第91話(水都氏サイド):”無”
黒い髪に黒い瞳は、明や周二が日常見慣れた色合いと全く同じ。
加えて男の顔だちもよく見かけるモンゴロイドのそれである。
もう一人の男は欧米風の顔だちをした大柄な男である。
地球人といえばありえそうだが、こちらの世界の人間と言われても違和感のない風体であった。
思わず日本人かと疑念の声が漏れれば、男はそうっと目を細めた。
「”ニホン”?…そうか、お前達が」
ぽつりと呟いた男は、刀を抜き放ちながら何かに納得したように一つ頷いた。
「私はセージ・モリモト。連れはレドと申す者。」
「…わからんがあの黒い奴の関係者か?詳しくは聞かないでおいてやる、助太刀感謝するぞ!」
何かを察したらしいビアードはそう言って再び前方へと目を向ける。
だが明達にとって、黒髪の男の名乗りは聞き捨てできないものがあった。
「モリモトって、まさか…日本…いや、陽明か?」
明はハッと気が付いたようにモリモトと名乗る男を見た。
こちらの世界にも日本によく似た文化を持つ国があることを、明は思い出したのだ。
若い国主である高松との出会いは、忘れようにも忘れられるはずもない。
そうして高松との出会いを思い返している明の耳に、聞くもおぞましい低くうねる様な声が届いた。
「見つけたぞ…盗人どもがぁあ……」
ぞわりと背を走る冷たい感覚に、ひくりと頬を引きつらせる。
ゆるりと近づいてきていた黒い男の顔が、今ではくっきりと窺える距離になっていた。
その表情に、こちらに来てからいくつもの修羅場を潜り抜けてきた明達の表情も強張った。
『うわぁ、あれはヤバいって!もうプッツンだよあれ!』
思わずシュヴィリスでさえもそう漏らすほどに、男の表情は”無”であった。
何もないのだ。
総毛立つほどの怒気をまき散らしておきながらこの表情。
ありえない何かをみてしまったかのように、ぞわりぞわりと嫌な予感が止まらない。
動きを止めてしまった彼らの中、カトラスを構えたままのビアードが強張る口を押し開いて、大きく息を吸い込んだ。
「……ッジョージア!!!」
「っ!」
その決死の怒声に、硬直していた体がピクリと震える。
ばっと振り返ったジョージアが、明達に向けて声を張り上げた。
「君たちっ!こっちへ!俺に続いて!!」
「逃がさん……」
駆け出そうとするジョージアを、黒衣の男が空虚な瞳で見やった。
腕が持ち上がるのを見て、モリモトが素早く動く。
「はっ!」
懐から取り出した札状の紙を数枚、素早く宙へ放る。
すると札はまっすぐに黒衣の男との間に壁を作る様に中空に浮いてとどまったのだ。
ジョージアの後に続いて走り出そうとしていた明は、その光景に思わず足を止めて叫んだ。
「すげぇ!リアル陰陽師!」
「止まるな!走るぞ明っ!」
ジェイノリーに促され、後ろ髪をひかれつつ明もまた港へ向けて走り出した。
走り出したジョージアと地球人たちを見送りながら、モリモトはノアールという名の黒竜から目をそらさずに叫んだ。
「レド!結界を!」
「”大いなる海神、不浄の闇を清め給え!”」
長年組んできた相方はそれだけで意図を察してくれたらしい。
モリモトの作り出した簡易の境界壁を補強するように、海風を纏った結界が作り出される。
錫杖をかざしながら、レドはモリモトとビアードに向けて声を張り上げた。
「水神の御力にあふれた地とはいえ、黒竜殿の力の前にいくらも保たないぞ!」
「…ないよりはマシだ!」
前を見据えながら、ビアードは低く身構えた。
圧倒的な力を誇る竜相手に接近戦は無謀とも思えるが、彼はこの国でも屈指の剣客なのだ。
自らの治める街を護るためならば、多少の無謀は承知の上だ。
いつでも攻撃に移れる姿勢をとるビアードを横目に、レドは刀を構えたモリモトと見やる。
「セージ!式神たちは呼び戻せないのか?!」
「イズミ達に黒竜殿の相手は酷だ。だが、そうだな…来い、サカキ!」
先ほど街に飛び出していった猫と人型を思い出しそう聞けば、モリモトは小さく首を横に振るった。
だが続けて一つの名前を呼ぶ。
ずるりと影の中から這い上がる様に、一人の男が現れた。
長い髪が顔を覆い隠して表情さえ明らかではない。
男のまとう浅木色の着物からは、ぽたりぽたりと水がしたたり落ちて地面に黒い染みを作った。
『…また、厄介なものを相手になさる』
ずぶ濡れの男は、淡々とした声でそう告げた。
「すまないサカキ。足止めを手伝ってほしい。」
『仕方がない』
そう呟いて、男はゆるりと前へと向き直った。
黙ってモリモト達のやり取りを聞いていたビアードは、小さく息を吐き出して口を開いた。
「…すげえな。あんたら召喚士と神官だったのか。ずいぶん珍しいのに出会ったもんだぜ」
影の中から呼び出して見せたモリモト、レドの唱えた文言は神官の用いる神聖魔術だ。
助太刀に入ってくれた彼らは、そのどちらも非常に希少な能力を有していたようだ。
神官であればこの街にもいるにはいるが、彼のように冒険者として動いている神官は皆無に等しい。
召喚士ともなれば、その希少さはさらに上だ。
ビアードの言葉にモリモトは小さく口元に笑みを浮かべて、そうして首をふるった。
「俺は召喚士ではない。…陰陽師だ」
「オンミョウジ?」
聞いたこともない言葉に首をひねるビアードに、モリモトは静かに目を細めた。
『シギャアアアッ!来るぞ、主!』
空気を震わせる威嚇音に、二人は意識を前方へと傾ける。
即席の防御壁の向こう側。
黒竜である男が、ゆっくりと腕を振り上げるところであった。
「…”虚ろよ来たれ”」
凍えるような声が響く。
直後、ビアードは叫んだ。
「っ離れるぞ!退避だ!!」
『主ッ!』
その瞬間、水の気配を纏っていた防御壁が深い闇に飲み込まれるのと、サカキが両腕にレドとモリモトを抱えて飛び退るのは同時であった。
同じく後方へ飛んで逃げ延びたビアードは、茫然とその光景を見やって呟いた。
「結界が一撃かよ…無理だろこれは」
二重の魔術壁を一瞬で打ち砕いて見せた黒衣の男に、乾いた笑いを浮かべることしか出来ずにいた。




