第8話(水都氏サイド):たまにいるの? この世界にもとりっぱーっているの!?
「火事だーっ!火を消せーっ!!」
その声は屋敷中に響き渡っていた。
「お、おい火事だと!すぐ近くの様だぞ!よもやこのお屋敷ではあるまいな?!」
焦ったように声を上げるごろつきの男に、娘を後ろ手に縛りつけていた男もまた険しい顔で振り返る。
この斉羽の町で、火元となった場合の責任は重い。
一度火の手が上がれば、木造の家屋敷が立ち並ぶこの町では未曾有の大災害となる恐れがあるからだ。
それ故に町人は皆、火の扱いには相当の注意を払っていたし、火事が起これば初期消火に素早い対応が必要なことも重々理解していた。
だからこそ、今は娘の監視よりも火事の確認が重要だろう。
幸い娘は縛ってあるし、逃げ出す恐れもない。
ごろつきたちは顔を見合わせると、大急ぎで声のした方へと走り出した。
そうして、そんな男たちを気配を殺して見送る男が一人。
言わずとも知れた、この屋敷に忍び込んだ異分子、稲本明である。
男たちが飛び出していったふすまの反対側から、そろりとふすまを開く。
口に布をかまされた娘が驚いたようにその黒い瞳を見開いた。
それに口元に人差し指を当てて落ち着かせ、明は素早く室内に潜り込んだ。
息苦しいだろうと口にかまれた布は外そうとするが、結び目が細かく解けない。仕方なく力任せに引きちぎる。
そう丈夫な布ではないようで、ビリッと音を立てて細い布は千切れた。
「あ、あなたはっ?」
「しいっ。今はそれより、早いとこ逃げ出そうぜ」
腕を縛る縄に悪戦苦闘しながらもほどいて、明は立ち上がった。
「あ、あの!近くで火事が!」
どうやら助け出してくれる相手と気づいたのか、少女は必死に危険を訴える。
「ああ、あれね。あれは落ち葉を積んだリヤカーみたいなのが燃えただけだから大丈夫だろ」
けろっと言う明に、少女は顔を蒼くさせて言った。
「まあ…あなた、異国の方…ですよね?この国では、放火は死罪ですよっ」
「うげっ?!まじかよ!」
「は、早くお逃げください…!」
律儀にも救ってくれた明を逃がそうとしているらしい娘に、明は慌てて頭をふるうと少女を横抱きにして走り出した。
「俺じゃなくて!あんたも逃げなきゃだろっ!」
どうやら放火は明の元いた世界よりも重犯罪らしい。
ちょっとたき火程度の火しかつけていないのだが、屋敷の中は上へ下へと大騒ぎだ。
少女を抱えたまま、明はバタバタと騒がしく走り回る侍たちを避けて玄関目指しひた走る。
そうしてまっすぐ進んだ廊下の先に、ようやく玄関らしき大扉を見つけて速度を速めた。
どかどかと玄関につき、一度少女を床に下ろすとひっつかんでいた靴を手早く履いた。
そうして今度は少女を背中に背負って、明はガラガラッと引き戸を上げた。
飛び出そうと足を踏み出した明の前に、ずらりと人の壁が立ちふさがる。
とっさに足を止め身構える明に、壁の中から一人が一歩前に歩み出た。
粋なしぐさで鼻をこすって、頭に頭巾をかぶった男はにやりと笑みを浮かべて口を開いた。
「おうおう!火事はここかい!?南町火消しでいっ!立ち入らせてもらうぜっ!!」
そう声を張り上げた男は振り返ると、背後に控えた同じ装束を纏った男たちに向かって顎をしゃくった。
「おめぇらっ!仕事に取り掛かんなっ!!」
「へいっ!お頭!!」
男の掛け声に、梯子にまとい、大きな木槌を抱えた男たちが一斉に屋敷の外へ中へと走り出す。
その素早い行動に、明はもとより少女も茫然と彼らを見送ることしか出来なかった。
「すげぇ…リアル江戸村だ……」
明の言葉に、お頭と呼ばれていた頭領らしき男がぴくりとわずかに反応した。
暗がりに紛れて、そのわずかな身じろぎを明は感知することができない。
頭領の視線が少女を背負う明へと向かう。
遠くからは男たちのあげる声が響く。
火消したちの登場に気をそがれた明は完全に足を止めてしまっていた。
「…今、”エド”と言ったか」
いつの間にか、頭領の男が明の目の前に迫っていた。
その目は黒く底知れないようで思わず一歩後ずさる。
「おっと、逃がさないぜ」
にいっと口元に笑みを浮かべて男は言った。
「お前さんは重要参考人だからよ、このまま城までご同行願おうか」
「い、いやぁ…俺はただの通りすがりっていうか…」
しどろもどろな明の言い訳に、男はかかっと高らかに笑った。
笑い方すら粋な男である。
さぞかし女にもてるだろうということがうかがい知れる伊達男であった。
「何、悪いようにはしねぇよ。お前さんはあれだ、”とりっぱー”だろ?恐らくは将軍様にお目通りが適うはずさ。あの方は道理をわかってらっしゃるからな」
「…何故それを」
「…”エド”なんて口にする輩は、そうとしか考えられねぇからな。たまにいるんだよ、そういう輩が」
そして大抵騒ぎを起こすんだ、と男は声を潜めて言った。
「はは…こりゃ、どうしたもんかな」
男の話ではすぐにどうこうされるというわけではないようだ。
となれば、ここは大人しく従うほかないだろう。
と、屋敷の中から鋭い声が響いた。
「お頭!てぇへんですぜッ!!屋敷の中から偽金が…っ!!!」
「何だとっ!!!」
…どうやら、この屋敷の住人は相当な悪事に手を染めていたようである。
慌ただしく動き始めた火消したちを横目に、明は諦めたように肩をすくめて頭領の男に言った。
「まあ、なんだ。こっちのお嬢ちゃんも攫われてきたみたいなんだよ。そっちで保護してやってくれねぇかな?」
「ん?なんでぇ…お前さん、それでこんなとこにいたのかい…」
男の眼差しが呆れたように緩まった。
その目が言外に”このお人よし”と言っているようで、どうにも居心地が悪い。
「おい、大吾!このお嬢さんを奉行所までお連れしな」
「へいっ!」
若い火消しに背の少女を渡して、明は息をつく。
この男ならば、安心して少女を任せられる。
会って数分ではあるが、明はこの頭領の男が信頼出来そうだとその言動から判断していた。
これが粋ってやつなのだろう。
部下からも慕われている様子を見るに、明の想像はあながち間違いでもなさそうだ。
「あ、あの!異国の方、せめてお名前を…っ!」
「ん?名乗るほどのものじゃあないんだが…」
何だか照れくさくてがりがり頭をかいてから、明はこちらを見つめる少女の真剣な眼差しに気づいた。
ふうっと息をつき、じっと少女の漆黒の眼差しを見つめ返す。
「…稲本明だ」
「稲本様…ですね」
そう返して、少女は幼いその顔に花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「本当に、ありがとうございました…このご恩は一生忘れません」
「おう、気にすんなって!まあ、なんだその…。達者で暮らせよ」
火消しの男衆に背負われたまま、深々と頭を下げる少女に明は笑ってそう返した。
真正面から礼を言われるのは気恥ずかしいものがあるが、この少女を助けられたと思えば気分も晴れやかであった。
足早に奉行所を目指して駆け出した男の背中を見送る明に、頭領の男がばしんとその背を叩く。
「いっ!」
「へへっ、なかなかやるじゃねぇか!」
平手にされた背が痛み声を上げる明に、頭領はにかっと笑みを浮かべた。
「おし!次はお前さんを城まで案内させてくんなっ!何、悪いようにはしねぇから安心しとけ!」
おおい、と傍の仲間に声をかけて、それから頭領は明を振り返った。
「それじゃ、行こうか稲本の旦那。斉羽城までご案内するぜ」




