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第80話(水都氏サイド):妖精の茶会

 男が足を一歩踏み出せば、鐘塔の風景が歪み穴のように裂けた。


 驚きで息をのんだマルスに、黄呀が小声で言う。


「ちっ、あれは妖精の小道…ってことは、奴さん間違いなく高位妖精(ハイ・フェアリー)さね」


 今にも舌打ちしそうなほどの口調に、マルスも視線だけを黄呀に向けてどういうことかと先を促す。


「妖精の茶会に正式に誘われちまってる。行くしか術がないが…マルス、気を付けるんだよ」


 切羽詰まったような真剣な眼差しがマルスを見た。


「…どういうことだ?」

「妖精の茶会では、決して自分の名を名乗っちゃ駄目なのさ。私のこともコウと呼ぶんだ。お前さんは…ルースってことにしとこう」


 矢継ぎ早にそう言って、黄呀は確認するようにマルスを見た。


「…名乗ったらどうなる?」

「…魂が捕らわれて、二度と現世に戻ってはこれないのさ」

「それは…恐ろしいな」


 じとりと嫌な汗がにじみ出る。


 相手はおそらくはこの国の関係者だ。

 あまり敵対するようなもめごとは控えたいが…無事に帰してくれるだろうか。


「…さあ、こちらだ」


 しわがれた声が響く。

 男は円形に空いた空間へと足を進めた。


 マルスと黄呀もまた、目を合わせると男の後に続いて空間の裂け目へと入り込んだ。






 ◇





 そこは不可思議な空間だった。


 どこかの屋敷の中庭のようでもあるし、周囲にはふわふわとした綿花のようなものが風もないのに浮かんで揺れている。


 桃色の葉を茂らせた木々に水色の芝生、女子が喜びそうな色彩にあふれた幻想的な庭のただ中に、大きな白木のテーブルとそろいの椅子が四客。


 奥に坐したのはこの場を作り上げた妖精の男。その隣には男が一人腰かけていた。

 マルスはその男に見覚えがあった。


 この国の情勢を探るために、王城を調べたこともある彼ならば知っていて当然の人物。


「ザカタリス王…ッ?!」


 どこかぼんやりとした仕草で茶を口にしていた男が振り返る。


「っ!」


 思わず息をのんだ。


 王は片目だった。いや、それよりもこの二人が並んで気づいたことがある。

 王の目と、妖精の男の瞳はまったく同じ色をしていた。

 まるで一対のものであるかのように。


「…あれが茶会に捕らわれた者だよ」


 足を止めたマルスの傍らからかばうように前へと進みでて、黄呀はちらと振り向いて言い聞かせるように口を開いた。


「お前さんも気を付けるんだよ、ルース(・・・)

「っ、わかった。コウ」


「クク…まあ、座って花茶でも飲んで行け」


 男の声とともに、端にある椅子が動いた。


 黙ってその椅子に腰を下ろす黄呀に従い、マルスも席へと着く。

 席へ着くなり、ふわりと目の前に花柄のカップと小皿が飛んでくる。

 甘そうな菓子の乗った皿が続いて、すぐさまテーブルの上には茶会の用意が出来上がっていた。


 見たこともない菓子や、不思議な色に揺らめくお茶。

 黄呀を見れば、無言で小さく頷かれた。

 飲んでも大丈夫ということか。


 ゆっくりと不可思議な菓子へと手を伸ばすマルスを見つめて、黄呀は正面に見える男へと目を向けた。


「名乗り遅れたな。我はカラ・カラグ」

「…私らはドゼウスの黄竜とその憑き人さ」


 警戒した様子の黄呀に、カラと名乗った男はくつくつと肩を揺らした。


「…それで、わざわざザカタリスまで来て何をしていた?」


 ふわりと宙に浮いたカップを手に取り、カラが黄呀を見やる。


「先日、空より異界の竜が降ってきた」

「…」

「今はその痕跡を探してるとこさね」


 端的にそう説明した黄呀に、カラはじっと空虚な瞳を向ける。

 感情の読めない顔に、竜である黄呀も緊張に息をつめた。

 だが、カラはゆっくりとした動作で茶を一口飲むと落ち着き払った仕草でゆるりと顔を上げた。


「…その件ならば、覚えがある」


 それは思ってもいない言葉であった。


「この地へも、先日異界より迷い込んだ人間が現れた」

「人間…だと?!」

「!」


 カラの言葉に、黄呀はマルスと顔を見合わせた。

 ドゼウスに現れた竜の仲間なのだろうか。

 詳しく聞こうとするも、それを遮ってカラはゆるりと首を横に振る。


「ここへやって来たのは二人だったが…奴らが今どこにいるか、行先に心当たりがある」


 面白そうに目を細めるカラに、黄呀は尋ねた。


「…それはどこだい?」

「中央大陸。奴らが自らの世界に帰ることを願うならば、必ずあの地へ向かうだろう」


 カラの言葉を聞いて、黄呀も何かに気づいたように舌打ちを一つする。


「…古代神の遺跡か」

「奇しくも今年は百年に一度、中央大陸が現れる稀有な年。偶然とは言えまい」


 難しそうな顔で黙り込む黄呀とカラに、マルスは結論が出たことで口を開いた。


「…中央大陸へ行けば、奴らに追いつけるのか」


 マルスの言葉に、カラはちらとだけ視線を向けて小さく鼻を鳴らす。


「…ああ。中央に向かうならば、我の騎士どもも連れていってやってくれぬか」

「何故我らが…」

「話をしてやっただろう」


 そう言って、カラはふんと口元だけの笑みを浮かべた。


「奴らのことをよろしく頼むぞ、竜」


 言い捨てるように投げつけられた言葉とともに、黄呀とマルスの二人は見知らぬ広場に立っていた。


 突如現実世界に放り出され、パステルカラーに馴染んでいた目には眩い世界に目を瞬かせる。


「よお、あんたらがドゼウスの竜さんがただな?」


 そんな二人に向けて、広場に居合わせた二人の男が声をかけた。


「俺はザカタリス王国紅蓮の騎士団のグードリンだ。こっちはカイン」


 無言で頭を下げた物憂げな男と、髪を短く刈り込み屈強な体で快活な笑みを浮かべる騎士。

 訝しげに彼らを見つめるマルスに気づかず、グードリンはそのまま明るい顔で言い切った。


「騎士団長から聞いたと思うけど、中央大陸までよろしく頼むぜ!」

「…よろしくお願いいたします」


 深々と頭を下げるカインと笑うグードリンに、マルスと黄呀は思わず顔を見合わせて唸った。

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