表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

医療界的手記

倫理戦争②

作者: 仁科理人

私は一度自分の首を切ったことがある。

医療者として。

「命を大切に思えない。」



 疲弊。鳴り止まないナースコール、医師の指示出しチェック、家族対応。

 ナースコールがなぜそんなに鳴るのか?それはそんな患者層(ADL全介助、認知症など)だからだ。なぜそんな患者層か?病院経営者が、ベッドの空きがあったらすぐに患者を入れるからだ。診療科が何であろうと。その病棟の介護度が何であろうと。現場をみない。スタッフの疲弊、患者の認知をみない。そんな管理者によって病院は回されているからだ。いっそのこと、病院管理者は、1日、病棟で座って観察すれば良い。いかにナースステーションに人がいなくて、且つ記録が書けないか。それでわからなかったら本当に無能だ。断言する。

 医師は、ICや点滴、指示出しは最低限きちんとやって帰ってほしい。そのフォロー、確認は全て看護師なのだから。患者の声、家族の声をちゃんと聞いてほしい。自分が逆の立場だったら何を知りたいか、なんてわかりますよね?

 ……話を戻そう。徹底的な疲弊は何を産むか。正常な判断を出来なくする。過去の歴史と同様に。語弊を生むかもしれないが、要するに、その状況を、生き抜ける思考にシフトするのだ。現場は違えど、なぜ人間は過ちを繰り返すのか。超高齢社会の今、政府は医療費の削減、にしか目がいかない。根本は同じな気がするのに。



 とある日のこと。日勤業務中に、緊急コールが病棟に鳴り響いた。緊急コール。それは、ナースコールとは別に、心肺停止の患者がいたなどの緊急時に遭遇したスタッフが、救命のため、他スタッフの応援を呼ぶコール、即ち、緊急事態のコールである。ワンコール目で、部屋番号を確認し、ナースステーションを挟んで反対の病室へすぐさま駆けつける。部屋に着いた頃には、既に数名のスタッフが到着しており、主治医への連絡や救命処置が施されていた。どうやら痰詰まりによる窒息のようだ。

「貴女は処置室の準備してきて!」「わかりました」リーダースタッフの指示にて処置室の準備をする。吸引セット、酸素準備、モニター予備の準備……。全てを迅速に、淡々と揃えた後、病室へ戻り、準備完了の報告をする。その後、患者は痰の塊が吸引にて引けたとのことで、状態が安定し、自分を含め駆けつけたスタッフは個々の業務に移っていった。「助かってよかった」「あの患者は以前からすごく痰が多くて、熱発も続いていた、だから急変のリスクは元々あったんだよな……」と、自分が受け持つ時には、十分気をつけてモニター観察をしていたのを思い出し、また先ほどの病室で涙目になっていた後輩を思い出す。今日の受け持ちはあの子だったっけ……。後でフォローしておこう。そう、自分は病室を後にした。



「命を大切に思えない」

 医療に向きあう人にとって、あってはならない思考。でも、自分にも限界が近づいていた。

人を救うのは人。たかが人なのだ。命の現場、医療者は大方聖人化されるが、患者と同じ、人なのだ。個人的指向で治療は当たれない。そりゃそうだ。誰だって、自分の生き様を、自分本意に仕事をする人に委ねたくはない。医療者はそれを知っているから、白衣を着た際に利己を捨てるのだ。聖人化された、職業人としてのプライドのみを纏って。


「担当変えてもらって良いですか?」

 窒息の事件の後、ふと今日の担当患者の対応中に言われた一言。その、一言だけ耳に残った。「何か気に触るようなことをしてしまいましたか?」「すみません。直したいと思います。理由を教えて頂けないでしょうか?……ずっと言葉を発しない。「……失礼しました」色々言いたいことはあったけれど、上手く言葉が出ない。頭を下げ、そっと病室を出た。

担当変えて。あなたは嫌です。そう面と向かって言われたことのある人間は、一体どれくらいいるんだろう。

あ、私を否定された。

一言でそう思ってしまうくらいには、私の心のキャパは狭かったし、また人と向き合うために捧げていた自己は大きかったのだと思う。

職業人としてのプライドが大きく揺らぐ。

看護ってなんだろう。人と向き合うってなんだろう。制服を着たら、(あなたをわかりたい。)って自己の意識をコントロールして、対面する。相手の求めているところを知るために。……だけど。

全ての人をわかろうというのはムリがあって、思い上がりなだけで。それは重々承知の上で、でも、心を捧げる分、面と向かってあなたは嫌です、って拒否されるのは、やっぱり辛い。もう、疲れちゃったな……。

 現実から逃げるように、人目のない汚物室へ向かう。入った瞬間、涙が溢れてきた。


 とその時、薬剤師さんが、汚物室のドアを開けた。はっと息をのんだ感じがする。何かを察したのか、近づいてそっと背中を撫でてくれる。ゆっくり何回も撫でてくれる。薬剤師さんがなぜこんなところへ?そう思う間もなく、手の優しさから、昔、薬剤師さんから言われた言葉がふと蘇る。「看護師さんの、人の距離感はすごい。本当に人を好きじゃないとできないんだなって」

……ほんと?今も本当にそう思ってくれてるの?私、まだ人が好きなのかな。今、大っ嫌いだよ。誰とも会いたくない。自分だって大嫌い。一瞬でも、さっきのコールで「もう、窒息なんてしょうがないじゃん。この多忙な中でリスク管理した結果でしょう?」なんて思ってしまった。命にしょうがないはない。嫌ってほど知ってる。最低だ。人に拒絶されて当たり前だ。……でも、心身ともに余裕なくて、職業人としてのプライドも折られた今、どうしろっていうのさ。涙が止まらない。


 暫くして、先輩も入ってきた。「え!今度はこっちかぃ!あんたどうしたの。」軽く笑いながら、先輩は聞く。「先輩……。せんぱ、い。」「うん?」薬剤師さんが、背中をポンと叩いて出て行った。先輩が会釈をする。私は涙を拭いて、職業人としての表情を作り、話す。「◯号室のAさんに、担当変えて、と言われてしまいまして。……特に何をした、とかではなくて、心辺りも出てこないんですけど……。」

 先輩は私の話を一通り話を聞いた後、「そっか。後で私もAさんのとこ行ってみるわ。それはちょっと心にグサッとくるね。でも今日はもうすぐ終業時間だし、あとちょっと頑張りな」と優しく励ましてくれた。


 その日の業務をなんとか終え、帰路につく。

自分もそうであるように、相手も自分の人生に必死だから。心対心。すり減るものはとても多いけれど、でも、通じ合えた時は、それはそれは格別なんだよ。心を通わせられることが、こんなに嬉しいことって知ってたから、こんな自分でも誰かを一瞬でも救えたら、って思ったから、この道を選んだんでしょう。過去の初心の頃の自分と対話する。



 次の日。ある患者のナースコールで病室へ向かう。入院して一週間ほど経つおばあちゃんだ。ベッドから落とした物を拾ってほしいという簡単な内容であった。物を手渡して、じゃあまた何かあったら呼んで下さいね。と病室を後にしようと手を挙げた、その時。満面の笑みで手を振ってくれる患者が目に入った。一瞬、ほんの一瞬だけ時が止まったが、ふと我にかえり、笑顔で手を振り返して病室のカーテンを閉めた。そして思う。


 私は、ただ、あんな風に、誰かを笑顔にしたかっただけなんだ。人を救うなんて、おこがましい。心を通わせて、自分は何がしたかったのか?人を、笑顔にしたかったんだ。なんてシンプルで、簡単で、難しいのだろう。色々考えるのは、もうやめよう。

 今日も明日も、これからも。ずっと、人とと関わる日々は続くし、多忙な環境は変わらないけれど。目の前の人の笑顔のため、一時の安楽のため、先に続く未来のため。そのためなら、うんとリスク管理もするし、聖職者にだってなってやる。そしていつか、看護師をする理由について問われた時、胸を張って、笑顔でこう、言ってやるんだ。

「私、人が大好きなので!」と。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ