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異世界恋愛 短編

ビッチと呼ばれた純潔乙女令嬢ですが、恋をしたので噂を流した男を断罪して幸せになります!

作者: 長岡更紗

 

 私が嫌な目に遭うのは、すべてあの男のせい──!!


 怖くて悔しくて、溢れそうになる涙。それを私は振り切るようにして閉めた扉を背にし、陽の当たる町の通りに出た。

 だけどまだ安心できない。



『ビッチなんだろ、ヤらせろよ』


 そんな風に迫ってくる男たちは、今までに何人いただろう。


『あなた程度で私の相手が務まるとでも思っているの? もっと男を磨いてからにしてもらいたいものだわ』


 そうやって余裕があるふりをしつつ、場を去るしかなかった。


 私は歩くたびにゆらゆらと揺れる、この大きな胸を睨みつける。

 どうしてこんな体に生まれたのかしら。せめてもっと慎ましやかだったなら、噂なんてすぐ消えたかもしれないのに!

 苦しみを胸の内側に留めておけず、思わず走り出してしまった瞬間。


「きゃっ」

「おっと、失礼」


 誰かにドスンとぶつかってしまった。

 ああ、なんてこと。しかも男性だわ。最悪。

 でもぶつかってしまったのは私の方。きちんと淑女らしく謝らなくては。

 周りにはビッチだと思われている私が淑女らしく……なんて、とんだ皮肉だけれど。


「いえ、ぼうっとしていた私が悪いのです。申し訳ございませんでした」

「ぼうっとしていた割には、すごい勢いでぶつかってきたようだが?」


 そう言って、ぶつかった相手はハハッと歯を見せて笑っている。

 嫌味を言っているような感じは受けず、楽しそうに笑う彼の姿を見ると、どうしてだかホッとしてしまった。


 見たことのない服装だわ。他国の方かしら。

 太陽を受けてキラキラ光るライトブラウンの髪とヘーゼルの瞳がとても綺麗。


「大丈夫か?」


 少し不思議そうに覗き込まれて、ハッとした私は居住まいを正す。

 いけない、思わず見惚れてしまっていたわ。


「お気遣いありがとうございます、問題ありませ……」

「おい、ビッチ令嬢だ」


 私の言葉は、通りすがりの男の声にかき消された。


「お兄さん、異国の人かい? その女には気をつけな、この街では有名なビッチだよ。お兄さんキレイな顔してっから、すぐ食われっちまうぞ!」


 男は忠告すると、笑いながら去っていった。

 今の人は善意で異国の方に注意をしているだけなのだろうけど、そのせいでどんどん噂が広がっているのよ。

 私は唇を噛み締めて、「それでは」と異国の方をやり過ごそうと歩み始める。


「お嬢さん、家まで送ろう」


 見上げると、彼は笑顔を振る舞っていて、私は落胆する。

 ビッチと聞いて、興味を持たれたに違いないわ。送るふりをして、きっとどこかに連れ込まれるのよ。


「結構ですわ」


 ほんの少し震えてしまった唇を噛んで、私は怒りと悲しみを耐えた。


「俺は配属されたばかりの騎士だ。町の通りを頭に入れたいだけで、他意はない」

「……騎士? 明らかに服装は……」

「今日は非番だ」


 騎士服ではない、かと言ってこのセライストン王国の人が着る平服でもない、少しヒラヒラとした白い服。

 そういえば騎士であるダグラス兄様が、フェザリア王国から騎士が一人やってきたと言っていたわ。きっとこの人のことね。

 兄様はいい奴だって言っていたけれど……大丈夫かしら。


「家の通りの名は?」

「……サングラテス通りです」


 兄様の言葉を信じて疑うのを少しやめ、私は彼に家の通りの名を教えた。


「サングラテス……えーと確か、こっちだったか?」

「ええ、そうです」

「よかった、合ってた」


 嬉しそうにヘーゼルの目を細ませて笑う異国の方。騎士は、通りの名を全部覚えなきゃいけないのよね。

 彼はサングラテス通りの方に向かって歩き出して、私も彼の後ろに続く。


「自己紹介が遅れたな。俺はイアン・オッテンブライト。フェザリア王国からこの町の騎士隊の指導顧問として、先週赴任してきたばかりだ」

「指導顧問?」

「ああ、相談役のようなものだな。この国の良いところはそのままに、新しい風を吹き入れる役目も担っている」

「それは……よくわかりませんが、大変そう……ですわね?」

「はは、やりがいはある。とにもかくにも、早くこの国に慣れなくてはな」


 嘘を言っている様子はないし、きっと本当のことだと思う。

 イアン様……なんとなくだけど、彼は信用できる人物な気がするわ。


「差し支えなけば、お嬢さんの名前を伺っても?」

「ご丁寧に紹介いただきましたのに、私ったら名乗ることもせずに申し訳ありません。私は、キカ・クレイヴンと申します」

「クレイヴン? もしかして、騎士隊に兄がいたりしないか?」

「はい、ダグラス・クレイヴンは私の兄ですわ」

「そうか、ダグの妹君か!」


 先週に赴任してきたばかりだと言っていたのに、もう兄様のことを愛称で呼んでいるのね。

 って、え、なに?!

 いきなり振り返って、私を覗き込んでいるのだけど?!


「うーん、兄妹でもまったく似ていないな」

「兄は筋肉だるまですから……」

「はは、そうだな。だが俺はあの男が好きだ! 豪胆で快活、心根は純朴で優しい」

「はい、そうなのです!」


 私は思わず身を乗り出してしまった。

 だって、兄を理解してくれている人がいるなんて、嬉しいんだもの!!


「兄は体が大きくて、ちょっと怖い顔をしているから誤解されがちですけど、本当に本当に優しい人なのです!!」

「ああ、わかるわかる!」


 イアン様はそう言いながら私に手を伸ばして……え、頭をポンポン?!

 えっと……私、十八歳の子爵令嬢ですけれども! やたらと嬉しそうですわね、イアン様?!


「俺とダグは同い年でな。この国でできた友人第一号だ」

「そうだったんですか!」

「ちなみにまだ一号しか友人はいないが。ハハハ!」


 自虐かしら? でも楽しそうに笑っているから、私もついふっと笑ってしまう。


「兄様と同い年……ということは、二十六歳ですか?」

「ああ。今年で二十七になる」

「そのお年でこの国に来られて、指導顧問の役職だなんて……優秀ですのね」

「運良く出世できただけだよ」


 そうは言うけど、他国への特派なんて、国の信用のおけるよっぽど優秀な人じゃないとできないんじゃないかしら。

 それも二十六歳で。


「兄様も優秀な(ほう)だけれど、野心がないのでイアン様のような出世はできそうにありませんわ」

「はは、ダグはそれがいいんだ、それが!」

「はい!」


 ああ、イアン様、わかってらっしゃる!!

 いい人だわ!! この方、兄様の言った通り、すっっごくいい人!!

 見上げると、彼の横顔は一片の曇りもない笑みで満たされていて、心からの言葉なんだってことがわかる。

 ふふ、なんだかとっても嬉しい。こんな気持ちになったのは、いつ以来かしら。


 それから私はイアン様とお話をしながら歩みを進めた。

 この国に来たばかりだという彼に道やお店を教えてあげると、ひとつひとつとても喜んでくれるので、私も饒舌になってしまう。


「この角を曲がると、サングラテス通りに……」


 家の通りに差し掛かって、そう説明した時。


「今日はあの男をお持ち帰りらしいぞ」


 また、私の噂をしている人たち。

 イアン様にも聞こえているわよね……恥ずかしい。だけど、イアン様は。


「賑わいのある、いい通りだな」


 ヘーゼルの瞳が優しく細められた。それだけで私の荒んだ心は、春の暖かい風が舞い降りたように穏やかになる。


「そうなんです。末端子爵家ですので、閑静とは程遠いところに屋敷があるのですけど、この賑わいが私も大好きで……!」


 やだ、私、うまくしゃべれてる?

 心臓がうるさくてたまらない。


「来られてよかった。おかげで道も覚えられたよ、ありがとう」

「いえ、こちらこそ送ってくださり、ありがとうございました」

「ところで、初めて会ったばかりでこんなことを言うのもなんだが」

「……はい」


 ドキンと胸が鳴る。入り混じる期待と不安。

 やっぱりイアン様も私を性の対象として見ているの?


「貴族の令嬢なら、ちゃんと護衛はつけた方がいい」


 キリッとした眉と瞳で、そう言われてしまった。

 な、なんだ、愛の告白でも、性の対象と思われているのでもなかったのね……。


 うちは貧乏な末端子爵家だから、使用人の数はごく僅か。

 ちなみにさっき襲ってきた男が護衛だったのよ。あいつはクビ。

 護衛を募集してもそういう目的の男しか来ないなら、一人の方がよっぽどマシだわ。


 けれど私は気遣いに感謝して「そうします」と頭を下げておいた。イアン様はにっこりと微笑むと、他になにを言うでもなく颯爽と去っていく。

 あんな男性が、世の中にはいるのね。


 イアン様は素敵な方だった。

 男性不信になりかけている私が、信じたいと思えるくらいに。


 私がビッチ令嬢と呼ばれ始めたのは、三年前の十五歳の時のこと。

 私、キカ・クレイヴンに、デインジャー伯爵家の令息……ニッケル様との婚約話が上がったのが始まりだった。

 こっちは末端子爵家で、由緒ある伯爵家からの婚約話を、普通ならば受けなければいけないところ。


 でも……私はニッケル様が……いえ、ニッケルが大嫌いだった。

 立場の低い者へのセクハラで、訴えることもできずに泣き寝入りしている人がいたから。

 私も体をベタベタと触られて、それでも手篭めにされてなるものかと逃げ回っていたら、婚約という強硬手段に出られてしまった。


 貴族の娘に生まれたからには、多少望まぬ人のところにでも嫁がなくてはいけないこともわかっているけれど。

 絶対に、ニッケルだけはイヤ。

 私が泣いて訴えると、兄様が両親を説得してくれて、ニッケルとの婚約話を蹴ってくれた。


 だけど、それを恨みに思ったニッケルが、周りに言いふらし始めてしまった。

 キカはビッチで、誰にでも足を開く尻軽な女だったと。貞操観念のない女など、こっちから願い下げだと。


 どの口がいうのかと怒りに震えたわ。

 でも上の階級であるデインジャー家の顔に泥を塗った手前、なにも言えなかった。噂なんていつか消えると思っていたし。


 それから三年が経っているけど、噂はやむどころか、どんどん一人歩きを始めている。

 結婚なんて、夢のまた夢。

 またニッケルのような男に求婚されるかと思うと、縁談などこなくてもいいと思っていたけど。


 イアン様の顔が一瞬よぎり、ついさっき会ったばかりの人のことを考えるなんてどうかしていると掻き消した。

 

 危ない目に何度も遭った私は、ビッチのフリをしている。

 清純だと強調すれば、嘘をつけと襲ってくる。ならば。

 経験の豊富なふりをして躱した。不思議なことに、そっちの方がうまく逃げ出すことができたから。

 噂が収まるわけもないと自嘲した。


 兄様があの手この手で私に騎士の護衛をつけようとしてくれたけど、結局騎士は見回りを強化するくらいで、実害があったときにしか動けなくてダメだった。

 兄様の人脈で信用のおける人を雇おうにも、そういう人たちはとにかくお高い。貧乏子爵家には無理な話。


 私はどうにもならないことを考えても仕方ないと割り切って、さっき別れた人に思いを馳せた。


「イアン様は、どういうお人なのかしら……」


 もっと、彼を知りたい。

 良い人だと思っていた人物が、実は他の人と変わらない狼だったというのはよくある話。

 だから期待してはいけないけれど。


「またお会いしたいわ……」


 そう思っていた日の晩のこと。


「キカ、今帰ったぞ! 友人を連れてきた!」


 兄様の帰宅の声が聞こえて、私は階段を降りて玄関に向かう。

 そこには──


「あ……イアン様?!」

「やぁ、お邪魔するよ」


 ライトブラウンの髪をなびかせ、優しいヘーゼルの瞳をしたイアン様がそこにいた。




「キカと呼んでやってくれ! 俺とお前の仲だ、許す!」


 帰りがけにイアン様に会った兄様が、夕食に誘ったらしい。ナイス、兄様!

 お陰でイアン様のことを色々と知ることができた。


 文武兼備のイアン様は、祖国フェザリア王国のジームレイという自領にある、要塞の指揮官をしていたらしい。

 要塞での活躍が買われて、フェザリア王都で守護騎士隊の指導補佐官へ。さらに頭角を現し、全騎士軍を統括する、副総監に着任。そこで政治的なことにも絡むようになったという。

 色々と仕事をこなしている内に国王に気に入られ、フェザリア国王自らのご推挙によって、ここセライストン王国に指導顧問としてやってきたんだとか。

 ……って、経歴もすごいけど、国王陛下自らって凄すぎない?


 この国の未来を語るイアン様の顔は生き生きと輝いていて。

 父様も母様も兄様も私も、虜になるようにイアン様のお話に聞き入っていた。





 ***


 イアン様が三日と空けずにうちに来てくれるようになって一ヶ月。

 祖国フェザリアで侯爵だというイアン様には、私と同い年の妹がいるのだそう。その妹が送ってくれたという美味しい焼き菓子をいただいた。


「私もイアン様の妹様に、なにかを送りたいですわ」

「本当か? ありがとう、妹もきっと喜ぶ。良い子だな、キカは」


 頭をなでなでしてくれるイアン様。……完璧に妹扱いよね、これ。

 妹じゃ嫌だと思ってしまうのは、もしかして、私……。


 イアン様への気持ちを自覚した瞬間、耳が燃えるように熱くなった。

 寝ても覚めても、考えるのはイアン様のことばかり。


 ある日、私はイアン様の妹のジェナ様に手紙をいただいた。お菓子を送ったお礼状だった。


「ジェナは、おかしなことを書いていなかったか?」

「ふふ、兄という人種は心配性ですわね」

「ハハ、違いない」


 手紙を見せてあげると、イアン様はほっと胸を撫で下ろしている。


「こんなにイアン様に心配してもらえるジェナ様は、幸せですわね」

「そうかな。ジェナには鬱陶しがられているが」

「鬱陶しがるほどに思われているなんて、羨ましいです」

「キカも、ダグには相当かわいがられていると思うけどな」

「それはそうですが……」


 兄様は用事で少し席を外している。思いを伝えるなら……今だわ。


「私は……イアン様に、思われたいんです……っ」


 ばっくんばっくんと心臓が波打つ。

 言ってしまったわ。ああ、上手く息が吸えない。

 イアン様にどんな反応をされてしまうのかしら……怖い。


「キカ」

「は、はい」


 イヤな顔をされてしまったら、私もう生きていけない。

 そう思った瞬間、イアン様の顔が優しく綻んだ。ドクンと胸が揺れるのを感じて、私の期待値は高まっていく。


「俺にとって、この国での一番の妹は、間違いなくキカだ。大事に思っているし、いつも気にかけているよ」


 …………。



 ……………………。



 …………………………………………。




 ちがっっ!!

 妹ちがっっ!!!!


 わかってはいたけれど……妹としか思われていないってことくらいは……!!

 大事と言ってもらえて、とってもうれしいけれど……

 ああ、そんなにニコニコされては、そういう意味じゃないとはもう言えない。


「ありがとうございます……い、妹……嬉しいです………」


 私の言葉がよっぽど嬉しかったのか、イアン様は幸せそうに私の頭をいつまでも撫でてくれた。

 ……いつか妹ポジションから脱却してやるんだから。





 そして妹脱却の機会は、妹宣言をされて二ヶ月が経つころに訪れた。


「ビッチ令嬢さんよ、俺と一緒に遊ぼうぜ」


 狭い裏路地に強引に連れてこられた私に、気持ちの悪い男が迫ってくる。

 いきなり胸元のドレスをグイッと引き裂かれそうになって、私は慌てた。


「焦りすぎよ、あなた。どれだけ余裕がないの?」


 流れ出てくる冷や汗がばれないように、余裕の笑みを作って見せつける。


「ああ? 誰が焦ってるって?」

「ドレスを破ろうとする乱暴者のことよ。私に相手をしてもらいたいなら、もっと経験を積んでいらっしゃいな」

「ふざけんな、俺は十人以上の女と経験がある!」


 ぞぞぞ、と私の背筋に悪寒が走る。

 それ、合意なしの無理矢理にではないの?

 自分の身を守らなければいけないけれど、こんな男は許せない。


「ふふ、うふふふふ……たかだか十人? 笑わせないで?」

「なんだと?」


 これ以上の被害者が出ないようにしなければ。こんな男がのさばっている町でいいはずがない。


「どうせ自分の欲望を吐き出しただけでしょう? それはただの乱暴よ。経験人数には数えられないわ。悔しかったら、ちゃんと相手の合意を得てからカウントすることね」


 私の言葉に、その男はむぐぐと悔しそうに口を歪ませている。キレられる前に、さっさと退散しないと。

 これ以上は危険だと判断した私は、陽の差す路地に向かって歩き始める。


「待て! じゃあお前の経験人数は何人だ!!」


 明るい路地に一歩出たところで、私は目だけを後ろに流した。


「私の経験人数? ざっと百人くらいかしら」


 男の驚いている顔を見て、思わずフフッと笑ってしまう。

 百人は言いすぎただろうか。本当は誰ともなにもない、純潔乙女だというのに。


「……百人」


 足の進める方から声がして、私はハッと前を向いた。

 聞き間違えるはずもない、愛しい人の声。


「イ、イアン様……!!」


 目の前には騎士服姿のイアン様。よりによって、今……!


「イアン様、あの、私……」


 駆け寄ろうとすると、イアン様は。


「…………っ!!」


 ハッとしたように息を飲んだあと、思いっきり私から目をそらした。


 ……え? 無視、された?


 私は愕然とした。今まで、イアン様にこんな態度をとられたことは一度たりともなかった。

 経験人数が百人と聞いて、ドン引きしてしまったのか。

 イアン様の周りには、他の騎士もいる。私なんかが近寄っては、きっと彼に迷惑をかけてしまう。


「うおお、ビッチ令嬢、すげぇ格好してんなぁ!」

「ありゃ事後だろ」


 周りの言葉にハッと気づいた私は、無理やりにはだけられていた胸元を慌てて隠して、家へと飛んで帰った。


 どうしよう。イアン様にまでビッチだと思われてしまったわ。事情を説明したい。

 今日も来てくれるはずだと落ち着きなく待っていると、ドアノッカーの音が響いた。


「いらっしゃいませ、イアン様」

「……ああ」


 私から目を背けるイアン様。ああ……やっぱり私のことを蔑んでいるんだわ。


「あの、兄の部屋に行かれる前に、私とお話ししていただきたいのですが……」

「……わかった」

「ありがとうございます、では私の部屋に」

「いや、部屋は困る。勘弁してほしい」


 グサリとナイフで心臓を刺された気がした。

 私を警戒しているんだ。部屋に連れ込まれるって思われてる……!


「イアン様……私の方を見てもらえますか?」

「……キカ」


 イアン様のヘーゼルの瞳は、私の視線と一瞬だけ交差した。だけどすぐにその視線が落ちていく。

 その角度……まさか、私の胸を見ているの?


「っ、すまない」


 イアン様の顔はすぐに横を向いてしまった。

 今の視線は一体なに……? まさかイアン様にまで、性の対象として見られてしまったの?


「あの、私、ビッチなんかではないんです! あんな風に言わないと逆に襲われてしまうから言っただけで……本当です、信じてください!」

「っ、近づき過ぎだ! 少し離れてくれっ」


 熱が入るあまり、イアン様の服に縋るように訴えてしまっていた。

 イアン様は顔を真っ赤にするくらい怒ってしまっていて、私の目からは涙が込み上げてくる。

 

「どうして……」

「妹として大事に思っていると言っておきながら……すまない」


 イアン様の口から出てきたのは、謝罪の言葉。

 それはもう私のことを、妹としてすら見られないということ……?

 脱妹を目指してはいたけれど……こんなのは違う! 嫌われたかったわけじゃない!

 こんなことになるのなら、妹と思われていた方が余程よかったわ……!


「イアン様、ひどい……っ! この国での一番の妹は、私だって言ってくれたのに……!! う、うぁぁあ!」

「……」


 子どもみたいに泣き出してしまった私に、手を伸ばそうともしないイアン様。

 私のことを、本当に嫌いになってしまったんだ。


「っひ、ひっく……」

「キカ……」

「イア、様……せ、めて……ひっく。妹で……っうう」

「……わかった。妹と思えるように努力しよう」


 イアン様は優しい。軽蔑している私のことを、それでも妹として見られるように努力してくれる。


「……悪かった」


 そう言って私の頭に乗せられたイアン様の手は、どこかぎこちなかった。



***



 イアン様の非番の日に、私は買い物に付き合ってほしいと頼まれた。

 妹として見ようと努力してくれているのね。

 来月の誕生日に、アクセサリーを渡したい女性がいるのだって。胸が押しつぶされそうだったけど、一緒に買い物をした。

 イアン様が選んだのは、素敵なカメオで。

 もし、もしもその女性がプレゼントを拒否したら、私にくださいってお願いした。

 だって、私も来月が誕生日。どうしてもなにか欲しかったんだもの。

 イアン様は「助かるよ」って笑ってくれたけど、本当は困っていたかもしれないわね。



 買い物をした翌月には、王宮主催の社交界があった。

 婚約者のいない独身で貴族の男女が集まる、お見合いのようなもの。

 兄様もイアン様も独身だけど、警備の責任者だそうで不参加。

「キカには気になる人がいるのか?」と聞かれて、思わず「ニッケル」と呟いてしまったけれど……。


 そう、この社交界にはあの男も来ている。

 ニッケルにとって、この社交場は狩り(・・)をする絶好の場所のはずなのよ。ホールを一歩出ると、そこらじゅうが個別の休憩室になっているもの。

 イアン様たち騎士がいくら巡回していても、一瞬の隙をつかれて連れ込まれてはどうしようもない。

 だからニッケルを見張って、被害者が出ないようにする。

 私はビッチ令嬢で知られているから、結婚を望む場では誰も話しかけてこないだろうし。



 そうして社交界の間中、私はずっとニッケルを目で追い続けた。

 あの好色強姦魔がこの機会を逃すとは思えない。目当ての女性を見つければ、絶対に行動に移すはず。

 被害者が出る直前に大騒ぎしてやるんだから、覚悟しておきなさい!!


 そう意気込んでいたけれど、ちょっと人の多いところに行ったかと思ったら、見失ってしまった。

 私は慌てて会場中を探して回ったけど、見つけられずに気ばかり焦る。


 そうしているうちに給仕にぶつかって、ワインが思いっきり私のドレスにかかってしまった。


「今すぐお召替えをお持ちしますので、少々ここでお待ちくださいませ」


 休憩室に通されて、扉を閉める給仕の男。

 申し訳ないというわりに笑っていたように見えたのは……気のせい?

 すぐに騎士が着替えを持って来てくれたけど、普通、騎士が持ってくるものかしら。

 電光石火の速さで着替え終わらせて、扉を開けようとした時。

 私が内鍵を回す前に、なぜか鍵がカシャンと音を立てて開いた。


「え……?」


 バックンと心臓が嫌な音立てて、私は後ずさる。


「なんだ、もう着替えてやがったのか」


 ニッケル……!!

 目の前が真っ白になりそうだけど、倒れてしまえばあいつの思う壺。

 私は震えそうになる手をぎゅっと握って耐えた。


「なにしにいらしたのですか? 着替え中のレディの部屋に入るなんて、無礼にも程がありますわよ」

「ビッチのくせによく言うぜ」

「それは、あなたが言い出したのでしょう」

「今は名実共にビッチなんだろうが。お相手してもらおうと思ってな」


 ナイフの一本でも隠し持っておけばよかった。ジリジリ近寄られて、私はどんどん後ずさってしまう。


「残念ですわ。あなた程度で満足できる体ではなくなったんですの。出直しくださいませ」

「……っぷ、ハハハッ! なんだそりゃ。そんな言葉で俺が出直すとでも思っているのか?」


 ずんずん近づいてくるニッケル。ダメだわ……この男は、犯し慣れてる(・・・・・・)

 部屋から出られさえすれば、いくらでも助けは求められる。まずは逃げ出すことを考えなければ!


「何年も前からずっとお前を抱きたいと思っていたんだ。ようやく念願叶うぜ」


 下品な笑い方に、背中に毛虫を置かれたようなおぞましさが走る。

 掴まれたら終わり。

 私はニッケルが伸ばしてきた手をバチンと弾いて、一目散に扉へと走った。

 急いで扉を開けると、そこにはさっきの騎士の姿があって、私はホッとしながらも声を上げる。


「助けて! 襲われて……っ」


 全てを言い終える前に、ドンッという衝撃が走った。

 暴漢から守ってくれるはずの騎士が、私を部屋の中に突き飛ばして見下げている。

 どうして、と思う間もなくバタンと扉を閉められ、外から鍵がかけられた。


「……え?」

「ははっ、残念だったなぁ! 俺がヘマをするわけねぇだろ?」

「きゃっ」


 グイッと腕を掴まれる。

 振り払おうとしてもニッケルの体は大きくて、私なんかじゃ太刀打ちできない。


「おい、バレないようにそこから離れてろ」

「わかりました」


 ニッケルが外へと声をかけて、向こう側から騎士の声がする。靴音が離れて行くのが聞こえた。

 今なら外にこいつの仲間はいない。逃げなきゃ!!

 でもどれだけ暴れても、強い力で握られた手首はどんどん痛くなるばかりで。


「離して……離して……っ!!」

「暴れんなよ。噂じゃ百人斬りだって? 一人増えたところで、大したことじゃねぇだろ」

「いやよ、誰があんたなんかと……っ」

「ッハ、なにを清純ぶってんだ! それともなにか? 本当は処女か?」

「な、にを……!! そんな、わけ……っ」


 私が否定すると、ニッケルは一瞬驚いた顔をした後、大笑いを始めた。


「っぷ、ハハハハ! 傑作だな! マジかよ、よくまぁ今まで処女でいられたもんだな。感心するぜ」

「……いやっ」


 ベッドの上に無理やり押し倒されて、ニッケルが覆いかぶさってくる。

 いやだ……いやだ……!!

 私の目からは、勝手に涙が滑り降りる。

 こんな男に、弱味なんて見せたくないのに……!!

 怖い……誰か、誰か……!!


「誰か、助け──」

「うるさい、黙れ!」


 ばふんと手で口を塞がれる。苦しい……悔しいっ!

 こんな奴に……助けて、兄様……イアン様……


 イアン様──!!!!!!


「どの部屋だ、グズグズするな!!」


 唐突に、扉の外側から声が聞こえきた。

 この声は……!


「鍵はどこだ!! くそ、ここにいるのか?! キカ!!」


 私は一瞬緩んだニッケルの手を振り切って、力の限り叫んだ。


「イアン様ーーっ!! イアン様、助け……っ」

「このアマッ」

「っうぐ」


 ドシンと胸ぐらを押さえつけられて、まともに息もできない。


「キカ!! すぐ行く!!」


 そんなイアン様声が聞こえた直後、ドシンという激しい振動が室内に広がった。

 二度目、そして三度目に振動が響いた時には、バキッという音とともに扉が上からバタンと倒される。


 ニッケルの向こう側に見えたのは……必死の形相をした、イアン様。


「貴様、キカになにをした!!!!」


 そういうやいなや、イアン様は飛ぶようにやってきて、ニッケルをあっという間に投げ倒した。

 目の前から消えたニッケルは床に叩きつけられて、悶絶している音がする。


「キカ!! 大丈夫か!!」


 イアン様は動けない私に優しく触れて、抱き起こしてくれた。


「キカ……」

「イアン様……っ」


 助けに来てくれた。

 ああ、イアン様のヘーゼルの瞳を見ると安心する。


「痛いところは」

「大丈夫ですわ……」

「……間に合ったか?」

「はい……ありがとうございます……っ」


 イアン様がぎゅうっと私を抱きしめてくれる。


「よかった……!!」


 兄として心配してくれていたのだとしても、イアン様の言葉は嬉しすぎて──。

 私の気持ちがどんどんと膨らんでいくのがわかる。


「っく、なにしてんだ、この騎士野郎が!」


 ニッケルは腰を抑えながら立ち上がり、イアン様に罵声を浴びた。

 騎士野郎って……イアン様はあなたより上の階級である、侯爵家の方なのに!

 イアン様は抱きしめていた私の体を放すと、ニッケルを睨みつけた。


「女性に乱暴していたのだから、当然の報いだろう」

「ッハ、乱暴? 違うね! 知らねぇのか? こいつはビッチなんだ、俺は誘われた方! 裁くなら、こいつを裁くべきだろうが」


 ニッケルの言葉で、私の頭に血が昇ってくるのがわかる。

 この男は、よくもぬけぬけと……!!

 でも、こう言い訳されるとわかっていたからこそ、証人となる目撃者が必要だった。いつもなんのかんのと相手を言いくるめて捕まらずにここまできた男だから。

 私が証人となって言い訳させないつもりだったのに、完全にしてやられてしまった。


「今、彼女が泣いていたことはどう説明する」


 イアン様の怒り声。こんな低い言葉使いもできる人だったのね……。


「演技だろ、演技! 俺を罠に嵌める気だったんじゃないか? 町の奴に聞いてみろよ、このビッチと俺の無実、どっちを信じるかってな。みーんなこう言うだろうぜ。『ビッチ令嬢が誘ったに違いない』ってよ!」


 悔しいけど、その通りだ。

 個室で男と二人でいる時点で、私から誘ったと思われるに決まっている。私の方が断然不利な状態。


「……そうか、では町の者に聞くことにしよう」

「そんな、イアン様……」


 やっぱりイアン様も、私が誘ったと思ってしまったの……?

 好きな人に信じてもらえないのが、一番つらい……!!


「ただし聞くのは男ではなく、女性にだ」

「へ?」

「……え?」


 マヌケなニッケルの声が部屋に響く。私もだけれど。


「お前の要望通り、町の者にも聞いてみてやろう。この町の女性に匿名のアンケートをとる。性被害に遭ったことはないか、あるなら相手の名前はわかるかとな」

「なん……だと」

「被害者の数が多い時には覚悟しておけ。投獄ではすまないぞ。強姦魔には、処刑が待っている」

「──っ!!」


 他の騎士が集まってきて、イアン様が事情を説明している。結局連行されたニッケルは、青ざめた顔をしていた。

 処刑が怖いのなら、強姦なんてするんじゃないわよ。

 誰もいなくなると、イアン様が私の背中をそっと手で温めてくれる。


「つらかったな……よく、頑張った」

「イアン様……ありがとうございます。私が無事だったのは、イアン様のおかげですわ」

「間に合って本当に良かった……」

「あの、どうしてここに私がいるってわかったんですの?」


 イアン様はホッと息を吐いた後、配属した覚えのない騎士が一人うろついていたと教えてくれた。

 どうやらあの男は偽物の騎士だったらしい。

 私が給仕にワインをかけられていたという情報も同時に入って、いよいよ怪しく思ったのだとか。

 休憩室の場所を言おうとしない騎士と給仕に、イアン様は少々強引に聞き出してくれたみたい。


「……必死だったよ。ずっとキカのそばにいてやればと後悔した」

「そんな! 助けに来てくださっただけで十分ですわ!」

「けど、遅くなった」

「間に合いましたわ」

「その間、怖い思いをしただろう」

「それは……」


 怖かった。そう改めて認識すると、急に手が震えるくらいに。

 震えを止めようとしても、恐怖がこびりついたように止まってくれない。


「ごめ、なさ……情けないですわね……」

「当然の反応だ」

「被害に遭われた方はもっと怖い思いをしたっていうのに……私程度が、こんな……」

「どちらも心に傷を負ったのは同じで、つらさなど比べるものじゃない。つらいと思ったなら、我慢しなくていい」

「イアン様……」


 ポロッと涙が溢れ出てくる。

 世の中にはもっとつらい思いをした人がいるんだから……って思ってた。

 でも……苦しいって、つらいって、言ってよかったのね……。


「イアン様……苦しいです……悔しいですっ! あいつのことを裁けても、このつらさは、怒りは、いつまでも私の心に残りそうで怖い……っ」

「キカ」


 私の手を包んだまま、イアン様に顔を覗き込まれる。

 端正な顔立ちに優しいヘーゼルの瞳。張り詰めていた心が弛緩する。


「俺なら、抱きしめても大丈夫か?」

「それは……兄としてですか? 男としてですか?」

「……兄としての方が落ち着くだろう」


 イアン様の言葉に、私はこくりと頷いた。

 妹と思われたくはなくても、今だけは女として見られるのはつらかったから。

 大きな手にゆっくりと体ごと包まれて……私はイアン様の胸に顔をうずめた。


「つらい時にはそばにいる。何度だってこうして抱きしめる。キカは……俺の大事な人だから」

「イアン様……」

「キカ、愛してる」


 兄として、()を愛してくれている。

 優しい優しいイアン様……あったかくて、安心できるの。


 私が落ち着くまで、イアン様はずっとずっと抱きしめていてくれた。



 ***


 後日、この町に住む女性全員に、匿名のアンケートが郵送で実施された。

 性被害の実態を調査するために。

 私は苦しい思いをしながらもニッケルのことを書き記した。

 ついでに私を襲おうとした男、全員を書いてやったわ。名前がわかる者には名前を、わからない者は思い出せる限りの特徴を書き記しておいた。

 これでニッケル以外の男も捕まってくれなら、きっと住みやすい町になる。


 そのアンケート結果は、やはりと言うべきか、ニッケルから性的被害を受けた女性がいた。

 具体的な数字は公にはされなかったけれど。


 わざわざうちに来て教えてくれたのは、もちろんイアン様だ。


「通常ならば、捜査をしなければ実刑に持ち込むのは難しい。だが今回の件もあって、匿名のアンケートも事実である可能性が高いとして、刑罰に加味された」


 ニッケルは処刑……しかも火刑に決まったらしい。

 処刑の中でも最も苦しいと言われる方法が選ばれたということは……それだけ、被害者が多かったに違いない。


 悪いことをすれば捕まる、刑罰を受ける……それは当然のこと。


「……それと、キカがビッチ令嬢と呼ばれている件なんだが」


 嫌な言葉を耳にして、私はビクッと体を震わせた。

 色々噂されていたから、イアン様も気づいていただろうけど……。


「それはニッケルが言い出したデマだということが断定された。今後、キカをその言葉で侮辱する者がいれば、厳しく取り締まることになる。これでキカを苦しませることは、なくなる」

「……本当、ですの?」

「ああ」


 喉の奥から、涙が込み上げてくる感覚。

 私を苦しめ続けた言葉から、ようやく解放されるんだわ。


「今まで、よく耐えたと思うよ。がんばったな。これからは普通の令嬢として、人生を謳歌してほしい」

「……はい」

「もう、兄役はいらないな?」

「……っ」


 兄役は、いらない……つまり、私の兄として役目は終わったということ。

 ああ、きっとイアン様は意中の方に、あのカメオを渡したんだわ。そしてうまくいったのね。

 私という存在は、きっともう邪魔になるだけ。本当の妹というわけでもないもの。


「はい、もう兄役は必要ありませんわ」


 私が微笑んで見せると、イアン様も笑ってくれた。

 とても、とても嬉しそうに。


 私は引き裂かれそうになる胸を押さえて、なんとか笑顔を保っていた。



 ***



 ニッケルの処刑が執行されて、平和な日常が戻ってきた。

 そんな私の誕生日。父様と母様に「話がある」と呼び出された。


「お前に、縁談の申し込みがあった! しかもジームレイ侯爵様だぞ!!」

「……え?」

「よかったわね、キカちゃん。あなたに真っ当な縁談がめぐってくるなんて……」


 ジームレイ? 聞いたこともないわ、どこよそこは!


「お受けすると先方に伝えておくからな!」


 侯爵令息でない、侯爵様だなんて……絶対に年上の色ボケジジイに決まっているじゃないの!!


 私やっぱり、イアン様じゃなきゃ、お嫁になんて行きたくない!!


 でもどれだけ反対しても無駄で、私は部屋へと閉じ込められた。

 このまま色ボケジジイの後妻なんかになってたまるもんですか! 後妻かどうかは知らないけれど!

 私はメイド服を拝借すると、しれっと屋敷を抜け出して、イアン様の働く軍事施設へと向かった。


 門兵に、〝クレイヴン家の使いの者で、ダグラス様に忘れ物を届けに来た〟と嘘を並べて兄様を呼び出してもらう。

 どうしたのかと訝る兄様に、私はなんとかという侯爵様から婚約を持ちかけられたことを話した。


「ジームレイ侯爵閣下だろう、まったく……」

「兄様、知っていたの??」

「ああ、本人から聞いた。父上も母上も、今晩直接会う時まで内緒にしてくれと頼まれていたはずなんだが……先走ったな」


 本人から?! 父様や母様のみならず、兄様までグルだったってこと?!

 兄様は、唯一の私の味方だと思っていたのに……!!

 いえ、怒っている場合じゃないわ。一刻も早く、イアン様に私の気持ちを伝えないと!

 もしかしたら『おめでとう』と喜ばれるかもしれない。逆に困らせるだけかもしれない。

 だけど、一緒に逃げようって言ってくれる可能性もあるんだから。


 今すぐイアン様に会わせてと頼み込むと、お人好しの兄様は中へと入れてくれた。


「ここがイアンの……おっと、イアン指導顧問の執務室だ」


 兄様がノックをすると返事があって、中へと入っていく。

 私を見たイアン様が、驚いた顔で書類をパサっと落とした。


「……キカ……だよな?」

「はい、イアン様。唐突の訪問、申し訳ありませんわ」

「いや、構わないが……どうしてメイド服……かわいい」


 最後、ぼそりとなにか言った?


「ご、ごほん。どうした、キカ。なにか用事か? まさか、また危険な目にでもあったのか?!」

「はい、私……人生最大のピンチなのです!」

「なにがあったんだ、話を聞かせてくれ!」


 私のことを心配してくれているイアン様の言葉が嬉しい。


「私、実は……ジームレイ侯爵様という方から、その……縁談がありまして……」

「ああ、聞いてしまったのか」


 ……え? この反応……まさか、イアン様も知っていた……?


「それで、私……っその侯爵様の元にお嫁に行くのは、絶対に、絶対に嫌なのです!!」

「おい、キカ!」

「兄様は黙ってらしてっ!!」

「お、おう」


 私がキッと兄様を睨みつけると、たじろいで一歩引いてくれた。


「絶対に、嫌、なのか……?」

「とてもありがたい話だというのはわかっているのです……! それでも私は、侯爵様の後妻になんて入りたくありませんの!」

「いや、俺は一度も妻を迎えたことはないが」

「そういえば後妻ではありませんでしたわ! でも色ボケジジイは私の体目当てに決まっていますもの!」

「色ボケジジイ……」

「そうですわ!! 男なんて、みんな同じです!!」

「……そう、かもしれないな」


 っは! つい興奮して言い過ぎちゃったわ。兄様とイアン様は違うってちゃんと伝えておかなくては……


「あ、もちろん兄様とイアン様は……」

「俺も、キカを抱きたいと思ってしまっていたしな」

「……え?」


 今、イアン様はなんて言ったの……?

 まさか、こんなにも優しいイアン様が……私を性的な目で見ていた、ということ……?


「……うそ、ですわよね……?」

「本当だ。キカの妖艶な姿を初めて目にした時……もう妹としては見られなかった。ひとりの女性として、キカを見ていた」


 妖艶……? 胸をはだけられて、百人斬り発言をしたとき?

 あの時から、イアン様は私を……


「そんな……イアン様まで私をずっとそんな目で見ていたというの……?!」

「……すまない。キカが嫌がるとわかっていながら、この気持ちは止められなかった……!」

「……ひどいっ!!」


 悔し涙が私の頬を伝って落ちていく。

 イアン様だけは、他の男たちとは違うって……

 そんなことを考えたりしない紳士だと、信じていたのに……!!

 イアン様は椅子から立ち上がると、泣いている私に近づいてくる。


「キカが兄と思ってくれているのをいいことに、俺は何度も君を抱きしめてしまった」


 私を抱きしめていたのは、邪な気持ちからだったのね……胸が、張り裂けそう。


「でもわかってほしい。こんな感情を(いだ)いているのは、キカにだけだ。他の誰でもいいわけじゃない」

「私……だけ?」


 こくりと強く頷くイアン様のライトブラウンの髪が、ふわりと揺れる。


「キカの心の傷が癒えるまでは、絶対に無茶なことはしないと約束する。だから……結婚、してほしい」

「……え?」


 どういう……こと?

 今の流れは、そんな結婚なんて話だった?

 ポカンとしていると、イアン様は小さな箱を取り出して私の目の前で開けてくれる。


「十九歳の誕生日おめでとう、キカ」

「これは……」


 美しいカメオのブローチ。

 一緒に買い物に行った時に、イアン様が意中の人へと買った物のはず。


「贈った相手に受け取ってもらえなかったんですの?」

「今、キカに受け取ってもらえなければ、そうなるな」

「じゃあ……元々これは私に……?」

「ああ。ダグにキカの誕生日を聞いて、どうしてもなにかをプレゼントしたくなったんだ」


 そんな話を聞くと、顔に熱が集まってくる。

 イアン様の意中の人というのは、まさか……


「もしかしてイアン様……私のこと、好きなんですか……?」

「ああ、愛している。そうでなければ、結婚の話なんて出さない」


 これは夢?

 イアン様が、私のことを……。


「キカ。返事を聞かせてほしい」


 抱きたいと思っているとくれたのも、結婚してほしいと言ってくれたのも、私のことを愛していてくれたからなんだわ!


「イアン様……私もイアン様が大好きですわ!」

「キカ……!」

「だけど愛してくださっているのなら、どうか私を連れて逃げてほしいのです!!」

「……逃げる?」


 愛しているとは言ってもらえたけれど、一緒に逃げてくれるかどうかは別の話。

 イアン様は不可解だと言わんばかりに眉を寄せている。


「さっきも申しました通り、私はなんとかという色ボケジジイの侯爵様に、縁談を申し込まれているのですわ……」

「……一応確認するが、その侯爵とはジームレイで合っているよな?」

「そうですわ! そのジームレイとかいう色ボケジジイの後妻に……いたぁあっ!!」

「少し落ち着かんか、キカ!」

「なにするのよ、兄様!!」


 後ろを振り向くと、兄様が怒った顔をしている。

 うう、ゲンコツをもらうだなんて……兄様の宝物に落書きして以来よ!


「あまりに無礼すぎるぞ! いい加減にせんか!」

「だって私、絶対にそんな色ボケジジイの後妻になんか入りたくないんだもの!!」

「矛盾しているだろうが! イアンのことが好きだと言いながら、ジームレイ侯爵との縁談を拒否するなど!」

「矛盾?! なにが?!」

「いや、ちょっと待ってくれ二人とも……飲み込めてきた」


 イアン様に止められて、私たちはぜーぜー言いながらイアン様の方へと向き直る。

 飲み込めてきたって……一体なにが?


「キカ」

「はい」

「さっきからキカの言っている、色ボケジジイのジームレイ侯爵とは……俺のことだ」

「…………はい?」

「色ボケですまない」

「…………はい?」

「だが、まだジジイではないつもりだ」

「……はい」

「さっきも言ったが、俺は妻を娶ったことがないので、後妻ではない」

「…………」


 え、ちょっと待って……

 今、なんて……


「え、ええええええええ!! イアン様は侯爵様だったんですの?! 侯爵令息では……!!」

「なにを言っとる。俺はちゃんとフェザリア王国の侯爵だと説明したはずだぞ」


 兄様の言葉に、私は記憶を辿ってみる。

 確かに、そんな風に言っていた気も……でもこんな若くして侯爵の地位を持っていると思わないじゃない!!


「俺の父が元々ジームレイ侯爵だ。第一王女だった母が王家からの降嫁で公爵を叙爵して、父は二つの爵位を持っていた」


 はい? お母様が元第一王女で、お父様が公爵様?


「俺がジームレイの要塞にいた頃に、父から侯爵を譲り受けた。公爵の土地が広大だったこともあって、分譲した形にしないと、国力バランスが取れなかったからだ。俺自身に侯爵の地位があった方が、都合が良かったこともある」

「えーっと……それじゃあ将来、イアン様は……」

「ああ、いずれは父の爵位も俺が継ぐだろうな。まだ先の話だが」


 いずれ、イアン様は公爵様……

 待って。

 そんな人に……しかもフェザリア国王陛下の御令孫(ごれいそん)に……


 色ボケジジイの後妻は嫌だと騒いだバカは誰!!? はい、それは私!!!!

 いやあああ、泣きそうっ!!


「申し訳ありません……っ! 私、イアン様がジームレイ侯爵様だとは、露ほどにも思わず……!!」

「っふは、そうか」


 私は謝罪しても許されないくらいの無礼を働いたと思うのだけど……なぜだか笑っているイアン様。

 えーと、私はどうすれば?


「本来なら今晩クレイヴン家で、プレゼントを渡してきちんと婚約したいと思っていた。キカが俺でいいと言ってくれるならば」


 なんてこと。私は一人で大騒ぎしてしまっていたわけね。


「俺はいつまでこの国にいられるかわからないが……それでもいいと思ってくれるなら、結婚してほしい」


 イアン様の真剣な瞳と言葉に、私の胸はもう決まっていた。

 どこへ行くことになっても……イアン様のそばにいられるなら、それでいいのだから。


「はい。私はもう、イアン様なしでは生きていけません。どこへでもイアン様についていきますわ」


 私が宣言すると、イアン様はヘーゼルの瞳を嬉しそうに細めて。


「ありがとう、キカ……愛している」


 伺うように背中に手を回され、私がゆっくりと頷くと。

 イアン様は、優しく空気を纏うように、私をそっと抱きしめてくれた。





お読みくださりありがとうございました!


久々にランキング入りして嬉しいです♪

★★★★★評価を本当にありがとうございます!!

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