愛しい息子 4
残酷な描写があります。
苦手な方は自衛下さい。
宜しくお願い致しますm(_ _)m
なにか、良い香りがする。
暖かくて、ふんわりした優しい香り。
……あぁ、これはローゼリアだ。
あの庭園で香った、心が落ち着く香り。
目を開くと、あの庭園にいた。
優しい香りはそのままに。
ローゼリアも泉も動きを止めた、あの庭園だ。
だが、彼女はいない。
ここは、私の心の中だからだ。
二十才の、庭園で女神に会い星屑の力を使った私の。
目を閉じて、ゆっくりと反芻する。
逆行した一才半になる私は、父上の落とされた茶葉の包みを拾い、中身を舐め噛んだ。
薬の成分に体が過剰反応したのか、意識を失った。だが、解毒薬で目を覚まし体調も問題なかった。そしてまた眠り、夢を見た。
夢を渡って逆行前の二度目の私、二十才まで生きて女神に会った私の、十二才の時の心の中に入ったのだ。
十二才から断片的に、逆行前、私が経験した重要な事柄を追体験する事で、全ての記憶を取り戻した。
十二才か。
それは心が真っ暗で、時が止まっているような気になるはずだ。
逆行後の私は、ほとんど幼子の記憶しかなく、逆行後の経験は両親や周りに大切にされた、やはり幼子のものだ。
情報や知識は記憶として持っていたから、そこから考えられる可能性を模索していた。
だからこそ、星屑の力を使って時を遡ったと確信し、女神の掛けた『記憶の制限』が解けたのだ。
暗く孤独な心の中に突然一人でいて、怖くなるのは当たり前だ。それも自分の心なのだと思うと、苦い顔にもなる。
今のこの空間も、私の心の中だ。
二度目の私の体は彼女といたあの庭園で、星屑の力を使い女神に祈りを捧げた時で終わり、心はそこで止まったままなのだろう。
最後、私の心はこんなに穏やかだった。
ひとつ、息を吐くとゆっくりと目を閉じる。
幼子の私が目を覚ます為に―――――……
意識が浮上するのが分かる。
だんだんと持ち上がっていく。
そして、私は目を開けた。
「レオニード!」
「あぁ、レオ、レオ!」
目の前に、若い父上と母上がいた。
若い?
どういう事だ?
これは、この意識は、あの庭園のまま。
2度目の私。二十才の私だけの意識だ。
二度目の私は、ただの記憶になるはずだ。
その時、彼女の声が甦った。
『ちょっとしたおまけを付けてあげる。
期間限定だけれど』
ゆっくりと深呼吸をし、考える。
……恐らく、全ての記憶が甦り融合したとはいえ、幼子。
色を持つ者に年齢は関係ないと、はっきり言っていた彼女だが、三度目の幼いレオニードの、心と精神の負担を考えてくれたのだろう。
だから、期間限定なのか。
粗方、周囲への説明や手配等が終わったら、この私は『ただの記憶』になるのだと思う。
そして逆行した幼子のレオニードは、全ての記憶を持つ『ただ一人のレオニード』になるだろう。
記憶が意思を持つ事はない。
それは私が『ただの記憶』になるまでは、私は父上や母上と話す事が出来るという事だ。
二十才、二度目の私は母上を知らない。
彼女への感謝の念が沸き上がる。
「レオニード、大丈夫か?」
私が再び目を閉じて黙っていたものだから、心配をかけていたようだ。
私はベッドで体を起こし座る。
「父上、母上、ご心配をおかけしました。
私は大丈夫です」
私の口調に絶句しているのが分かるが、それよりも2人の憔悴が酷い。
それに、やはり少し緊張する。
「私のこの口調もそうですが、きちんと皆が納得出来るようにご説明致します。
本当に、何もかも大丈夫ですから安心して、まずはしっかりと眠り、体を休めて頂きたいのです。
説明、話はとても長くなるでしょう」
「……お前は、本当にレオニードなのだな?」
父上が少し不安そうに尋ねる。
それはそうだろう。体は一才の幼子なのだから。困惑するのは当然だ。
「間違いなく、貴方の息子のレオニードです。ちゃんと理由があるのです」
努めて穏やかに伝えると、父上はとりあえず頷いてくれた。横を見ると、母上も頷いた。
「それとご説明する時は、父上と母上だけではなく、一緒に聞いて欲しい者達がいます。
アーベル、クリフォード、アルベルト、ヴィクトル、ルーベン。
それから、カスペル、カール、ルシアン、ブルーノ。皆にも聞いてもらいたい。
父上と母上にも伝えたが、話は長くなる。
よって、皆も今から休息を取ってもらいたい。
大丈夫だと言いたいだろうが、長いだけではない。恐らくはその後、とても忙しくなる。
特に父上達は。
だから、今は休んで欲しいのだ。頼む」
アーベルが私に向かい頭を下げる。
「かしこまりました。一同少しの時間お休みを頂き、体調を整えておきます。
旦那様と奥様にも、しっかりとお休み頂きますのでご安心を」
「うん。宜しく頼むよ。
それともうひとつ、父上と母上、皆も。
話は機密性の高いものなので、とりあえず明日1日だけでも確実に時間を取って欲しい。
話している部屋には、他の者を近付けたくないのだ。引き継ぎなどがあれば、早目に終わらせて置いて欲しい。
急にこのような事を言ってすまないが、私の頼みをどうか聞いて欲しい」
私は皆に頭を下げた。
「レオニード、頭を上げなさい。
心配しなくても大丈夫だよ。私達は皆、お前の事を信じている。
お前が眠っている間に話していた事も。
驚くような話ばかりだったが、全く意味が分からなかった。だが、重要な話しだという事はわかる。
あれが、本当にお前が見ていただけの、ただの夢でないのなら」
「私は眠ったまま、口で話していたのですか!?」
驚愕の事実だ。
「だから、安心して良い。
私も母も、そして皆も。ちゃんと準備して万全の状態でお前の話を聞く。
この中に、お前を疑ったり軽んじたりする者はいない」
父上はそう言うと、私の頭を撫でた。
『いつも頭を撫でてやりたかった』
途切れそうになる言葉を必死に繋ぎ、そう私に告げた、壮年の父上の声が甦る。
「……父上、ありがとうございます。
皆も、ありがとう」
外は夕焼けが終わった頃で、部屋はシャンデリア以外のランプが灯っていた。
「では、明日の朝食後、話しをしたいと思います。それまでは、どうかゆっくりとお休みを。
父上は出来れば、クルトゥスからゆっくりと眠れるお茶を淹れてもらって下さい」
「お任せ下さいませ」
苦笑する。
父上が何か言うまえに、アーベルがさっと答えた。
「仕方がないな。けれども、レオニードもゆっくりと過ごすのだよ?」
「そうよ。説明を聞くだけで疲れるのなら、話す方はもっと疲れるわ。お願いよ?」
父上と母上が心配そうに言う。
なんだか、くすぐったい。
二人共、思う所もあるだろうに、本当に大切にされている。
「大丈夫ですよ、お約束します」
にっこりと微笑むと二人は安心したように頷いて、退出していった。
部屋には、私の従者と護衛の四人が残っていた。皆、心配そうだ。
「皆、心配をかけたね。
明日きちんと説明するが、皆にも聞いて理解してもらいたいのだ。
ほとんどは父上に動いて頂くが、何があり何故そうなったのか、知っていて欲しい。
また皆には、この先もずっとレオニードを支えて欲しいのだ。
だから楽しい話ではないが、私が経験した事を知っていて欲しいと思う。
私のせいで、ここの所大変だったはずだ。
けれども、お前達に隠し事はしたくないのだ。どのみち、ばれてしまうだろうしな」
小さく笑うと、少し空気が緩んだ。
カスペルが私を見て頷くと、ベッドの横にしゃがみ私と目線を合わせる。
「大丈夫にございます。
私達は、若様を信じておりますので。
口調が変わっても、若様は若様です。
その若様が納得のいく説明をする、私達に分かって欲しいと仰る。私達は若様のお話を伺い、理解に努めるだけにございます」
私はひどくほっとした。
心が張り詰めていた事にも気付かなかった。
二十才の私は、この者達を知らないからだ。
逆行した幼子のレオニードの、記憶だけが頼りだから、少し不安だったのだ。
カスペルの後ろに立つ三人に顔を向けると、皆が頷く。
私は安心して微笑んだ。
「ありがとう、感謝する。
皆、休んでいないのだろう?
私の事は大丈夫だから、本当に休息を取って欲しい。お前達に何かあったら、幼子の私は泣くのではないか?」
沈黙する。
「おかしな事を言っている自覚はある。
まぁ、明日になれば分かるだろう。
……笑っても良いのだぞ、カール、ブルーノ」
カールとブルーノがくすくす笑っている。
カスペルは呆れた顔で見ているが、ルシアンは私を見ると頷いた。
「間違いなく若様です」
カールとブルーノが声を出して笑いだした。
なんだか私も楽しくなってきた。
「何がどうなっているのか、さっぱり分かりませんが、例え今だけだったとしても、若様のお悩みが解消して良かったですね」
カールが笑いながら言うと、ブルーノが「そうそう」と同意する。
どういう意味かとカスペルを見ると、真面目な顔でこう言った。
「若様は滑舌がよろしくない事を、とてもお悩みでしたので」と。
私は言葉がなかった。
「代わりの者がお世話に参りますので」と言い置いて、カスペル達が退出すると部屋に静寂が広がる。
ベッドから降りると本棚の前まで行き、一番下にある『セルリアン王国の伝説』を手に取る。と、言うか膝に載せる。
優しい色使いで美しく描かれている女神。
なぜ彼女の瞳を見て驚いたのか。この絵本の女神は、全て瞳を閉じているのだ。
髪は濃い金だが、瞳の色は分からない。
あぁ、だから『濃い色』なんだ。瞳の色は。
王家の色は、髪は『濃い金』だ。だが、瞳は『濃い色』としか伝わっていない。
女神の瞳の色が分からなかったのだろう。
直系王族は大体が濃い青で生まれる。
緑の私は珍しいのだ。
本を閉じ、その表紙を手で撫でる。
私は愛されていたのだ。
なかなか、理解出来なかった。
あの時、亡くなる間際の父上に告げられても、ちゃんと理解出来ていなかった。
『愛されている』と知っても、心のどこかで『愛される訳がない』と頑なに思っている私がいた。
あの庭園で彼女と話していなければ、未だに私は理解出来ないままだっただろう。
それでも、愛されていると理解した今でも、実際に父上や母上が私に接しているのを目の当たりにすると、当惑するし不思議な気分になる。
顔も真面に見た事が無かったのだ。母上など姿も見た事など無い。
本を棚に戻すと、アルコーブのソファーベンチに座る。
今のこの部屋には、其処此処に愛情と優しさが目に見えて有る。
『幼子の私』は、今、幸せなのだ。
涙が溢れた。
翌朝、目が覚めるとベッドを出てアルコーブへと向かう。ソファーベンチの上に立ち、ガラス窓から外を伺う。
幼子の私は、よくこうして馬車で登城する父上をこっそり見ている。おそらく父上を含めて、皆知っているのだろうが。くすっと、小さく笑う。
違う事をひとつ見つける度に、ほっとして嬉しくなる。
十二才まで一人で過ごした部屋を見回した。
この部屋で嬉しく感じる事があるなど……
人生とは何があるのか分からないものだ。
「若様、おはようございます。
お目覚めでしたか」
「若様、おはようございます」
静かなノックのあと、カールとルシアンが入ってきた。
「おはようカール、ルシアン。皆、しっかり休めたかな?」
「はい。若様のご指示通りに、皆しっかりと休息を取り、体調も万全にございますよ」
カールが答えると、ルシアンも深く頷く。
「良かった。
私も久方ぶりに、ぐっすりと眠れて頭がすっきりとした」
黒い獣の討伐で負傷し王城で目覚め、父上と和解しエッカルド王を殺し、父上の最後を見送った。その後、女神と話し星屑の力を使ったのは、『今の私の意識』にとっては、つい昨日の事だ。
はっきり言って、とても疲れていた。
もちろん、この幼子の体は元気だが。
幼いレオニードは、ベッドに入って眠った時のまま、今も私の中で眠っている。
話しながらも洗面を終え、私の身繕いをしていたカールは、私の言葉を聞いてまたくすくすと笑い出した。
「それは、ようございました」
「はぁ、遠慮なく笑え」
ノックの音があり、ルシアンが応対すると、ワゴンを押したカスペルとブルーノが入室してきた。
「おはようございます、若様。朝食をお持ち致しました」
「若様、おはようございます」
「おはようカスペル、ブルーノ」
皆の顔をよく見ても、昨日あった疲れの色はどこにも見られない。良かった。
「若様、朝食はどちらにご用意致しましょう?」
「いつもの場所に……」
言いかけて、はっとした。
「すまない。そうだな、居間のテーブルで頂こうか」
「かしこまりました。すぐにご用意致します」
カスペルが居間に入り、朝食を用意しに行くと私の身繕いが終わったカールが、私に手を差し伸べた。
「若様、参りましょう」
差し伸べられた手を、ゆっくりと取ると優しく握られ、カールは私を見てにっこりとする。
何気ないこのようなやり取りが、幼子の私の幸せを形作っているのだろう。
「カール、カールは今幸せか?
日々の暮らしに満足しているか?」
「もちろんにございます。
若様のお世話を出来る事が、私の幸せにございますよ」
突然そんな事を聞かれて驚いた様だったが、カールは穏やかに答えてくれた。
「……そう、か。そうか」
私はカールに微笑んだ。
守りたい、と思った。
この幸せな部屋を、優しい人達を。
時を遡った私の役割を、しっかりと果たさなければと胸に刻む。
居間に入ると、目を見開き固まった。
「おはようレオニード、よく眠れたかい?」
「おはようレオ。体調はどう?」
晴れやかに微笑む父上と母上が、窓際のテーブルで私を待っていた。
「……おはようございます。父上、母上。
あの、ご一緒に、食事を頂けるのですか?」
なんとか立ち直り、二人に確認する。
記憶にはある。幼子の私が両親と食事を取っていた事は知っている。
知ってはいるが、誰かと一緒に食事をした事がほとんど無い私には、かなり衝撃だった。
「もちろんよ。邸に旦那様もレオもいるのに、別々に食事をするなんて寂しいわ」
「その通り。家族は一緒にいないと」
もう、本当に、この二人は……
なんとか、瞬きを繰り返し涙を堪えた。
「さぁ、レオも座って。
頂きましょう?」
母上がにこやかに仰った。
レース越しの柔らかな陽に当たり、若く穏やかに微笑む両親の姿は、私の目にとても眩しく映った。半ば夢見心地で、私はなんとか朝食を終えた。
「場所なんだけどね、レオニードの部屋が良いんじゃないかって、アーベルと話していたのだが、どうかな?」
父上がソファーで食後のお茶を飲みながら、私に尋ねる。
ゆっくりと眠れたのか、目の下の隈は大分薄れたようだ。まだ少し窶れ気味だが、かなりお元気になられた気がする。
母上も、不安そうな表情は消え、穏やかに微笑んでいて安心した。
「確かに。考えてみれば、私の部屋は三階にあって他に客室もありません。私に関係ない者は訪れませんし、足りないイスを運び込めば問題ないですね。
あと、話を記録に残して欲しいのですが」
「子供の部屋は、夜泣きなどしても他の客室には声が届かない場所にあるからね。
しかし、記録を残しても良いのかい?」
「構わないでしょう。
むしろ誰一人知らなかった事も、どうかと思っています」
「では、その様に手配しよう。
カスペル頼むよ」
「かしこまりました。旦那様」
その後、私の部屋の居間にイスやテーブルが運び込まれ準備が整った。
皆が集まり、各々腰掛ける。
カスペルとカール、父上の従者クリフォードとアルベルトが記録を取ってくれる事になった。
大きなソファーを一つ壁際に避け、代わりに記録用の長机とイスが置かれた。長机の正面にローテーブル、その奥にもう一つの大きなソファーがあり、そこに父上と母上が座る。
アーベルは父上達のソファーの斜め横に。
廊下に繋がる扉を背に父上の護衛ルーベンとヴィクトル、寝室に繋がる扉の方にはルシアンとブルーノが、それぞれスツールに座っていたが、声がきちんと届くように出来るだけ近くに寄ってもらった。
私も席に着こうと、ひとり掛けのソファーに向かっていると、正面から『ひょい』と抱えられた。父上だ。
「レオニードはこちらだよ」
と、抱えたまま連れて行こうとする肩を叩き、慌てて止める。
「お、お待ち下さい父上!
私は、あの、ひとり掛けの、」
「何を言っている?そのような事、駄目に決まっている。お前は、私と母上の間に座るのだよ」
私を両手で父上の顔の前まで抱え上げ、視線を合わせて宣言する父上。だが、これは駄目なのだ。私はひとりでいないと。
「いえ、私はひとり掛けで。
私はその、ずっと一人だったので落ち着きませんし、これからするお話は委細漏れ無く、きちんと伝えなければなりません。
お気持ちは大変嬉しいのですが……」
父上の目を見て、なんとか伝える。
脇に手を入れて、顔の前にぶら下げられたままだが。
「ふぅむ」
父上は私の顔をまじまじと見つめ、しばらく黙ると「よし!」と言い、私をひとり掛けのソファーに座らせた。
「とりあえずお前の意見に従おう。だが、父が我慢出来るまでだ」
うんうんと頷きながら、父上は母上を連れてソファーに腰掛けた。
……父が?
ぽかんとする私が父上の方を見ると、二人共私ににっこりと笑って見せる。
私は初めて彼女の気持ちが分かった気がして、思わず小さく呟いた。
「……計り知れない」
私はソファーの横に置かれた、小さなテーブルから果実水のカップを取り一口飲むと、ゆっくりと話し始める。
「まずは最初から話そうと思う。
長くなるし分かりにくいと思うが、全てを伝えなければならない。
これはセルリアン王国が、二度にわたって滅亡寸前だった話だ。
記録を取る事は重要なのだが、本当に大変だと思う。四人には頑張ってもらいたい。
各々意見もあろうと思うが、とりあえずは聞いて欲しい。その後、質問をしてくれたらと思う」
ぐるりと見ると、皆が頷いてくれたのでそのまま続ける。
「私はアルブレヒト・フォン・ローゼリアと、シャルロッテ・フォン・ローゼリアを父母に、ローゼリア公爵家の嫡子として生まれた。
私は両親を知らずに成長し、三才になったばかりの頃、母上が亡くなった。
後日知ったが、馬車の事故として処理されていた」
皆が息を飲み、驚愕に目を見開いて私を凝視している。
過去の自分を思い出す為、空を見つめる。
「葬儀は公爵家で執り行われ、邸は夜中までざわめいていた。
父上は翌早朝、王城に戻られた。
私が五才になる頃には、父上は王城に居を移されたのだと思う。公爵家で姿を見る事はなくなった。
同じ頃、五才で私に教師が付いたが、あまり必要性を感じなかったので、礼法と剣術のみとしてもらった。
十二才の時、私は公爵家に品物を納品する、商人の荷馬車に潜り込み、王都へ向かった。
王立騎士団の、見習い騎士の試験を受ける為に。試験は無事合格し、バッカス団長を師匠に見習いの資格を得た。
団長付きになったのは、私の髪と瞳のせいだと思う。何故か王家の色は持っていたが、もちろん星屑は持っていなかった。
資格を得た後、王城から呼び出しがあった。
三才年上の王子が、私を呼び出したのだ。
ローゼリアの花園でしばらく待たされ、王子はローゼリア公爵を伴い現れた。
この時初めて、父だと言われる人に会ったが、私はすぐに片膝を付き頭を下げたので、あまりはっきりは顔を見ていない。
王子は十五才を迎えたので立太子する。それを機に私を側近にしたいと言った。
私は忠誠も誓えない相手に仕える事は出来ないと、丁重にお断りした。王子は腹を立て、公爵と共に立ち去った。
私は膝を付き頭を下げたままだったので、結局公爵の顔は見られなかった。
その後、私は公爵家を出てバッカス団長の邸に見習い騎士として移り住み、十五才で成人となると同時に、正式に王立騎士団の騎士となった。
団長に公爵の話をされて、私はぐずぐずと悩み出したが、一歩を踏み出せず時間だけが過ぎ去った。
二十才で、騎士団の副団長となった。
黒い獣の首を一刀両断出来たから。
この時バッカス団長に、再び背中を押された。
ここ数年、黒の森は大変な事になっていて、お前のように雑念のある奴は生き残れない、白黒はっきりさせて来い、と。
長い間、いつも疑問を抱えて生きてきた。
父と母の事。
確かに、いつまでもぐずぐずと二の足を踏んでいる自分に、嫌気が差していた。
私はやっと覚悟を決め、全てを知っている者に聞きに行く事にした。
真夜中を待って、私は王妃の寝室に忍び込んだ」
「なっ!」
父上が堪らずといったように声を上げる。
私は父上に頷く。
母上は両手で口元を抑え、震えている。
「国の上層部、騎士団の幹部の間では、知っている者も少なくなかった。
国王陛下と王弟閣下が薬を盛られている事を。
陛下は、もう何年もその姿を見た者はなく、王弟である公爵は明らかに昔とは違う人物に見える。皆そのように、影で囁いていた。
ゼルフィオーネ侯爵家当主である宰相の権勢は強く、娘は王妃だった。表立って異を唱える者はいなかった。
私は王妃を問い質し、全てを吐き出させた。侯爵家の悪事も含め文字通り全てを。
特定した毒と薬そして解毒薬について、信用出来る宮廷専属医師に告げ、私は王立騎士団と共に黒の森へ討伐へと向かった。
黒の森は、黒い獣で溢れかえっていた。
討伐に来て半年程経った頃、団長が大物と相対し致命傷を負った。私はすぐに団長をスーザの砦へ送り、副団長としてその大物を討伐すべく、直ちに前線へと出陣した。
なんとか、ぎりぎりの所で首を落としたが私も顔に傷を負い、気が付いたら王城で治療を受けていた。後から知ったがスーザへ向かう途中落馬したらしい」
ここまで話して周りを見れば皆、顔面蒼白だった。少し配慮が足りなかったかもしれない。
「すみません。一度に多く話し過ぎた様です。配慮が足りませんでした。ちょっと休憩を入れましょうか」
すると、母上が真っ青な顔を横に振り「いいえ、いいえ」と言いながら私を見る。
「良い話ではないと、心構えはしていました。
あなたは配慮が足りなかったと言うけれど、あなたは目の当たりにし、経験して来たのでしょう?
話を聞いているだけのわたくし達に、配慮など気にする事はありません。
あなたの話し易いように、話せば良いのです」
「ふぅ。母上に全て言われてしまった。
その通りだよ、レオニード。私達の事は気にせずとも良い。安心して話しなさい。
お前の不安と心配は、全て不要だよ」
父上と母上を見て皆を見渡すと、私を安心させるように頷いてくれる。
「父上、母上……皆も、感謝する」
「さぁ、私が我慢出来る内に続けて」
我慢?
父上に促され、私は再び話し出した。
「王城で治療を受け、何日かは意識が朦朧としていたが暫く経ったある日、とても気持ち良く目覚めた。ベッドで体を起こし、手足を動かして大丈夫だと安心した時、声を掛けられた。
父上だった。
父上は以前とは全く別人のようだった。
暗く濁っていた目は、澄んだ輝きを取り戻していた。母上の葬儀の翌朝隠れ見た、あの瞳を思い出した。
半年の間に、解毒が出来たのだと分かった。
そしてバッカス団長が今朝、息を引き取ったと聞いた。覚悟はしていた。
私と父上は今までの事を話し合った。
父上は長い間、兄王、母上、そして私も含め引き合いに出され、王妃に脅されていた。
母上や私に近付けば、二人の命は保証出来ないと、王妃は父上に言っていた。
私が生まれる前、父上は王妃に抗い臣籍降下を実行し、なんとか母上を公爵家に逃がした。
けれども、父上が臣籍降下の準備をしていると知った王妃によって、母上の心は追い詰められ、壊れる寸前だった。
父上は薬で判断力を奪われ、母上と私を守りたいなら、近付いてはならないと思い込まされていた。
父上の心も、既に壊れかけていた。
王妃は最初から父上が欲しかった。
王妃にはなりたいけれど、父上も欲しかった。だから、王子が生まれてから王に毒を盛った。
王が死ねば王弟が王に即位し、自分が再び王妃となって、幼い王子が王太子となる。
王妃の頭の中では、そうなる予定だった。
だが、王が死なない。不審を問い質してくる王弟にも困る。王弟とはもっと違う話がしたいのに。と、いう訳で父上に薬を盛り出した。
父上は必死に薬に抗った。
王妃に襲われそうになり、自らの足に剣を突き立てたそうだ。王妃が悔しげに話した。
父上の苦しみは、想像を絶するものだったと思う。
私と父上は解り合う事が出来た。
そして父上が私を抱き締めた時、突然扉が蹴破られ、父上の背に剣が突き刺さった。
扉の前には、エッカルドの国王が抜き身の剣を持ち、血走った狂った目をして立っていた。
父上は立ち上がり、妹の仇だと剣を突きだし躍り掛かってきた王をかわした。
ベッドの横に立て掛けていた剣を抜き、体勢を崩した王を私が切り殺した。
騒ぎに気付いて近衛や医師が駆けつけた。
父上は直ぐに別室に運ばれ、医師達が治療を始めた。私は急いで寝衣から騎士服に着替え、鏡を見て戦慄した。
私の両目が星屑になっていたからだ。
慌てて父上の運ばれた部屋へ駆けつけると、扉の前にいた近衛の胸ぐらを掴み問い質した。何があったのだと。
曰く、謁見中に突然エッカルドの使者達が襲いかかり、国王と王太子が逝去。自分達は近衛の団長に指示をもらいに来たと。
私は部屋に飛び込み、ベッドの父上に走り寄り父上を大声で呼んだ。
父上は眠そうに目を開け、私の無事を喜んだ。
そして父上は、父上は……私に語ってくれた。
抱き締めたかった、いつも頭を撫でてやりたかった、と。
母上は私を疎んでいた訳ではなく、心を壊していたのだと。私が生まれるのを楽しみにし、二人でレオニードと名付けたのだと、途切れそうになる声を必死に繋ぎ、伝えてくれた。
そして、愛している、私のレオニードと小さく言うと、静かに息を引き取った」
私は少し俯くと目をきつく閉じた。
しかしすぐに顔を上げ、話を続ける。
感傷に浸っていては、全てを伝える事は出来ない。
「父上を治療の為の寝衣から、騎士服に着替えさせ髪を整えると、その胸に父上の長剣を置き両手を組ませた。
私は父上に礼を取ると、ある場所へ向かう為、部屋を後にした。
城内は大混乱で、至る所で殺し合っていた。
国王、王太子、王弟で近衛団長、騎士団長、エッカルド国王、皆死んだ。
指揮する者が誰もいなかった。
私は向かって来る敵を倒しながら、城の奥にある庭園を目指した。
その庭園で私は女神に会った。
私が庭園に足を踏み入れた時、女神によって時が止められたと知らされた。
女神は泉にスーザの光景を映した。
スーザは、真っ黒だった。黒い獣だらけで空以外、黒しかなかった。かろうじて砦らしきものが見えてスーザだと分かった。
次に謁見の間が映し出された。
足の踏み場どころか、床は死体で出来ていた。近衛に黒騎士、エッカルド兵、コックにメイド、大臣、貴族……。あらゆる階層の者が、殺し合って皆死んでいた。
この国を救いたいかと聞かれ、私は、特に救いたいとは思わない、と答えた。
私が大切だと思う人たちは皆亡くなっていたからだ。私に生きる意味はないと思った」
横のテーブルから、カップを取り少し果実水を飲む。
「女神は色々と教えてくれた」
私は彼女から聞いた様々な事を説明した。
黒い獣と悪意の事、王家の色とその力、星屑の力、そして星屑の力を使う為に必要な事。
「『星屑の瞳』この力を使った者は過去二人。誰も使った者はいないと、そのように言われていた。だがやはり、そんな訳がなかった。
一人目は建国から二百五十年、セルリアン王国王太子レオニード・アステル・セルリアン」
レオニード王太子が、どのような思いで、どのような覚悟で、この国の為に献身したのか。
星屑の力、神の力の欠片の威力の恐ろしさ。
星屑の力を使う為に、どれほどの強い意思と覚悟が必要か分かってもらえたと思う。
この国が今あるのは、彼のお陰だ。
誰一人知らないなど、あってはならない。
「二人目は。
セルリアン王国国王ベルンハルト・コリウス・セルリアン」
「そんなはずはない……兄上は星屑ではなかった……」
父上が驚愕し、呟くように言う。
私は父上を見て深く頷く。
初めに聞いた時は、私も同じ気持ちだった。
「なるべく女神から聞いた通りに話していく。
理解が難しいと思うが、まずは聞いて欲しい。
ベルンハルト王は、毒を盛られ続け殆んどの時間を、車イスかベッドで過ごしていた。
それでも王はかなり正確に国の情報を持っていて、弟王子の事もその家族の事も知っていた。
女神が王に会った時には、既に話す事すら出来ず、女神が解毒して会話したそうだ。
王は、侯爵令嬢を王家に入れた事、弟とその家族を守れなかった事を、とても後悔していた。
王城には既に火の手が上がり、近衛がエッカルドの兵と戦い、王国中に黒い獣が跋扈していた。セルリアン王国は風前の灯だった。
王は女神に願った。
この国を救って欲しい。
本当にこの星屑の瞳に『救国の力』があるのなら、まだ間に合うのなら、どうかこの国を救って欲しい、と。
父上も先ほど仰った通り、今の国王陛下に星屑はない。
両目に星屑を持ち、毒に侵され、女神に救国を願ったのは、一度目の陛下だ」
お読み下さりありがとうございますm(_ _)m