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8 NM狩り

 外門から外に出ると、新しい風が緑を駆けていく光景が広がった。草花は太陽と雨に祝福され、瑞々しい色をつけてあちこちで咲き誇っていた。蝶がその上を懸命に羽ばたいている。花の彩りと一緒に、彼らもぞれぞれにぴったりな色の個性を纏っていた。


「変わってないように見えるわね」


 ちょっかいを出してくるいたずらな風に金色の長い髪を吹かれ、葵はそれを両手で押さえながら、騒動後初の外の風景に感想を漏らした。僕は頷く。


 ウィリーはきょろきょろとまわりを見て、その一点に目を止めた。「試しに、ちょっくらあのデカい蜂と戦ってみるか……」


 彼はゆっくりと上空に『鬼蜂<Lv1>』という文字とHPゲージが浮かぶモンスターに近づいていき、震える杖を傾けて魔法を放った。


「ファイア・ランス!」


 真っ直ぐ鬼蜂を目掛けて炎の槍が飛んでいく。命中すると、けたたましい爆発音とともに炎が鬼蜂を包み込み、ほどなくしてHPゲージをすべて奪い取った。


「経験値6獲得か……。ビビッちまったけど、別に今までと変わりなさそうだな……」


 ウィンドウのリザルト表示を見て彼はそう呟き、草むらに落下して淡い光をたたえる鬼蜂の死骸に手のひらをかざした。


「それで、ドロップはっと……。<鬼蜂の針>が一個か」


 ドロップ品を回収された鬼蜂は、何を訴えるでもなくそのまま電子の海に消えていった。まるで、最初から存在なんてしていなかったかのように。

 経験値6と<鬼蜂の針>。たしかにその点においては僕の知っている世界のまんまだ。


「でも十分気をつけよう。僕たちだってHPがなくなれば消滅するんだ。今の鬼蜂のように、跡形も残らずにね」


 葵が僕の前に立ち、僕の顔を正面から見つめた。


「それなのに、イタルはこうして外に出ることを選んだ。知り合いへのメッセージに<ヴァンゲイルの肉>が必要と言っていたけれど、どういうこと?」

「うん、説明するよ」と僕は言った。「けど狩りながらでいいかな? さすがにレベル1のままだと身動きが取りづらいから、少し上げておきたい」


 ウィリーが少し遠くから声をあげる。「それならPTパーティーを組むか?」


 葵は腕を組んだままキッとウィリーを睨みつけ、それから大袈裟なため息をついた。


「馬鹿ねえ……。レベル10のあなたがレベル1のイタルとPTなんて組んだら、イタルに経験値が入らなくなるじゃない」

「あっ……そうか」と意気消沈した様子でウィリーは呟いた。

「ありがとう。でも葵の言うとおり、しばらくは僕一人で狩ることにするよ。そのあとレベル5になったらPTを組んで、NM狩り――つまり<ヴァンゲイル>を狩るのを手伝ってもらえると助かる」


 さっきと打って変わって自信溢れる顔つきになり、ウィリーは杖を振りまわした。


「おうよ! イタルに貰ったこの<魔術師の杖>があれば、ここらのNMぐらい朝飯前だぜ!」





 しかし、朝飯前どころか昼飯前になっても僕たちは目的を達成させられずにいた。

 場所は西エンシェルの北に位置する山の中腹。しっかりと段階を踏んで僕はレベル5になり、予定どおりPTを組んでノンアクティブ・モンスターを尻目に颯爽とここまでやってきたのだが、もうかれこれ二時間ほど経過したにもかかわらず、<ヴァンゲイル>の姿を拝めずにいた。


「ちっとも<ヴァンゲイル>の湧く気配がないわね」と葵は僕をヒールしながら言った。


 仕方がないよ、と言って僕はリポップした<ブルー・スライム>にナイフで一太刀を入れた。スライム状の身体が急激にしぼんでいき、最後には土に吸収されるようにして消えてなくなった。


「こればっかりは運だからね。<ヴァンゲイル>がポップする条件は、この辺りに湧く<ブルー・スライム>を五体倒して、その次のポップ時に10%の確率を引き当てること。だからこれくらいハマることなんてざらにある」

「って言ってもよ、もう二百体は倒してるぜ? 世界がおかしくなっちまったんだから、NMの出現条件も変わっちまったって可能性はねえか?」


 たしかにウィリーの言うことを僕は否定できない。ログアウトができなくなり、死亡したプレイヤーが消え、お腹が減り、そして睡眠を必要とするVRMMOの世界。何が改竄されていてもおかしくないし、もし急に尿意を感じたとしても、僕はあまり驚かないと思う。


「でも、イタルは<ヴァンゲイルの肉>が必要なのよ」と葵が座ってMPを回復させながら言った。「それならもう少し粘ってみましょ」

「そう言ってもらえると助かるよ」と僕は言った。「二人ともごめん、僕につきあわせちゃって」


 再び<ブルー・スライム>が少し離れたところにポップすると、その瞬間に空に顕現した岩石が落下して圧し潰した。得意げな顔でウィリーは杖を握る手を下げ、僕の背中を叩いた。


「みずくせえこと言うなよ相棒。俺はあくまで可能性を口にしたまでだ、別に嫌ってわけじゃねえよ!」


 相棒、と僕は頭のなかで反復した。僕を相棒と呼んだのは、今までの人生のなかでナルザーヴァルただ一人だけだった。


 忘れもしない、魔大陸の<囁きの洞窟>での出来事。僕と――ヴァンクロードと――ナルザーヴァルは数多くの魔陽族に取り囲まれ、絶体絶命のピンチに陥ってしまった。彼は魔鎌ソウル・イーターを僕の聖剣オウス・キーパーと打ち合わせて小気味良い音を洞窟内に響かせ、ブラッド・ヘルムの奥の蒼い目で僕を見つめながら言った。「聖騎士ヴァンクロードよ。もし我々がこの戦いを生きて抜けられたら、うぬを『相棒』と呼んでも構わぬか?」。僕は言った。「ああ、構わないぜ! もっとも、俺は既にお前のことを相棒だと思ってるけどな!」


 どうやってピンチを切り抜けたのか? 不思議とそれは覚えていない。たぶん死に物狂いで戦い、死に物狂いであいつの背中を守ったのだと思う。そして死に物狂いであいつが僕の背中を守ってくれたのだと思う。覚えているのは、戦闘が終わって魔陽族の血に染まったナルザーヴァルが高笑いをする姿だけだ。「相棒よ、我が四十二匹討伐でうぬが三十六匹。異存はないな?」、ひとしきり笑うと、また冷静な口調になってあいつは僕にそう言った。「ねえよ……お前は最高の相棒だぜ!」と僕は言った。


 どうしてだろう? まだナルザーヴァルと別れて一日も経っていないというのに、妙に昔のことのように懐かしく感じてしまう。あいつと言葉を交わしたい。ツバキやエルとだってそうだ。みんなの声が聞きたくて仕方がない。もしこの世界にいるのなら、一刻も早くみんなに会って無事を確かめたい。


 そのために、今の僕ができる最善のこと。それは、マーケットにいくつかのアイテムを出品して、エルにメッセージを送ること。<ヴァンゲイルの肉>さえ手に入れば、それが可能になる。


 ・ヴァンゲイルの肉

 ・クロウの羽根

 ・ドン・キホーテ・スピア

 ・始まりの福音書

 ・街路樹


 これらを上から999,999,991Zel、999,999,992Zel、999,999,993Zel……という具合に誰も購入しない金額で、かつ一桁目に番号を振って出品すれば、日課としてマーケットを隅から隅まで熟視しているエルなら必ず読み取ってくれるだろう。『ヴァン、クロウ、ド、始まりの、街』を、『ヴァンクロードは始まりの街にいる』と変換してくれるはずだ。そうすれば、テレポートなんてできなくともここまでやって来て、出品者である僕を――イタルを――探してくれる。エルがこの世界にいさえすれば。


「ああ、よろしく頼むよウィリー!」


 刹那的思考の果てに、僕は顔を上げて彼にそう言った。ちょうどそのとき、葵がウィリーのみぞおちに手刀で突きを放った。目にも留まらぬ速さだった。


「ぶほっ……」と面白い声を発して、ウィリーはみぞおちを押さえながら二、三歩後退する。


「な……何しやがんだオメェ!」

「別に?」

「別に? じゃねえよ、お前は沢尻か!」

「おまじないよ。次は<ヴァンゲイル>が湧くように」


 はあ……と僕はため息を吐き出す。この二人はいつになったら仲良くできるのだろう? 僕はヴァンツァー・カンパニーの鉄の掟の一つを思い浮かべる。


『みんな仲良く、喧嘩はほどほどに。じゃないとツバキちゃん特製チョコレート・クッキーは食べさせてあげません!』


 ツバキちゃん特製チョコレート・クッキーがたまらなく食べたい。僕はもう一度ため息をついた。



 しかし、結果論から言えば、葵の『おまじない』は効果てきめんだった。次のNM抽選で僕らは見事に10%を射止め、鬼のような形相に鋭い牙まで生えている<ブルー・スライム>の変異種、<ヴァンゲイル>がポップした。


 その瞬間は緊張感が辺り一帯を支配したが、冷静に戦えばそれは既に僕たちの敵ではなかった。この一連の狩りで、僕らはまた少しだけ強くなっていたのだ。


 <プリースト>レベル9の葵。<ソーサラー>レベル12のウィリー。そして<スカウト>レベル7の僕。

 僕たちは確かな成長の証と<ヴァンゲイルの肉>、そしてインベトリに入りきらないほどの<ブルー・スライムの体液>を持って、僕らの汗が浸み込んだこの狩場をあとにした。


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