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2 桜並木のキミ

 攻城戦のルールは至ってシンプルで、スタートしてから四十五分以内に攻城対象のスフィアを破壊できるかどうかで勝負が決まる。

 スフィアのある位置はその対象によって大きく異なる。玉座の間だったり、果樹園の真ん中にぽつんと浮かんでいたりと、バリエーションはかなり豊富だ。


 僕らが落とそうとしているキヨモリ大砦のスフィアは、水脈のように広がる地下迷宮の一番奥にある。つまり、魔陽族の堅牢な守りを突破しながら迷宮を踏破しなければならないということだ。そうしないと、スフィアを拝むことすらできない。S級の難易度と言われているが、それは決して誇張などではない。


 だけど控えめに言うなら、それでも僕たちにとってはそう難しことではなかった。大口を叩くとすれば、朝飯前とも言えた。


 僕たちには――僕とツバキとナルザーヴァルとエルには――それが過言ではないと証明できるだけの力と経験が具わっている。それを今日、この世界にたずさわるすべての人間にわからせてやる。


 しかし――魔陽族を蹴散らして地下迷宮の門扉を粉砕したところで、前触れもなく視界が激しく揺れ動いた。世界が歪み、BGMが僕の耳からこぼれるようにして消失していく。


 やれやれ、と僕は思った。こんな酷いのは初めてだが、こうしてほとんどの操作を受けつけなくなり、ログアウトするしか方法がなくなってしまったことが今までにも何度かある。やはり今日はサーバーの調子が悪いのだろうか?


 僕は急いでウィンドを開き、たどたどしい動きをする手でなんとかログアウトまでもっていく。≪ログアウトしますか?≫、しないでどうしろというのだろう? 僕は≪YES≫をタップする。


 ヴァンクロードの身体が光に覆われ、ゆっくりと僕の意識と分断されていく。ログアウトにはだいたい一分かかる。そのあいだ、僕はこの世界で一切の身動がとれない。視界の四隅に煙のような闇が現れ、それが少しずつ中央に集まっていく様子をただ眺めているしかない。ヴァンクロードが今日魔陽族にやられるとすれば、それは今をおいて他にないだろう。いくら防御力においてトップに立つ聖騎士で、伝説級の装備に身を包まれているとはいえ、それだけの時間があれば、彼らにだって僕を打ち倒すことは可能だ。たぶん。


 しかし、どうやらその心配はなさそうだった。世界が湾曲して見えているのは僕だけではないようで、雨雲の切れ間から覗いているような光景のなかで、誰もが戸惑い立ち尽くしていた。

 やがて黒煙が一つの完全なる闇を形成し、同時にログアウトが完了する。


 ふう、と塊のような息を吐き、僕はまわりを見まわす。アテネのアクロポリスのような風景のなかに僕はいる。

 ここはアバターの選択をしてログインするための空間で、いわばエントランスルームのような場所だ。天陰族だからアクロポリスなのかもしれないが、あるいは魔陽族も同じなのかもしれない。


 隅々まで目を配ったが、異常はとくに見あたらなかった。BGMもいつもと変わりないように思える。天陰族のテーマ曲で、どこか悲しい気持ちにさせられるピアノ・ソナタがきちんと響き渡っている。


 僕の姿も外の世界の外見がちゃんと反映されていて、問題なくエントランスルームに存在できている。ヴァンクロードよりもずいぶんと目線が低くなったが、まあこれが普段の僕なのだから仕方がない。


 あるいは天魔境界を統合するサーバーのみがダウンしたのかもしれない。僕は試しにヴァンクロードのアバターの前まで歩き、意識の接続を試みる。


 《コネクトできません。現在、天魔境界エリアは復旧作業中です。当該エリアでログアウトしたお客様は――》


 どこからか聞こえてくるシステム・メッセージを耳にすると、僕はまた深いため息をつく。

 僕たちの天魔境界統一を阻止しようと、世界中の魔陽族が集結していたのだろうか? それでサーバーがパンクしてしまったのかもしれない。


 やれやれ、と僕は口にする。本当にやれやれだ。これじゃしばらくヴァンクロードでのログインは諦めるしかない。統一もまたの機会になってしまいそうだ。


 休憩しながら復旧まで待とうかと思ったけれど、それよりもサブキャラでログインして、アカウント共通倉庫とサブキャラの倉庫を整理しておこうと僕は考えた。時間は有限だし、それにしばらく忙しかったので、どの倉庫も荒れに荒れているのだ。


 僕はヴァンクロードの隣で体育座りをしているサブキャラのおでこに、手のひらを添える。意識がだんだんと希薄なものになっていき、やがて僕の存在がエントランスルームから消え入るようにしてなくなる。





 天大陸の西に位置する、『始まりの街・ルヴェサイユ』。


 その名のとおり、ここは天陰族を選択したプレイヤーが最初に訪れる街で、様々なクエストを通して基本的なことが学べられるように設計された初心者エリアだ。僕は街の入り口付近にあるベンチに腰を下ろしている。


 のどかな風景がどこまでも広がっていた。とても高い位置から射す太陽の光が、僕の足元まで桜の木の影を伸ばしている。ピンク色の花びらがひらひらと舞い、秘密のメッセージを伝えようとしているみたいに僕の手の甲にそっと落ちる。


 ここは僕のお気に入りの場所で、サブキャラでログインすると、いつもここでこうしてしばらく街の風景を眺めている。なんていうか、一言で言うと、そうしているととても気が休まるのだ。どうしてなのかは自分でもよくわからない。

 あるいは場所なんてどこでもいいのかもしれない。誰にも知られていないこのサブキャラだからこそ、僕はこんなにもリラックスできるのかもしれない。


 もちろんヴァンクロードでいるときはすごく楽しいし、充実もしている。ツバキのことは大好きだし、ナルザーヴァルやエルのこともかけがえのない大切な仲間だとわかっている。五百人を超えるギルドメンバーから総帥と崇められるのは優越感さえ覚える。しかし、やはり人には自分自身でいられる時間と空間が必要なのだと僕は思う。分不相応なヴァンクロードをメインキャラとして纏う僕にとっては、特に。


 花びらのメッセージを読み解こうとしたが、少ししてから僕は諦め、顔を上げた。視線の先には、街を分断するようにしてずっと真っ直ぐまで伸びる桜並木があった。


 そのちょうど真ん中のあたりに美しい少女が立っていた。吹き抜ける風に金色の長い髪を煽られ、桜吹雪と一緒に僕の視野のなかで舞い上がっていた。


 女の子は僕を見ている。僕も女の子から目を逸らせなかった。桜の花びらが彼女の頬と頭のてっぺんと細い毛先にそれぞれ一弁ずつくっついていた。でもメッセージ性は少しもないように思えた。ただただ彼女の美しさを映えさせているだけだった。十五から十七歳程度に見えるアバターだが、そこには魂が宿っているような温もりが感じられる。僕はまだ目を逸らすことができないでいる。


 彼女の一本に結ばれた唇が、そっと開かれた。それと同時に、空が紫色の雲に厚く覆われた。


「な……なんだこれ……?」


 僕も彼女も突如現れた禍々しい色に染まる空を見上げた。そのまま時間が過ぎ去っていった。けれど、そこにはそれ以上の変容はもたらされなかった。ただうろこ雲を何重にも重ねたような不吉なかたちをした紫色の雲が、僕たちと空を静寂のなかで隔てているだけだった。


 予感があった。


 僕の――僕と春風に翻弄される彼女の――日常が音を立てて崩れ去るという予感だった。そして、それは的中してしまった。


 あとになってわかったことだけれど、数々の悲劇と禍根を生み出した元凶の中枢は、確かにこのとき僕らの頭上にあったのだ。


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