」
多分、変な侍従が一番驚いたのは、誰も私に礼を取らない事だ。
仮に私が王にならないとしても、私は王子なのだ。礼を取るのは当然なのだが、これがまかり通っている。
国王の言葉がどれ程の影響力を持つか、よく分かる。陛下の言った言葉とは、かなり違ったものに変わっているとしてもだ。
それに、母上とお祖父様の影響もある。
二人が捕縛されるまでは、媚を売るのに忙しかった者も多いだろうにな。
「それにしても、これはっ!」
怒りに震える変な侍従に、私は嬉しくなってにっこりと微笑んだ。
「変な侍従が怒っている、私の為に。
とても嬉しいぞ」
「殿下!」
「さ、早く行こう。
昼食会になったら面倒だからな」
近衛の訓練場は大変に賑わっていた。
人集りの中心に、濃い金の髪の大人と幼子がいる。あれがアルブレヒトと、その息子だ。
私は少し離れた場所から声をかけた。
「騒がしいな。
近衛は訓練もせず遊んでいるのか。
アルブレヒト、どういう事だ?」
言い終わった瞬間、顔の前に影を認識した。
が、認識した時には左の頬に衝撃を受け、私は後ろに倒れこんだ。
変な侍従が慌てて私を助け起こす。
「つぎに、ちちうえのおなまえを、よびしゅてにしたりゃ、とびげりだけでは、しゅまないかりゃな!
かくごしておけ!なまくりゃめ!!」
目の前に、父親を呼び捨てにされて憤慨する幼子がいた。
小さな体に、父親とそっくりな騎士服を着ている。短い両腕を胸の前で組み、足を開いて踏ん張って立っている様子は、可愛かった。
とても怒っているようだが。
「はははっ!!
父親の名を呼び捨てにされたから、怒ったのか。
守る事も反撃する事も出来ない者を、自慢の体術で不意打ちして、満足したか?ちび」
「殿下!お待ち、」
息子の跳び蹴りに衝撃を受け、固まっていたアルブレヒトが間に入ろうとしたが、息子のちびに遮られた。
「わたしはちびではない!
おまえはおうじだろう!」
「そのようだな」
「おうじなら、けんじゅつやたいじゅつができて、とうじぇんだ!
しょんないいわけを、しゅることが、なまくりゃのしょうこだ!」
ますます憤慨する幼子が、なんだか面白くなってきた。
周囲の者達が、はらはらしている様子なのも可笑しい。
「まずお前の父親という男だが、私は初めて会った生後三ヶ月の時から今に至るまで、紹介などされた事はない。
陛下や私の母が『アルブレヒト』と呼んでいたから、そう呼ぶだけだ。
その男は私にとって『アルブレヒト』という、正体不明の男だ。
で、ちびだが。
あの男の息子と言うなら、似てるのか?
挨拶がわりの跳び蹴りと、決め台詞は聞いたが名乗りは聞いていない。
お前は私よりも小さいから、便宜的にちびと呼んだのだ。
後はなんだ?
ああ、剣術に体術か。
王子なら出来て当然、か。
お前だけでなく、この場にいる全員が同じように思っている事だ。私を含めてな。
なぜ出来ないかと言うとな、陛下に禁じられたからだ。理由は聞いてくれるなよ?
私も知らないのだから」
周りが唖然とする中、驚いているちびに近づく。ちびの護衛が遮ろうとするので、その護衛の前で止まり口を開く。
「お前は慕われているようだ。
負傷しても誰も気にしない私と違い、攻撃したお前が守られている。ふふ。
ああ、護衛を揶揄している訳ではない。
ちび、お前に聞きたい事がいくつかあっただけだ」
「ききたいこと?」
真っ直ぐに私を見つめる澄んだ緑の瞳に、何の理由もなく大丈夫だと思えた。
「簡単な事だ。
まあ、聞くまでもないが、自分の父親が好きか?」
「もちりょん!だいしゅきだ」
輝く笑顔に、胸がつきんと痛んだ気がした。
「この国の国王陛下を尊敬しているか?」
「しょんけい、していりゅ」
「使用人や、お前に仕えてくれている周りにいる者、名も知らぬ領民を守りたいと思うか?」
「とうじぇんだ。
わたしがまもりゅものたちだかりゃ」
小さな胸(いや腹か?)を張って、鼻息荒く言う様が、とても勇ましく可愛かった。
「最後の質問だ。
お前は『セルリアン王国の税制度について』という本を、読んだ事があるか?」
「ありゅ。ちちうえのしょしゃいにあった、ほんだ。ちちうえといっしょによんだ」
「っ。一緒に、か。ふふ。
質問は以上だ。ではな、ちび。
その騎士服よく似合ってるぞ。
それに、とても美しい瞳だ。
会えて良かった」
小さな金の頭をわしわしと撫でると、いつの間にかちびの後ろに立っていた、公爵夫人に目礼をする。
さっと踵を返し、歩き始めながらアルブレヒトに言葉を放つ。
「ちびの父親、昼食会は無しだ。
私はお前とテーブルを囲む気はない。
ちびに免じて、名は呼ばぬ」
相変わらず心配そうにしている変な侍従にも、言葉をかける。
「すまない、さっきの発言は間違っていた。
私を心配してくれる者が一人いた。
ありがとう。
ところで変な侍従、私は行く所が出来た。
夕食までには戻るから心配するな」
「殿下!お待ち下さい!
私もお供を、」
「私なら大丈夫だ。
そこにいる、ちびの父親の従者達は、お前の元同僚達じゃないのか?
お前に話し掛けたそうにしている。
気にせず旧交を温めたら良い。めったに会えないだろう?
私の昼食はいらないから、夕食まで自由に過ごしてくれ」
付いて来ようとする変な侍従に顔を向け、視線を合わせてから首を振る。
「殿下!
お一人では危険です!」
仕方がないので止まらずに振り返り、後ろ歩きをしながら、変な侍従に微笑み手を振った。
「私は大丈夫だ、変な侍従。ありがとう」
そしてまた向き直り、私は近衛の訓練場を一人後にした。
一人になった私は、歩き慣れた道を黙々と歩く。だんだんと綺麗に舗装されていた道が、砂利道に変わっていく。
目的地に着いて、ようやく私は歩みを止め、周囲をゆっくりと見渡す。
王城の敷地の端にあるこの場所は、何百年も昔に、廃嫡された王子が幽閉された離宮があったそうだ。
子馬と一緒に厩舎で寝そべっていると、厩務員達がこの場所の事を話していた。
する事もない私は、暇潰しがてら探してみたら本当にあったのだ。
その王子が本当に存在したのか、廃嫡されたのか、そんな事は分からないが、私の気分にぴったりの場所だった。
打ち捨てられたまま、どれだけの時間が過ぎたのか、大きくて崩れそうな不思議な屋敷。
この屋敷は本当に、ぼろぼろでがたがたで、いつ崩れ落ちてもおかしくない。
なのに、近くに行ってみると、柱や梁は頑丈で嵐がきても平気に見える。
屋敷の周りには草木はない。
荒れた庭土が広がって、たまに雑草や小さな花が、ちらほらあるだけだ。
屋敷のすぐ近くに、池のような水溜まりがある。多分、昔は綺麗な庭の中にある小さな池だったのだと思う。
その水溜まりに、自分の顔を映してみると、今の私の気分と同じように、歪んで濁った顔が見えた。
なんて事ない、何気ない言葉のひとつ。
誰も気にしない、ありふれた言葉。
「ちちうえといっしょによんだ、か」
不意打ちの跳び蹴りなんかより、よほど衝撃を受けた。
衝撃だったという事は、私は今だに父親を求めているとでも言うのか?
まだ五年しか生きていないが、人生というのは、うまくいかない事が基本なのだと思う。
うまくいかないから、人は努力し頑張る。
その過程で、ちらほらと小さな喜びや幸運を見つける。人生とはこの荒れ地のようだ。
しかし、ちらほら小さな花が咲いていても、いつも土砂降りで小さな花は泥濘に埋もれて、見つける事など不可能な事もある。私のように。
それでも耐えていれば、思いがけず幸運に巡り会う事もある。変な侍従との出会いは、正にそれだ。
あの小さな緑の瞳の幼子は、きっと立派な王になるだろう。
少し寂しい気もしたが、そうなるのが一番良い結果になるはずだ。
変な侍従は悲しんでくれるかもしれないが、やはり、変な侍従を私の人生に巻き込んではいけないと思う。
朝、私を起こしに来てくれた、変な侍従の穏やかな微笑みを思い出す。
一杯に目を見開き、瞬きもしない様子に少し心配になった事。
私に忠誠を尽くすと言ってくれた事。
泣き喚く私を抱き締めてくれた事。
あっという間に、あの変な男は私の心にするりと入ってしまった。
最初はあんなに嫌味な顔で、私を嗤っていたくせに。
立ち直りの早い男だし、友人も多いようだ。私などが心配しなくても、きっと大丈夫だ。
何にせよ、人はいつか必ず死ぬのだ。
遅いか早いかそれだけの違いだ。
その茸に気付いたのは、いつだったか。
私は、いつものように、ぶらぶらと一人でこの廃屋に来ていた。
水溜まりの周りには、古い大木が何本かあって、その内のいくつかは朽ちていた。
朽ちて倒れた大木に、色鮮やかな茸が何本か生えていた。きっと毒茸だ。
興味を覚えた私は、一本手に取ってみた。
他の茸は赤かったが、その一本だけ黄色だった。群れからはぐれたような黄色い茸が、一人ぼっちの自分と重なって親近感を覚えた。
帰り道、厩務員達の休憩室の扉の前に、黄色い茸を落として木の陰に隠れて見ていた。
思った通り厩務員が見つけて、大騒ぎになった。よく知られている茸のようで、厩務員や駆け付けた騎士達は、口々に色々な事を教えてくれた。
食べたら死ぬらしい。
「***食べたら、死ぬんだぞ!」
最初の部分が聞こえなかったが、まあいいだろう。
あの茸は、最初に見つけた時も一本しかなかったが、私が抜いた場所にいつも一本だけあった。
ちなみにあの茸は『王子茸』と言うらしい。
おあつらえむき過ぎて笑ってしまう。
水溜まりに近付けていた顔を上げ、身を起こした私は朽ちた大木に近寄る。
黄色い茸は、いつも通り一本だけ生えていた。
私はそれを引抜き、水溜まりから少し離れた所にある、朽ち果てた長椅子だったものに腰掛ける。
そして黄色い茸を食べた。
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