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契約を結んだアルテは心底嬉しそうに飛び回り、出掛けてくると言って、この場を後にした。
「ちょっと待っててねー!」
魔法で空高く飛翔して、あっという間に姿が見えなくなったアルテ。
よく分からないまま置いてけぼりにされた自分は、先程までの出来事を反芻しながら魔法を発動させる。
何故か、溢れんばかりの好意を向けてくるアルテ。
【契約】という字面から不穏なものを連想しなくもないが、そこまで気にする必要はないはず。
少々変わった所があるが、アルテは決して邪悪な存在ではないだろうし、むしろ味方をするようにこの世界について様々な知識を与えてくれた。
「水よ、ここに在れ」
呪文を唱えると、泉の水の一部が蛇のように細長くうねり、脱ぎ散らかしていたバスローブを飲み込む。
激しい水流に翻弄され、なすがままにされるバスローブ。
折角身体を綺麗にしたのに汗まみれの服を着てはその意味がなくなる。
アルテを待つ間、暇なので洗濯を始めることにした。
「風よ、在れ」
洗い終えたバスローブを近くの手頃な樹の枝に吊るして、魔法で風の流れを作り出して乾かす。
「火よ」
風にあてられて少し身体が冷えたので、枯れ木を集めて掌から火を放ち、パチパチと燃える焚き火から暖を取る。
「土なのじゃー」
立ちっぱなしは疲れるが、かといって地面にそのまま座って汚れることも嫌だったので、土魔法で足下の岩の形を換えて、椅子と丸テーブルを造り出して、そこにドカッと腰掛ける。
(魔法とは便利なものじゃな。ここまで思い通りとは……)
それもこれも、アルテが教えてくれた事だ。
全ての魔法の適正を持つ自分は、イメージ次第でほぼ何でも出来るらしい。
それでも、危険に満ちたこの世界では、きちんと身を護る術が無ければ簡単に命を落とすのだと口を酸っぱくして言われた。
魔物と呼ばれる異形の生物。
国家間の諍いや、種族の対立。
街道には人攫いや盗賊が蔓延っており、街では貴族が横暴を繰り返し、無知な者を騙して奴隷にしようと企む商人が後を絶たない。
どれもこれも物騒で関わりたくもないと思える話だった。
(このまま隠居してしまうのも悪くないかのぅ……)
先程までは元の世界に戻りたいと思っていたが、改めて冷静に考えてみると、記憶は無いが自分が死んでから9年も経っているのだ。
居場所は残っていないだろう。
そもそも今の西欧風の顔立ちをした幼女の姿で日本に帰ったところで、不法入国者として扱われるだけだ。
確たる身分が無ければまともな仕事に就く事すらままならない。
(思い残すは、愛情を注いでいたペットのその後と、あの人の墓参りだけで…………待て、あの人じゃと? いったい誰の事じゃ? ……記憶が欠落しておる)
気になるが、無理に記憶を引き出そうとすると拒絶反応が起こって、最悪の場合は死に至る。
(くっ、諦めるしかないか……)
アルテは前世の記憶を持つ生まれ変わりの事を転生者と呼んでいた。
転生者はある日、何かの切っ掛けで魂に刻まれた前世の記憶を取り戻すらしいが、数十年分の記憶を一度に脳にぶち込まれればどうなるか。
頭がおかしくなり、発狂して死ぬ者が殆んどだそうだ。
奇跡的に生き残る者は所々記憶が欠落して、2つの人格が混ざり合って、新しい人格になる。
今の自分がまさにその状態だった。
『ねえねえ!聞こえる?』
(っ……!?)
頭を抱えていると、どこからともなく快活そうな声が響いた。
ここ数時間で聞き慣れた、この世界で得た唯一の知人の声。
記憶の欠落に関してはどうすることも出来ないので、一旦心の奥に仕舞って忘れることにした。
『この声は、アルテか?』
『わあ、上手くいった!本当に離れていても会話できるようになったんだ!すごいすごい!契約って便利だねっ!』
『……待て、今の言い方じゃと、今まで契約した事がなかったように聞こえるが』
『むふふー、あなたが、わたしの初めての相手だよっ!』
アルテの事は信用していたが、案外向こう見ずなところがあるのかもしれないと認識を改める事にした。
内容も聞かないまま契約してしまった事は迂闊だが、まさか実験のように、アルテにとっても未知の事をしているとは思ってもみなかった。
『色々と言いたい事はあるが……、できれば、何かするなら事前に相談してくれんか? 今も突然飛び出して行ったままで、わしはいつまで待てばいいのか……』
『えっ、あ、そうだねっ!そこまで気が回らなかったよ!すぐに戻るね!』
契約の繋がりを介した魔力による会話ーー念話を一時中断して、アルテが帰ってきたら詳しい説明を聞くことになった。