7 ツバキ、ナルザーヴァル、エルは何処に
目を覚ますと朝になっていた。指を宙に走らせてウィンドウを開くと、右下の時計の針は六時十二分を指していた。カスタマイズを施したUIの、アンティーク風な時計だ。現代技術の粋を尽くして創られたVRMMOの世界のなかにあって、それでも短針と長針と秒針がけなげに時を刻むという非統一性が気に入っている。宇宙戦艦の船員室に風鈴みたいなものかもしれない。
すごく余計な思考を働かせた気がするけれど(僕にはそういった悪癖がある)、とにかく食堂の客席で、朝の六時十二分に僕は目覚めた。隣にはテーブルの上で交差した腕に顔をうずめる葵がいて、正面にはソファーにもたれて腕を組み眠っているウィリーがいた。
僕はまたウィンドウを操作し、淡い期待を込めてログアウトをタップしてみた。しかし、やはり反応はなかった。カップの底のほうに残っている冷めたコーヒーを飲みながら、僕はヴァンツァー・カンパニーのみんなは今頃どうしているのかなとふと考えた。
ツバキは僕の(ヴァンクロードの)姿がなくて寂しい思いをしているのだろうか? ナルザーヴァルはそれでもPVPに勤しんでいるのだろうか? エルはさっそく事の究明に励んでいるのだろうか?
いや、それとも……と僕は思う。そもそもあの三人はこの変革がもたらされたVRMMOの世界にいるのだろうか? 僕は記憶を遡る。タイラノ平原がエラーで落ちてから、僕があの紫色のうろこ雲を目にするまでの時間は、たぶんだいたい一時間といったところだ。そのあいだにタイラノ平原エリアは復旧し、あの三人はログインに漕ぎ着けたのだろうか?
わからない。今は答えなんで出しようがない。
まずはそれを知る必要がある。しかし、プレイヤー検索は不具合のままだ。せめてメッセージ機能が復旧していたら話はずいぶんと簡単になるのだけど……。
僕はまた一縷の望みを託し、メッセージ・ウィンドウの宛先欄に『ツバキ』と打ち込んで《送信》をタップしてみた。けれどウィンドウは固まったままだった。電話線を抜かれたうえに電源まで落とされたファックス機のように、そこで鮮やかな沈黙を守っていた。
さてどうするか、と僕は考える。すぐにある種の閃きが脳裏できらりと輝く。
僕は少し考えを纏めてから二人を起こしてしまわないようにそっと席を立ち、食堂をあとにする。そしてルヴェサイユ銀行の隣に併設されている倉庫まで走り、ウィンドウを開いて倉庫の中身をチェックする。
*
夕食に続き、同じ食堂の同じ席で朝食を済ませ、僕ら三人は店を出てメイン通りに向かった。道すがら、ウィリーはずっと歩きながら愚痴をこぼしていた。
「俺の財布が空になっちまった……。なんで朝飯も俺持ちなんだよ……」
「だってあなた、最初に『次からはきちんと各自で払うんだぜ?』って言っていたでしょ?」と葵は言った。「夜から朝にかけてずっとあの食堂にいたんだから、朝食も『今回』としてカウントするのが普通じゃない」
世の中にはいろんな解釈の仕方がある。
「それより、なんであなた私たちについてくるの?」
「おいおい、おそろしく美しいのにおそろしく冷たい嬢ちゃんだな……。袖振りあうも多生の縁っていうだろ? いつログアウトできるようになるかわからねえ以上、チームを組んでつるんだほうが安全じゃねえか」
「あなたの袖と振りあった記憶はないけれど?」
ウィリーは少し先を行く僕の首に腕をまわし、頬を擦りあわせんばかりに顔を近づけてきた。
「嬢ちゃんとじゃねえよ。俺とがっつり袖を絡ませたのイタルだ。なんせ、二人で協力して巨悪を討った仲だからな! それに、葵の嬢ちゃんこそ、イタルとカップルでもなければフレンドでもねえだろ? なんでさり気なくニコイチみたいな雰囲気を醸し出してんだよ?」
葵はむぐぐ……と口にして、見るからに悔しそうに歯ぎしりをした。僕はため息をつき、その場で立ち止って彼女の手を握る。
「いいよ、フレンドになろう」と僕は言った。「それにウィリー、チームというのも僕は賛成だ。できるだけかたまっていたほうがいいと思う。ウィリーにとっても、葵にとっても、もちろん僕にとってもね」
それから僕は葵と手のひらを重ね合わせ、お互いフレンド登録を済ませた。ウィリーとも同じことをした。フレンドになったりギルドに招待したりするのには、こういった実際のアクションが必要なのだ。
葵とウィリーはフレンド登録をするつもりはないみたいだった。様子を探り合うような仕草さえ見られなかった。僕はまた小さく息を吐き出す。まあ、一緒にいればそのうち仲良くなるだろう。
フレンドになったことにより、二人の頭上にキャラクター名が表示されたが、僕はヴァンクロードのUIと同様、それをすぐに見えないようにする。視界に必要のない情報を映し出すのは集中力の妨げになってしまうからだ。名前なんて僕が覚えていればそれでいい。碧眼で金髪ロングの美しい少女が葵。体格の良い馬面な青年がウィリー。うん、完璧だ。
それ以上に重要なのは、レベルやステータスや装備などが覗けるようになったことだ。僕はウィンドウを開き、中央に葵の3Dモデルを表示させる。各部位をタップし、装備をざっと見ていく。
「最初に会ったときから気になっていたけど」と僕はウィンドウを消してから彼女に言う。「どうしてレベル7なのに、プリーストのジョブ・クエストで最初に貰える服装のままなの? レベル5から次の段階の防具が装備できるよね?」
「可愛いからに決まっているでしょ?」と葵は当然のことのように言った。「全身黒に染色したメイド服。私、これが気に入っているの」
たしかに可愛い。それは僕も認める。さらに実物は見ていないけれど、葵の3Dモデルから得た情報によると、下着はどちらも純白のものだ。白と黒のハーモニー。うん、完璧だ。
「じゃ、じゃあ街中や危険のないところでは普段着としてそれを着るといいよ。でも今はこれに着替えてほしい」
僕は喋りながらインベトリ内のいくつかの装備をまとめてタップし、データ状態のまま葵に送った。彼女はウィンドウに表示された受け取り可否の問いに≪YES≫を選択し、自分のインベトリに放り込まれた装備をしばらくじっと眺めていた。
「プレゼントしてくれるの?」と嬉しそうに葵は言った。喜ぶ表情も本当に可憐だった。
「そのために朝ふたりが起きる前に倉庫まで走ったんだ。一応レベル15までの装備は一通り用意してある。まだこの先どうなるかわからないけれど、有効的に使ってくれると僕も嬉しい」
彼女は早速それらをタップしたようだった。葵の全身が瞬間的な光に包まれ、それからすぐに魔法少女の変身シーンのような白光の結晶を纏った。そして、やがて結晶が白い法衣に変化し、彼女の小さな体を覆った。
「ありがとうイタル! 大事にするわ!」と葵は言った。予想外の喜びように、僕もちょっとだけ惚けてしまう。
「ようよう、お二人さん」、僕と葵のやり取りを冷ややかな目で見ていたウィリーが、自分の存在を証明するみたいに口を挟んだ。「ラブラブ値上昇中のところ悪いんだけどよ……。イタルの言いようだと、俺たちは今危険な場所に向かってるように聞こえたんだが……俺の気のせいか?」
「気のせいじゃないよ」と僕は言った。ルヴェサイユから西エンシェル地方に出る白い外門が見えてきた。
「これから外に出てみようと思う。外の状況も知りたいし、何より僕は今<ヴァンゲイルの肉>が必要なんだ。知り合いにメッセージを送るためにね」