第36話(水都氏サイド):出会った貴族
「…」
反響するように、塔の内部を風の唸りがこだまするように響く。
どうやらあの竜は飛び去ったようだと気配の消えた塔を見渡して、そうして芋虫のように転がった姿勢のままクランベルが小さく息をつめた。
こき、と小さな軽い音がかすかになる。
声に出すほど軟弱ものではない。
関節を外した痛みを気にもせず、クランベルはゆるんだ結び目からぬるりとした動作で腕を抜き取った。
うねうねとはた目には気味の悪い動きで器用に拘束する布から抜け出して、そうして力なく垂れさがる腕の関節をもとへと戻してゆく。
貴婦人が目にすればそれだけで卒倒ものだろう。
かすかな声すらもあげずにすべての作業をなし終えると、クランベルはようやくその場に立ち上がった。
確認するように室内をぐるりと見渡す。
不審者はやはり竜と共に飛び去ったようだ。
人の気配が感じ取れないことを確認し、そうしてずたずたに切り裂かれ荒れた室内をまわし見る。
どうしようもない惨状に、さてどうしたものかと思案する。
片付けさせるにしても、人手を手配しなければならない。
今は報告に戻るべきだろう。
少なくともこの荒れ様、塔の主である黒竜にとっては災難という他ないだろう。
「…奴らのせいにしておくか」
それがいいと頷いて、クランベルは階下へと足を向けた。
馬にまたがり、森を抜けようと駆けさせる。
この森は竜が住み着いているせいか、他の魔物は恐れて寄り付かないのだ。
森の深部までいけば危険な魔物もいるのだが、塔から浅部にかけてはその限りでない。
周囲を警戒しながら馬を駆けさせる。
そうして黒竜不在である塔の様子を確認するという仕事を終え、城へ戻ろうとするクランベルであったが森の入り口から感じる物々しい気配に眉を寄せた。
木々の合間からちらと見れる騎士の姿。
城からは増援の知らせも来ていない上に、今は城から直行したクランベルが一仕事終えたばかり。
部隊を編制し王都から後を追ってきたというにはあまりにも時間差がない。
早すぎるのだ。
となれば、彼らはどの勢力だと目を凝らせば、すぐにクランベルは緊張を解いた。
騎士たちに指示を出す、地味な見た目の貴族を見つけたのだ。
先の戦争の折、現王ライゼンと共に戦場を駆け抜けた盟友がそこにいたのだ。
ダト領主、ロイド・クレナリア。
第二近衛師団長のパリスの実兄であり、西の国境を護る侯爵である。
「クレナリア侯爵様!」
大きく声を張り上げれば、ロイドは元より彼の周囲に集まる騎士たちも一斉に森の中にたたずむクランベルを注視した。
わずかに驚いたように目を見張り、ロイドはすぐに笑みを浮かべて答えた。
「これはこれは、まさかこのような場所でクランベル殿に会えるとは」
「こちらも同様の思いですよ、侯爵様こそ何故このような場所に?」
何かあったのではないかと密やかに目を光らせるクランベルに、ロイドは苦笑をこぼして答えた。
「いえ、つい先ごろに陛下より伝達にあった青竜と思わしき飛翔体がわが領地を通過してこの付近に降り立ったようでして、その確認に参った次第です」
「…そうでしたか」
「けれども無駄足に終わってしまいました。先ほど、再びあの青竜が飛翔するのが見えましたから」
もうこの付近にはいないのでしょう、と落胆の色がにじみ声でそう告げたロイドにクランベルは小さく頷いた。
「…私もこれより陛下の元へ報告に参じる次第です。よろしければロイド殿もいかがか」
「いえ、私は領地へ戻ります。あまり領主が留守というのも宜しくないでしょう」
何せダトは西の守りの要である。
先の戦争の舞台ともなった地であり、この国にとっても重要な地であった。
クランベルはいたわりの言葉を口にして、そうして別れの挨拶を交わすと馬を走らせた。
「…ロイド殿がいるのなら、ダトの地は安泰だな」
行動力が有り余っているようであるが、分別もあり剣の腕もたつようだ。
騎士たちが信頼を寄せている様子もあり、領民にもよく慕われているのだろう。
背後を見れば、素早く撤収の支度を終わらせて騎乗する一団がいる。
よく統率されている。
前を向き、躍動する馬の背でそっと瞑目する。
果たして、あの男は何者であったのか。
それを判断するにはあまりにも情報が足りなかった。
『ほれ、そこなもの。これで事足りるかえ?』
そういって白ずくめの男たちが雪をかき分け運んできたのは、どす黒く雑多な色がちりばめられた太い綱のようなものであった。
「おぉ、女王様、ありがとうございます!」
丈夫そうな綱だと手に取ろうとして、明はじっと綱を眺め見た。
「ねえ、ゼキ…あの綱って…」
「しいっ、気付かれます!」
後方ではマーレイとゼキがこそこそと何かを話している。
「…あのう。これって、なにで出来てるんですかね…?」
明にはどうにも不可解な色味のその綱が、何か怪しいものに思えてならなかった。
背後で会話する二人の反応もどこか引き気味だ。
そんな人間たちの動揺を気にも留めず、女王は快活に言い切った。
『それは魔物の筋や皮で編み上げたものよ』
「あ、だからところどころ赤いんだね」
『丈夫であるぞえ』と自信満々におっしゃる女王様には悪いが、材料を聞いてしまうとどうにも気味が悪かった。
結びつけることになるシュヴィリスには黙っていた方がいいかもしれない。
いや、竜であるのならばそういったことはあまり気にしないのかもしれないが。
「あ、ありがとうございます…」
再度礼を述べる明に、女王は満足げに頷いて見せた。




