19
地下街道を走る竜車に揺られて、宝石都市ファレーズへと戻る道中。
「今後の予定を聞いてもいいか?」
正面の座席に腰掛けるルーベンスに真面目な顔で質問をされるも、直ぐには返答が浮かばず言葉に窮してしまった。
「そうじゃのぉ……」
今日という日を振り返れば、何時間も大空を飛翔して都市を訪れ、そこで魔物が押し寄せてくると聞いて今度は戦いに参加し、不幸かなのーぱんのまま人前に立ち、諸々が終わってようやく今に至る。
今後と言われても正直なところ、肉体面、精神面問わずに疲労が蓄積しており、今は上手く頭が働いてくれない。
「とりあえず、宿でも取ってゆっくり休みたいのぅ……」
自然と口を衝いたのは、そんな言葉だった。
「ナナシちゃん、ナナシちゃん」
それを聞いて、隣の座席に座るディアンが細い指でつんつん肩を突付いてくる。
「何じゃ?」
「わたしの家、お部屋余ってる」
「あの洋館か」
記憶を辿ると、広い敷地を有する黒い館が想起された。
建物の規模から考えて、部屋の数は十や二十など優に超える筈。
確かに、来客者用の客室があってもおかしくはない。
「お泊り会、しよ?」
「むぅ……」
しかし、だからと言ってディアンのような幼い子供の世話になるのは、果たしてどうなのだろうか?
本人曰く、実年齢は二百を超えているらしい。
だが、それでも幼い容姿に目が行くと、迷惑を掛けていいものか躊躇せずにはいられなくなる。
「遠慮しなくていいよ?」
その内心を読んだのか、にっこりと笑みを浮かべるディアン。
「ナナシちゃんにお礼がしたい。……それでも駄目?」
「……」
気を遣われているのかもしれないが、ここまで言われては断れる筈もなかった。
「……すまんが、世話になる」
「えへへ、今日は一緒に寝ようね」
「それはちょっと……」
こうして竜車が向かう先は、ディアンが住まう黒い館に決定した。
◇ ◇ ◇
宝石都市ファレーズにある黒い館に到着して竜車から降り、館に入るや否や、館内の使用人を正面玄関に集めてディアンが次々と指示を出し始めた。
年端も行かぬ幼女が大人に向かって仕事を割り振る姿は、中々に奇妙な光景だった。
「ーーじゃあ、あとは指示通りにね。何かあったら、シトリが判断していいよ」
「はいはーい。任せて」
使用人達の責任者らしきシトリと呼ばれた女性も、ディアンと同じくらいの身長をした幼女。
「それじゃ、各自持ち場に戻りなさい」
肩に掛かった癖のある金髪を指で弄りながら、去り際に金色の瞳で此方を一瞥したあと、廊下の奥へと消えていくシトリ。
(シトリという名称。やはり黄水晶のことかのぅ……?)
宝石の名で呼ばれているということは、彼女も核石族だろう。
髪や瞳の色とも合致している。黒曜石に黄水晶、偶然とは思えない。
やはり管理者は元の世界の人間なのだろうか。
そんな思案に耽っていると、全ての指示を下し終えたディアンが軽い足取りで近付いてきた。
「晩餐会まで、部屋で待ってて?」
待ってて。
「では、おぬしは?」
「これから治療薬を依頼するの」
「なるほど」
管理者に使う治療薬の作成を誰かに依頼するらしい。
忘れていたわけではないが、ディアンにとって管理者に関する事は何よりも重要な案件の筈。
だとすると、邪魔をするわけにはいかない。
「ならば、わしは部屋でのんびりさせてもらおうかのぅ」
「ごめんね。ルーベンス、ナナシちゃんを案内して」
「お任せください」
◇ ◇ ◇
準備が整うまで用意した客室で待っていて欲しいというディアンの言葉に従うため、館内を歩くこと暫く。
客室を目指して、既にかれこれ十分以上歩き続けているだろう。
「まだかのぅ?」
「ああ、まだ先だ」
左右の壁に装飾用の燭台と美しい絵画が配置された回廊ーー赤、青、黄、など多様な色の絨毯が敷かれた廊下を通り過ぎては、幾つもの扉が遥か後方へと消えていく。
そんな事を幾度も繰り返して、これで何度目になるかも分からない曲がり角に差し掛かった時、到着はいつだと焦れて、前方を歩くルーベンスに問い掛けた。
声に滲むのは僅かな疲労の色。
「いつになれば着くんじゃ?」
返ってきたのは簡潔な答え。
「もう間もなくだ。この廊下の奥のーーほら、見えたぞ。あの部屋だ」
「むぅ……」
この先、まだ歩かねばならない事に辟易しながらルーベンスが指し示す場所を見やれば、廊下の突き当たりに両開きの扉があった。
どうやら黒い絨毯が続くその扉が目的の部屋らしい。
「遠いのぅ……」
小さく呟きながら、その場所に向かって歩を進める。
距離にしておよそ二十メートル。
しかし歩数となると、実にその倍はかかってしまう。
自身の身体ーー幼い少女のそれは四尺と少々しかなく、自然、歩幅も相応に狭い。
更に言えば、巨大な尻尾ーー三尺程もある龍の尾が生えたせいで身体の重心が後方に偏っており、歩くのに難儀していた。
『わたしみたいに飛べば楽ちんだよ!』
アルテはそう言うが、今後、常にぷかぷか浮いているわけにもいかない。
魔法を使えば使うだけ魔力が減っていくのだから、確たる目的も無いのに無駄遣いするのは気が進まない。
それに、他の皆が普通に歩いている中、自分一人だけ移動方法が違うのはちょっと寂しい。
(とはいえ、歩き慣れるまで少なくない時間が掛かるか……)
砦では、実状を知ってか知らずか、ディアンが手を繋いで軽く引いてくれたお陰で楽に歩けたが、その彼女は今ここには居ない。
おそらく今頃は万能治療薬の作製依頼のため、色々と手配していることだろう。
そんな事を考えている間に扉の前に到着していた。
「この客室が当面、麗しのナナシお嬢様に滞在していただくお部屋に御座います。晩餐会の後はこちらの部屋でお休み下さい」
扉の前で振り返ってにやりと笑い、突然芝居がかった仕草と口調で深々と一礼するルーベンス。
「いや、早く扉を開けてくれんかの?」
何を勿体ぶっているのか。
急かした途端、ルーベンスが悲しそうな表情になった。
そういえば、ディアンとの寸劇を観た時の彼女は、若干羨ましそうな顔をしていた気がする。
もしかすると、あの時から寸劇をやってみたかったのだろうか。
「……すまんが、今は少しばかり疲れておるでな。早う腰を落ち着けたいのじゃ」
壁にもたれ掛かりながら告げると、今度は何やら驚いた様子。
「歩くのに疲れたのじゃ」
「そ、そんな……」
あれだけのろのろ歩いて、何度も到着はまだかと確認していたのに、疲れている事に気が付いていなかったらしい。
「言ってくれれば、私がナナシ殿を優しく抱っこしたのに! いや、今からでも遅くはーー」
突然、彼女は何を言い出すのだろうか。
「申し出は有り難いが、部屋は目前じゃ」
「……そうだな」
冷静さを取り戻したルーベンスは、落胆しながらも鎧の懐に手を突っ込み、ジャラリと金属音を響かせながら鍵の束を取り出した。
そして金属錠に鍵を差し込んで数秒後、解錠した扉を大きく開け放つ。
室内からは輝魔石の眩しさと同時に、柑橘系に近い優しい香りが漂ってきた。
「さあ、入ってくれ」
「ん、ありがとう」
先を譲ってくれたので、礼を述べつつ客室に足を踏み入れる。
「おおっ」
部屋の様子を目にした時、口を衝いたのは感嘆の声。
内装に驚きながら部屋の中をキョロキョロと見渡している内に自然と感想が口から漏れていた。
「えらく豪奢な部屋じゃのう!」
とにかく広い。そして豪華な部屋だった。
壁際に幾つも並んだクローゼットからは、彩り鮮やかな服の数々が見え隠れしている。
その隣には、試着した姿を確認するためだろうか。
曇りひとつない等身大の鏡が置かれており、天井を見上げれば眩く輝くシャンデリアが吊り下がっている。
巨大なベッドは五、六人が横になってもまだ余裕があるだろう。
他にも高級そうな家具が幾つも並んでいる。
「あは、ふかふかじゃの!」
ふと目についたソファに身体を預ければ、柔らかく何処までも沈んでいきそうで、疲れた足腰が癒される。
心地が好くて、ついつい頬が緩んでしまう。
「極楽なのじゃー♪」
ソファに座って宙ぶらりになった足を前後にぱたぱた、尻尾を左右にふりふり。
身体を揺らして上機嫌で鼻唄を唄っている途中、視線を感じて目を向けるとルーベンスが可笑しそうに笑っていた。
「はは、この部屋をそこまで気に入ってくれるとはな。ディアン様が知ればきっと喜ぶだろう」
高揚のあまり、一緒に部屋に入ったルーベンスの存在を忘れていた。
人様の前で幼子のようにはしゃいでいた事実に気が付いた瞬間、恥ずかしくて顔が熱を帯びる。
「……っ!」
咄嗟に顔を逸らした先には等身大の写し鏡。
そこに映った白髪の幼女は、羞恥のせいで赤面していた。
誤魔化すように軽く咳を払って、今度は話題ごと逸らす。
「あー、こほん! それにしてもこの館は広いんじゃな。何処に何があるか把握しきれん。一人で歩けば迷ってしまいそうじゃ。これは大変じゃ。うむ、由々しき事態になりかねん!」
「心配なら出掛ける前に、そこに置いてある呼び鈴を二度鳴らすといい。当館の使用人が直ぐに部屋までやってくる」
「呼び鈴を?」
「ああ、こうしてな」
ベッドの横の机の上に置かれた呼び鈴を手に取り、チリンチリンと鳴らすルーベンス。
一応、話題は変わったが、彼女は相変わらず笑いを隠しきれずに頬が弛んでいる。
まるで何か微笑ましいものを見た時のような、そんな目を続けていた。
「いつまで笑っておるか」
「いや、すまない。普段は何処か大人びているナナシ殿だが、時折見せる違った一面が可愛くてついな」
「……」
違った一面ーーふとした拍子に言動が幼くなってしまう事は自分でも薄々感じていたが、やはり外からもそう見えるらしい。
「……可愛い、か」
その言葉で少しだけ冷静になった。
容姿だけでなく、精神の年齢まで低下している事を他者から指摘されたような気がしてショックだった。
人間、苦楽を重ねて成長し、精神が成熟して大人になる。
物事の捉え方や、思考など、それらは自分が苦労して培ってきたものだ。
今まで積み重ねたーー言うなれば人格を形作っていた多くの経験が全て水泡に帰してしまったとすると、喪失感が拭えない。
「どうしたんだ。突然ぼんやりして」
「別に、大した事でない」
「悩み事か?」
「ちと、失せ物について考えておっただけじゃ」
咄嗟に笑顔を作り誤魔化そうとするが、多分、上手く笑えていないだろう。
我ながら情けない気持ちになってくる。
「最早過去の、年寄いた者の事など、いっそ全部忘れた方がいいのやもしれんな……」
前世の自分と今世の自分は、思考が似ているだけで別々の人間。
そう割り切って自分が子供であることを受け入れれば、胸に空いた喪失感が消えて無くなるかもしれない。
「そんな……っ!」
「ん? どうかしたかの」
自嘲気味にポツリと漏らした独り言が耳に届いたのか、ルーベンスは目を大きく見開き息を飲んでいる。
彼女は、驚愕と形容するに相応しい表情をしながら、「まさか、親を……。だからディアン様はあえて姉妹だと仰っていたのか……」などと、訳のわからない事を一人で呟いていた。
「おーい、ルーベンスや?」
「いや……それなら、私も……」
声を掛けても、思考に没頭しているのかまともな返事が返ってこない。
諦めて、その様子を見守っておよそ十秒と少々の時間が経過した頃。
彼女の口から出てきた言葉は、全く予想していないものだった。
「これからは私のことを、お姉ちゃんと呼んで欲しい」
「なぬ?」
一瞬、ルーベンスが言った内容が理解できなかった。
少し悩んで、洒落や冗談の類いかとも考えたが、彼女は至って真面目な顔をしている。
「さあ、呼んでくれ」
「待たんか。意味がわからん。先ずは説ーー」
説明を求める。
そう言い切る前に、正面からルーベンスに抱きしめられた。
背中に回された腕からは暖かい温もりを感じる。
「な、何を……」
「そう照れなくてもいい。おっと、鎧は邪魔だな」
ルーベンスは慣れた手付きで鎧を脱いで、シャツのような薄い肌着姿になった。
そして束ねた髪もほどいて、くすんだ赤髪を耳元に掬い上げて、顔に浮かべたのは慈愛に満ちた微笑み。
幼い子供の頭を胸に埋めて安心させるように、両腕で優しく頭を抱きしめて大きな胸を押し付けてきた。
「今まで気が利かなくてすまなかった。よければ、今後は遠慮せずにお姉ちゃんと呼んで甘えてくれ」
「……何をとち狂った事を。それとも、気でも違えたか?」
息苦しくて一先ずルーベンスの身体を押し退けようとしたが、体格差は歴然。
「くっ……この……」
彼女は目測五尺半程もあるので、単純な腕力では到底敵わなかった。
かと言って、魔力で身体を強化しようにも未だ人間相手の加減が良くわかっていない。
数刻前に慣れない魔法を試みるも制御を失い、大空洞を壊した時の光景が不意に頭をよぎった。
(ルーベンスを怪我させてしまうやも……)
ならばと助けを求めて周囲を見渡すが、アルテの姿が見当たらない。
『このような時に、アルテはいったい何処に……ひゃっ!?』
八方塞がりで固まっていると、突然頭を撫で始めるルーベンス。
髪の流れに沿って、優しい刺激が何度も往復する度に快感から身体が震えそうになる。
「ぁ……や、やめてぇ……」
全身から力が抜けてソファの上に倒れ込みそうになったので、縋るようにルーベンスのシャツを掴む。
「どうだろう。気持ち良いか?」
「いい、けど……違くて、……や、嫌じゃ……!」
その時、部屋の入り口から声が聞こえてきた。
ーーナナシちゃんに、何してるの?
戸惑いの色を含んだ幼い声。
目を向ければ、何時からそこにいたのか、扉の前にはディアンの姿があった。




