報告
昨日は、あれから岐顕が帰ってきてくれたので、龍顕はホッとした。
あんな気分の夜に、佐織と二人きりだなんて、居た堪れない。
翌日は、家族三人で朝食と昼食を食べた。
昼食の後片付けが終わると、佐織は、今日は練馬の佐藤家に行くと言って出掛けて行った。
護衛は付けているが、食材の買い出し以外で、佐織が一人で外出するのは久し振りだった。佐織の気分が少し上向いたのは、良い傾向である。
佐織と、ほぼ入れ違いに麻那美がやってきた。
今日は此の家で、岐顕からの報告を聞く予定なのだった。
佐織が居ない方が都合は良い。
麻那美は、手製のシフォンケーキを携えていたので、佐織の不在が不満そうだった。
一緒に食べたかったのだろう。
聞けば、インターンでの人間関係で悩んでいた、そして、国家試験の勉強をしていた佐織を支える為に、麻那美は、手作りの菓子や料理を携え、足繫く、西馬込の佐織のアパートに通っていたのだという。
龍顕は、其れを聞いて、如何して佐織が、苦しみながらも、国家試験までの出来事を立派に乗り切ったのかが分かった。
そして、御姫様の様に育った、気が強くて、我儘なところの有った此の人物が、そんな献身を、親友の為に行うとは意外だった。
此の五年で、二人は、其の様にして絆を深めていったらしい。
気付けば、結局来客の麻那美にコーヒーを淹れてもらい、御持たせのケーキを食べる食器まで出してもらう羽目になっていた。
素早い。
普段は日中此処に居ない、住人の男二人よりも、麻那美の方が物の定位置を把握していた。
勝手知ったる他人の家である。
「其れでね、報告だけど」
着流し姿の岐顕は、両腕を組んだ。
袖で、腕が全然見えなくなった。
「一昨日、清水本家から、鼓君が攫われたそうだ」
「何ですって!」
麻那美は、大きな目を、此れ以上開けない、というくらい、大きく見開いた。
「どうも、連れ去られた場所は東京らしい。車を途中まで追跡したが、羽田空港辺りで撒かれたそうだ」
「東京?岐様、まさか」
「そうだね、一応、札の辻のあの辺りも捜索させているけど。まだ見つかっていない。清水本家も大騒ぎらしい」
「そんな…何故急に、あの子が」
ダイイングテーブルの上のシフォンケーキに、誰も手を付けようとしない。
口を着けられていないコーヒーの湯気が、細やかに、其の黒い表面で踊っている。
「其れは分からないけど、最近、吉野衆に不穏な動きがあったみたいだね」
龍顕と麻那美は、思わず、声を揃えて言った。
「吉野衆に?」
「最近、吉野の分家の若け衆が、ごっそり集落からいなくなったらしい。中に数人は、瀬原や清水の若け衆も居るみたいだけど。出ていく時期はまちまちだったから、里のソトの仕事で居ないのだと思われてたっぽいね」
「じゃあ、その連中が作ったのが、あの企業?」
龍顕の問いに、岐顕は、うーん、と言った。
「企業というか…あそこを派遣元にして、ソトの仕事を熟してるらしい。如何やら『苗の神教(ンカン教)』の残党と合流したんだな。残党が、瀬原集落とは別に、独自に作ったパイプを使って仕事をしているっぽいね。厄介だな」
「加持祈祷とスパイの派遣会社か…。口に出すと間が抜けてる気もするけど、確かに、かなり不穏だな」
不穏だが、『加持祈祷とスパイ』の食い合わせが悪過ぎて、笑っちゃいけないが、考え付いた奴の頭の中を想像すると、多少笑えるな、と龍顕は思った。
まぁねぇ、と岐顕は言った。
「令一が亡くなって、実方本家後継の俺が集落を統括する事になったのを気に入らない者は、今も残党以外にも一定数居る。吉野衆は特に、令一直属の隠密、みたいな側面が有ったから、尚更だろうな。瀬原の本家が機能しなくなって五年だ。今風に言えば、独立したくなったのかもしれないね、残党と合流して。今までの様な、政界の要人等だけでなく、今後は格安の料金で、一般人も対象にしていく、とか?まぁ、其れは捕まえて聞いてみないと分からないけど」
「…加持祈祷とスパイのベンチャー企業か…」
口にする程に現実感が無くなっていくので、龍顕は困った。
そうだねぇ、と、岐顕も。困った様に言った。
「響きはちょっとアレだけど、難儀な事だよなぁ、実際。瀬原集落は、社会のタブー。『瀬原』という看板を堂々と掲げているなんてのは、如何にも、其の辺りの感覚がイマイチ分かってない若い人間、って感じだ。単に技術が無いから作らなかったのかもしれないが、此の上、企業のホームページでも作られてみろ。火消しに、どれだけの労力を要する事になるか。集落内からの通報で、警察が集落の中に介入するくらいなら、集落の中だけの問題だけで済むけど、一般人経由で、瀬原集落の実態がソトに知れたら如何する。要人の信頼を失っては、此の先仕事としては先細りどころか、悪くすれば消されるぞ。そうならない様に、昔から、不動産業なんていうギリギリ堅気の職を提供して、集落も解体を進めてるってのに」
龍顕は背筋が寒くなった。
見れば、麻那美も青褪めている。
瀬原集落関連の事件は、新聞には載らない。
何件も、死亡事故が黙殺され、警察によって、自殺や事故として処理されてきたのだ。
其れが今度は、其れが、そっくり其の儘、瀬原集落への扱いになるという事は、容易に考えられる。地図にも載って居ない隠れ里を、里ごと消すのは、其れ程労力を要さないのでは、という気がする。
「兎に角、先ずは、鼓君の身の安全の確認からだ」
ふと、龍顕は思った。
「吉野衆…。楽は、関わってるのかな?」
「其れは分かんないなぁ。実は、一昨日連絡してみたんだけど、携帯の電源が切られてると見えて、全く電話が通じない。今は、社会復帰して、真っ当な仕事に就いてるんだし、疑いたくはないけど…先入観は良くないし。でも、札の辻の企業の一件が、吉野衆を中心として起きている出来事である以上、簡単に信用してもいけないとも思ってる」
其の時、岐顕の携帯電話に着信が入る音がした。
「佐藤家自宅?」
表示された着信相手の名前を読み上げ、岐顕は電話に出た。
「もしもし。ああ、どうも。え?」