事故死
全員、一通り飲み食いを終えてから、明るいうちに解散という形になった。
楽は寄るところがあるというので、其の儘別れたが、麻那美の事は、岐顕が車で日野市のアパートまで送っていくと言うので、龍顕もついていく事にした。
佐織も行くか聞いたのだが、佐織は夕飯の支度に残ると言うので、龍顕と麻那美は、岐顕の車の後部座席に乗り込んだ。
岐顕の車は、黒のセダンタイプのレクサス。
二台目である。
岐顕はずっとセダンに乗っており、かなり前は黒のセルシオ、其の前は紺色のクラウン、マジェスタだったと、龍顕は記憶している。
国産車が好きなのは解るとしても、毎回、失敗したと言いながら、濃い色の車を買うのは龍顕には解せない。
車の色は、白かシルバーでないと案外汚れが目立つのだ。
文句を言いながらも、ガソリンスタンドでの、まめな洗車を厭わないのは、結局、此の系統の色が好きだという事なのだろうと龍顕は解釈している。
車が発進して暫くしてから、麻那美が龍顕に尋ねた。
「そういえば、龍様。御休みの日に、スーツで、どちらに行かれていたのですか?」
「うん、札の辻。三田駅から、ちょっと行った所だね」
「ああ、港区の。佐織ちゃんがインターンをなさっていた病院から、一駅というところでしょうか」
「そう。札の辻にある歩道橋、東京タワーが良く見える、って、知る人ぞ知る撮影スポットでね。今日も、午前中、カメラマンが居たよ。殆ど行かなかったけど、三田キャンパスも最寄り駅だし」
「あら、スーツで東京タワーを撮影なさる御趣味が?確かに、大学は写真部のサークルに所属していらっしゃいましたけど、服装は自由になさっておいでだったと記憶しておりますが?」
嘘をつけ、という口調で、麻那美が、そう言った。
龍顕の言を信じていないらしい。
流石、長い付き合いである。
「まあ、正確には、あの近くの高層ビルに用があって。芝桜が綺麗だったよ」
「ああ、良いですね、芝桜」
佐織なら喜んで、芝桜の方に思いを馳せそうなものであるが、麻那美は珍しく腕組みし、信用ならん、という態度を崩さない儘、相槌を打ってきた。
手強い。
「其処の一角にね、瀬原っていう名前の企業が入ってるの」
「え?」
「普通、『せはら』って読みそうなものなのに『せばる』って、わざわざ読み仮名まで一緒に書かれてる。ま、此れがね、九州由来の会社っていうのなら分かるよ。紫原とか西都原とかさ。原っぱの『原』を『ばる』って読ませるんだな、って思わないでもない」
「…偶然、でしょうか」
「此れが今時、企業のホームページすら無いときてる。不思議だね。インターネットアーカイブ見ても如何しようもないし。如何やって調べたもんか。法人番号公表サイトにも無い。帝国データバンクにも無い。東京くらしWEBにも」
「…本当に会社なのでしょうか。其れだけ聞くと架空の存在ですが」
「其のビルは、三十階までが企業フロアで、三十階から最上階の五十階までは住居フロアになってるんだ。わざわざ企業フロアのテナントを、丸々ワンフロア借りているということは、住居の心算は無いと思うけどね」
「龍顕、如何やって其れを見つけた?また勝手に行動して、危ない目に遭ったりしてないだろうな」
運転席の岐顕が、ミラー越しに、後部座席の龍顕に視線を送ってくる。
「いや、見付けたのは俺じゃなくて馨だよ。最近、馨が仕事でガスの点検に行って見付けたらしい。SPみたいな黒服の人間がウジャウジャ居たらしいよ。其の中に何人か、白装束の人間が混ざってたとか。近くの神社の御祭りの衣装だとか言われたらしいけどね。確かに、あの辺りに、八幡様が有った様な、無かった様な…」
「うーん、其れ、うちも、周りに不審がられない様に言うやつだ。…まあ、黒服に、白装束となると、ね。ほぼ間違いなく、瀬原集落の関係者だよね」
「馨に教えてもらった荷物搬入口なら、セキュリティエリア以外は結構簡単に入れたけれどね。トイレで黒服に鉢合わせしそうになったから、引き返してきた」
「おい、やっぱり危険じゃないか」
「ごめん。でも、という事は、やっぱり親父も知らないビルなの?」
「知らないな」
「不気味ですね…」
不安そうに、麻那美が、そう言って、俯いた。
「うん…ま、因果関係が無い事を、切に願うばかりだけど、十中八九、残党だろうね」
麻那美には止むを得ず話したが、馨の言う通り、弱っている今の佐織には聞かせられない。
麻那美は、嫌だわ、と言った。
「何でしょうね、此れ。鼓という子の登場の次は、謎の瀬原カンパニーですか。しかも、岐様も御存じないなんて…」
「俺も調べてみよう。勝手にそんな事されちゃ困るからね」
岐顕は、そう言って、運転席から振り返って、少しだけ麻那美の方を見て微笑んだ。
岐顕は、今、亡き瀬原家当主令一に代わり、郷里の瀬原集落を取り仕切る役目を持っている。
瀬原の集落の主な生業とは、宗教の術を使った加持祈祷や要人の身辺警護、そして間者である。
瀬原集落は、『苗の神教』という宗教を元として構成された集落である。白装束を着て、加持祈祷をし、フィクサーとして、権力者を支える様になる者も現れた。
また、其処で出来たパイプで、間者として働く者も現れた。ビジネススーツにネクタイといった姿で、要人のSPを行ったり、会社員として社会に紛れ込み、情報を盗んだりと、要人の為に働く者達である。
岐顕が事実上解体しているとは言え、暗躍する瀬原集落は、其の存在自体が、一つのタブーなのだ。何を、そんな目立つ場所で看板を出してくれているのやら、と龍顕は呆れた。
「兎に角、結果が分かるまでは龍は何もするなよ」
「分かったよ」
「麻那美ちゃんもね。鼓君とやらの事、俺も調べさせてみるから。其れまでは、大人しくしてて」
「…はい」
俯く麻那美に、龍顕は声を掛けた。
「麻那美、今、最寄り駅どこ?」
「百草園です」
「京王線?百草園だと、買い物は?」
「私は、職場の在る聖蹟桜ヶ丘で済ませて帰る事が多いですね」
「そっか。前は青梅に住んでたでしょ?何で、あの辺にしたの?」
「単純に、職場が近いのと。あとは、二月に行った時に、梅が綺麗だったので。何だか、故郷を思い出しました」
百草園には、その名前の通り、京王百草園という見事な庭園があるのだという。
岐顕が、何故か急に、口を挟んできた。
「清水家は瀬原集落一帯の土地の管理をしてるからね。瀬原本家の屋敷の庭の手入れなんかもやってたから、ああいう見事な庭を見ると思い出すだろうね」
「ええ、懐かしいです。本家分家問わず、それぞれの稼業とはまた別に、御屋敷や、竹林の手入れなんかも行っていましたから。ああいう、静かで木や竹の多い場所は落ち着きます」
「ああ、竹林」
確かに、瀬原本家屋敷の裏には、見事な竹林がある。
「兎に角、そういった土地屋敷の管理を一手に担ってくれているのが清水家だからね」
「瀬原集落か…。また、何年も帰ってないな。其れにしても、楽に会ったのも久しぶりだったな。社会復帰出来て本当に良かった」
「ああ、酷い怪我でしたからね。私も、かなり久し振りに会いました」
「ああ、ごめん。良くない話題だった?」
麻那美は、姉の婚約者だった楽と、亡くなった姉の代わりに結婚出来るとなった時は、其れは喜んだものだった。
しかし、楽の行動が原因で、麻那美の方から婚約破棄した。
他人の心の中など完全には分からない、というのは龍顕の持論であるが、麻那美が楽に対して、あまり良い感情を抱いていないであろう事は、流石に推測出来た。
「いいえ、もう、あれから五年経っておりますからね。正直、忘れていた時も有ります。でも、今日、あんな風に話せるとは、思ってもみなかったです」
麻那美は、窓の外を眺めながら、そう言った。
「うん、まあ、今日は完全に麻那美のペースだったよね」
何なら楽は、麻那美に少し怯えていた。龍顕も、其れは、昔なら考えられない事だった様に思う。気の毒だが、其処だけ思い出すと、多少笑える。
「ふふ。当時では、考えもつかなかったことですね。…楽様の方は、未だに姉に一途な様ですね。其処だけは、少し見直しました」
「ああ、十年以上前の事で、あんなに詰め寄られるとはね。ちょっと驚いた」
「悪い男」
麻那美は、龍顕の方を見て、呆れた様に、そう言った。
「え、俺?」
龍間が思わず、キョトン、とした顔をすると、麻那美は、もう、と言って続けた。
「女の子に気を持たせる様な事をして。そんなに自分の行動に無頓着でいらしたら、何時か、竹箆返しを食らいますよ」
岐顕が、後部座席の方を見もせずに、運転しながら、くっくっと笑った。
龍顕は、え?と言った。
「だから、何、俺が如何したって言うわけ?」
「やれやれ。姉が生きていたら、…姉は、楽様の事を、如何思っていたのかしら。…よく考えたら、私、姉の事、よく知らないのですよね」
麻那美は続けた。
「姉が生きていたら。あ、そうだわ、姉が生きていたら、姉は楽様と結婚して、…私は、龍様と結婚する事になっていたのかしら」
ああ、其の可能性は有ったよね、と龍顕は言った。
寧ろ、龍顕は一時期、自分は麻那美と結婚するものかと思っていた。
集落で、年齢と血統が合う者となると、人数も限られてくる。
令一が、おかしな事を考えなければ、言い方は悪いが、消去法で、ほぼそうだったろうと思う。
「…でも、そうですねぇ、やっぱり。実方麻那美になってたのかしら。…語呂は悪くないですね」
麻那美は、溜息をつきながら俯くと、両頬に手を当てた。当時、狭い里で布かれていた婚姻統制の話など考えても仕方が無いが、面白い話ではないのだろう。
「まあ、其れも、そんなに悪くなかったろうけどね」
「え?」
龍顕は、本心から言った。
「時々、麻那美と言い合いしながら瀬原集落で暮らして、其のうち子どもとか生まれて。まあ、其れは其れで、幸せだったのかなぁ。庭で、梅だの何だの眺めて。そうやって年を取るわけ」
龍顕は瀬原集落で暮らしたいと思った事は無いに等しかったが、『妻子と郷里に住む』というのは、絵だけ思い浮かべると、そう悪くなかった。
龍顕は、人生に、本当は波風など求めていなかったから、もし、一度も里から出ず、何も知らずに其の儘、里で生きていたとしたら、そういう、狭い世界での人間関係で完結して生きる事も、特に不幸だと感じなかった可能性も有ると思うのである。
「…龍様。先刻の私の話、聞いてらっしゃいました?其れは確かに、私は龍様の性格を、よく存じ上げておりますから、其れが、本気で仰っている、素朴な感想だという事は理解出来ますし、今更、気を持たせられただなんて勘違いして怒る様な間柄の私達ではありませんが。そういう事を、私以外に仰る時には、御気を付け遊ばせ」
麻那美は、また呆れたような顔をして、そう言った。
「うん、龍、そういうところが…時々良くないかなぁ…」
岐顕は、残念そうな声で、そう言った。
何なの、と龍顕は言った。
「いや、別に、単なる感想じゃない?深い意味は無いし。別に麻那美と結婚しても幸せになれたのかもな、っていう、可能性の話を考えてみただけで」
岐顕と麻那美は、声を揃えて、そういうのを言うところが良くない、という趣旨の事を言った。
如何したんだろう、と龍顕は思った。
麻那美と結婚したら不幸になったかも、と言う方が余程失礼な気がするのだが。
「まあ、楽と今日話せたのは、良かったじゃない?」
岐顕の言葉に、そうですね、と、麻那美は素直に言った。
「…佐織ちゃんに甘えているようなところは、見逃せませんでしたが。ちょっと勘違いしていますよ。あの人は。だって今、あの人を、郷里の関係者で、まともに相手してくれる人なんて、佐織ちゃんくらいでしょう?そういうところに、ちょっと、付け込んでいるのではないかと思うと、不愉快なのですよ」
岐顕が、手厳しいな、と言って笑うと、珍しく、ええ、厳しいですよ、と、麻那美は言った。
「優しい人、という言い方は好きですが『いい人』という言い方は嫌いです。都合のいい人という意味に聞こえて仕方が無いのです。道でハンカチを拾ってくれた人も『いい人』なら、殺人事件の犯人評は、『あんないい人がどうして』ですよ。其の人の事を良く知らなくても、自分に利益を与えてくれたり、危害を加えたりしなければ『いい人』なのです。御金が欲しかったら『いい人』の事情を使おうとして、疎外されて寂しくなったら、『いい人』に擦り寄っていって。佐織ちゃんは、本当に、優しい人なのです。そういう人を、あんな人に都合よく扱ってほしくはありません」
楽という人間は、しでかした事が大き過ぎて、瀬原集落の者にとっては、非常に複雑な感情を抱かせる存在になってしまった。
表には出さないが、龍顕にも、其の感情は少なからずある。
麻那美にとっては、もっとそうだろう。
そして佐織は、彼女の大事な親友なのだ。そう思うと、看過出来ないものがあって当然だ。
「麻那美ちゃんは優しいねぇ」
岐顕が唐突に言った。
「え?」
「ははは、照れない照れない」
麻那美は赤くなったが、少し悲しそうに言った。
「不安なのです。変な事が立て続けに起きていて、其れがまた、何か、私達にも関わってくるような気がしていて」
麻那美は、控えめなピンク色に塗られた、よく手入れされた爪先を見詰めた。
「あれは、本当に、何だったのかしら、鼓という子」
麻那美は、、そう言って、悲しい目をした。
百草園からの帰りは渋滞に巻き込まれたので、龍顕は佐織に、遅くなるとLINEした。
すると、暫くして返ってきたLINEには、URLが添付されていた。
「これは…」
クリックして表示されたのは、今日のニュース動画だった。
『…死亡したのは、大田区在住の看護師、佐々秀樹(三十二)さん、医療事務の西田架那(二十八)さん、千葉県在住の、後藤海斗(三十九)さん、妻の環希(三十一)さんの四名で、警察では、…』