レオニードと王子殿下
第2部の連載を始めます。
宜しくお願い致しますm(_ _)m
**レオニード視点**
「ちちうぇ、ははうぇ、おはよごじゃましゅ」
「うむ。おはよう」
「おはよう、レオニード」
二才になった。
生まれて半年たった時、自分の状況がやっと把握できた。赤ん坊に逆行したのだと。
何故に赤ん坊なのかと、最初の内は心の中で散々女神に向かって悪態を吐いたものだ。歯がなかったものでな。
しかし、ちょこんと白い粒が見えてきた時に父上と母上が二人して声をあげて喜び、使用人達も皆が口々に「おめでとうございます」と、笑って言うのだ。
その皆の姿を見て分かったのだ。
『最初からではないと無理だった』
の、だと。
あの時とか、これが、とかではない。
最初が駄目だったのだ。そこから負の連鎖が始まるのだ。
その考えは結局の所、正しかった。
歯がチラッと生えるまで、私は逆行前の赤子の時とほぼ同じだったはずだ。
逆行前には赤子の時、星屑の瞳はなかったけれども。
逆行前は二才の時、両親の顔も自分の名前も知らなかった。
だから私は乳母を探したのだ。乳母の行く先は母上の部屋だったから。
私は母上が亡くなった後、エントランスホールの柱の影で父上を覗き見ていた。
頭を上げている人が間違いなく父上だから。
そこでしか、父上を見る事は出来ないから。
結果、父上のお顔をちゃんと見る事は出来なかったのだけれども。
今は、逆行前を思い悩む事はほとんど無い。
レオニード・フォン・ローゼリア。
セルリアン王国王弟にして近衛騎士団団長のアルブレヒト・フォン・ローゼリア公爵家当主と、隣国エッカルド王国の元王女シャルロッテ・フォン・ローゼリアの嫡子として生まれた。
父上は結婚を期に公爵位を賜り、臣籍へと降下した。二人とも王族という身分にありながら、恋愛結婚だと母の乳姉妹が嬉しそうに話してくれた。
その乳姉妹は、私が生まれてから一才迄の間、乳母として世話をしてくれた。
乳母といっても授乳は母上がしていたので、子守りだ。
元王女で公爵夫人が、乳母を置かず……と、いうのは外聞が悪いからだったそうだ。
今は母上の筆頭メイドを務めている。
一才から、つまり、よたよたとしながらも何とか一人で歩けるようになったので、子守りではなく従者がついた。
それが今、子供用の椅子を引いて座るのを手伝ってくれたカールだ。もう一人、筆頭従者のカスペルがいる。
一才半の時、全ての記憶が戻った。
女神と会って星屑の力を使ったのだ。
色々と大変だったが、父上と母上、信用できる者達にちゃんと説明したりした。
侯爵家は取り潰し、王妃と侯爵家の一族は連座で処刑された。王子はそのままだ。
詳しくは聞いていない。
陛下は元気になったし、父上も普通の生活に戻った。母上とも仲良しだ。
私も毎日、元気に楽しく暮らしている。
最近は、二十才の私が『薄く』なっている気がする。つまり、子供っぽい……
「ありあと、かーりゅ」
滑舌が悪いのはご愛嬌だ。
なんせ舌が短すぎる。
歯は生えた。
白い二つの小粒を初めて鏡で見た時は、さすがに泣いた。とても嬉しかった。
今は十六本ある。定期的に健診してくれているクルトゥス医師によると、もう少しすれば二十本にはなると言われた。
聞いたのだ。早く生えないかと。
父上と母上には笑われたが、聞かなければずっとわからないではないか。
テーブルに着くと、料理が配膳され食事が始まる。
父上は騎士なので朝が早い。その為朝食はあまり一緒にとれないが、時間のある日はこうして共にいてくれる。
何がきっかけで逆行前と違い、家族仲が良くなったのか、私にはさっぱり分からないが、仲が良いのだ、良い事だ。
メニューは、かぼちゃのポタージュに柔らかい白パン、ふわふわのオムレツ。はちみつとヨーグルト掛けのバナナと苺。温かいミルク。
どれも少量ずつだが、小さな口で食べやすい様に工夫されている。ありがたい。
カトラリーも子供用に軽く小さい仕様だ。
もっきゅもっきゅと夢中で食べ、最後にとっておいた苺を口に入れる。今日も美味しい。
食事が終わると、隣の居間に移動してティータイムだ。
父上と母上は紅茶。私はオレンジ果汁だ。
一口飲むと、美味しくて顔が緩む。
にんまりしていると父上から声がかかる。
「今日、レオニードは何か予定があるのかい?」
顔を上げ果汁のグラスを置くと、父上を見る。
「きょうはおにわで、しゅーりぇんのよていでしゅ」
キリッと告げる。
滑舌が悪いのはご愛嬌だ。
「しゅーりぇん…修練か。
修練とはどういう事だ?」
「はい!わたしはしょうらい、ちちうぇのような、つおいきしになりゅのでしゅ!」
滑舌が悪いのは…以下略。
「なので、いつもりゅしあんと、ぶりゅーのに、きたえてもりゃってりゅ、のでしゅ」
えっへん。
頑張ってる事をアピールする為、ちょっと胸をはってみた。ちなみに、ルシアンとブルーノは私の護衛だ。
父上は片手で口元を覆って、なぜか目を閉じ上を向く。なんとなく釣られて、私も手で口元を覆い天井を見てみた。
うん。さすが公爵家。
天井には小ぶりながら美しいシャンデリアが吊るされ、堀細工のある天井板が落ち着きのある品を醸し出している。素晴らしい。
あ、目は閉じるのか。
どこからか「ごふっ」と、複数の声が聞こえた気がして、顔を正面に座る母上に向けるが、母上は優しくにっこりと微笑んでいる。
私も手で口元を覆ったまま、にこっと母上に微笑み返す。
ふむ、気のせいか。
「ちちうぇ?」
「あー、ごほん!いや、今日はレオニードを、騎士団の見学に連れて行こうかと思ってな。
以前から行きたいと言っていただろう?」
き、騎士団の見学だと!?
「ほんとうでしゅかっ、ちちうぇ!?」
「あぁ、本当だ。修練は大丈夫か?」
「もちりょん、だいじょぶでしゅっ!」
私は興奮のあまり、父上の膝に飛び付きよじ登る。
父上は私の両脇に手を差し込むと、ひょいっと抱き上げその膝に乗せてくれた。
「ちちうぇ、ありあとごじゃましゅ!
だいしゅきでしゅっ!!」
太くてがっしりとした首に両手を回し、ちょっとざりさりする頬に顔を近付け『ちゅっ』とする。
途端、父上が破顔する。
「はははっ!レオニードは可愛いなぁ。どこでこのような手管を覚えたのだ」
「レオは毎朝、わたくしにもおはようのキスをしてくれるのですよ」
ほほほ、と母上が淑やかに笑う。
「こりぇは、ちちうぇがははうぇに、ちゅってしゅるのを、みたのでしゅ。ははうぇもちちうぇも、うりぇししょうに、にこにこしてました。
しょれと、わたしは、かわいいじゃないでしゅ!」
「まぁ!」
「うちには小さな密偵がいるようだな。
そうだった、レオニードは格好良いのだったな!」
父上がニヤリと笑い私のお腹をくすぐる。
「きゃーっ、はははっちちうぇ!きゃーっ」
父上の膝の上で笑い転げ、仰け反る。
楽しくて仕方ない。なんだこの興奮と高揚感は。
くすぐり続ける父上の大きな手にしがみつき、動きを止める。父上はそのまま私の頬をぷにっと摘まみ「なんだこれは…」と呟くと、両手でぷにぷにし出した。
「ち、ちっち、う、ぃえー」
「あ、あぁ、ついな」
父上は私の頬を撫で笑っている。母上は扇で口元を隠しながら肩が揺れている。
「レオの頬は魔性ですのよ。気をつけませんと、夢中になって離せなくなりましてよ」
母上、私の頬は魔性ではありません。
「ちちうぇ、おねがいが、ありゅのでしゅ」
「願い?なんだい、言ってごらん?」
「わたしもちちうぇと、おしょりょいで、しょりぇで、たいけんしたいの、でしゅ!」
父上が目をパチパチしている。
反対に母上は、優雅に微笑むのを止めて扇をたたみ、こちらに身を乗り出して目をキラキラさせている。
「レオ!もしかして、アレを着るの?
剣も装備して?」
「はい!ははうぇ。
しゅーりぇんのしぇいかを、ちちうぇに、おみしぇしゅりゅのでしゅ!」
キリッと答える。
父上のお顔は、母上とわたしを行ったり来たりしている。面白い。ふふふ。
「私だけ置いてきぼりかい?
レオニード、父に教えておくれ」
「ちちうぇと、おしょりょいでしゅ!
ちちうぇに、しゅーりぇんのしぇいかを、おみしぇしゅりゅのでしゅ!」
「うーん、おしょりょい……お揃い?うん。
しゅーりぇん、修練のしぇいかを、成果、か。
私にレオニードの修練の成果を見せてくれるのか!そうか!」
父上が母上の方を見る。
母上は父上の方を見る。
私も父上と母上を見る。
「わたくしもご一緒に見学したいですわ!
レオの初舞台ですわ!」
「初舞台?
見学は構わな、」
「こうしては居られないわ!
早く準備をしなければ、二人とも、母は忙しくなりました。また、後でね。失礼!」
と、言葉を残しメイドと共に去って行った。
***カール視点***
朝食の後、旦那様に近衛騎士団の訓練場への見学に誘われて、若様は大変にご機嫌が良い。
旦那様にお願いして、なし崩しに『お揃い』と『修練の成果発表』をもぎとった。
若様は今、お揃いにお着替え中だ。
私は、若様の手回り品等を準備する。
一応、着替えなども必要だ。お眠のブランケットも。料理長におやつの焼き菓子も頼んである。
騎士服の着付けはカスペルがお世話している。
全ての準備が整いルシアンを先頭に、若様、カスペル、私、ブルーノと続く。
なんと言っても、若様の初めてのお出掛けなのだ。しかも御一家で!
エントランスホールには、すでに旦那様と奥様がお待ちになっていた。
若様は走らず、少し早足でご両親に近付く。
成長された。
「ちちうぇ、ははうぇ、おまたしぇしました!」
若様のお姿を見て奥様は「まぁまぁまぁ!」と、大喜びでだ。一方旦那様は、目を見開いて固まっている。無理もない。
若様のお姿は旦那様と『お揃い』だ。
つまり、二才児に合わせた生地と縫製で、若様専用の『近衛騎士服』を着用されている。
柔らかいけれどもパリッとした、少し厚手の白い生地で上着とスラックスを作っている。
短いが、きちんと詰襟だ。
肩章は黒地の生地に、緑と青のローゼリアが二つずつ、アップリケで付いている。
金ボタンは、ローゼリアの形で真ん中に小さな緑の石が嵌まっている。
胸には太目のツイストコードを使い、飾り緒が付けられている。左胸には、勲章や階級章の代わりに、シーバスとアルバンのワッペン。
腰(お腹のあたり)には幅広の黒いベルト。
二才児でも重くならない柔らかい物なので、動きやすい仕様だ。
ベルトには布製の剣帯が装着されている。
剣帯には装飾文字で、若様のお名前が刺繍されている。
そして剣だ!
ぬいぐるみだが。
ちゃんと長剣だ。短剣サイズだが。
柄にはなんとエメラルドが付いている。
ぬいぐるみだが。
マジックテープで留めるので、安心だ。
そして、その小さな背中にはセルリアンブルーの鮮やかなマントがヒラヒラしている。
二才児用なので三十センチもないが、旦那様と同じ様にローゼリア公爵家の紋章が、同じ生地に刺繍されている。奥様の力作だ。
スラックスはセンタープレスがピシッと入り、膝が曲げやすい仕様になっている。
黒い足首までのブーツは、柔らかい皮を使い足底にはクッション素材を入れ衝撃を和らげている。ちなみにルシアンとの修練で何度か履いて、足は慣らし済みだ。
この衣装は、使用人総出で若様の二才のお誕生日に贈られた。途中で奥様が気付かれてマントでの参加となった。
騎士服姿の旦那様とご一緒に、この騎士服を着たかったのか、若様は少し前から旦那様に訓練の見学をねだられていた。
「とても素敵よ、レオ!
本当によく似合っているわ。くるりと回って、母によく見せて下さい」
若様ははにかみながら、奥様の前でくるくると回る。だんだんと回っているのが楽しくなってきたのか「きゃぁきゃぁっ」と笑いながら回っている。
と、我に返った旦那様が若様を掬うように抱き上げると、若様も嬉しそうに声を上げる。
「どうやら、父だけが知らなかったようだ。
こんなに格好良い小さな騎士を、どこに隠していたのだ?」
「ちちうえに、おどりょいてほしかったの。
だかりゃ、ないしょにしていたのです。
きょうはわたしも、ちちうえといっしょの、きしになって、くんりぇんのせいかを、みしぇるのです!」
旦那様は堪らないといったご様子で、大声で笑い出された。
「はははっ!
『たいけん』とは『帯剣』の事であったか!
おお!レオニードの剣を父に見せてみよ」
旦那様は若様を床に下ろすと、一歩後ろに下がり奥様と並ばれた。
若様は誇らし気に、剣を剥がす。
びりっ、という音と共に若様が長剣を、天に向かって掲げる。
その可愛らしくも勇ましい姿に、旦那様と奥様が「なんと!」「まぁ!」と感嘆されている。
我ら使用人は一斉に拍手で応えた。
大きな拍手に若様は嬉しそうに微笑まれ、旦那様の足に抱き付いて、剣を見せている。
実は剣の型は、旦那様の剣に似せて作っている。ぬいぐるみだが。
生地は丈夫で破れにくい、一番薄手の帆布を使っている。
旦那様の長剣の柄には、旦那様の瞳と同じ色の澄んだサファイアが埋め込まれている。
これは、旦那様が近衛騎士となった時に、旦那様の師匠であった前近衛騎士団長から頂いたものであると、家令のアーベル様から伺った話だ。
若様の剣には、使用人達の気持ちばかりの予算の中から、カスペルが伯爵家の伝手を使い、小振りだが若様の瞳の色と同じエメラルドを埋め、いや、縫い込んである。
それを見た旦那様は破顔し、屈み込んで若様と視線を合わせると、若様の小さな両肩に手を置き真面目な顔で仰った。
「この長剣と騎士服は、公爵家の使用人達からの贈り物だと、今お前の母から聞いた。
騎士服も剣も、小さなお前が動き易いように怪我をしないように、とても細かく考えて作られている。
そしてこのエメラルド。これはお前の瞳の色だ。レオニード、お前にはこれらの意味がわかるか?」
私達使用人は、若様が大好きで、ただ喜ぶお顔が見たかっただけだ。いや、騎士服を纏い剣を掲げる姿も、見たかったけれども。
旦那様の仰る『意味』とは、一体何なのか?
若様は旦那様の顔を見て、次いで奥様の顔を見る。そしてまた旦那様の顔を真っ直ぐ見ると、良く通る声で仰った。
「はい。わたしはこうしゃくけのみなに、かじょくのようにあいしゃれ、たいしぇつにしゃれていましゅ。けりぇども、しょれにまんしんしてはいけない、かりぇりゃは、わたしがまもりゅべき、たみなのでしゅ」
なんと!
若様がそのように思って下さっているなんて!
「その通りだ。
お前が皆に慕われていて、父は嬉しい!」
旦那様が若様を、自身の頭上高く持ち上げると若様の喜びの叫びが響き、奥様が上品に笑い声を上げられる。
片腕に若様を乗せた旦那様に、奥様が近付き若様の頭を優しく撫でる。
「母も嬉しく思いますよ」
「はい、ははうえ!
ちちうえ、わたしのまんとをみてくりぇましたか?」
「ん?マント、これはまた可愛ら…、いやレオニードにぴったりなマントだな。
はははっ、ちゃんとローゼリア公爵家の紋章が入っている」
旦那様が小さなマントを、若様の頭の上にぴらっと持ち上げて見ている。
「ははうえが、しゃしてくりぇました!
ちちうえとおしょりょいでしゅ。ふふ」
「おお!
では揃いの騎士服に揃いの剣を装備して、さっそく騎士団へ参ろうか」
「はい!」
「えぇ、是非二人の勇姿を見なければ!」
本当にこのご家族を見ていると、幸せな気持ちになる。
旦那様は、エントランスホールで見送りの為に並んでいる使用人達を見回すと、大きな声で仰った。
「皆がレオニードの為に心を砕いてくれた事、礼を申す。息子を大切に思ってくれる気持ちを、ありがたく思う」
「わたくしからも、心からの感謝を。
皆、ありがとう」
「とってもうりぇしかったの!
ありあとごじゃましゅ!」
それぞれに感謝の言葉を伝えられ、皆胸が一杯だ。何やら目が霞む。と、思ったら横にいたルシアンが黙ってハンカチを差し出してきて、自分が泣いている事に気付いた。
ありがたくハンカチを借りたが、ルシアンも泣いていたので私のハンカチを貸した。
何をやっているのやら!二人して笑ってしまった。
旦那様の腕に乗ったまま、アーベル様を筆頭にお見送りする使用人達に手を振り、御一家が馬車に乗り込む。
馬車を囲むように、護衛騎士が騎馬で従う。
私達従者やメイドは後続する馬車に乗る。
場所は軽快に王城へと進む。
若様は初めての外出に、さぞ胸を躍らせている事だろうと思うと笑みが零れる。
カスペルも微笑んでいるのを見ると、目が合った。どうやら、同じ事を考えていたようだ。
「……旦那様は、若様をあのお方に会わせるおつもりだろうか」
カスペルが憂い気に呟く。
『あのお方』とは、王子殿下の事だ。
「今日ではないと思う。だが、その内と思われているのではないか?」
「あぁ、そうだろうな。
『あの若様』は、笑い飛ばしていらしたが本当に大丈夫か心配なのだ」
カスペルの憂い顔は変わらない。
それはそうだ。もし何か言い掛かりを付けられたら、若様は身分上、反論出来ないからだ。
「あのお方は、かなりの乱暴者と聞くからなぁ……。あのお方よりも、身分の高い方は国王陛下だけだ。旦那様は臣籍降下されたから、叔父君であるが身分は下だ」
その通りだとカスペルは頷き、難しい表情でもの思わしげに顎を擦る。
「クリフォード殿によると、あのお方は旦那様のお名前を、呼び捨てにされるらしい」
私は目を見開いた。
いくら今は王族を離れ公爵位とはいえ、王弟で叔父君なのだ。身分どうこうよりも、叔父を呼び捨てとは如何なものか。
カスペルは先ほどよりも憂いの深い表情で、小さく息を吐く。
「私が心配しているのは、あのお方の方だ。
若様を見て幼いからと侮るのではないか。
年齢は関係ない、若様は決して侮ってはならないお方だ。もし、若様がお怒りになるような事になれば……。実はルシアンとブルーノも同じ事を案じていた」
カスペルの言葉に冷や汗が出る。
今日は旦那様も奥様もいらっしゃる。
大丈夫とは思うが、断言は出来ない。
カスペルの勘はよく当たるし、不測の事態とはよく起こるものだからだ。
心の準備だけはしておこう。
何の問題も無く無事に王城に着いた。
腕に乗せようとする旦那様に、離れないから歩きたいと、若様が仰り訓練場までゆっくりと進む。
周りにいる王城勤めの者達が、若様の姿に驚いて足を止める。
濃い金の髪、澄んだ濃い緑の瞳、しかも右目は星屑だ。その上、愛らしい騎士服姿。
どう見ても、横で手を繋いで歩く同じ顔の父君の真似っこだ。濃い金の髪もお揃いだ。
足を止め頭を下げる騎士や使用人達に、微笑んで手を振る若様に、皆は釘付けだ。
あのお方と違い過ぎて、戸惑っているのだ。
程なくして、近衛の騎士棟に着いた。
ここで副団長や部隊長らと挨拶をし、訓練場へと向かう。
旦那様、いや近衛騎士団長の前にずらりと整列した騎士団幹部達は圧巻だった。
その幹部の前に立ち、声をかける旦那様の姿は、確かにローゼリア公爵閣下というよりは、近衛騎士団長の肩書きが相応しい堂々たる迫力があった。
若様はきらきらした瞳で、旦那様を見上げている。旦那様から紹介された若様は、一歩前に出ると小さく礼を取られ、はきはきと(滑舌は除く)挨拶をされた。
「わたしは、りょーじぇりあこうしゃく、ありゅぶりぇひとがちゃくし、りぇおにーど・ふぉん・りょーじぇりあ、ともうしましゅ。
きょうは、ちちうえにおねがいし、くんりぇんのけんがくと、わたしのしゅーりぇんのしぇいかを、ちちうえにみしぇるために、しゅこしばしょをおかりしましゅ。
きしだんのじゃまになりゅのは、ほんいではないので、じゃまになったりゃ、しゅぐにいってくだしゃい。きょうは、よりょしくおねがいしましゅ」
また小さく礼を取り、最後ににっこりと笑った若様は、その場で近衛騎士団幹部の心を掴んだと言っても過言ではない。
長兄によく似た副団長が、瞳をきらきらさせて旦那様と若様を見つめているのを、視界の端で捉えたが、きっと見間違いに決まっている。
そうに違い無い。そう決めた。
その後、部隊長達から挨拶と紹介を受け、いよいよ訓練場へ向かう事となった。
部隊長達は先に退出し、私達は若様の歩みに合わせてゆっくりと向かった。
団長執務室を出る前に、若様がとことこと私とカスペルの所へやって来て、口元に両手をかざして内緒話のポーズを取ったので近い方にいた私が屈んで耳を寄せる。
「あのね、わたしのきしふく、ちゃんときりゃりぇてりゅ?みだりぇてない?」
なんと、身だしなみの確認であった。
しかしポーズは内緒話になっていたが、お声は普通に話されていたので、皆に聞こえていた。
若様付きの私達四人以外は(奥様は除く)、この不意打ちに見事にやられ肩を震わせている。奥様はさすがだ。
カスペルと私は、軽く髪や騎士服を整え若様に頷いて見せる。
「大丈夫でございますよ。
立派な騎士様のようです」
カスペルがそう言うと、若様は旦那様を見上げる。
旦那様は笑い声をあげ、若様を抱き上げる。
「間違いない!私が今まで見た中で一番格好良い騎士だ!」
「ほんとでしゅか、ちちうえ!
ははうえ、かっこぅいーでしゅか?」
「もちろん本当だとも!」
「母の騎士は、旦那様とレオだけですわ」
若様は少し照れながら、私達の方を見る。
四人共に頷いたのを確認すると、旦那様に向かって両手を上げた。
「こりぇいじょう、おしょくなりゅと、みんながまちくたびりぇてしまいましゅ。
だかりゃ、ちちうえだっこしてくだしゃい」
「そうだな」
旦那様が若様を片腕に乗せると、私達は執務室を後にした。
訓練場に着くと、騎士達は各々訓練に励んでいた。
用意されていた見学用の席に着き、暫くの間騎士達の様子を見ながら、若様は旦那様に色々と質問をされていた。
「では、ちちうえ。まじゅ、ひりょうしたいものがありましゅ」
若様は見学席から距離を置き、剣をべりっと剥がし最初の型の所作を取る。
そこからは、セルリアン王国に代々伝わる型の連続である。
私はそこまで詳しくないのだが、ルシアンやブルーノによると、型は基本でありながら完璧に修めるのは難しい。
型には攻撃や守りの種類がいくつもあり、それを全て繋げるとまるで舞いの様に見えると言う。
そう、今まさに若様が披露されているように。
若様が仰るには、二度目の世界で若様は王立騎士団でバッカス団長の見習いに付き、騎士になった。なので、バッカス団長は若様の師匠にあたる。
若様が騎士になった当時は、バッカス団長はその『剣舞』で有名であられたそうだ。
もちろん若様も徹底的にしごかれたそうだ。
若様は剣術に於いて、型は大変重要であるけれど、自分の体はまだ力が無く小さすぎるから、ルシアンとブルーノに修正して欲しいと仰った。そこで型の連続を披露して下さった。
それは正に『剣舞』であった。
が、確かに力が無くお小さいせいで、剣の振りや止めの型に無理があり、バランスが崩れてしまっている箇所がいくつかあった。
ルシアンとブルーノは、若様の型を一心に見つめ何度も頷いていた。
バランスは崩れがちだが、私にはとても真似出来ない水準の高さである。
このバランスの崩れを、基本をしっかり踏襲しながら今の若様に無理の無い様に、少しずつ修正していったのだ。
それが若様の仰る『しゅーりぇん』だ。
実は中々に厳しい内容だ。若様には色の力があるので、体力に問題がなかったのが大きい。
努力すればするだけ身に付くのだ。
指導するルシアンとブルーノも、手応えが目で見えるので、やり甲斐があったようだ。
その『しゅうりぇん』をカスペルと見守りながら、『あの若様』のお話を思い出した。
二度目の若様は、王子殿下の事を『怠惰』だと仰った。
アーベル様も仰っていたが、若様の成長は王族であれば『普通』の事だと。
つまりそれは、生まれた時から努力を怠る事なく民を守り導く存在であれ、という王族の義務でもあるのだと。
アーベル様は旦那様、第二王子殿下がお生まれになった時から侍従をされていた。
だから、王族の事をよくご存知だ。
若様は可愛らしいお方だが、考え方は中々に厳しい。既に次期公爵の自覚をお持ちだし、領民達の事も気に掛けておられる。
『剣舞』を披露されている若様を見つめる。修練の成果でバランスの取れた型の連続は美しく、流れる様なそれは一見して攻撃の型には見えない。
ぬいぐるみの剣を持ち、お小さいはずの若様がとても大きく見える。わずか二才の若様から発している威圧感に圧倒される。
訓練していた近衛騎士達は、いつの間にか皆、若様と見学席を取り囲む様にして固唾を飲んで凝視している。
片膝が地面に付きそうな程体を屈めた状態から、一気に跳び上がり剣を横に一閃する。
そんなはずは無いと、頭でわかっているのに、若様の剣が黒い獣の首を一閃したように見えた。
着地した若様は剣を装着すると、小さく息を吐き、正面に座る旦那様に礼を取った。
旦那様はすくっと立ち上がり大股で若様に近付くと、さっと若様を両手で高く抱き上げ大声で笑い声を上げ、くるくると回っている。
周りの騎士達も大声で歓声を上げ、若様の名を呼び口々に讃えている。
少し落ち着いたのか旦那様が若様を下ろし、自らの膝を着き、若様の両肩に手を置き瞳を合わせる。
「素晴らしいっ!なんと言う事だ!
レオニード!お前の修練の成果、父が確かに見届けた!日々の修練、よく努めた!
私は父として、近衛騎士団長として、レオニード・フォン・ローゼリアを誇りに思う!」
「ちちうえ、ありあとごじゃいましゅ!」
「レオ、本当に素晴らしかったわ!
その、ぬいぐるみの剣が、本物の剣に見えた程よ!」
「ははうえ!ありあとごじゃいましゅ!」
若様は旦那様と奥様を見て、周りの近衛騎士達をぐるりと見渡すと、声を張り上げた。
「じぇーんぶ、りゅしあんとぶりゅーの、ふたりのおかげでしゅ!
ちちうえ、ははうえ、ほめりゅなりゃわたしではなく、りゅしあんとぶりゅーのを、ほめてくだしゃい!」
「おお!そうであったな!
ルシアン・スタリオン、ブルーノ・ロルフ!」
「はっ!」「はっ!」
二人は旦那様の前に片膝を着き、頭を下げて礼を取る。
二人の名前、特にルシアンの名前に近衛騎士達が少しざわめく。
「ルシアン、ブルーノ、幼いレオニードをよく導いた!
二人のレオニードへの忠信、嬉しく思う。おって、褒美をつかわす。
これからもレオニードを頼むぞ!」
「はっ!有り難き幸せ」
二人の声が見事に揃う。
立ち上がった二人の足に、若様が飛び付いて喜んでいる。私とカスペルも三人の側に行き、皆で喜びあった。
幼くも傲慢な声が、場を切り裂くまでは。
「さわがしいな。
近衛は訓練もせず遊んでいるのか。
アルブレヒト、どういうことだ?」
その瞬間、私達の足元にいたはずの若様は、王子殿下の顔に見事な跳び蹴りを決めていた。
若様の着地と同時に、セルリアンブルーのマントがひらりと背中に落ちる。
そして若様は可愛らしいお顔を「きっ」と歪めて、吐き捨てる様に仰った。
「つぎに、ちちうえのおなまえをよびしゅてにしたりゃ、とびげりだけでは、しゅまないかりゃな!
かくごしておけ!なまくりゃめ!!」
お読み下さりありがとうございます。