第72話(水都氏サイド):イライラ、ソワソワ、ドキドキ
巨大な机を前に、奥に坐したカールは足を組んで不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「ドゼウスからまだ返答はないのか」
苛立ったようなその声に、側近である護衛騎士のシュナイダーが呆れたように声を上げる。
「さすがに急かしすぎです閣下。まだドゼウスに向かっている最中ですよ。今頃はリンネルンあたりでは?」
「ちっ」
シュナイダーのいうことはもっともだ。
何せ竜が現れたあの騒動から、まだ一日も経ってはいないのだ。
隣国へ送り出した使者がどれだけ急いでも、書簡を届けるには到底無理な話である。
カールもそれはわかっているのだが、それでも言わずにはおれなかった。
「これじゃ、おちおち尋問するわけにもいかないじゃねえか」
「…厄介ですな」
この砦の責任者であるバルナバも皺の刻まれた顔を難しそうに歪めてうめいた。
捕えた者たちが仮にドゼウスの関係者だとしても、非はあちら側にある。
何があっても文句は言えない立場であるのだが、それであの国との間に悔恨を残すのはあまり得策とは言えなかった。
「くそったれが。逃げた竜も結局見失ったんだろう?」
「…はい。マーレイ殿下の邸宅に立ち寄ったのを最後に、街の外壁を越えて森のほうへと飛び去って行ったようです」
答えたのは召集されたニルラインだ。
主に貴族街の警備を担当していた騎士団の騎士たちが竜と相対したようだが、大きな戦闘になることもなく荷物を取るなり竜は逃げ出していったらしい。
部下からの報告を伝えると、カールは大きく息を吐き出した。
「…まあ、街の中で戦闘にならなかっただけ良かったと言えるだろうな」
「竜に暴れられれば、被害は避けれませんから」
「その点に関しては良かったと言えるんだろうな」
ニルラインの言葉にうなずきながら答えて、「しかし」とカールは鬱屈そうな顔で言った。
「次は仲間を取り返しに来るんだろうなぁ…。奴らは仲間を見捨てない習性があるしな」
嫌そうに漏らすカールに、じっと話を聞いていたヘインズが声を上げる。
「…警備隊より保管しておりました国宝、”竜を滅せし者の剣”をこちらに移動させております」
ヘインズの言葉に、彼の後方で待機していた兵士が歩み寄り厚手の布で包まれたものを卓上へ置いた。
立ち上がり布をするりとほどくと、中からは一振りの長剣が現れた。
黒塗りの鞘からは何か異様な気配が漂っているようで、集っていた人々の目が釘づけられる。
剣を一瞥し、カールは迷うこともなく一人の名を呼んだ。
「…ニルライン。お前が使え」
「御意」
命じられたニルラインは卓上に置かれた剣へと手を伸ばした。
これまで強敵と向き合ってきた戦士たちが手にしただろう剣を前に、過去の威光と重圧に気負いしそうになる。
しっかりと握りしめた剣を引き寄せるニルラインを見守り、カールはぐるりと居並ぶ男達の顔を見回して言った。
「皆も心しておいてくれ。竜を相手に無理はするなよ。街に被害が及ばないようにすることが一番だ」
応、と力強く返る答えを耳にして、カールは深く頷きを一つした。
◇
そわそわと落着きなく狼狽えている男がいた。
魔術師のようなローブを羽織り、顔が隠れるほど深くフードをかぶった男の姿は不審でしかない。
けれども人気のない森の中でただ一人でいる男を、不審がる者は周りには誰もいなかった。
そわそわと落着きなく同じ場所を行っては返しを繰り返す男は、不安だと書かれているのが丸わかりの顔を森の外へと向けている。
視線の先には、煌々と松明に照らし出されてそびえる大きな門があった。
「ロズバンは大丈夫かなぁ、ああ、心配だなぁ」
じっと木の幹にしがみついたまま、顔だけをのぞかせて男は嘆く。
「もうっ!ドゼウス国の竜がいるのがバレると拙いからって、留守番するしかないなんて…」
ぎりぎりと握りしめた木の幹が、軋みを上げてひび割れる。
悲鳴のような割れる音に、ドゼウス七竜が一角である緑竜の翡翠はあわてたように手を離した。
「うわっ!ごめんね!つい…」
抉れてしまった木の幹に謝るも抉れてしまった幹が戻るわけでもない。
あわあわと木に謝罪を繰り返す翡翠をよそに、その相棒である騎士ロズバンは緊迫した状況に置かれていた。
じっと壁に張り付き、息を殺しながらロズバンは気配を消すことに躍起になっていた。
「状況は?」
「問題ありません」
すぐ近くで聞こえる声に、乱れる心を押さえつける。
無理をしているせいか、手先が痺れそうになるが気のせいだと言い聞かせて耐え続ける。
やがて、金属のすれ合う音と足音が、それぞれ廊下の反対側へと散っていった。
そのまま、音が聞こえなくなってから数秒待ち、ロズバンはふっと息を吐くとそろりと顔を上げた。
廊下には誰の姿もないようだ。
「…」
手に力を籠め、上体を一気に持ち上げる。
さすがに足場もない外壁にぶら下がり続けているのはきつかった。
小さな窓から、するりと屋内へと身を滑り込ませる。
窓の鍵が開いていることに気付かれなくてよかった。
どっと冷汗が流れ出るのを感じながら、ロズバンは小さく呟いた。
「…こういう仕事はクランベルが担当なのだがな」
慣れない潜入でどこまで行けるか。
顔を覆う布がずれていないことを確認して、ロズバンはそろりと石床に足音が響かないように絨毯の上を歩き出した。




