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図書館の恋

図書館の水先案内人

作者: 如月このは

 図書館というのは、静かで必要以上に干渉されないたった一人の空間だと思う。煩わしいことなんてない。ここから始まるものなんてきっとない。だからここが好きなあたしは、普通とは違ってるんだろうなぁ。

 

 学校というのは、閉鎖的な空間だ。小学校や中学校、特に田舎ほどその傾向がある。家が近いっていうのが大きい理由かな。

 だから、どこかのコミュニティにうまいこと所属しなきゃいけない。孤立なんてもってのほか。ただ、一度そこに溶け込めばなんとかなる。集まる基準は誰といたいかより、やっぱり『好きなもの』。

 コミュニティで一人でいる分には、どうってことない。嫌われず、弾かれないようバランスを大事にするだけ。

 

 そんなことを考えながら手を伸ばして、一冊の本を取る。

 

花澄かすみちゃん、その本興味あるの?」

「え? うーん……」

 

 あたしの所属するコミュニティは『本好き』。図書館に逃げ込むために選んだ場所だ。だって『本が好き』なら、図書館にいても不自然じゃないもんね。

 実際あたしは本好きじゃない。読んでみたって、内容は頭に入らずするするっとあらすじ分だけ残して抜けていく。だからあたしの読書なんて、ただ文字列を追うだけのものだ。

 だけど他より人間関係は面倒だ。読解力があるせいか、みんな気持ちに聡いんだよね。でもちょっと工夫するだけのこと。

 

「まだわかんないなぁ。何ページか読んで決めよっかな」

 

 愛想笑いと社交辞令。そこに本心と遠慮を混ぜ込むだけ。

 

 付き合いだけの会話でその場をしのいで、あたしはやっと家に帰って部屋のベッドにどさっと身を投げる。

 左側に目を向けると、ろくに本の入っていない本棚がある。その中から一冊を取り出す。

 

 革風の表紙の、手帳にも見える本だ。厚さも少なく、百ページ程度。タイトルと著者名、本文もない。

 これは小説じゃない。ただ、物語につながるものという意味なら、たぶん同じものだけど。

 

 適当なページを開く。

 

「連れてって」

 

 淡々と命じるようにそう言えば、本に光が灯った。だんだん強さを増した光は、あたしの目の前を白く染め上げた。

 次に目を開けると、あたしは自分の背より高く棚の中いっぱいに本が詰まった本棚が立ち並ぶ場所にいた。よく行く所、図書館だ。

 

 ここへは、あたしのように鍵になる本でも持っていないと入れないらしい。そう祖父に聞いた。

 祖父は本が好きで、身近な人で同じ趣味だったのはあたしだけだったから、よく可愛がってくれてあの本を譲ってくれた。

 あたしは本当の意味で本好きじゃなかったから、悪いなとも思ったけど、誰も追いかけてくることができない場所に行ける魅力の方が大きかった。

 

 何よりここには、人がいることも少ない。

 だから本も読まず、ただ一人だけの時間が過ごせる。今日もそのつもりだった。

 

「……あ」

 

 いつも行く辺りの本棚に、人がいた。隣に移動式の本棚があるところからして、おそらく司書さん。本の返却中に、つい手に取った本を開いて、夢中になったって感じ。

 その人は、ずっとそこで本を読んでいた。近づくのはちょっと気まずかったから、あたしはたまに見にいくだけだったけど。

 

 ある時は、その整った顔立ちにあるかないかの笑みを浮かべて。ある時はきゅっと張り詰めた表情で。

 よく見ないと気づかないくらいの変化で、その人は感情豊かに本を読んでいる。

 

 次に見た時には、残ったページはごくわずかだった。数分かかって読み終わって、その人はとてもとても幸せそうな表情で、本を閉じた。

 知らない。あんなに、楽しそうに本を読む人。

 

「うわっ? どうした?」

「え……?」

 

 振り返った司書さんが、あたしにそう話しかけてきた。不思議に思うと、頬に暖かいものが伝うのを感じた。

 え、あたしもしかして泣いてるの? うわあ。理由なく泣くなんて、子供でもないのに恥ずかしい。

 

「大丈夫です、すみません。何か……感動? したみたいで……」

 

 思わずこぼれた言葉で気づいた。

 そっか、あたし感動したんだ。あんな風には本を読めないから、それができる目の前の彼に。本を読むのは、こんなに楽しいことなんだって伝えるような姿に。

 

「へえ? なんで?」

「や……あの、なんでもないです。けど、あんな風に本読めるなんていいなぁって」

 

 そのままごまかすのは変かなぁと思って付け足す。それもそれで変だけど。

 

「……ヘンなヤツ」

「……!」

 

 ぽつりと呟かれた一言に、反射的にむっとする。何よ、ちょっと顔がいいからって。

 高圧的ないたずらっぽい笑い方なのに、美形が損われないのが逆に嫌な奴だ。

 

「こっちは敬語使ってるのに、何その態度っ」

「頼んでねぇよ。それにオマエのが年下だろ、敬語はフツーだフツー」

「はあ? 自分の名前も言わない、無駄に偉そうな人に普通なんて語られたくないんだけど!」

 

 いちいちムカッとくる言い方に対し、あたしも反論する。議論なんてものは本読んでるわりに苦手だけど、こんな人にやられっぱなしで黙ってる方が嫌。

 

 あたしの攻撃ならぬ口撃は、それなりに効果があったらしい。彼の強気な顔が引きつった。美形が崩れないのは気に入らないけど!

 

「名乗るなら自分からって言うだろ! オマエから言えよ!」

「あたしの名前は花澄! ほら、これでいいんでしょ!?」

「全然似合ってねぇな! オレは白露しらつゆだ!」

「あんたこそ似合ってないじゃん!」

 

 なんで初対面の人と口喧嘩しながら自己紹介してるんだろ、あたし。ふとそう思ったタイミングで、彼も我に返ったらしい。静かになった。

 ……じゃない! ここ図書館だ!

 

 あー。思いっきり騒いじゃった。ちらちらと周りを確認すると、ちょうど人は誰もいなかった。ほっと息をつくと、目の前で彼――白露もまったく同じ仕草をした。

 同時に気づいて、お互い子供みたいにふんっとそっぽを向く。ほんと、何してるんだろ。騒いだことは反省してるけど、白露と言い合いしたことに後悔はない。

 

「ココに来る人間は限られてる。本好きばっかだ。オマエはそうじゃないんだな?」

「……そうだけど」

 

 確認するような響きだったから、喧嘩腰にはしなかったけど、彼にそう言わなきゃいけないのはちょっと嫌だったからそっけない喋り方になった。

 

「このオレが本の読み方……いや、楽しみ方の一つでも教えてやるよ。花澄、オマエまた明日来い」

「わかった。いいよ? 来てあげても」

「オマエなあ! コッチが下手に出りゃ調子に乗りやがって!」

「それのどこが下手なの! 来ればいいんでしょ、来れば!」

 

 もう! 一瞬でもかっこいいなんて思ったあたしがバカみたい。

 

 

             *

 

 

 次の日。来ると言ったからには、なかったことにするのも敵前逃亡とか思われるのも嫌だったから、あたしはまたあの図書館へ来た。

 

「よう、花澄。来たか」

「まあね。で、何をどう教えてくれるって?」

「カワイくねぇ言い方だな」

 

 人が悪そうな笑みで、白露はあたしをうながす。

 ほんと、本読んでる時にはあんなに綺麗な表情なのに、口を開けば残念だよね。整った顔立ちも、今は彼の強気な態度の印象をはっきりさせるだけだ。

 

「まず、オマエなんで本読んでんだ」

「……そしたら、人と関わらないで済むから」

 

 あたしの答えに、白露は芝居がかったわざとらしいため息をついた。ゆるく振った首の動きに合わせて、明るい茶色の髪が揺れる。

 

「前提一。これはあくまでオレの持論だ。けどそれに沿って話をする。いいな」

 

 ぴんと伸ばされた人差し指に、こくんとうなずく。

 

「前提二。その持論が正しいってことにして進める。じゃなきゃメンドくせぇからな」

 

 なんでそんな前提が必要なのかは今のあたしにはわからなかったけど、それにもうなずく。

 白露はそれを確認すると、くるりと振り返って本の並木が植えられた通路を歩き出す。もちろんあたしも奥についていく。

 

 この図書館は広い。学校のそれよりもっと大きい。

 そんな本の森を、あたしは白露の後ろについて進む。森の奥に、誰も知らない宝物を探しにいくように白露は迷わない。

 

「ヨシ。ここならそう簡単に人は来ねぇな」

 

 前に大声で怒鳴り合ったから、白露も反省したらしい。って、また声おっきくなるかもしれないって自分でも思っちゃってるんじゃん。

 

「オマエ、何考えながら本読んでる?」

「別に何も。内容なんか、すぐ忘れるし……」

 

 だってあたしにとって、本を読むことに意味はなかった。……昨日、白露を見るまでは。

 

「センスねーんだよ」

「なっ、いきなりセンスがないって何よ! ちゃんと説明入れてからにしてくれない!」

「怒鳴るなよ! さっきまでおとなしかったくせに! ……いいから聞けって」

 

 気を取り直して、白露は咳払いをする。気合いでも入ってるのかな。

 そりゃそうか。だって普通、どうやって本を楽しむかなんて聞く人はいない。図書館に来る時点で、本を楽しみたいってことは確定してるんだから。

 

「小説に限るけど、読書に求めることっつったら、やっぱ共感だな。自分もこう思うとか、なるほどな。とか」


 本について語る時、白露の目は少年みたいにキラキラしてた。集めた宝物を友達に自慢してるみたい。

 

「あとは新しい知識を得たいからとか、好きな要素があるからとかだな」

 

 好きな要素。キャラクターとか、世界観がそれだって白露は言った。

 確かにそれならあたしにもよくわかった。好きなものを追って、物語の世界を冒険する。求めるものはそこにあるかもしれないし、ないかもしれない。それさえも楽しめる。

 

「オマエがそう思えないのは、そのどれもがオマエの選ぶ本にねぇからなんだよ。だからセンスねぇって言ったんだ」

 

 なるほど。暴言にもそれなりの理由と根拠があったらしい。まあ、それを許すのは別の話だけど。

 

「じゃあ、どういうの選べばいいの」

「んじゃ、オマエの好きなもん教えろよ。オレが見繕ってやる」

「あんたが?」

「司書の仕事だろ。知らないか? レファレンスっつって、利用者の要望に応じて図書を提供することだ。小説もそうかは知らねーけど、変わんねぇだろ」

 

 そういう知識も、本読んでたら身につくのかな。見た目によらず白露は難しい言葉だって使えてるし、知識もあるみたいだ。

 だから司書をやってるんだろう。あんなに幸せそうに本を読むこともできる。……なんか、羨ましいな。あたしもあんな風に、本が読めるようになりたい。

 その点だけ、白露を尊敬してあげてもいいかな。

 

 あたしの好きなものを聞いた白露は、何冊かの文庫本を選んで渡してきた。これを読んでみろということらしい。

 

「読み終わったら返しに来いよ。その時には、また会ってやる」

 

 変なの。まるで、普通には会えないみたいな言い方。司書だって仕事なんだから、時間帯によるだろうけどいつでも会えるはずなのに。

 

「たぶん時間かかるよ」

「上等だ。ちゃんと感想喋れるぐらい読み込んできたって構わねぇよ」

「そのくらいおもしろいって?」

「ああ、絶対夢中になるね。オレが選んだんだから、トーゼンだろ」

 

 ほんと、自信満々なんだから。なのにかっこ悪く見えないんだから、美形って得だよね。

 

「さあ、どうかな」

 

 そんな言葉とは逆に、あたしは白露の選んでくれた本をぎゅっと胸に抱え込んだのだった。

 

 

             *

 

 

 数日後。

 思ったより本を読むのに時間はかからなかった。白露の言った通り、好きなものがあると夢中になってページを捲ることができて、あっという間に読み終わった。

 しかも、読み終わったばかりなのにまた読み返したくなるほどおもしろかった。

 

 そしてあたしは本を開いて、あの図書館へ行く。

 どきどきするのは、初めてちゃんと読んだ本の感想を白露に言うのに緊張してるから? それとも、白露に会うから?

 

 カウンターで本を返して、白露の姿を探す。しばらく本棚の間を歩くと、本を読む彼をみつけた。

 あの時みたいに、ストーリーに表情を変えながら読み進めて、幸せそうに本を閉じた。

 

「白露」

「ん……? ああ、花澄か。どうだった?」

「うん、おもろかった。あのさ、感想……」

「おう。聞くぜ」

 

 ほっとするのに、なんでだろ。緊張するのがわかった。矛盾してて、真逆なのに違和感がない。

 

 白露は抱えていた本を全て本棚に戻してから、読書用の椅子にうながす。隣に座って、鼓動が高鳴るのを感じながらあたしは感想を話し始めた。

 

「あの本の主人公の行動って、あの過去があったからできたんだね」

「登場人物の言葉、主人公とああいう関係だったから言えたんだよね。他の人じゃ言えなかっただろうなぁ」

「あの作品の世界観、テーマを暗示してたんだよ。それならさ、こんな解釈もできるんじゃないかな」

 

 思いつくまま、あたしは白露が選んでくれた本の感想を語った。白露は何も言わないで、ただ優しい眼差しでうなずいて聞いてくれた。

 最後にもう一つ、あたしは言いたいことがあった。

 

「白露。……本、教えてくれてありがとう。あたし、前までは本当に本が好きな人に、悪いことしてたんだってわかった」

 

 逃げるために本を読むなんて、本当に本や物語を愛している人にとても失礼だった。ましてそれを、同じく本が好きな白露の前で言葉にしてしまうなんて。

 

「別に悪いことじゃねぇよ。もともと本読む理由なんて人それぞれなんだからよ。オマエは、不器用にしか本と向き合えなかっただけだ。その手助けがオレにはできた。だからやっただけだ」

「うん」

 

 だけど、と白露はつけ足した。近い距離で、あたしから目を逸らして。

 

「ありがとな。オマエに薦めた本、オレもスゲー好きなんだ。感想聞いてて、同じコト思ったなーとかそんな考え方もできるんだなって、オモシロかった」

 

 あたしを見ない理由がわかった。逸らされた顔の、茶髪から覗く頬が赤くなっていたからだ。

 

 でも、見られてなくて逆によかった。だってあたしの顔も、白露に負けないくらい真っ赤になってるのが頬の熱でわかったから。

 さっきありがとうって言った後から、心臓がうるさくてしょうがない。ほんの少しの緊張と、あとは――。

 

「あたし、もっと本を読みたい。だから読み終わったら、また本教えて。白露の好きな本も……知りたい」

 

 ただ司書としての仕事を白露に頼むだけなのに、告白でもしたみたいにどきどきする。

 

「ああ。今度だって、もっとオマエがオモシロイって思う作品、探してやるよ」

「楽しみにしててあげるよ」

 

 不器用にしか向き合えない、これがあたしの方法なのかもしれない。だけどそれでも、進むことができたなら。

 

 何ヵ月か経って、この図書館にも本を借りるために通うようになったあたしは、時折白露の姿を見掛ける。

 相変わらず幸せそうに本を読んでいて、あたしはそれを邪魔しないように見ては、本を戻し終わった白露と感想を語り合うことを、とても楽しみにしている。

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