愛しい息子 3
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ガゼボの白い支柱には、白と青のローゼリアが蔦のように絡まりあい、可憐な姿を見せていた。
泉に映った揺らめくガゼボは、夢のように幻想的だった。
これも夢だったらな……
現実逃避は許さないと言うかの如く、目の前で美しく微笑む女神がいるが。
「どこから話そうかしら?
そうね、星屑の力を使ったレオニード王太子の話をしたから、もう一人の話をしましょうか」
「それは私の瞳に関係するのか?」
「もちろんよ。安心して、はぐらかしたりしないわ。正しく伝えなければ、あなたが正しく判断出来ないもの」
真っ直ぐな眼差しで、彼女の真剣さが伝わった。私は黙って頷いた。
泉を見つめながら、彼女は静かに語り出した。
「星屑の力を使った二人目は、セルリアン王国国王ベルンハルト・コリウス・セルリアン」
だれ、だと……!?
あまりの驚きに目を見開く。
「ふふ、驚くでしょ?けれど本当の事よ」
「すまない。少し……座っても良いか?」
私はガゼボの中にある、石のベンチに腰を掛け大きく息を吐いた。
「話を遮ってすまなかった。
大丈夫だ、続けてくれ」
「わかったわ。
星屑の力を使った二人目は、セルリアン王国国王ベルンハルト・コリウス・セルリアン。
現セルリアン国王よ。
彼はもうずっと毒を盛られて、ほとんどの時間を車イスかベッドで過ごしていたの。
それでも、さすがは国王というか、かなり正確な情報も持っていたわ。
弟王子の事も、貴方の事も知っていた。
わたしが会った時には、満足に話す事も出来なかった。話す為に解毒してあげたほど。
とても後悔していたわ、婚姻して彼女を王家に入れた事を。弟とその家族を巻き込み、守れなかった事を。
そして王国は、滅亡しようとしている。
王城は既に火の手が上がり、近衛騎士がエッカルドの兵と戦っていた。
王都や近隣の都市でも黒い獣が跋扈し、セルリアン王国は風前の灯。
国王は願った。何とかこの国を救って欲しい。本当にこの星屑の瞳に『救国の力』があるのなら、まだ間に合うのならば、どうかこの国を救って欲しいと」
「少し、待ってくれ。……どういう事だ?
今もって、王城に火の手は上がっていない。
確かに近衛は戦ったが、生きている者はいなかった。何より、国王陛下は逝去されたと、私は確かに近衛から聞いた。
今、この国は救われていない。そして、国王陛下は星屑の瞳ではなかった!」
「その通りよ。今、この時、国王は既に死んでいる」
「では、先程の話は、一体どういう事なのだ。
……私は理解が及ばない」
「この世界は二度目。あなたは今、二度目の人生を送っているのよ。
国王が星屑の力を願ったのは、一度目。
彼は星屑を持っていたの。
一度目の世界はとても酷かった。救いなど何処にも無かった」
「一度目?二度目の人生?
……国王陛下は星屑だったの、か?
一度、時を戻しているのに、国は救われなかったと言うのか……
……少し、待ってくれ。混乱している」
一度目、恐らく今と同じように王妃が毒や薬を使って、好き放題やったのだ。
しかし今よりも酷かった。
国王は絶望的な中で、唯一の希望にすがった。本当に『救国の力』があるのかは分からない。だが、もうそれしかなかった。
そして、時が戻り、……今。
同じように繰り返したのだ。
そう。
人とはそういうものだ。
「すまなかった。大丈夫だ」
私の顔を見て頷くと、彼女は話を続けた。
「国王にまだ理性が残っていて、星屑の力を願えた事だけが救いだった。少なくとも、やり直す機会が出来たわ。
けれども、毒で魂の力も色の力も弱っていたせいで、時を戻すのに両方の瞳の力を使ってしまった。あの体では、色の力は使えなかった。
そのせいで、元凶の侯爵家を取り除けなかったの。
とても苦しんだと思うわ。あの傷だらけの魂で、星屑の力を使うのは。
結果的に、二度目の今、王国は滅亡寸前なのだけれど、変わった事もあるのよ」
「国王、王太子、王弟が死亡、王妃が廃人の他に?」
「あなたが生きているわ」
彼女は酷く穏やかにそう言った。
心臓が、どくん、と、耳に響く。
「私は死んでいたのか、一度目で……」
もう一度、どくん、と響く。
「……そうだ。わたしは、わたしは酷い、雨の中で……」
頭が、がんがんと叩かれているようだ。
胸が、苦しい。
ぎゅっと目を瞑ると、目の奥に強い雨に打たれているローゼリアが、ぼんやりと浮かぶ。
「あぁ、……私は、王城でエッカルドの兵と、戦っていた」
なんて事だ。
震える手を強く握り締める。
目の奥で次々と状景が変わる。
私は必死に探して、いる?
変化する状景のなか、私は兵を倒しながら必死にいるはずの人を探していた。
「父上を……探していた」
分かっている。これは記憶だ。
埋もれていただけで、私の中にあったもの。
また、状景が変わる。
見つけた。
近衛に囲まれながら敵兵と戦っている。
足元に倒れているのは王太子だ。
逸る心を抑え、邪魔な敵を打ち倒しながら、私は父上の方へと駆け寄る。
あと少し。父上が私を見た。
あと一歩で父上に……
次の瞬間、父上が私に覆い被さっていた。
父上の背には剣が付き立っている。
「……あぁ、間に合った……レオニード」
「無理に思い出さなくて良いの。
蓋をして心の奥にしまっても良いのよ。
さあ、ゆっくりと息を吸って、そして吐くのよ。そう……大丈夫?」
彼女がサッと手を振ると、作り付けの石のテーブルに水差しとゴブレットが現れた。
「お水よ」
手渡された水を一気に飲んだ。
ひんやりとした水は美味かった。
喉を流れていく水の感覚が、私の心を落ち着けていく。震えが治まるのが分かった。
「ありがとう」
父上がため息のように呟いた後、私の腕の中で息絶えた。そこからは記憶が途切れている。
頭に浮かぶのは、雨に打たれるローゼリア。
無惨に踏み荒らされた庭園は、雨水を含んで泥濘のようだ。
剣で突かれた胸から、絶え間なく流れ出る血が騎士服を伝い泥濘に混ざる。
こんなはずではなかった。
滝のように打ちつける冷たい雨が、すでに光を失いつつある視界を、更に瞳から奪っていく。
痛みも寒さも何も感じない。
息をするたび苦しかった胸も、もうどうでも良かった。
今はただ、あのローゼリアをもう一度見たかった。
あの日、初めて父上と対面した時。
穏やかな春の陽を浴びて可憐に咲いていた。
あのローゼリアをもう一度見たかった。
大切だった者達も、守りたかった人々も。
焦がれてやまなかった、人も……
すべて失くしてしまった――――…………
背筋を伸ばし大きく深呼吸する。
気持ちが落ち着いている事を確認し、彼女に向き直る。
「一度目の世界で、私は色を持っていなかった」
彼女が頷く。
「最初の分岐点は、先王が薬を盛られる前。
国王が両方の星屑の力を使っても、最初の分岐点までは戻れなかった。
だから、王が毒を盛られるのは止められない。次に鍵となるのは、アルブレヒト王子(ローゼリア公爵)だった。
彼の道が狂わなければ……けれども、彼も彼の妃も既に魂は傷だらけだった。
あなたが希望だったの。
新しい命。二人共前向きになったわ。
この命を守らなければ、と。
ぎりぎりだった。
王女はもう壊れかけていた。
アルブレヒト王子も、薬に抵抗する事に力尽きそうだった。
あなたが生まれた時、ここが分岐点だった。
一度目の世界を経てわかった。
だから、あなたに色を与えたの」
長い間ずっと疑問に思いながら生きてきた。
なぜ色があるのか、なぜ私なのか。
これまで、傍系の王子の子に生まれたのは、もちろん私が最初ではない。
数え切れない程の、王子王女の子がいたはずだ。傍系の子に色を持たせたいなら、私以外にして欲しかった。いつも思っていた。
あの推論に辿り着いたのも、何もかも、もううんざりだったからだ。嫌悪する内容であっても、納得したかった。
けりをつけたかった。
「私が生まれた時が分岐点、だがそこから何が変わると言うのだ?
私の幼少期は、一度目と二度目にそれほど差はないと思うが……」
二度目、今の生はともかくとして、一度目はあまりはっきりしない。
放って置かれたのも両親を知らないのも同じ。それ以外は曖昧だ。
「アルブレヒト王子は一度目の世界では、公爵邸には帰っていないのよ。
シャルロッテ王女は、一人で公爵邸にいたの。葬儀は王城で行われ、王女の遺体はエッカルドに連れ帰られた」
「母上の遺体を、エッカルドに?
そ、んな……父上は、諦めたの、か?」
「わたしには心の内は分からない。
けれども、王女が死んだ時、王子の心が折れたのかもしれない」
「母上が亡くなって、心が……折れた」
それは、そうかもしれない。
ずっと張り詰めて生きてきたはずだ。
その支えだった母上が亡くなったのだ。
「私が幼い頃母上が亡くなるまでは、父上は何度か公爵邸に帰ってきていたはずだ。
邸は、王妃やエッカルドの手先がかなりいたが、今考えると、母上への心配と牽制の為に必死に時間を作っていたのだろう。
母上はエッカルドに殺されたのだから、父上の心配と牽制は正しかったと言える。
だが、二度目の父上は心が折れた人の様には、到底見えなかった。
むしろあれは、溶ける事のない氷の刃のようだった」
「その氷の刃は、あなたに手を出させない為の、牽制だったとは思えない?」
「……まさか、あなたは…
二度目の父上が折れる事なく、母上の遺体も頑として渡さなかったのは、私の為だと?
私が、私の存在が父上の支えになっていたからだと、あなたは、そう言いたいのか……?」
もう、これ以上に驚く事は無いと思う間も無く、彼女が話す言葉は何もかもが衝撃的過ぎて、頭と心が追い付かない。
父上が私の存在を、どのように思っていたかなど考えた事などあっただろうか。
恐らく五才頃に『両親にとって私は必要ない存在だった』と、断じたのだと思う。
「……この庭園に来る前に、父上は息を引き取った。私に、ずっと抱き締めたかったと、仰った。母上は、心を壊していたのだと、私を疎んでいた訳ではない、と。
私が生まれてくるのを、楽しみにしていた。
二人でレオニードと、名付けたの、だと。
先程思い出したばかりの一度目の父上は、私を庇いその身に剣を受けた。私の腕の中で『間に合った』と、『レオニード』と呟いて、息絶えた」
「 私は愛されていたのだ。
父上は、亡くなる間際に『愛している』と仰ってくれたのに。
私は、本当には分かっていなかった。
生まれる前から愛されていた。
やっと、やっと、分かった。
私は、愚かだ……」
涙が、零れて、零れて、止まらない。
私は、何を見ていたのだ。
何も見てはいなかった。
父上も、母上も、手を伸ばせば届いたかもしれないのに。声を上げれば、振り向いてくれたかもしれないのに。
はっきりと拒絶されるのが恐ろしかった。
だからいつも、最後の一歩が踏み出せなかった。
今回、王妃から全てを聞き出したところで、結局は間に合わなかった。父上は亡くなってしまった。私が臆病者でぐずぐずしていたからだ。
私は問題と向き合わなかった。
それは、何もしなかった事と同じだ。
何もしなかった者に、嘆く資格などない。
過ちは正さなければならない。
私は心を決めた。
顔を上げ、女神の瞳を真っ直ぐ見つめる。
「あなたは、私の瞳に星屑を与えた。
二度目の今、私はまだ間に合う。
父上と母上、そして私が、これまでの事を繰り返さず絆を深めれば、ひいてはそれが救国になる」
「貴方の言う通りよ。
もう一度聞くわ。
レオニード・フォン・ローゼリア、貴方はこの国を救いたい?」
「救いたい」
私ははっきりと宣言する。
「一度目の世界で、最後の時思った言葉は、
『こんなはずではなかった』だった。
何もかも全てを失くして、いなくなってから初めて気付く。もう手遅れだと言うのに。
セルリアン王国の全てを守るなど、私には出来ない。私はそんなに立派な人間ではないからだ。
だが、私は、私の大切な人達を、愛する家族を守りたい。
そしてそれが、祖国を救う事になると言うのなら、私は私の全力を尽くすだけだ」
彼女は私の両手を握ると、嬉しそうに笑った。
「ありがとう」
「あなたが、一番この国が救われる事を願っていたからな」
彼女を見て微笑むと、またあの驚いた、という顔をして「驚いた」と言っている。
たまらず、私はまた笑ってしまった。
「はははっ。あなたは面白いな。
私は、笑わない男とよく言われたのだが」
「まったく!
もうすぐ赤ん坊になる人に、言われたくないわね」
ちら、と私を見て笑う。
「……赤ん坊」
「きっと可愛いわ。くりくりの緑のおめめが星屑でキラキラして。ふふふ」
楽しげに私を見て、くすくすと笑う彼女は、またさらっと驚く事を言った。
「星屑でキラキラ、とはどういう意味だ?」
「その通りの意味だけど?」
不思議そうに小首を傾げる彼女に、思わず頭を抱えたくなった。
「私は星屑の力を使って、時を戻すのではないのか?」
「そうよ。左の星屑を使うのよ。
右の方が良い?」
「そうではない。
なぜ星屑が残るのだ?
時を戻し、侯爵家を潰すのではないのか?」
「あぁ!そういう事ね。
侯爵家は潰すのだけれど、星屑を使うのではないのよ。使う必要はないの」
彼女はにっこりと微笑み「落ち着いて」と言いながら、さっとまた手をかざす。
石のテーブルの上に、鮮やかな緑のクロスに載せられたティーセットと焼き菓子が現れた。
「貴方は父親を亡くし祖国滅亡の危機に直面し、国を救えと選択を迫られ、世界の秘密を暴露され両親の苦悩を知り、自らの人生を考えさせられた。その上で祖国を、世界を救うと覚悟を決めたのよ。
落ち着いて、お茶を一杯頂く位、誰にも文句は言わせないわ」
そんな場合ではないはず、だが彼女に言われると「それもそうか」と思えるから不思議だ。
それにしても、羅列されると凄いな……
ふふふ、と笑いながら手慣れた様子で、美しい艶を見せるカップに茶を注ぐ。
ふわっと、馥郁としたすっきりと甘い香りが漂う。
ゆっくりと茶を味わう。
温かなそのぬくもりに、体がほっとする。
「……あぁ、美味しい」
「良かった」
「思い出させてくれて良かった。
ありがとう」
軽く目を見張った彼女は苦笑いする。
「気付いていたのね」
「少しのきっかけの様なものだろう?
だが、そのきっかけが無くては、一度死んだ時の記憶が戻るなど有り得ない。
しかし、私には必要なものだった」
カップを静かに戻すと、彼女は小さく息を吐く。
「貴方の負担が大きいのも分かっていて、無理をさせているのは、わたしなのよ。
だから、ありがとうなんて言わないで」
「あなたは難しく考え過ぎだ。
私は私の為に星屑の力を使うのだ。それがたまたま祖国を滅亡から救う事になる。
そして私が救う事で、あなたが心安らかでいられるのなら、嬉しく思う」
彼女はきょとんとした顔して、しばらく私をじっと見ていたが、何かぶつぶつ言いながら焼き菓子を食べ出した。
面白く思いながら、わたしも焼き菓子を手に取り口に運ぶ。ふんわりと甘い中に優しい酸味が程よく、とても美味しい。
ぶつぶつと「…計り知れない」と呟いていた彼女は、私の様子に気付いたのか、パッと嬉しげに顔をあげ笑った。
「美味しいでしょう?
この焼き菓子はね、あるシェフが孫のように可愛いがっている幼子の為に、一生懸命考えて作ったものなのよ。
なかなかに味の違いが分かる子なの」
「ほぅ」
にこにこと楽しげに、彼女はまた焼き菓子を口に運んだ。
ひと心地ついた所で、話を本題に戻す。
「星屑の力を使わず侯爵家を潰すとは?」
またさっと手をかざし、テーブルを片付けると、彼女は真面目な顔に戻り説明しだした。
「まず貴方、証拠の在処を知ってるでしょう?
過去の侯爵家の悪事も、毒や薬の入手経路。公爵邸に入り込んでいる手先、国王に直接毒を飲ませている者。
あらゆる証拠は、貴方のその頭の中に情報として詰まっているはず。
後は、貴方が信用し信頼出来る人達に話せば良いだけよ?」
唖然とした。
「星屑の力を使えば、侯爵家なんて焼き菓子の欠片ほども残らないわ。
けれども、他国の侵略を防ぐのとは違うから、また違う侯爵家が現れるわ」
「なるほど。
きちんと証拠を揃え、白日の下に晒す。
陛下の御前、皆の前で断罪すれば他への抑止になる。
確かに星屑を使い『なかった事』にするより、傷は残っても罪人に罪を償わせる方が、義にかなっている。
そうする事によって、傷つけられた者達も少しは溜飲が下がるだろう」
「あとは、エッカルドね。
でも、あのエッカルド国王は正しい情報で動いていたわけじゃなかったから」
「……ふぅむ。
革命派の謀略か。
母上を事故に見せかけて殺害したのも、邸に入り込んでいたエッカルドの革命派だ。
母上はエッカルドの第一位の王位継承権を持っていた。婚姻の際に放棄するのが普通だが、兄である国王が婚姻しておらず、継承者が不在の為に放棄していなかった。
私は第二位の継承権を持っている。
父上がご存知だったのかは分からないが、葬儀の後あの御者は見かけなくなった。
……あなたが言った、父上のあの鋭い氷の刃は、本当に私を守る為の牽制だったのかもしれない。
革命派はエッカルド国王を巧く誘導し、セルリアン王国を攻撃させた。しかも謁見の最中に騙し打ちで。
国王が大勢の兵を引き連れ国を空けた隙に、王位を簒奪する。
万が一帰国しても『そんな卑怯者には国を任せられない』とでも言うのだろう」
「あのエッカルド国王には、王太子時代に良い令嬢がいたのだけれど、その令嬢の兄が問題でね……」
彼女は、やれやれとでも言うように首を横に振る。
「とりあえずエッカルドの革命派は、あなたがその密偵を締め上げれば何とかなるわね」
思わず笑ってしまった。
「はははっ。くっ、私が締め上げるのか?
私は赤ん坊だったのではないのか?」
「誰が言ったのよ、笑わない男だなんて!」
「はははっ。
本当に、誰が言ったのだろうな?
なんとなく答えは分かる気もするが、王太子に両目星屑があるのに、私の片目が必要か?」
「当然必要よ。どんな異論も認めない。
星屑の力は、あるからと言って誰もが使える訳ではないわ。たとえ王妃がいなくなっても、今の環境のままなら同じ人間に成長するでしょう。
良いじゃない。キラキラして美しく見えるから、きっと女性に大人気よ。次代の王に期待しましょ」
くすくすと笑う私に、彼女は青く輝く瞳を細め優しく微笑む。
「これで星屑の力を使えるかしら?」
「もちろんだ。長い間抱えていた疑問も憂いも晴れた。後は、力を尽くすのみ」
二人でガゼボから出て、暖かな陽射しを浴びて美しく咲き誇る色とりどりのローゼリアを見渡す。
「美しいな。
ここで力を使えば、次に気が付いた時には赤ん坊か?」
「そう、とても美しい赤ん坊よ」
「私は、記憶を全て持っていけるのだろうか、
それとも、何も覚えてはいないのか?」
「幼少期の記憶と、二十才だったという事だけを残しておくわ。
貴方の経験と記憶は、生まれたばかりの赤子の心と体では、上手く融合出来ないでしょう。
きっと深く傷つけてしまう。
そうね貴方が自ら、星屑の力を使って時を戻った、逆行したのだと考え至ったら、全ての記憶を解放しましょう。それまでは、赤ん坊を楽しむと良いわ。
ちょっとした、おまけを付けてあげる。
期間限定だけれど」
楽しげに嬉しげに、美しく微笑む彼女の姿を瞳に焼き付ける。
「もう、あなたには会えないのだな」
「ふふ。
もう片方の星屑を使う時でもなければ、ね」
「あなたの事は忘れてしまうのか?」
「いいえ。あなたの記憶に残っているわ」
「そうか。ならば寂しくはないな」
彼女は優しく微笑んだまま。
濃く青く星屑の輝く瞳で、私を見つめている。
「あなたに会えて良かった。
ありがとう、我が女神よ」
私はゆっくりと微笑んだ。
そして瞳を閉じると、大切な人々が皆救われるように、私の女神に全身全霊で祈った。
芽吹いたばかりの緑が朝日に照らされ、早春のキリッと冷えた風の吹いた、その日。
セルリアン王国ローゼリア公爵家に、新しい命が誕生した。
レースのカーテンから溢れる柔らかい光に、美しく輝く濃い金の髪。
涙に濡れた長い睫毛が、母の腕に優しく抱かれた赤子のまぶたの上で、ゆっくりと持ち上がる。
大きく開かれたその瞳は、澄んだエメラルドのような濃く深い緑。
赤子の顔を愛しげに見つめていた母は、息を飲む。赤子の右の瞳には、星屑を散りばめたかの様な、金の煌めきがはっきりと見えたからだ。
その瞳は……
コンコンと、控え目なノックが聞こえた。
控えていたメイドが静かに応対する。
程なくして、白い騎士服に濃い金の髪、
濃い青の瞳を持つ一人の男が部屋に入って来た。
メイドに頷くと黙って一礼し、退出していった。
男は母と赤子のいるベッドに近寄り、ベッド脇のイスに腰掛けた。
男は彼女の夫で、赤子の父親だ。
「ありがとう、ロッテ。
よく頑張ってくれたね」
「アル様、何とか無事に生む事が出来ました。会いに来て下さって、嬉しいです」
二人はお互いに、疲れて窶れて見える顔を見合わせ、同時に笑った。
「あぁ、久方ぶりに貴女の笑顔が見られた。
この子の起きている顔も見たかったが、もう行かなければ。貴女もむり、は……」
彼は、その濃く青い瞳をこれ以上はないほど、見開いた。
先程まで眠っていたはずの赤子が、ぱっちりと目を開き、その大きな瞳で瞬きもせず、父親を真っ直ぐに見つめていた。
その瞳は濃く深い緑に輝き、右の瞳には星屑が美しく煌めいている。
思わず、父親は赤子に手を伸ばす。
わずかに震える指で、優しく頬に触れると、その柔らかさに驚いた。
心地良い感触に頬を撫でていると、突然その指を掴まれた。
ふくふくとした、小さな小さな指が信じられない強さで、一本の指をぎゅっと握って一心に父親を見つめている。
父親は胸が震えるのが分かった。
身体中が激しい感動に包まれ、疲れも苦悩も全てどこかに飛んで行った。
正に目が覚めたのだ。
パッと後ろを振り向き、扉に向かって大きく声をあげる。
「クリフォード!
城から荷物を全て引き上げよ。
私はもう城には戻らぬ。公爵邸で妻と子と共に暮らすのだ!」
晴れ晴れとした輝く笑顔を、愛しい妻に向けた途端、赤子が泣き出した。
父親の指をぎゅっと握ったまま。
父親の宣言に、慌てて部屋に入ってきたクリフォード(父親の従者)が見たものは。
顔を真っ赤にして大声で泣き喚く赤子。
指を握られたまま、あたふたと赤子を泣き止ませようと必死に説得する主と、赤子を抱えたまま、赤子と父親を見て涙を流しながら、大笑いする母親の姿だった。
もう何年も見る事のなかった、主とその妻の心からの笑顔を見て、従者も一緒に笑う事にした。
女神がその光景を、微笑みながら優しく見つめていた。
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