1 ヴァンツァー・カンパニー
音が少しずつ重みを失っていった。
攻城戦のスタートを待つ僕はタイラノ平原の重厚なBGMを耳にしているはずなのに、それがどことなく軽い音楽に聴こえる。古い民家の廊下を歩く大男の立てる音が、突然小さな子供のものになってしまったような、そんな音質の変化だった。
僕は人差し指を耳の奥に突っ込んでみた。それから自分のその行為にふっと笑った。いくらリアルなVRMMOとはいえ、アバターの耳がどうにかなってしまうわけがないのだ。音に変化があったのなら、それはシステムエラーやサーバーエラーのような、外的要因しかあり得ない。
「ヴァンクロード様、どうかしましたか?」
心配そうな表情を浮かべて、ツバキが僕の小指に自分の小さな小指を絡ませる。
僕はなんでもないと言って、後ろを振り向く。切り立った崖の上に、総勢五百人を超えるギルドメンバーと、今日という日を待ちわびていたとても多くの天陰族がずらっと横に立ち並んでいる。
「お前らよく聞け!」と僕は言う。声を張りあげなくてもシステムが音を拾い上げ、聞く者の耳に届けてくれるのだけど、ギルドマスターとして何かを発言するときにはどうしてもどなり声になってしまう。
「このキヨモリ大砦を獲れば、俺たち天陰族は長きに渡る劣勢の借りを魔陽族に返すことができる! たっぷり利子をつけてな! そしてヴァンツァー・カンパニーの名は深く歴史に刻まれることになるだろう! 天魔境界を俺たちの旗で埋めてやろうぜ!」
僕の言葉は大地を揺るがす咆哮となって返ってくる。武器が一斉に掲げられ、僕の名が天にまで轟く。
ヴァンクロード総帥! ヴァンクロード総帥! ヴァンクロード総帥!
声はやまない。僕は聖剣オウス・キーパーを鞘から抜き、天を衝くようにして掲げる。タイラノ平原が水を打ったように静まり返る。それから僕は、ゆっくりと灰色の空からキヨモリ大砦の正面門に剣先を向け直す。高らかに宣言をする。
「ニ十分だ! 俺たちならたったそれだけで魔陽族を屠り、攻城戦を勝利することができる! お前ら死ぬ気で戦いやがれ!」
怒号にも似た声が津波のようになって押し寄せてくる。しかし、やっぱりどことなく音から立体感のようなものが抜け落ちているように感じられる。みんなは気づいていないのだろうか?
僕は首を振る。今はこんなことに気を取られているべきではない。
システム・メッセージが視界の上部に表示される。
《タイラノ平原:キヨモリ大砦の攻城戦開始まで――五分》
僕は前に向き直り、大砦を見据える。おびただしい数の魔陽族が、不可侵領域を示すラインの向こう側に湧いて出てくる。まさか盤石な体制を敷く大砦までもが攻められるなんて思ってもみなかったのだろう、誰も彼も狐につままれたような顔で戦闘準備を整え、今頃になって堀にかかる跳ね橋を引き上げている。
魔陽族の動きを見取っていると、僕の隣に暗黒騎士ナルザーヴァルがすっと立つ。そして視線をともにする。
「相棒よ、先駆けは我が頂くぞ」
ブラッド・ヘルムの奥にある彼の蒼い目を見ながら、僕は頷く。問題ない。それこそがヴァンツァー・カンパニーに全戦全勝をもたらした兵法の一つだ。
暗黒騎士ナルザーヴァル。彼は僕の親友とも呼ぶべき男で、彼がひとたび魔鎌ソウル・イーターを抜けば、そこに血の雨が降り、海のような血だまりが瞬く間に形成される。そのなかで、彼は真っ赤に染まって静かに佇む。それから思い出したように血染めの手で顔を覆い、狂ったように高笑いをする。魔陽族はもちろん、同族の天陰族にも恐れられている、PVPに憑りつかれたVRMMOプレイヤーなのだ。
突然、空から陰陽師のような恰好をした男が降りてくる。魔導法師エルだ。彼は僕たちの前に音もなく着地して、ツバキ、ナルザーヴァル、そして僕の顔を順番に見ていく。
「わたしたちがヴァンツァー・カンパニーを立ち上げた時のことを、みんな覚えているかい?」とエルは言った。「いつか、誰も成し得ることのできなかった天魔境界の統一を果たそうと、寂れた酒場の端っこのテーブルで、無謀な誓いを立てたよねぇ」
「ああ、もちろん覚えているぜ」と僕は言った。僕たち四人が歩んできた道を、僕はもちろんすべて覚えている。
「ヴァンクロード様、あたしとの約束ももちろん覚えていますよね!?」
ツバキとの約束。天魔境界の統一を成し遂げたら、パメラ・ポメラ大聖堂で結婚式を挙げること。
「あたりまえだろ!」と僕はツバキの左手の薬指を静かに持ち上げながら言った。瑠璃石とエンシャント・シルバーで造った指輪が、落ち着いた色合いの光を浮かべている。
僕は僕の左手の薬指にあるお揃いの指輪を、その輝きにそっとあてる。そして彼女の巫女装束の細帯に手をまわし、激しく抱き寄せる。
「挙式は豪華に派手にいくぜ! 天陰族のギルドすべてを招待して、魔陽族のハーデンやデュラントあたりに大道芸をやらせてな!」
ツバキは目をハートの形に変え、僕の胸に思いきり顔をうずめる。「じゃあ、あたしがんばっちゃいます!」
ふうっとため息をつき、呆れた様子でエルが口を開く。
「キミは魔陽族の英雄をピエロに抜擢するというのかい? それに、皆の前でイチャイチャするのはよしてくれといつも言っているだろ? もう少し世界ランク一位ギルド――ヴァンツァー・カンパニーのギルドマスターという自覚を持ってくれ」
ナルザーヴァルはエルの肩に手を置き、ゆっくりと首を横に振る。
「聖騎士ヴァンクロードと神巫女ツバキに何を言っても無駄というものだ。魔導法師エルよ、もう放っておけ」
やれやれ、という風に、エルは両手を広げて顔を何度も横に振る。あるいはそれが攻城戦のスタートを告げるジェスチャーだったのかもしれない。彼の手の動きに合わせたように、突然カウントダウンが始まる。
《タイラノ平原:キヨモリ大砦の攻城戦開始まで――10……9……8……》
「またあとでな、子猫ちゃん!」と僕はツバキに言って、もう一度指を絡ませ合う。子猫ちゃん? 現実世界の僕なら絶対に言わないセリフだ。
「回復と後方支援はお任せください、ヴァンクロード様!」とツバキは僕に言う。カウントダウンがゼロになり、攻城戦がスタートする。
「セイント・クロス! 突撃をかますぞ、俺のあとに続け!」
僕は振り返らずにどなり声を響かせる。振り返る必要なんてない。駆け出した僕の後ろには、意思の疎通のしっかり成された精鋭の部隊『セイント・クロス』が、X字の陣を取り離れずについてきている。
僕はスキルで足を速め、出迎える魔陽族の鼻っ柱に一閃を放つ。
「ホーリー・ブレイド!」
聖なる光を帯びた剣閃が六名の腹を薙ぎ、彼らのHPを一瞬にして七割程度奪い取る。しかしとどめは刺さない。それは後続にやらせて、PVP経験値を獲得させる。そしてまたヴァンツァー・カンパニーは強くなっていく。これが僕たちの戦い方なのだ。
あるいは天魔境界の統一が懸かった攻城戦で、何を呑気なことを――と人は言うかもしれない。けれど、僕たち四人の果てない夢が現実になろうとしている大事なこの一戦でも、そのやり方は変わらない。なぜなら、変えなくても僕たちは圧倒的勝利を収めることができてしまう。
基本――無双。それが僕らヴァンツァー・カンパニーの日常なのだ。