兄と弟
第一部最終話となります。
宜しくお願い致しますm(_ _)m
**王弟アルブレヒト公爵視点**
「……言葉が、見つからぬ」
陛下……兄上は、ソファーに座り両手に顔を埋めている。静かな嗚咽が聞こえる。
二度目のレオニードから、全ての話を聞いて三週間が過ぎた。
近衛騎士団長の権限と王弟としての権力を、余す事なく使い、レオニードから託された証拠を徹底的に確保していった。
兄上は王妃から飲まされていた、侯爵家の特別ブレンドのお茶に入れられた毒に侵され、三ヶ月以上もの間ベッドで寝たきりであった。
クルトゥスによると、症状から見ておよそ半年位前から毒を盛られていたようだ。
普通なら、死んでいても不思議では無かった程の量だったらしい。
元々兄上は、星屑の瞳を持てる位の力を持っていたのだ。命が助かったのは解毒が間に合ったのと、魂と色の力のお陰だろう。
レオニードの情報で毒の特定が出来たので、クルトゥスに公爵邸で解毒薬を調合させた。
クルトゥスは王族の元専属医師であった。
準備を整えた私は、近衛騎士団長の名の元にクルトゥスを王城へ連れて行き、国王の治療を命じた。
こうして、やっと兄上は正気に戻り体も健康になりつつある。
心は、また別であろうが。
数々の証拠を確保した後は、謀反人達の捕縛だ。
既に王妃と侯爵家一族は地下牢へ。北方民族の根城、エッカルド革命派の隠れ家などは全て潰し関係者も全て捕縛した。
王城の中にいた、侯爵家の共犯者達も残らず捕縛した。牢は全て満員超えの状態で、呆れ返るばかりだ。
しかし、誰一人として容赦はしない。
この国は滅亡していたのだ。
女神とレオニードの力で、時は戻った。
女神は滅亡の前に時を止め、レオニードに意志を問うた。
だが国王、王太子、王弟が死に、国を守る騎士団長が二人共死に、国中に黒い獣が跋扈し国土は蹂躙された。
これを滅亡と言わず何と言う。
そして、この侯爵家の数々の悪事の結果、私は家族を全て失ったのだ。レオニードとは和解できたようだが、私はすぐに死んでしまった。
そして三回目の現在も、同じ事が起きつつあった。兄上は既に毒に侵されていた。
思う事も言いたい事も色々とあるが、まずは兄上だ。
昨日、クルトゥスから公爵邸に連絡が届き、兄上の体調が安定したと知った。
私は今朝一番で登城し、人払いをした国王執務室で『レオニードの記録』を、兄上に読ませていたのだ。扉の前には、クリフォード達を立たせている。
『レオニードの記録』は、実は一言一句、皆が質問した事まで全て、あの日あの部屋で行われた会話を記録させた。
それを清書させ、本にした物を二冊作った。一冊は王城に、一冊は公爵家に保管する為だ。
兄上が顔を上げた。
毒で窶れた顔をしているが、その濃く青い瞳は澄んでいて、涙で潤む輝く青は波で揺らめく海の様に煌めいて見えた。
「……実はな、今朝方、夢を見た」
兄上は空を見つめ、ゆっくりと話す。
夢という言葉に、一瞬どきりとした。
「この、レオニードの話による所の、恐らく一回目。私が星屑の力を使った世界だ。
思い出した訳ではなく夢だが、真実だと分かった。
国は滅びる寸前だった。エッカルドに攻め込まれ黒い獣は国中に跋扈していた。
全ての始まりは、侯爵家だ。
あの女が王妃になり、私は弟を失い弟は家族と人生を喪った。
お前は生きてはいたが、死んでいたも同然だった。お前の妃もそうだ。王妃に殺された。
お前のたった一人の息子は、母親を殺され父親の顔を一度も見る事さえ出来ず、結局公爵家を出ていった。
二人の命を守る為に、お前は全てを捨てたというのに!
……私は死にかけていた。
最早、自分で指一つ動かせず口も聞けず、命が消えるのはもう直ぐだった。
私は必死に女神に祈った。
私の命など、どうでも良かった。だが、民とお前達だけは、何としても救いたかった。
女神は私の願いを聞いてくれたが、私の体がぼろぼろなせいで、時を戻す事しか出来ない。
負担が大きすぎるせいで、記憶を持たせる事も出来ない。それでも滅亡への道を変えられるかもしれない。
ならば私は命を掛けて、星屑の力を使うだけだった。
ベッドで毒に苦しみながら、私はずっと後悔していた。
私があの女と婚姻しなければ、何とか父上と重臣達を説き伏せていればと!」
兄上は拳を震わせ、自分の足に叩きつけた。
その言葉で分かった。
一度目、二度目、そして三度目と。あの女と侯爵家は同じ事をやっていたのだと。
レオニードは、私があの明言をしたのは兄上との確執を避け、侯爵令嬢を退ける為に私の考えで発したと思っていたが、真実は少し違う。
兄上も私も、侯爵家がウルを奪ったと知っていた。
父上はまだ存命で国王ではあったが、侯爵家の傀儡と言っても過言ではなかった。
当時の宰相であった前侯爵に、薬を盛られていたのだとレオニードから聞いて、初めて父上の苦悩と辛さを知った。
私達は人が変わった様に暗愚になり、侯爵家の言いなりになる父上を、冷ややかに見ていた。私達こそが、暗愚であった。
当時、兄上も私も幼子ではあったが、それは見た目だけの事で、声や体つき以外は大人と変わらなかったと思う。あまり公にはしていないが、王族では当たり前の事だ。
その上で、一才位から王族の教育が始まる。
嫌でも賢くなる。
……はずだが、例外が出来たようだ。
まあ、今は置いておく。
今までは漠然と、女神の血が流れているからだと思っていた。間違ってはいなかったが、色の力を理解した今はよく分かる。
父上は侯爵家との縁組みを押し進めた。
兄上は父上に『侯爵家には最大の警戒をしなければいけない』『王家に侯爵家の者を入れるなど、とんでもない過ちだ』と、連日猛抗議していたが、父上がその声を聞く事はなかった。
やがて侯爵家が、兄上と令嬢の懇親の為に定期的に茶会をしたいと言ってきた。
父上に言われ、兄上はしぶしぶと出席したのだが、兄上がいない間私は侯爵家の派閥の子息令嬢に囲まれ、困っていた。
私を派閥の令嬢と婚姻させ、王族を囲み込みたいのだと分かった。
茶会から戻った兄上は、私の話を聞いて静かに怒りを滾らせていた。
兄上の澄んだ濃い青の瞳は、燃え盛る青い炎のようだった。
兄上は次の茶会から、私を連れて行くようになった。私が拐かされたり、侯爵家派閥にあらゆる既成事実を作らせない為だ。
その為に、私はいつも兄上に引っ付いていた。一番安全な場所だったから。
茶会で初めて侯爵令嬢にあった時、悪寒が走った。
あれは、獲物を見定める目だ。
一瞬で本性を見た気がした。兄上が令嬢本人を嫌うのも当然だと思った。
兄上は最初の挨拶以外、令嬢と口を聞いた事はない。茶会でも令嬢を見る事もなく、ずっと私を構っていた。
令嬢は兄上に話し掛けても、相手にされない事を知っていたので、侍従や近衛の手前もあり兄上に話し掛ける事はなかった。
そして何故か、私に纏わり付いた。
しつこく話し掛けて来て、ある時など私室の近くまで付いてきて、散歩をしないかお茶はどうだと、うんざりする程だった。
日が経つ程に酷くなり『あなたが私に気があるのは知っている。お兄様に申し訳ないと感じているのでしょう?』と、笑った。
ぞっとした。
その場で殴る事も、嘔吐もしなかった自分を誉めてやりたい。
偏に、日々の鍛練と王族教育の賜物だと思う。
兄上は深刻に受け止めた。明らかに令嬢の振る舞いは非常識だし、私の身の危険を感じたのだ。
それに加えて、王城のメイド達が噂をしだしたせいもある。私の私室に近い場所で、令嬢を突き放している所を見られていたのだ。
私とあの令嬢との噂など、吐き気がした。
兄上があの令嬢と婚姻する事は、何としても破棄したいが、無理だという事も理解している。父上は傀儡なのだ。宰相である侯爵の。
兄上はまだ立太子前だったので、政治的な権力はなかった。
私が令嬢から距離を置く方法はないかと、兄上は色々と考えて下さった。
その一つがあの明言だった。
『兄上が婚姻し王子が生まれるまで、私は婚約者を決める事はない』
お陰で明言の後、侯爵家派閥の令嬢に追いかけ回される事は格段に減った。
しかし兄上は、侯爵家と令嬢から逃げられる訳もなく正式に婚約した。
兄上は成人すると立太子された。
私は成人したら王族を離れようと思っていた。
当時、私の叔父上(父上の弟)が近衛騎士の団長をしていた。
決まりではないが、王に弟がいる場合その殆んどが、近衛騎士となり、やがて団長に就任する。
私は叔父上に騎士になりたいと話し、叔父上は快く私を団長付きの見習い騎士にしてくれた。
通常、団長は見習いを(弟子)持たない。
私の身分が王子というのもあるが、王族の身体能力に普通の人ではついていけないから、というのが本当の所だ。
それでは、私の修練にならないし、師匠になってくれる騎士に恥をかかせる事にもなる。
それからの私は朝から晩まで、毎日修練に励んだ。叔父上は厳しかったが、着実に私は力を付けて行った。
叔父上も色持ちで、特に身体能力はずば抜けていた。本人曰く、自分は生まれながらの騎士なので、政治的な事は全く向かないのだと。
だから私が騎士になりたいと自分に言ってきてくれた事はとても嬉しかったと、厳めしい顔を綻ばせて笑ってくれた。
その叔父上が全力で鍛えてくれた。私も必死で食らい付いていった。
その修練の様子が、周囲の騎士達にはかなり凄絶に映ったようだ。
当初、団長付きの見習いなど『王子だから特別待遇』なのだろう等と嗤っていた者達がいた。
しかし、私が叔父上と修練する様子を見た他の者達から『王子の特別待遇』を、お前達も受けたらどうだ?と、揶揄されたらしい。
そういった事もあり、騎士団で思っていたよりも、好意的に受け入れられたのは嬉しい事だった。
叔父上は王族のまま近衛騎士になったので、団長になっても王城に住んでいた。
見習いは通常、師匠である騎士と起居を共にするのだが、叔父上に『問題ない』と言われ、結局今までと同じように生活する事になった。
問題はあの令嬢を避ける事。
まだ婚約者なので、王城に住んでいる訳ではないが、時折突然現れ嫌な汗が流れる。
兄上と婚約したというのに、一体何がしたいのか。
兄上からは極力近付かないように注意しろと、会う度に言われていた。
二年後、私は成人し騎士試験に合格した。
正式に近衛騎士となった私は、積極的に黒の森の遠征に参加し、黒い獣の脅威をその身を持って知っていった。
黒い獣の討伐をするようになって、王立騎士団のバッカス団長と知り合った。
何と言うか、興味深い人物だ。野生の勘で生きているような……
しっかりした従者が付いていたから、大丈夫だと思う。
彼は伯爵家の当主になったばかりの青年だったが、団長に抜擢された。
朗らかな性格で、面倒見が良かった事や身分を感じさせない親しみ易さで、年齢に関係なく皆から慕われていた。
だが抜擢された大きな理由は、単独で黒い獣の首を落とせたからだ。私と同じだ。叔父上もそうだ。
私はその数年後、部隊長から副団長に就任した。前任者が負傷し、引退したのだ。
一年後、父上が崩御された。
既に殆んど寝たきりだったので、驚きもなかった。涙は出なかった。私も兄上も、淡々と葬儀を執り行った。
実は私は、父上には殆んどお会いした事がなかった。一、二才頃は兄上と一緒に、よく遊んで頂いた。
だが、段々とお会い出来なくなっていって、その内気にならなくなった。
儀式等でたまにお見かけする父上は、記憶にある父上とは別人のようだった。
私にはいつも兄上がいてくれた。
兄上は博識で優しくて、怒るととても恐かった。幸い私に怒りが向いた事はないが。
しかし騎士になってから、仲間の騎士達が皆口を揃えて『そっくり』だと言う。
自分では分からないものだ。
葬儀から一年後、兄上が即位され同時に婚姻の儀が執り行われた。
数ヶ月後、王妃となった侯爵令嬢が懐妊した。兄上はほっとされていた。
嫌いな令嬢でも国や王家に利があるならば、これほど兄上もお辛くなかっただろうし、私も憂鬱ではなかったと思う。
しかし、何度思い返しても彼女と侯爵家を退ける事は不可能だった。
「……兄上、一度目の兄上を、その状況を私は知りません。二度目についてはレオニードから大体の所を聞きました。
そして、今は三回目です。何も覚えていない私でも、過去に何が起こっていたのか、今何が起ころうとしていたのか明白です。
今回は侯爵家は、同じ事を繰り返そうとしていた。
過去二回、我が国を滅亡へと導いたのは、間違いなく侯爵家です。
黒い獣が溢れるようになった時期は、父上が変節したと思われた頃、つまり先王陛下が薬を盛られ出した頃からです。
エッカルド王は、王妃が革命派に売っていた薬で操られ、私の妻はその薬の代償とエッカルド王位の簒奪の為に殺された。
その後エッカルド王は薬で操られたまま、我が国へ騙し討ちで攻撃し、陛下も王太子も私も殺された。
全てが侯爵家を中心に繋がっていた。他に全く要因が無かったとは、言いません。
しかし中枢は侯爵家だった。
確かに侯爵家との婚姻を避ける事が出来れば、多くの不幸と命を救ったでしょう。
けれども、果たして侯爵家が諦めたでしょうか。傀儡として王を操るよりも、直接的に反逆を企てたかもしれません。
二代に渡って国王に毒や薬を使い続けた。
兄上を殺すつもりだったのは、明白な事実です。
ですが、あの時点で婚姻を避ける手立ては無かった。薬のせいで、父上は傀儡だった。
何故、気付けなかったのか、父上のお心を思うと……忸怩たる思いで一杯です」
兄上は大きく息を吐くと、私を見て微かに笑った。
「そうだな。後悔は山ほどあるが、今回は女神様とレオニードのお陰で、皆生きている。
何より、侯爵家一派を全て捕縛出来た。取り逃がしはない、そうであろう?」
にやり、とした顔で私を見る兄上に、先程までの憂いはなかった。
「もちろんです。近衛の団長として、共犯者、協力者を全て捕縛致しました。
面白い程にぺらぺらと自白するので、裏付けを取る作業が少々立て込んでいますが、問題ありません。
元王妃と、元侯爵の尋問も順調です。
レオニードのやり方は、どうやら三回目でも有効なようです」
「アルの息子は、大きくても小さくても優秀なようだ。……あれは、どうしたものか……」
「兄上……。
侯爵家は一族全てを処刑の上、家は取潰し領地と財産は没収。確かに残る問題は、クリスハルトをどうするか、ですね」
王妃の息子でもあるが、兄上、陛下の息子でもある。未だ四才だが、評判は頗る(すこぶ)悪い。
星屑まで持つその力と才能を、無駄にした上で、悪い方向に成長しようとしている。
侯爵家一族は、赤子に至るまで処刑される。
罪に対する処罰が殆んどだが、禍根を残さない為でもある。
元侯爵、元王妃は公開斬首。他、主要な者達も斬首。共犯者や協力者は毒を。
直接関わっていない者や子供には、苦しまない毒が与えられる。
尋問が終わり次第実行される。
今の状況では、王子に王位は継がせられないだろう。
それに王子だけ命を助けるのは、如何なものか。侯爵家に苦しめられた者は多く、その根は深い。
年齢は関係ない。兄上はまだお若いし、新しい王妃を迎えれば世継ぎも問題はない。ただ、女神の言葉が、我々を悩ませている。
「次代に期待する」女神の言葉だ。
『王子の息子』という事か。はたまた、単純に『次の王』という事なのか。
しかし、我が子を処刑というのも憚られる。
王子は罪を犯していないが、最も罪の重い元侯爵と元王妃の直系だ。
禍根を残さない為なら、王子は処刑するべきである。
そしてもう一つ。
王子は星屑を持っている事。
「クリスハルトは四才だが、年を経てもあれは変わらないだろう。
まだ、真面に本を読む事さえ儘ならぬ。
私は二才になる前か、アルも二才時には一人で何でも読んでおった。幼いレオニードもそろそろではないか?」
レオニード、あの子を思うだけで笑顔になる。
「はい。元々、幼児用の物語などは読んでいたようですが、今は記憶があるせいか私の書斎にある本も普通に読み、内容について議論を交わすのも、楽しい一時です」
食事の後、家族三人で面白かった本の内容を語り合う。本当に満たされる素晴らしい時間だ。
国の滅亡の危機を回避出来たが、幾つもの貴族家が取り潰しになるなど、かなりの痛手も伴った。にも関わらず、兄上も私も暗い気持ちにならないのは、レオニードのお陰だ。
二度目のレオニードが、顛末を詳細に語り全てが記録された事で、たとえ厳しい内容であっても対処が出来たし教訓にもなった。
そして過去二回、滅亡して続く事のなかった未来を私達は迎える事が出来た。
これからの未来に希望が見出だせたから、暗くなる必要などないと、前向きになれたのだ。
さらに私には、三回目の幼いレオニードがいる。あの子の存在は、私に限り無い力を与えてくれる。
あの子が笑顔でいてくれるなら、私はどんな事があっても幸せでいられる。
きっと、シャルロッテも同じ事を言うだろう。
レオニードの滑舌は、本人曰く「ひじょーに、じゃんねん」な事に、元に戻ってしまった。
その口調と滑舌は、話している内容や考えとの落差がありすぎて、公爵家の者は皆腹筋が素敵な事になっている。……らしい。
シャルロッテとレオニード、そして私達に仕えてくれる者達。毎日が鮮やかに彩られ生きる事が楽しい、こんな風に思えるなど考えた事もなかった。
兄上にも幸せになって欲しい。
兄上は努力家だ。だが、幼い頃から足を引っ張られ続け、やっと罪人達が捕縛されてもクリスハルトの事などもあり、心が晴れる事がない。
「二度目のレオニードは最後に、シャルロッテの質問に笑いながら答えていたはず」
私が言うと兄上がページをめくる。
「なるほど。くっ、はははっ!
こてんぱんにやっつける、か。
確かに身分のせいで、クリスハルトにはっきりと物を言う者はいないし、剣術や体術の訓練もほぼやっていない。
立派な剣は振り回しているようだがな」
兄上の表情が明るくなった。何か吹っ切れたように見える。
「うむ。決めた。クリスハルトについては、とりあえず現状維持だ。
但し継承権については、暫定でこれを奪う事とする。
もし今まで通り継承権があり、クリスハルトが母親や祖父の仇として、私や国を恨んだなら大変な事になるだろう。また、担ぎ上げる者も現れるやもしれぬ。
クリスハルトがこの先どうなるか、彼が成人するまでは様子見だな。
まだ四才であるし、もしかすると……という、期待もないでもない。よって、成人までは暫定が良かろう。
だが、今までと違い本人の思うようにはいかぬであろうがな」
「では、事が落ち着けば兄上の新しい王妃の選定を急がねば、」
「いやいや、それには及ばぬっ。
私に少し考えがある。それに、しばらくは妃は遠慮する。
幼少の頃より、これに悩まされなかった日は一日たりとて無かった。しばらくは一人で良い。
そなたに頼る事も増えるだろうが、健康も取り戻し気分も前向きだ。何とかなるだろう」
まだ少し窶れているが、兄上の声は明るい。
兄上の考えとやらも聞きたいが、急ぐ事もあるまい。
「クリスハルトには、元王妃の事は?」
「私から全ての事実を話す。直系の王族で星屑を持っている。理解出来るはずだ。
もし理解出来なかったとしても、それは怠惰に過ごして来た己の責任という事だ」
厳しいように聞こえるが、女神の血を引くセルリアンの王族に年齢は関係ない。
王族の言動の全てが、国に国民に影響する。
そうは言っても、まだ幼子である事は間違いない。しかも母親と祖父なのだ。
他の者から、余計な尾ひれの付いた噂話しを聞かされない内に、兄上が直接話す方が望ましい。
二人共に、良い方向を向けると良いのだが。
私はあまり王子には関わっていない。と、言うより近付かないようにしていた。
甥ではあるが、何といっても王妃の息子だ。
王子に少しでも関われば、自ずと王妃と接触する事になる。私にそのような気持ちは塵ほども無い。
そうでなくとも、ここ何ヵ月も病に倒れたと思っていた兄上の代わりに、国王の執務を代行していたせいで、シャルロッテやレオニードと殆んど話す暇もなかった。
兄上の病の原因が解らず、その事実は伏せられていた。
だが私は気付いたのだ。父上の時と似ている事に。病に倒れる前、兄上は無気力になっている気がした。執務中にぼーっとしたり、話していても上の空だったり。
どこかで見た、既視感を覚えた。
同じ顔、同じ仕草……父上だ。
変節した頃の父上。最後に遊んでくれた時、父上がつまらなそうに見えて、幼い私は不満に思ったのだ。
へそを曲げていた私は、父上が一緒にいてくれなくなっても、どうでも良いと思うようになった。私には兄上がいてくれたから。
私に出来る範囲でだが、執務は滞りなく出来ているはずなのに、侍従長から不備があったと連絡が入る。
不備など無いと分かっているが、行かない訳にもいかない。
疲れた体に鞭打って王城へ行くと、何故か満面の笑みで王妃がいる。うんざりする顔を、もはや隠すつもりも気力もなかった。
あの日レオニードが倒れなければ、あの茶葉も暫くは手付かずだったに違いない。
あの茶葉を手に入れたのは、侍従長が兄上だけに飲ませようとしたのが、何となく気になったせいだ。
私は侍従長に気付かれない様クリフォードに合図をし、茶葉を少々取って来させたのだ。
兄上に父上と同じような、既視感のようなものを感じるが、兄上に限って変節などあり得ない。必ず、何か原因がある筈だと思っていた。
そんな時だったので、侍従長の言動に違和感を覚えた。そういえばこの男は、王妃の侍女長も兼務している胡散臭い男だ。
兄上に何か変な物でも飲ませていたなら、絶対に容赦はしない。
茶葉は公爵邸に戻ってから、クルトゥスに調べさせようと思っていたのだ。
だが、あまりにも疲れていた。
兄上の病状を軽々(けいけい)と話す事も出来ず、ましてや王妃の事など。
出来ればシャルロッテの耳には入れたくなかった。皆にも心配を掛けた。
特にレオニードは、過去の私と同じように私が公爵邸に帰って来なくなるのではと、かなり不安に思っていたのだろう。
思えば、私の落とした包みを調べたのも、何か手掛かりが欲しかったからだ。
どれだけ不安で心細かった事か。
この慌ただしさが落ち着いたら、レオニードと一緒に何か楽しい事をしよう。
家族での時間を過ごさなければ、疲れ過ぎて心がひび割れてしまう。
「この『レオニードの記録』では、言及されてはおらぬし、女神も恐らくあえて触れられておられぬようだが、私は夢の中で女神に尋ねた事を覚えている」
「女神に尋ねられた……、もしや、クリスハルトの……星屑の事ですか?」
「そうだ。一度目私と同じように、クリスハルトにも両目に星屑があった。
私が死にかけていた当時、クリスハルトは既に二十三才、健康であったはず。
故に、私の体では両目を使っても侯爵家を潰す事は出来ず、父上が薬を使われる前には戻れないと知った時、女神に尋ねたのだ。
『星屑は王でなければ使えないのですか』とな。
女神の言葉は分かりやすく、クリスハルトが王どころか、王族の器でない事を私に知らしめた」
兄上は無念そうに、固く目を瞑り片手で額を覆った。深く息を吐き私を見ると口を開いた。
「曰く、『国や親を想う事も無く、自らの虚栄にしか関心を持てぬ鈍が星屑の力を使うなど、たとえ神の力を行使しても不可能である』と。
そして続けてこうも仰られた。
『お前は分かっているはずだ。
あの王子だけが、王妃の罪を暴き国を救う事が出来たのを。星屑の力を使わずとも、立場も権力も機会も全てを持ち合わせていた。
自らの無知に気付けぬ者には、どんな力をも行使する事は叶わぬ』
女神は全てをご存知だ」
レオニードは王子の事を聞かれた時、気まずそうにしていた。私達に話したよりも、女神はもっと直截な言葉を使われたのだろう。兄上に仰られた様に。
レオニードの話を聞いた時、私も思った事だ。一番近くにいて、解決出来る権力と立場を有していたのに、己の義務を何も果たさず只殺された。何と、一度目も同じであったとは。
「項垂れる私に『気にする事はない。王族に生まれ、そのように育った者は、何もあの者が始めてではない。
鈍になった者も、星屑を持っていながら使えぬようになった者もな』と。
励まされたのか追い討ちを掛けられたのか。
いや、事実を話されただけなのだろうな」
兄上は苦笑されたが、なるほどとも思った。
女神は『気にされない』なら、クリスハルトにやり直す機会があるのだ。
だから、兄上は王位継承権の剥奪を『暫定』とされたのか。
非常に厳しい道のりではあるが、もしかすると心を入れ替え精進するやもしれぬ。
だが、そうでない場合は成人の披露目の前に、病に倒れる事になるであろうが……
この時、私達はもっと深刻にクリスハルトの事を考えなければならなかった。
女神の言葉の意味を、もっと深く考えなければいけなかった。
父上の時と同じ過ちを繰り返している事に、気付くべきだった。
問題は私達が思ったような、そのように単純なものではなかった。
しかし私達は何も気付かず、問題を見過ごしてしまったのだ。
「この二度目のレオニードは、本当に消えてしまったのか?皆の目の前で?」
興味深げに兄上が身を乗り出す。
『レオニードの記録』の最後には、記録者達が見たままを記してある。
『幼い姿のレオニード様だったはずが、黒い騎士服に包まれ、鍛え上げられた長身の立派な体躯の若者が、目の前に立っていた。
輝く濃い金の髪、澄んだ濃い緑の瞳、右目は星屑の煌めきを湛えている。
その顔立ちは、誰が見てもローゼリア公爵閣下に瓜二つだった。美しい緑の瞳以外は』
「レオニードが座っていたソファーを見ると、小さなレオニードが、丸まってすやすやと眠っていました。
騎士のレオニードは、正に歴戦の風格を持っていました。王立騎士団の副団長だったというのも頷けました。
その姿を見て、それまでの話が一層真実味を増し、改めて背筋が凍る思いでした。
静かな、穏やかな瞳をしていました。
星屑の力を行使し、役目を果たした安堵もあったのでしょう。
ですが、あの静謐な眼差しが私には逆に、あらゆる苦難を乗り越えた証の様に見えて、胸がつかえて真面な言葉を掛けてあげられなかった」
「何を落ち込む事がある。レオニードは、そなたの息子に生まれた事を誇りに思うと、言うたのだぞ?
しかも、立派な青年に成長する事まで分かっておる。
アルブレヒト、お前は一度目も二度目も、辛く厳しい人生であった筈だ。
けれどもお前は最後まで諦めなかった。
故に、いずれも死の間際ではあったものの、その心がレオニードに届いたのだ。
苦しみながらも王城に居続けたのは、もちろん元王妃がレオニードに手を出さない様に、というのは分かっておる。
だが、私を見捨てる事が出来なかった、お前の優しさだという事も知っておるぞ?
辛かったであろう。
苦しかったであろう。
そして、さぞかし悔しかった事であろう。
今のそなたが過去を覚えておらずとも、これだけは言わせてほしいのだ。
アルブレヒトが私の弟である事を、誇りに思う。そしていつの日も私を兄と慕ってくれる事を、心から感謝する。
いつもありがとうアルブレヒト、我が弟よ」
兄上が私に向かって頭を下げた。
「兄上!頭を上げて下さい!
何を仰るのです!
感謝するのは私の方です。
幼い頃から、いつも兄上が私を背に守って下さった。
兄上が守って下さらなければ、私などあっという間に、あの侯爵家に呑み込まれていた事でしょう。
私こそ、近くにおりましたのに兄上をお守り出来なかった。今回も兄上は毒に侵されてしまった。レオニードがいなければ、今頃は、」
「良いのだ、決してお前のせいではない。
こうして助かり、謀反人は捕縛され間も無く処刑される。
後悔はもう無しだ。我らは前を見なければならん。
私は誰よりも、お前を頼りにしておる。
それで?まだ聞いておらぬぞ?
騎士のレオニードは、どのようにして消えてしまったのか?」
「兄上!」
「はははっ!
早う、教えぬか」
執務室に兄上の明るい笑い声が響き渡る。
ようやく、セルリアン王国は滅亡の危機を乗り越えたのだと、実感出来た気がする。
ガラス窓から、レースのカーテン越しに柔らかな暖かい陽射しが届く。
レオニードが生まれたあの日、母と子を照らした優しい光と同じように。
あの日も、そして今も。
女神が、その慈悲の眼差しで私達を見守ってくれている。
そんな気が私はした。
「待てーっ!」
「まてといわりぇて、まつものはいない!」
青い瞳の幼子が、緑の瞳の幼子を追いかける。
「やぁーっっ!」
あと一歩まで追い付いた青い瞳の幼子が、大きく飛び上がり剣を両手で振りかぶる。
緑の瞳の幼子は振り返り、なんとかかわすが体勢を崩し背中から倒れてしまう。
「はぁ、あと一歩だったのに。レオはちびのくせに、すばしっこいからなぁ」
「ちびはよけいだ。はりゅとこしょ、ほんのしゅこしまえまで、くんりぇんも、したことなかったなんて、うしょみたいだ」
青の瞳の幼子クリスハルトは、緑の瞳の幼子レオニードに手を差し出すと、強く引いて立ち上がらせた。
二人は手に持っていたぬいぐるみの剣を、それぞれの剣帯のマジックテープに装着する。
クリスハルトはレオニードの側にしゃがむと、ズボンや上着に付いた土埃を払って、簡単に乱れを整えてやる。
手ぐしで髪を梳り、そのまま頭を撫でる。
レオニードは、にこにこと嬉しそうに微笑むと、クリスハルトの空いた方の手を自分の手と繋ぐ。
「えりゅまーのおやつ、いっしょにたべりゅの!かしゅぺりゅと、へんなじじゅーがまってりゅ!」
「はははっ!そうだな。のども乾いたし。
今日はエルマーの菓子を、私にもくれるのか?」
悪戯そうにレオニードの顔を覗くクリスハルトに、レオニードは笑顔で頷く。
「はりゅとは、とくべつ!」
「知ってるぞ。
私が菓子を食べている間に、変な侍従に頼んで、持ち上げてぐるぐるしてもらうのだろう。
ルシアンかブルーノにやってもらえば簡単だろうに」
「へんなじじゅーの、あのじぇつみょーな、じょうげしゅる、まわしかたが、しゃいこーなの!」
「ふふっ。しゃいこー、か。
レオ、その滑舌、どうすれば直るか私が知っていると言ったらどうする?」
「なっ!ほんとぅ?ねぇ、ほんとぅなのはりゅと!!?」
聞き出そうとして、必死にしがみついてくるレオニードの手を離し、クリスハルトは駆け出した。
「変な侍従の所まで、競争だ!
私を捕まえたら教えてやる。でも、お前はそのままが良いと思うぞ?ははっ」
「じぇっったい、つかまえりゅーっ!!
はりゅと、まてー!」
「待てと言われて、待つ者はいないのだろ?」
楽しそうに笑いながら、また追い駆けっこを始めた幼子達を、お付きの者達が微笑ましげに見つめ笑い声を上げる。
広い庭園を見渡せる、王城のガラスの窓辺で、父親達が駆け回る幼子達を見ていた。
子供達が笑っている、これこそが平和が訪れた証だ。今度こそ、この笑顔を守っていくのだと二人は心に誓う。
楽な道など何処にも無い。
躓き、間違え、挫けたりもするだろう。
けれども、この笑顔を見られるならば。
きっと、どんな事でも乗り越えられる。
幼子の笑顔には、未来への希望とそれを叶える限りない力が込められているから。
ローゼリアの咲き乱れる美しい庭園に、幼子達の笑い声が響き渡る。
セルリアン王国は今、新しい時代を迎えようとしているのだ―――――――……
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ねえ、ローゼリア。
人は愚かだろう?
だから、とても愛おしいんだ。
間違っていると分かっているのに、認められず過ちを繰り返す。
ほんの少しの小金が欲しくて人を殺す。
かと思えば、野良猫の為に自分の命を投げ出して、その小さな命を救ったりする。
嵐や旱魃で家を失っても、理不尽な戦で家族や愛する人を喪っても。
踏まれても踏まれても、人は立ち上がりまた一歩一歩、歩き出すんだ。
私は、その矛盾に満ちた愚かで愛すべき人達を守りたいのだ。
食い縛ったその口元を、笑顔にしてやりたい。皆が笑顔でいられる場所を作りたいんだ。
君も馬鹿な理想家だって笑うかい?
笑って良いよ。
君になら、笑われても構わない。
私はいつだって、君の笑顔が見たいんだ。
笑って、ローゼリア。
君が笑顔なら、わたしは幸せになれるから。
きらきらと煌めく、澄んだ深い緑の瞳。
笑みを湛え、柔らかな弧を描く大きな口元。
そして今、その命の灯は消えようとしている。
ねえ、ローゼリア。
私達は、何度でも巡り逢うから。
女神である君なら分かるだろう?
私の命が終わっても、それは決して別れではない。魂は巡るから。
だから、泣かないでローゼリア。
君に笑って欲しいんだ。
私が君の美しい微笑みを忘れないように。
笑っているわよ、レオニード。
あなたの創ったセルリアン王国を見守りながら。
あなたの愛したセルリアンの人々を見守りながら。
あなたの変わらぬ、美しい澄んだ緑を見守りながら。
あなたとの思い出を懐かしみながら、また新しいあなたを見付けるわ。そう何度でも。
今の小さなあなたは長生きしそうよ?
楽しいから、少しも寂しくなんてならないわ。
人間って、本当に計りしれないから。
第一部完結です。
第二部はまだ執筆中ですので、しばらくお時間頂きます。
お読み下さりありがとうございますm(_ _)m