第23話(水都氏サイド):王姉殿下とボクシンググローブ
「おや、貴女が来られれるとは…」
唯一残る目で赤いドレスの主…現れた人物をカラは見つめた。
裾を不愉快そうにばさりと一度振るって、レゼーテはきつく吊り上がった眼差しをカラへと向ける。
「それは私の言葉です。お前こそ、このような陰気な場所など来て、体に障ったらどうするのです、脆弱なくせにっ!」
赤い紅を引いた口でけたたましく声を張りあげるレゼーテに、カラは薄く瞳を細めて苦笑した。
「…ご心配、痛み入りますぞ。王姉殿下」
「誰がお前の心配などっ!」
ゆっくりと姿勢を変えて頭を下げようとするカラに、レゼーテは少し慌てたように「無理をするでないっ!この貧弱!」とその動きを止めさせる。
どうにも言葉に反して女の中身は善良な性質であるらしい。
その証拠に、レゼーテがきつい言葉を放っているにもかかわらず、カイン達は気にした風もなく変わらない様子だった。
そんなことよりも、ジェイノリーにはレゼーテが持ってきたものの方が気になっていた。
レゼーテの白い手には不釣り合いなそれは、ジェイノリーの目がおかしくなければ間違いなくボクシンググローブだ。
(……間違いない、あれは淳のものか?何にせよ、あからさまに怪しい。この世界に放り込まれたのが俺たちだけでないなら、これにも意味があるのか…?)
じっと考え込んでいるジェイノリーに、カラがゆっくりを顔を巡らせる。
「…殿下、こちらの者が次元の割れ目にその物と落ちてきたようでして。関わりのある物ならば、返品しようかと思っていた所存ですが」
「…この小汚い小手をですか?」
レゼーテはそう言って、ジェイノリーの元に歩み寄ろうとするがそれよりも早く、一歩進みでたカインが女の手にしたものを受け取ってジェイノリーへと差し出してくる。
「…王姉殿下、もう少し後ろに下がっててくれねぇかな。なんてーか、こいつ一応不審者だし、危ないってーかよぉ…」
頭が痛いというかのようにグードリンがぐいと体でかばうようにレゼーテを背に立ちふさがる。
「愚鈍な騎士が、この私の前に立ちふさがると言うのですか」
「あー…参ったなぁ」
憤慨した様子のレゼーテに、グードリンはぼりぼりと頭をかいた。
じっとそんなやりとりを見つめていたカインは、小さく嘆息するとジェイノリーへと視線を向ける。
「…それで、これはお前のものか?」
「俺の…ではないが、一緒に巻き込まれた友人のもので間違いはない」
手に取っても?と問えば、カインは無言でジェイノリーの手にグローブを乗せた。
しげしげと眺め見るが、恐らく友人である坂本淳のもので間違いはないだろう。
あの時、光に包まれたその場に彼も居合わせたのだ。
ジェイノリーのように、この世界のどこかに飛ばされてしまった可能性は非常に高い。
友人の痕跡であるかもしれないグローブを握りしめる。
そんなジェイノリーは、カインはじっと眺めていた。
「っふん、ならばそれはお前にやります」
声高に、レゼーテがそう言い放つ。
きつい口調だが、言っている内容はグローブをジェイノリーに譲渡するというだけのことだ。
素直に感謝の念を述べる。
「ありがとうございます。失礼ですが、貴女様のお名前を伺いしても?」
そう問えば、レゼーテはふんと鼻で笑って言った。
「私はレゼーテ・フラン・ザカタリス。気軽に殿下と呼びなさい、異人!」
「…ついでだ。俺はグードリン・チェスモレア。この国の紅蓮一番隊隊長だ」
びしりと指を突きさすレゼーテの傍らで、グードリンは面倒そうに気だるげな様子でそう言った。
「…自分はジェイノリー・セイジールです、殿下」
やはりレゼーテが王族であったのか。
ジェイノリーの予想は当たっていたらしい。
頭を下げれば、満足げにレゼーテが頷いた。
言葉はあれだが、何ともわかりやすい女性だ。
「…そなたは何故あの場に現れたのです、とく答えよ!」
鋭く声を上げるレゼーテに、ジェイノリーはこれまでのことをかいつまんで説明をした。
その結果、レゼーテが興味を示したのは日本のことでもなく、ジェイノリーの職業についてだった。
「…医師に種類があるのか?薬師も兼任しているの?よくわからない国ね」
「……医師が病状を診断し、病状に見合った薬を処方するのです。薬を作るのはまた別の職業になりますね」
「…ますますもってわからぬわ」
きゅっと細い眉をしかめて、レゼーテは扇で口元を隠して唸った。
どうにも内科医であるジェイノリーについて、レゼーテはあれこれと質問を飛ばす。
口調も表情も険しいが、どうにも真摯に話を聞き入っている様子にジェイノリーは表情を緩めた。
今も衛生概念について軽く説明をしたところなのだが、レゼーテの瞳は真剣にその話を聞き及んでいる。
「…では、不衛生な状態で傷に触れるのは好ましいことではないのね」
「はい。指だけでなく、それは医術器具や包帯なども含まれます」
「…ふん、異界の知識とは興味深いわ。後で宮廷医とも話し合ってみましょう」
満足そうにうなずいて、レゼーテはわずかにその口元を緩めて微笑んだ。
毒花のような艶やかさの中にかすかに混じる楚々たる微笑に、ジェイノリーはわずかに目を引かれる。
話してみればわかるが、彼女は聡明な女である。
見知らぬ知識に対する学習意欲も旺盛で、ジェイノリーが好感を抱くのに不足はなかった。
彼女のような権力者がいれば、恐らくこの国の未来も明るいだろう。
「…」
じっと、そんなジェイノリーたちを見守っていた騎士団長はゆっくりとした動作で背後へと目を向ける。
和やかに会話が続く室内で、カラは一人険しい顔つきのまま何かあるように壁を睨み据えた。
「…厄介事か」
「団長?」
カラの言葉に、カインが小声で問いかける。
「面倒な。雪山から吹き降りる風の精霊たちが騒いでいる。何かが来る、と」
「なっ…!」
「外へ出るか。ここではどうにも場が悪い」
かつん、と杖を鳴らして、カラはゆっくりと足を踏みだした。




