第7話(水都氏サイド):町娘奪還作戦
引きずられてゆく娘の顔には、つつと伝う涙があった。
顔を見た明はその瞬間、言い知れぬ後悔を胸のうちに抱いた。
まだ少女は、十代も半ばと思わしき幼い少女であったのだ。
成人前の子供を、大人の自分が見捨てていいわけがない。
少女を引きずってゆく男たちにより、乱暴に屋敷の裏戸が閉められる。
ガシガシと乱暴に頭をかきむしり、明は人気がなくなった門へと目をやる。
今なら楽に逃げ出せるだろう。
けれど、それでいいのだろうか。
「っくそう!」
小さく吐き捨てて、明は腰を屈めると生垣の合間を縫い、横から屋敷に回り込んだ。
そろりそろりと縁側に近づく。
遠くからぎしりと、木の軋む音が聞こえた。
慌てて縁の下に潜り込む。
体格がある明には狭すぎるが、ほかに隠れる場所もない。
必死に暗がりに潜り込み息を潜める。
ぎしっぎしっと歩いてくる足音がおよそ二人分。
「ひっひっひ、なかなかいうことを聞かぬ笹井屋の娘でしてね」
「ほうほう、それで、なんだ。美人なのか」
「もちろんでございますよ、金井様の御眼鏡にきっと適うかと…」
「くっくっく、それは楽しみだ」
どすどすと足音も荒く、先ほどまで悪巧みに勤しんでいた男たちが歩いていく。
相変わらず、その会話の内容までも下種で聞くだけで反吐が出そうだ。
足音が遠ざかるのを聞いて、明は小さく呟いた。
「…こりゃ、手加減は必要なさそうだなぁ…」
暗がりに紛れ、明は縁の下からはいだそうとして、
「あ?…ぬ、抜けねぇ…っ」
はまった。
「ふぐっ…うぎぎ……!」
ぐいと力任せに腕を張り、肩に力を押し込める。
ミシッ
嫌な音がしたと思うと、わずかに体を動かす空間が出来る。
何とか縁側から這い出して、振り返った明は困ったように眉を寄せた。
「やべぇ…床板割れちまってる…ばれるかなこれ?」
大きく割れて穴の開いた床板がそこにはあった。
幸い、割れた音に気付かれた様子はない。
安堵の息をつき、明は周囲を見渡した。
「…おお、いいもんみっけ」
庭園の片隅にひっそりと置いてあるリヤカーのような荷車には、落ち葉がぎっしりと詰まれている。
周囲に家屋も無く、燃え移るようなものは何もない。
何かないかとポケットを探れば、運よくクラブの名前が描かれたマッチが一つ見つかった。
人が悪そうに明はにやりと笑みを浮かべる。
暗闇の中、一瞬小さな明かりがともった。
そうして準備を整えた明は屋敷の中へと足を踏み入れた。
…悪者の屋敷であろうとしっかりと靴を脱いでしまうあたり、悲しい日本人の性である。
◇
その日、南町代官所に所属する代官金井は、以前から秘密裏に商売に手を貸していた両替商の大越屋と会談を屋敷で執り行っていた。
会談を終えた金井は大越屋の取り計らいで商売敵の娘を用意されて大層ご満悦であった。
若い生娘と聞いて、邪な欲望と期待に胸を高鳴らせて廊下を歩んでいる時であった。
「火事だぁーっ!!」
「っ、何事だ!」
遠いところから聞こえた叫びに、金井はとっさに背後の大越屋を振り返る。
「か、確認してまいりますっ!」
太った腹を抱えて、大越屋は慌てて声の聞こえた方へと走り出す。
この国では建造物はたいてい木造で造られている。
火事はもっとも恐るべき災害の一つである。
これは大事だ。
この付近で火事が発生したのであれば、火消しが屋敷内に立ち入ることも考えられる。
さすがにあけすけに室内を物色することはないであろうが、この邸内にはいろいろと人の目に留まるとまずい物品がひしめいているのも事実であった。
見つかればいくら金井の立場があろうとも、お縄につくこと間違いなしだ。
他人は信用できないと金目の品は手元に残しておいたことが仇となった。
舌打ちをして、まずはそれらの品を隠すべきかと悩む金井の背後。
気配を消して近寄る影があることに考え事に忙しい金井は気が付かない。
そろりそろりと背後から忍び寄る明は、何やらぶつぶつ呟いている金井に向けて、明は素早く腕を伸ばした。
金井は突然背後から伸びてきた腕に襟ぐりをつかみ上げられ、絞められる。
「ぐうっ…!」
必死に襟を握る腕に手をかけるが、硬く力強い腕は金井の力にびくともしない。
そうこうするうちに、酸欠から気を失ってしまった金井の体から力が抜け落ちる。
ぐったりと力の抜けた金井の襟を放した腕が、素早く金井の首に触れ脈を確かめる。
大丈夫だろうとは思っていても、元の世界とは異なる場所だ。
運がいいことに人体の強度も同じようなものであるらしい。
思った通りの結果に、明は安堵したように息を漏らした。
「…うし、まだ生きてんな」
背後から胸の前に腕を回すとずるずると金井の体を引きずって近くの空き部屋へ適当に放り込む。
その際に帯を解いて体を縛っておくことも忘れない。
これで少しは時間が稼げるだろう。
パタンとふすまを閉じて、明は額に浮いた汗をぬぐった。
成功するかどうかは賭けであったが、どうやら天は明に味方をしたようだ。
「さて、次はっと…」
この屋敷に連れ込まれた娘を探して助け出さなければ。
そうしてさっさと逃げ出そう。
そう決心して、明は足音を殺して慎重に長い廊下を進んでいった。




