第90話(水都氏サイド):黒一色の殺気
潮風に黒い髪が揺れる。
ドルセニア人にしては細身の男は、漆黒の目を細めて空を仰いだ。
「…風精?これは、マルスか…?」
「セージ?」
足を止めた黒髪の男に気が付き、大柄な体格の戦士が振り返る。
腰に帯びた剣、流れの冒険者であろうか。
黒髪の男もまた、腰に細い剣をさしている。
男の祖国では刀と呼ばれる、一般的な刀剣である。
「何かあったのか?」
そっと声を潜め、レドは声をかける。
冒険者の装いをしているが彼らはドゼウス王国の騎士であり、黒髪の男はレドが所属する部隊の隊長でもある。
レドも副隊長という立場で補佐をしているが、魔術的な素養に関していえば隊長であるモリモトとレドには雲泥の差があった。
「ああ、どうやら青竜に関しては賠償がなったらしい」
精霊の声が聴ける耳を持つモリモトは黒い瞳を細め顔をしかめさせた。
「…問題は無事に片付いた、わけではないってことか」
二人が隣国の港町まで出向いている理由がなくなったにしては、モリモトの顔は暗い。
その問いに視線だけで頷きを返し、モリモトは眉をしかめて答えた。
「厄介なことになった。黒竜の塔を荒らした者と、黒竜殿がこの街に居合わせているらしい」
「それは…っ!最悪じゃないか!他国で騒ぎを起こされちゃ問題だぞっ!」
「だから厄介だと言った」
思わず声を荒げるレドを制し、モリモトは懐から白い人型の紙片を取り出した。
「ノアール殿が暴れだす前に見つけるぞ」
「おう」
レドが頷く。
そうしてモリモトは取り出した紙片にふっと息を吹きかけた。
「黒竜を探せ」
ひゅるりと風に乗り、小さな紙片は手元を離れて空へと舞い上がる。
「身を潜めている場合じゃなくなったな。全力で行くぞ」
「…素早さ勝負ってことだな。ドルセニアの騎士団に見つかる前に撤収出来ればいいが」
ふうっと息をつきレドはモリモトの傍らに並び立つ。
するりと指先を宙でふるい、モリモトが小声で囁いた。
「…ミズガサ、イズミ。ノアール殿を探しすのを手伝っておくれ」
その声掛けとともに、彼らの傍らにいつの間にかあらわれた一匹の灰猫とモリモトとうり二つの姿をした男が立っていた。
モリモトの言葉にまるで言葉が分かったかのように頷いて、猫と男はするりと街の中へと潜り込んでいった。
「そんじゃ、俺たちも行こう」
使役する精霊を送り出したモリモトに、レドは急ごうと声をかける。
モリモトもそれに答えようと視線を巡らせて、そうして目を見開いた。
「あれは…っ!」
黒い瞳を限界まで見開き、茫然と呟かれた言葉にレドは視線を追って絶句した。
◇
風が吹いた。
潮の香りを含んだ港風とは違う、どこか寒気を感じさせるその風は地を這うように重々しく吹き抜ける。
「っ!まさかこの気配は…っ!」
焦ったようなビアードの声が場に響く。
「まずいってこれ、やばいやつ!」
ひきつったような笑みを口元に浮かべ、ジョージアは吹き付ける風を避けるように腕を顔の前にかざす。
どこか禍々しさすら感じさせる重い風に、明やジェイノリーに周二、シュヴィリスは嫌な予感に冷や汗を流していた。
「な、なあ、これってまさか…」
「…ああ、おそらくはそのまさかだろう」
段々と空気が重くなるかのような錯覚を覚えて、明はごくりと唾を飲み込んだ。
いつの間にか通りには人の姿はなくなり、閑散としたいる。
静まり返った通りに一人、男が立っていた。
遠目にもわかる黒一色の服を着た男が、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
「くっ、シュヴィリス!どうにかならないか?!」
身をさすように突き刺さる殺気を感じて、ジェイノリーは傍らにいるはずのシュヴィリスを呼んだ。
『あー…、まずいよこれぇ…。僕の話聞いてくれそうにないって、やっぱり予想通りむちゃくちゃ怒ってるよ!!周囲に集まってる精霊っぽいのが、怒りにつられて暴走してるしぃ!』
「だろうなっ!なんかすっげぇ肌に刺さる敵意を感じるぜ!」
叫ぶシュヴィリスに負けじと明も怒鳴り返した。
じわじわと近づいてくる黒い男に、焦燥を感じるのは明達だけではない。
街の領主たるビアードもまた、人外の気配を纏わせる男を警戒して覚悟を決めていた。
「…ジョージア!彼らを連れていますぐ船へ向かえ!」
「だが、まだ船の整備が…」
「そんなこと言ってる場合かっ!この街を廃墟にするわけにはいかねぇ!!」
言いながらビアードは明達を庇うように前へと進み出ると、腰元のカトラスを抜き放った。
「ここは俺に任せてあんたらは港に行けっ!俺でもさすがにあれを長くは抑えられん!!」
ぎりりと歯を食いしばり前方を見据えるビアードに、明は叫んだ。
「いや、少しでも抑えられるのは十分だと思うぞ!」
「世辞はいいから行けっ!」
言い返すように声を荒げるビアードに、ふいに聞きなれない声がかかる。
「トオカッタ領主殿とお見受けする。微力ながら助太刀致します」
殺気に満ちたその場に不似合いな、静かな声がする。
声の方へと顔を巡らせれば、そこには冒険者らしき二人の男の姿があった。
黒い髪に黒い瞳。
男の腰には刀らしきものがあるではないか。
茫然と周二は呟いていた。
「日本人か…?」
小さく漏れた言葉にビアード達は意味が分からず僅かに小首を傾げ。そうして刀を差した男は何も言わず目を細めていた。




