王子殿下と変な侍従 1
宜しくお願い致しますm(_ _)m
**クリスハルト王子視点**
ザンッッ!、ザンッッ!
わああぁぁぁっっ!!!
濁った音に続いて沸き上がる歓声。
母上とお祖父様の首が落とされた時の事だ。
別に酷いとも悔しいとも思わなかった。
もちろん悲しいとも。
やはり、と思いながら淡々と眺めていただけ。母上もお祖父様も、私になどちらとも気付かず、この世を去って逝かれた。
父上に「私も処刑場へ行かせて下さい」と、お願いに行ったのだ。
父上は驚いて私を見ていたが、今だけだ。どうせすぐに他所を見る。
とにかく処刑場に行く許可を頂いたので、御前から退出しようとした。
「殿下、なぜ処刑場に?」
「……答える気はない」
アルブレヒトの叔父上が聞いて来たが、それ以上何か聞かれる前に足早に自室へ戻った。
アルブレヒトは嫌いだ。
私が物心ついた頃には嫌いだった。母上を睨み付ける冷たく刺すような眼光。そしていつも執務が溜まっていると言っては、父上を私の前から連れ去ってしまう。
それに『父上のアルブレヒト』と私はいつも比べられている。
父上に嫌われている私が勝てるわけもない。
だから私は、アルブレヒトが大嫌いだ。
二才になる頃に、父上と母上が口論をしていた。私の事を言い合っていたのだ。
「クリスハルトの教育係は全員入れ替える」
「何故ですか!?皆素晴らしい教師です。
クリスハルトの王子教育の進み具合も、誰よりも早いと報告を受けています。誰も彼もが、王子の賢さを褒めていますわ!」
母上が手放しで褒めるが、父上は違った。
冷たく鼻で嗤うと言った。
「もうじき二才になるというのに、授業の内容が、積み木に、お絵描きに、絵本の読み聞かせだと?話にならん!どこの貴族の子供だ」
「まだ二才になってもいないのですよ、当たり前ですわ!」
「王族と貴族を一緒に考えるなど!
お前は何も分かっていない。あのままでは、王位など夢のまた夢だ。真剣に世継ぎについて考えねばならんわ!」
「そんな!
お待ち下さい、陛下!陛下!」
父上が扉から出てくる気配がして、隠れようとしたが、廊下には隠れる場所などなかった。
私はそのまま、父上と向かい合う事になった。
父上は開いた扉の前で私に気付くと足を止め、無表情で私を見つめ聞いた。
「話を聞いていたか。
それでお前はどう思った?」
私は何と答えれば良いのか分からず、ただ焦った。背中に冷たい汗が流れる。
「……ちちうえ?」
私は俯いた。父上のお顔を見ていられなかった。なぜ父上が怒っていらっしゃるのか、私には全く分からなかった。
「ちゃんと私の顔を見るのだ。
お前はなぜ自分で考えようとしない?
いつも誰かを頼り、なぜ自ら行動しないのだ?」
父上は私を厳しい眼で見つめ、目を逸らせない。
「……わ、わたしは、いつもがんばって、います。ちちうえは、わたしが、わたしとははうえが、おきらいなのでしょう?」
父上はしばらく私の顔を見つめていたが、溜め息を一つ吐くと首を振った。
「やはり駄目か……」
父上はそのまま立ち去って行った。
わけが分からず、ただ立ち尽くす私を一人置いて……
「殿下、戻られないのですか?」
退屈そうに侍従が聞いてくる。
母上達の遺体も片付けられ、見物人もいなくなった広場を、私はいつまでも眺めていた。
母上が突然、近衛騎士に拘束された時は驚いたが「やはり」という思いもあった。
父上のご様子がおかしいな、と何となく思っていたら全くお姿を見なくなった。
そのかわり、いつもアルブレヒトが王城にいて、父上の執務室で書類を片付けていた。
母上は何故か私を一緒に連れて、アルブレヒトのいる執務室へ足繁く通う。
私はいつもこっそりと抜け出し、自室へ戻っていた。
母上はアルブレヒトが好きだった。多分、父上や私よりずっと。
私がアルブレヒトを嫌っている事を知ると、すごく叱られた。お前は王になりたくないのか、って。
アルブレヒトは公爵だ。父上の弟だけど臣下だ。なぜ私が王になる事と、アルブレヒトを嫌っている事が関係するのか分からなかった。
分からない事だらけだ。
父上は私を執務室に呼び出し、母上とお祖父様がどうして捕まって、どうして処刑されるのか、私に説明したけれど全く意味が分からなかった。
母上があれをしたこれをした、侯爵家がどうしたこうした。事実は分かる。
でも、父上は何故悪事を働いたのか説明はして下さらなかった。
なんとか声を出して尋ねると「悪女だからだ」とか「権力欲の塊だからだ」とかしか、答えてもらえず、私は怒りを撒き散らす父上の前から早く立ち去りたかった。
そして父上は、いつものように首を振りため息を吐き、諦めきった瞳でうんざりしながら退出された。
結局、父上に嫌われたからじゃないのか?
だったら、いずれ私も殺されるだろう。
だって父上は私が嫌いだから。
考えながら、私も父上の執務室を出た。
どうして嫌われたのかは、やっぱり分からない。父上は私を褒めてくれた事はない。
すごく小さい頃は笑い掛けてくれたのに、今は会う事さえめったにない。
父上の笑った顔は、もう思い出せない。
教育係達はみんな褒めてくれたのに、父上は教育係達をみんな辞めさせてしまった。
新しい教育係達は、いきなり難しい本とかを読ませようとする。読めるはずだと言って。
あんなの読めるわけがない。だって大人の本だ。絵は描いてないし文字が小さいし、難しい。絵本や積木は楽しかったのに。
そして、あの時の父上と同じように、溜め息をついて首を振る。その後私を見て嘘をつく。「皆、殿下に期待しているのですよ、殿下なら出来ます。頑張って下さい」と。
そう言いながらその目は、私を諦め私をばかにしていた。そのばかにした目で私を見ながら、その教育係は呟いた。
「アルブレヒト殿下はすらすら読まれた。やはり元に問題があるのか」
元に、というのは母上の事だ。
それからは、勉学の時間になると隠れて遊びに行くようになった。遊びにと言っても、王城内や庭園をぶらぶらするだけだ。
でも、誰も何も言わないから気にしていない。いや、侍従が一人うるさかったから、母上と侍従長に言って辞めさせた。
その侍従長も、母上が拘束された時に一緒に捕まった。
新しい侍従長はいつも無表情で嫌いだ。向こうも私を嫌っている。
退屈そうにしていた侍従も、この侍従長に言われて、もうすぐ別の仕事に変わるらしい。
別にどうでもいい。
どの道、私に構うような者など誰もいない。
母上とお祖父様が処刑された今、私はこの世で一人きりだ。
もう私に、ああすればいい、こうすればいいと言ってくれる人は誰もいない。
最初に私の教育係になった者が、挨拶の時に『先生』と言った私に告げた言葉がある。
一才の時だ。
「殿下『先生』の言葉の意味をご存知ですか?『先生』というのは、教え導く者、という意味だと私は思っています。
私はこれから様々な事を、少しずつ殿下にお教えして行きます。
そうして私の事を、殿下にとって『教え導く者』だと思えたら、その時私の事を『先生』とお呼び下さい。
それまでは、そうですね、爺とでもお呼び下さい」
少し難しかったですかな?と言って、笑いながら頭を撫でてくれた爺は、もういない。
私が二才になった時、父上と母上のあの口論の少し後、爺を含む全ての教育係は辞めさせられた。
爺に「ありがとう」と告げる事も出来ず、姿を見る事さえも出来なかった。
私が知ったのは、新しい教育係に対面した時だったからだ。
結局、私は爺を『先生』と呼べないままだった。爺は、もう私の事など忘れたかもしれない。
私以外に、次の王になれるものはいないと、母上が言っていた。
母上は処刑されたけど。
私はやっと立ち上がって、戻る事にした。
戻ったって、何もする事はないけど。
母上が処刑されてしばらくたった頃、侍従長が部屋にやってきて、私付きの新しい侍従を二人紹介した。
二人は、アルブレヒトより少し若いか同じ年位の青年だ。前までいた侍従達よりがっしりと大きな体で、一見すると好青年といった感じだ。二人共笑ってるのに笑ってなかった。
嘘はどんな嘘でもすぐ分かる。
「気に入らない。別の者にしろ」
「陛下からのご指示にございますので、変更は致しかねます」
無表情のまま、当たり前のように答える侍従長が憎たらしくて、机の上にあった文鎮を投げつけた。それを新しい侍従の一人が、ひょいと掴んで机に置いた。
腹が立って腹が立って仕方がなかった。
「侍従などいらない!出ていけーっ!」
出せる限りの大声で叫んだ。
「……陛下のお言葉をお伝え致します。
『侍従が気に入らぬなら、食事も着替えもせず、一人で好きにするが良い』との事にございます」
私はちょっと意味が分からなかった。
「どうして侍従がいらない事が、食事や着替えをしない事になるのだ?」
侍従長の無表情がぴくりとした気がしたが、気のせいかもしれない。
「殿下は食事の度に、厨房までお出ましになられるので?
お召し物もご自分で衣装部屋で選ばれ、お着替えに?」
「どうして私が、そんな事をしなければいけないのだ!」
「それらのお世話を致しておりますのが、侍従達でございますので。故に、陛下はあのように仰せられたのだと、推察致します」
なんという事だ。
でも、今までいた侍従はそんな事してたか?
分からない。
侍従達の事なんて、気にした事はなかった。
いつも退屈そうにしていた位しか知らない。
「ほかの者に変えられないのか」
「陛下直々のご指名にございますれば。
殿下はこの者達の、何がお気に障るのでございましょうか?」
「……私をばかにしている、その顔だ」
むっとしたが、言わなければほかの者に変える事はないだろう。変えても同じだとは思うが、すぐに「分かった」など言いたくなかった。
私の言葉を聞いて、二人の侍従が「ふっ」と笑った。嘘と同じ、ばかにされればすぐ分かる。睨み付けると私に視線を合わせてきた。
「発言のお許しを」
「……許す」
侍従長と同じような無表情で、何を考えているのか分からない。
私をじっと見つめながら、その侍従は口を開く。
「私達が一体、殿下の何をばかにしていると思われるのですか?」
「っ!……父上も教育係達も、私が何も出来ないとばかにし諦めている。分からない事をばかにしているのだ!お前達も同じだ!
どうせ今までの侍従と同じように、私を見て退屈そうにするのだろうが!」
質問をした侍従が驚いているが、私の知った事ではない。
「父上は母上に、私を王に出来ないと言っていた!私だって王になどなりたくない!
分からない事が分かったからといって、なんになる?
母上とお祖父様は私を褒めてくれた。
だけど処刑された。
嘘つきだったからだ!」
私はもう、わけが分からなくなって、寝室に逃げ込みベッドに潜り込んで泣いた。
私だってばかにされたくない。
どうしてこうなったのか、本当に分からない。
父上も母上もお祖父様も侍従もみんな!
仮面を付けてからしか、私と話さない。
嘘だ。嘘ばかりだ!
私はみんなが言う通りばかかもしれないけど、嘘を言われたら分かる。
母上は私に「愛してるわ」と言った。
私に触れた事もないくせに。
父上は私に「期待している」と言った。
いつも怒り諦めきった目で見るくせに。
お祖父様は私に「お前はこの国の王になるのだ!」と言った。
なれるわけが無い。
勝手に生んだくせに。
期待はずれだと、役に立たないとばかにするなら、最初から生まなければ良かったじゃないか!
私が何をした。
父上はいつも私に答えさせようとする。
刺すような眼で私を睨み、いつもいきなり聞いてくる。いつも怒っている。
何もかも分からない、何が始まりかも分からない。それなのに何を言えと言うのか!
「殿下」
扉の方から、さっきの侍従の声がした。
「……食事も着替えもいらない。
私に侍従は必要ない。私が邪魔なら母上達のように、処刑すればいい。陛下にそう伝えてくれ」
「殿下、お待ち下さい!
誰も殿下を邪魔な、」
「話す事はもうない。出ていけ」
静かな声で言うと、躊躇いながらも侍従は出て行き、ゆっくりと扉を閉めた。
ベッドから出ると、バルコニーに続く大きなガラス扉の足元に、膝を抱えて座り込む。
カーテンの引かれていないガラスの向こうは、夕闇に包まれつつあった。
壁に寄りかかると、泣きすぎて火照った顔がひんやりと気持ち良かった。
これからどうしようか。
父上は、私が罪人である侯爵家の血を引いているから、もて余しているのだ。
父上に嫌われている上、これといって優秀でもない。王家の色がなければ、父上の子かも疑われたに違いない。
母上は、父上に毒を飲ませたと聞いた。
意味が分からなかった。
父上が死んだら、アルブレヒトが王になるはずだ。そしたら、アルブレヒトの子供が次の王になる。私はいらない王子だ。
母上は何を考えていたのか。
さっきの事は、あの侍従長が父上に報告したはずだ。父上はきっとまた、私に呆れただろう。本当に処刑されるかもしれない。
でも、その方が良いのかもしれない。
誰にとっても。
退屈そうにしていた侍従から、侯爵家に連なる者達は赤子に至るまで、皆死罪になったと聞いた。赤子には毒を飲ませたのだと。
毒なら、一気に飲めば恐くないかもしれない。
「……んか、殿下、お目覚め下さい」
誰か、呼んでる?
体を起こそうとして、床に座ったままいつの間にか眠っていた事に気付いた。
「殿下、大丈夫でございますか?」
心配そうに私の顔を覗き込みながら、大きな手を差し出すのは、先ほど見た侍従だ。
「侍従はいらないと、言ったはずだ」
その手は取らず、座ったまま睨みながら素っ気なく言う。
「はい。殿下のお言葉はちゃんと聞きましたし、陛下にも殿下のお言葉をお伝え致しました。その上で、押し掛けさせて頂きました」
「……は?」
押し掛け、た?
「どういう、意味だ?」
「そういう理由で、本日よりクリスハルト王子殿下の専属侍従となりました、セレン・ノアールと申します。どうぞ宜しくお願い致します」
「なっ、わ、私は侍従はいらないと、言ったはずだ!押し掛けとはなんだ!
それに、私はちち、陛下にお願いして、毒を頂くつもりだ。私に侍従は必要ない」
「毒を?なぜ毒を頂くのですか?」
意味が分からないといった顔で、私の目を見る侍従は、どうやら答えを待っているようだが、私に答えるつもりはない。
「お前には関係ない事だ。出ていけ」
私はガラス扉の方に顔を背け、侍従が出ていくのを待つが、一向に動きがない。
ゆっくりと顔を戻すと、真剣な顔で私を見つめる侍従と目が合った。
「……理由をお聞かせ下さい。お聞かせ下さるまでは、一歩も動きません」
大きく溜め息をつく。
面倒な男だ。迷惑だ。
だけど、本当に動きそうにない。
再び溜め息をつく。
「はぁ……。私の事などどうでも良いだろうに。どうしてそんなに気にするのだ。
私を気にかける者など、王城には誰もいないぞ?変な男だ」
「そんな、皆、殿下の事を気に掛けて、」
「私はな、ばかかもしれんが、嘘は分かるのだ。どんな嘘かは関係ない。嘘は分かる」
侍従は目を見開き小さく息をつくと、少し目を閉じた。そしてまた目を開くと、さっきとは目付きが違う気がした。
「殿下、私は殿下の事が心配です。最初にお目にかかった時、私は殿下を不快にさせてしまいました。
私は周囲の声だけを聞き、傲慢にもそれを真実だと思っておりました。
ですが殿下のお言葉を聞き、とても恥ずかしくなりました。私はあの時初めて殿下のお声を聞いたのです。周囲の一方的な言葉だけを信じ、お声を聞いた事もない殿下の事を決めつけていた。恥じ入るばかりにございます」
意味はわかったが、そんな事をわざわざ恥じ入るなんて。だいたい私の周りにいた者達は、自分の話したい事だけ話す。
「私の言葉を聞きたいなんて言う者など、いない。やっぱり変な男だ」
「殿下は変な男はお嫌いですか?」
なんだか、今まで私の近くにいた者達と違い過ぎて、妙な感じがする。
でも……どうせ、今だけだ。この男もすぐに私をばかにするようになる。
「……金の無駄だ」
「はい?金の無駄とは?」
私は変な男を真っ直ぐ見上げ、もう一度繰り返す。「金の無駄だ」と。
「前の侍従長が、私の侍従だった者達と話していた。私の部屋で私の事を」
変な男が目を見開き、私の側に凄い勢いで膝を着いた。私の顔を覗き込みながらゆっくりと聞いてくる。
「殿下が首にした侍従とは、その者達ですか?」
私が首にした?
ああ、それで新しい侍従長達は私を嫌っているのか?笑いが出る。
「ふふ。いや、その者達は首にしていない。
最後まで残っていた、あの退屈そうな侍従もその一人だったな」
「え?では首にした侍従は、なぜ首にされたのですか?」
「気に入らなかったからだ」
変な男は、私の顔を見たまま考え込んだ。
なんだか、楽しくなってきた。
こんなに長く『話した』事はなかった。私はいつも『聞くだけ』だから。
「殿下をばかにしたのですか?」
変な男と最初に会った時、気に入らないのは私をばかにした、その顔のせいだと言ったからだろう。だが、違う。
「ふふ、違う。私が会った事のある人間で、私をばかにしない者などいなかった。
だから、ばかにしたからではない」
変な男の目は、さっきから見開いたままだ。
痛くないのか。
本当は違う。一人だけ私をばかにしなかった人がいた。爺だ。爺だけは、私をばかにしなかった。でも、それをこの変な男に言うつもりはない。
「……では、なぜ先ほどは気に入らないからと仰ったのですか?」
「気に入らないと私が言うと、みんな不機嫌な顔になる。私と同じ気分にな。
先に私をばかにしておいて、さも自分が被害者のような振りをする」
変な男の目は相変わらず、見開かれている。
瞬きはしているか?
「殿下……」
「あの新しい侍従長が、どれだけ立派な人間なのかなど、私は知らない。だけど、私を見下していたのは、最初から分かっていた。
だいたい、あの場にいた三人共に隠してもいなかったではないか。ばかにしている、何よりの証拠だ」
私はガラス扉の外の景色に顔を向ける。
「侍従はいらない。
腹が減ったら厨房へ行けば良いのだろう?
服が汚れたら、衣装部屋で着替えれば良いのだろう?問題ない」
変な男が、がばっと体を動かす気配がして、思わずそちらを見た。
変な男は片膝を着き頭を下げていた。
気のせいか肩が小刻みに揺れている。
「なんだ、なぜ頭を下げる。まだ何か聞きたいのか?」
「……殿下、殿下はなぜ侍従を首にされたのですか」
「……そうか。変な男の同僚、友人か?
なるほど、それで私を嫌っていたのだな。
新しい侍従長共と同じか。それを知ってどうするのだ。何も変わりはしない」
「確かに、同僚でした。その侍従は私の友人です。私はその侍従が、首になったと言って殿下の事を話しているのを聞いたのです」
変な男は、私をじっと見ている。
別にいいか、と思った。
小さく溜め息が出た。
「あの侍従はな、いつもはだいたい他の侍従と同じように、私をばかにして退屈そうにしていた。だけど、たまに何を思ったか小言をいいだすのだ。私の為、だと言ってな。
ふんっ、今お前も、その通りだと思ったか?
その侍従はな、陛下や母上が近くにいる時だけ、声高に説教するのだ。
それを聞いた陛下や母上は、また首を振りながら溜め息をつき、私に声をかける事もなく離れていく。ここまでは、よくある事だ。
この侍従には続きがある。
さも心配そうな顔で私に言うのだ。
「お可哀想な殿下」とな」
変な男の目は、今や見えない手で引っ張られているかのようだ。目玉が飛び出してきそうだ。……飛び出しは、しないよ、な?
「あの侍従はな、母上の事を嗤い者にしていたのだ。
あの日はお祖父様が、母上に会いに来られて三人でお茶会をするはずだった。
だけどお祖父様が急用で来られなくなり、お茶会はなくなった。
暇になった私は、お茶会をするはずだった庭園をぶらぶらしていた。
花木の陰に、母上とアルブレヒトがいた。
アルブレヒトは不機嫌な顔で母上に何か言うと、足早に去って行った。そして母上も。
私には、あの侍従が付いていた。
「王妃殿下は王弟殿下に振られたようですね。親子揃ってお可哀想に。ふふふ」
あの侍従はそう言った。
私はすぐさま母上を追いかけた。
あの侍従が付いてなかったのは、追い付いた母上の隣には侍従長がいたのだ。
私は母上に、この侍従を首にしてくれと願った。私だけでなく、母上の事もばかにしたのだと。あの侍従は、侍従長に問い詰められて、まともに返事が出来なかったのだ。
それで首になった。気が済んだか?」
変な男は、見開いていた目をぎゅっと瞑った。それを見て、ちょっとほっとした自分がおかしかった。
「殿下、私は殿下の事を勝手に決めつけて、勝手に落胆しておりました。本当に申し訳もございません!どうか、お許し下さい!」
変な男は再び頭を下げて、謝罪をする。
謝られたのは初めてだ。なんとなく悪い気はしない。
変な男が私を起こしてから今まで、嘘をついてないのは知っている。
でも、私は聞いてみる。
「友人を信じないのか」
「友人であった私に嘘をついていたなら、その者は最初から私の友人ではなかったのです。
私は殿下を信じます」
今度は私が目を見開いた。
思わず笑ってしまった。
「はははっ!お前は本当に変な男だ。
こんな風に笑ったのは何年ぶりか」
「何年ぶり……殿下はまだ五才にございます」
「まだ、ではない。もう、なのだ。
気が済んだだろう?もう出ていけ。
陛下と侍従長には、私に侍従は必要ないし、早目に毒を頂きたいと願っていると、そう伝えておけ」
再びガラス扉の方に顔を向ける。
が、変な男は動かない。
「はぁ……、何なのだ。もう気が済んだはずだろう?」
「いえ、まだ毒の理由を伺っていませんので」
変な男をじっと見る。
だめだ。諦めるようには、とても見えない。
「仕方がないな。理由を話す。でも、その前に約束しろ。先ほど私が言った言伝てを、お前が陛下に伝えろ。
私が話した相手はお前だからな」
変な男は、きょとんとしたが私がガラス扉の上の方を顎で示すと、途端に顔色を変えた。
「殿下、まさか……」
「気にする程の事でもない。あれも報告するだろうが、私はお前の口から伝えて欲しいだけだ。約束出来るか?」
変な男は、居ずまいを正し私を見た。
その眼に、最初にあった嘲笑はなかった。
「お約束致します。必ず、私が陛下にお伝え致します。ただ、一つだけ。私は殿下の服毒に、猛烈に反対する所存にございますので、お知りおき下さいませ」
「はぁ、変な男め。
私が毒を頂く理由か。
陛下はな、悩んでいたのだ。私を処刑するかしないか。自ら言っていた、私に。
私は王族の直系であるが、元侯爵の孫でもある。侯爵家に関わる者は悉く死罪に処された。
なのに私は生きている。一番近しい者であるにも関わらず。
しかも処刑された悪女の息子だ。その上、出来も悪い。
陛下が悩んだのは、実の息子である事、一応現時点での世継ぎが私だけである事、子殺しは外聞が悪い事、女神が私の次代に期待すると言った事。
はははっ!私は女神にも見放されているのだ。笑わずにいられるか。そう睨むな。はははっ!
外聞など今更だ。
国王が王妃に毒を盛られていたのだ。
子殺しが追加されたからと言って、醜聞が消えるわけもない。
実の息子か。
同じ血が流れているだけの事だ。陛下は私に『がっかり』しているようだがな、条件を満たさねば関心も持たない父親など、こちらから願い下げだ」
話しているだけで、むかむかと嫌な気持ちが沸き上がってくる。
だけど、変な男は陛下ではない。陛下のように八つ当たりはしたくない。
気持ちを落ち着けるように、深呼吸をする。
「条件を満たす、とは?」
変な男は真剣な眼差しで私に聞く。
相手に諦めや嘲りの色がないだけで、こんなにも平静でいられるのかと驚く。
「陛下には基準があるのだ。
弟のアルブレヒトだ。
アルブレヒトが幼い頃からどれだけ賢かったか、どれだけ優れていたか。
アルブレヒトの母親は生まれて間も無く亡くなった。私には母親がいる。なのになぜ、そんなに何も出来ないのか。
アルブレヒトは、アルブレヒトは、もううんざりだ。
私はその『陛下のアルブレヒト』を越えなければ、期待外れの役立たずなのだ。
『愛情深く優しい、いつも見守っていてくれた兄上様を持つアルブレヒト殿下と、あの王妃殿下がいる王子殿下を比べるとは、陛下も中々残酷でいらっしゃる』
侍従達はそう言って笑っていたが、私も同じ気持ちだった。その時の私は二才だったか。
陛下が悩んだ事は、全部問題ない。
子殺しは今更の醜聞だ。
世継ぎはアルブレヒトがいる。
女神?別に問題ないはずだ。女神が私を殺したくないなら、何かするだろう。
有り得ないが。
それに私は王になりたくない。
王の仕事は国や民を守る事だろう?
私に守りたい者など一人もいない。
自分を含めてな。
首にした侍従も、私をばかにしている者達も、同じ国民だ。
あの者達を守る為に、この環境を耐え続け努力を重ね、国王を目指せと?それこそ有り得ない。
私が王城で暮らせるのは、王子であり世継ぎであるからだ。その金は民の税だ。ばかな私でもその位は知っている。だが、私に王になる気はないし、陛下にもそのつもりは無い。
あの侍従達は、上手い事を言った。
「金の無駄」その通りだ。
私が自ら死ぬと言えば、陛下はほっとされるはずだ。私は自分の命に未練はない。
それにな、自分の五才の息子に『処刑するか悩んでいる』などと言う父親の近くに、いたい子供がいるのか。殺す事を『悩む』のだ。ははっ。
これが理由だ。気が済んだか?」
変な男の顔は青ざめていた。
何を考えているのか分からないが、あまり気にならなかった。変な男と一緒にいたせいで、私も変になったのかもしれない。
「殿下、お約束は必ず守ります。
ですので、殿下が毒を飲まれるまで、私に殿下のお世話をさせて頂けませんか」
「ふぅっ。お前はただの変な男ではなかったのか。頑固な、変な男だ。はははっ。
いいだろう。私が死ぬまでの間、お前を私の侍従として認めてやる。これからは、変な侍従だな」
「頑固、を忘れておいでです。
殿下、心より感謝申し上げます。
誠心誠意、殿下にお仕え致します。
私セレン・ノワールの忠誠は全て、クリスハルト・ルアージュ・セルリアン殿下に」
変な侍従は、私に忠誠の礼を取った。
目玉が飛び出るかと思った。
「……許す」
声が震えないように必死で堪えた。
小さな小さな声で、ぽつりと言葉が漏れた。
「……ありがとう」
変な侍従は、ぱっと私を見て、そして満面の笑みを見せた。嘘は、なかった。
その後、変な侍従は食事をと言ったが、私はとても疲れていたので休む事にした。
湯浴みと着替えを手伝われ、違和感を覚えながらも言われるままに従い、やっとの事でベッドに入った。
変な侍従は、私に上掛けを掛けるとランプを消して静かに退出した。
私は久しぶりに、ぐっすりと夢も見ずに眠った。
翌朝目が覚めると、聞き覚えのある低い声が耳に届いた。
「殿下、お目覚めですか?」
そこには、侍従のお仕着せをきっちり着込み、穏やかに微笑む変な侍従がいた。
「あ、本当にいる」
「ふっ。もちろん居ります。
おはようございます、殿下」
変な侍従は笑いながら、私の身支度を手伝い出した。
「ははっ。昨夜も思ったが、変な侍従は世話焼きなのだな。まぁ、これも悪くない」
変な侍従は変な顔をして、不思議そうに私を見て、不思議そうに尋ねてきた。
「殿下にしているお世話は、一般的なものです。幼い方には殆んどの事を侍従が致しますが、殿下はご自分でお出来の様ですし……」
その言葉を聞いて、私も不思議になった。
「そもそも私は、ずっと小さかった頃はともかく、二才を過ぎて身支度の手伝いなどされた事はない。だから、自分で出来る。
昨夜と今朝と、お前が手伝ってくれて、やはり自己流だと思った。色々、行き届いていなかったようだ。ふふ」
変な侍従は、また目を見開いてしまった。
今日は聞いてみる事にした。
「そんなに目を見開いて、目玉は飛び出ないのか?それに、痛くはないのか?」
「殿下!湯浴みは?お食事は?
今まで、どうされていたのですか!?」
すごい勢いで、掴み掛からんばかりに変な侍従が聞いてくる。どうしたのか全く分からないが、質問に答えていく。
「湯浴みか?そうだな、侍従が準備が出来たと言いにきたら、浴室にいって服を脱ぐ。
浴槽に湯が溜められているので、浸かって布で体を擦る。頭を浸けて手でごしごしやる。
浴槽を出て、置いてある布で頭と体をごしごしやる。寝衣を着る。
部屋に戻ると、侍従がもう一度頭をごしごしやる」
変な侍従は真っ青だ。
体調が悪かったのか?
瞬きもせず見つめてくる眼が、早く言えと言っているようだ。
「あとは、食事か。あまり気にしていなかったから、はっきりしないが……
確か……扉の所までメイドがワゴンを押してきていた。侍従が受け取り、トレイをテーブルに置く。水差しの水をカップに注いだら、私に声を掛ける。で、食べる」
床に膝をついて視線を合わせた変な侍従は、私の両手を自分の両手で握り包んだ。
「まだ、こんなにもお小さいのに。なぜ、殿下をお守り出来なかったのか……。
これからは私がおります。必ず殿下をお守り致しますので、のびのびとお過ごし下さいませ」
「ふふ。おかしな事を言う。
もうすぐ私は死ぬのだ。守る事など何もないぞ?」
「いいえ、殿下。陛下は、毒など絶対に飲ませないし、殿下を死なせる事はしない、と仰せでした。……陛下は、後悔なさっておいででした」
溜め息がでた。
やはり駄目だったか。
何の為に、これからを生きるというのか。
……後悔とはなんだ?
「後悔、か。
今はいい。死ねないなら、身支度を整えて食事にしよう。昨夜は食べなかったから、お腹が空いたし、水が飲みたい」
「かしこまりました」
食事の内容も驚いたが、置いておく。
変な侍従は、また目を見開いていた。
目玉は飛び出ないし、痛くもないそうだ。
変な男だ。
食事が終わって、ひと休みする。
「本日はどのように過ごされますか?」
変な侍従は触れないが、教育係達はもういない。
「そうだな、私に出来る事は二つ位だ。
今日はどちらにするか」
苦い笑いが出る。
変な侍従が首を傾げる。
「二つ、でございますか。
お聞きしても?」
「部屋でぼーっと窓の外でも眺めるか、城内を宛もなくぶらぶらするかの、二つだ」
変な侍従は、最早いつも通りと言っても過言ではないだろう、その目を大きく見開いた。
私は笑いながら説明する。
「あはは。またそんなに目を見開いて。
私はな、爺に、最初にいた教育係だが、爺に教えてもらった事を調べたり、一緒に読んだ絵本を読んだりしたかったのだが、母上と新しい教育係に図書室への入室を禁じられてしまった。先に、渡した本を読め、とな」
「渡した本?」
私はずっと机の奥にしまったままの、その本を出して変な侍従に渡す。
「『セルリアン王国の税制度について』この本を?殿下が読まれたのですか?」
「読めるぱずがない。他にも何冊かあったが、私には最初の一行も読めない。
教育係達はそれはそれは落胆してな、私をばかにしながら『殿下なら読めます、大丈夫です』などと、薄っぺらな嘘の笑顔で、思ってもいない事を言っていたな。
アルブレヒトが私と同じ年に読んだ本だそうだ」
「殿下のお部屋の本棚が空なのは、なぜでございますか?」
変な侍従の顔が真剣なものに変わる。
そんなに構える様な話しでもないが、どうも変な侍従の知っている私に関する事柄と、実際の私とかなり違うようだ。
何かと目を見開くのもそのせいだろう。
「ああ、それか。
その本棚には、爺がくれた本や一緒に読んだ本、これから読む本などがあった。
あとは、お祖父様から外国のお土産にと頂いた本も沢山あったな。
爺に最初にもらった本は、私が初めて触れた本で、初めて人にもらった贈り物だった。
大切にしていたが、本棚にあった本は母上が全て捨ててしまった」
「っ!……なぜですか?」
「陛下だ。あの日、陛下と母上は私の事で口論した。その時陛下が言った言葉で、母上の怒りが私に向いたのだ。
『お前が不出来なせいで台無しだ』と。
私を王には出来ないと、陛下が大勢の前で宣言したからな。母上は大変なお怒りだった。
なんだ、お前は知らなかったのか?
王城では割りと有名な話だぞ。厩舎や洗濯場でも、皆が楽しそうに話していた」
「陛下は大勢の前で『宣言』されたのですか」
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