16
目の前には、ひたすら闇が続く大空洞が存在している。
地の底から這い出る巨大な黒い影。
その正体は蟻の魔物。
堅牢な6本の足で大地を踏みしめ、頑強なアゴをカチカチと震わせている。
前世で見慣れた米粒のようなソレとはまるで大きさが違い、各々の体躯が2・3メートルはある。
見渡す限りを埋め尽くす巨大蟻の群れが、毛深い口器を擦らせて不快な金切音を奏で始めた。
耳障りな旋律は不快の一言に尽きる。
とはいえ、音をとめて欲しくとも此方の事情など慮ってはくれない。
それが魔物。
人とは相容れない、魔力を喰らう怪物。
殺戮が、戦争が、命の奪い合いが、
ーー魔物の氾濫が始まった。
「いくよー」
何処からか、気の抜けた少女の声が聞こえてきた。
声がした方に眼を向ければ、戦場に立つにはおよそ似つかわしくない黒紫髪の幼女が、黒い短剣を片手にポツンと立っている。
「ここは通さないよ」
その幼女は最前線にて膝を折り、黒曜石で造られた短剣を地面に突き立てた。
「……黒いのが、わたしの陣地だよ」
そして、強い意思を宿す瞳で前だけ見据えて呟く。
途端、幼女の周囲の地面が黒一色に染まり、そこから無数の弾丸が造られる。
幼女を護るように周囲を固める大量の黒い弾。
不意に、幼女が華奢な腕を前方に突き出した。
「行って!」
すると、まるで意思を持つかのように弾丸が複雑な軌道を取って宙を舞う。
数十、数百の弾丸が凄まじい速度で飛んでいく。
「グギ……!!」
密集していた蟻の魔物は避けること能わず。呆気なく身体を撃ち抜かれた。
「グ……ガガ……!?」
一瞬の出来事。
弾丸に撃ち抜かれた巨大蟻の身体が、瞬時に石化してボロボロと崩れ落ちる。
(……黒い弾に触れた者を石化する魔法かの?)
撃ち抜かれずとも、僅かに弾丸に掠っただけで蟻の全身が石化に蝕まれていく。
蹂躙。そう形容するのが相応しい一方的な有様だった。
(ディアンはこんなに強かったんじゃな……)
子供が戦場で大活躍するという非常識な光景。既に魔物を数十体は屠っている。
眼を疑いたくなったが、魔法が存在する世界では性別や体格など些細な違いなのかもしれない。
そうは思うが、
「……やはり、あのような幼い容姿の者が果敢に戦う姿を見ておると、自分の目が信じられんというか、なんというか、奇妙な感じがするのぅ」
「そんな事言ってるけど、今はあなたも子供だよ?」
「……そうじゃったな」
すぐ隣でアルテがにっこり笑いながら、写し鏡のような物を魔法で作り出した。
「ほら、あなたも小さくて、とっても可愛い!!」
確かに鏡の中には、黒いローブを纏って、妖精と共に空に浮かぶ華奢な少女がいる。
10歳くらいの小さな女の子が、口元をへの字に曲げて困った顔をしていた。
「むぅ……」
「もう、そんな顔してちゃダメだよ?」
自分の容姿を眺めていると、突然アルテがすり寄ってきて頬をつんつん突付き始めた。
「すっごく柔らかいね!」
「あぅ……」
ぷにぷにと頬を触られるのが擽ったくて、咄嗟にアルテを手で払いのける。
「……つんつんするのは禁止じゃ」
ジト目で睨むと、アルテが慌てて謝ってきた。
「わわ、ごめんね!」
「まったく……」
風にはためく黒ローブを押さえながら「ふぅ」と軽く息を吐く。
「心配してくれるのは嬉しいが、わしなら平気じゃ」
「あ……」
そう口にすると、アルテが驚いた顔をした。
「……気付いてたんだ」
「戦場の真っ只中で突然このような事をして、気付かん方がおかしかろう」
「ふふ、そっか!!」
先程のアルテの行動は、戦闘前の余計な緊張をほぐす為のものだろう。
いつも通りの少しふざけたやり取り。
優しい心遣いに感謝しつつ、気持ちを入れ換える。
これから命の奪い合いに参加するのだから、遊んでばかりはいられない。
(大丈夫。そう、大丈夫じゃ、わしはいつも通り平静じゃ……)
焦る必要はない。そう自分に言い聞かせて、視線を眼下に向ける。
上空から戦場を俯瞰していると、蟻と兵士の前線は既に膠着状態かつ、全体的に都市側有利に事が運んでいるのが見てとれた。
横幅4・500Mくらいの大空洞の奥から向かってくる蟻を、兵士達は遠距離から一方的に魔法で叩いている。
逆に魔物側には遠距離の攻撃手段がないらしく、付け入る隙を与えずに戦況は安定していた。
(さて、どうしたものかのぅ……)
このままぼんやり眺めていても意味がない。
けれど、今の状況で横槍を入れると、膠着状態が崩れて邪魔になる可能性がある。
どうにも下手な事は出来ないので、腕を組んで少しばかり頭を悩ませ、現在の情報を整理する。
まず、自分はこの戦場に於いて大きな裁量を認められている。
誰かを率いているわけではないが、紋章入りの黒マントを身に付けて、都市の軍から離れて単独行動が許されている。
攻撃に参加するタイミングを自由に選べるというのは結構だが、ここで一つ問題がある。
洞窟の中という地形。これが自分にとって足枷となっているのだ。
兵士達の戦い方は極めて単純。
向かってくる敵に対して、杖を装備した複数の部隊が、交互に防壁の上から遠距離魔法を繰り出すだけ。
なら自分もその攻撃に参加しようと思った所で、はたと気付いてしまった。
何の魔法を使えばいいのか分からない、と。
考えなしに火の魔法を使って洞窟内の酸素量は大丈夫なのか?
放熱環境はどうなんだ? 地下から熱に反応する有毒性のガスが漏れている可能性はないか?
そんな諸々の事を考え出すと不安で、本来使う予定だった龍人お得意の灼熱の息吹を封印するしかなくなってしまった。
(なら、他の魔法に頼るしかないんじゃが……)
そこでまた思考が止まってしまう。
今までまともに魔法を使ったのは、服の洗濯とお風呂を作った時くらいなのだ。
遠距離用の攻撃魔法をイメージしようにも、どうも上手くいかない。
では、どうするのが最善だろうか。
「……む、そうじゃ!」
悩んだのは僅か十数秒。
ふと、上空から足下を見やる。
すると防壁の上で隊列を整えた数十の兵士達が、杖を片手に呪文を唱えていた。
「第三魔導大隊、撃て!!」
円卓部屋で見掛けた一人の指揮官が勇ましい声で号令を発した。
刹那、一斉に魔法が放たれる。
「「光よ、全てを焼き払え」」
その手に持つ杖を地面にカツンと突き立てる兵士達。
次の瞬間、地中から数百の光球が現れる。
「おおー、綺麗な魔法じゃのぉ……」
白い光が次々と蟻の群れに注がれて、瞬く間に黒い群れの一角を消し飛ばした。
雨のように降り注ぐ美しい光。
幻想的な光景に、思わず感嘆の声が漏れる。
「凄い、凄いのじゃ! 魔法とは、まこと奥が深いのぅ!!」
ついつい気分が高揚してしまったが。
恐らく、自分はこの戦場の誰よりも魔法に対する造詣が浅いのだろう。
単純な魔力量はともかく、技術や知識に関しては全く足りていない自覚がある。
ならばどうするか。
「ここからは、見様見真似じゃ!」
先達から学べばいい。
ここは戦場。幾らでも機会がある。兵士の魔法を自分も真似れば解決する。
そうして、模倣を思い立ったところで、
「あなた、前を見て!!」
「むっ!?」
アルテに言われて前方を注視すると、数十匹の巨大羽蟻が羽を広げてこちらに向かっていた。
ギチギチと歯を噛み合わせて嫌な音を立てて、明らかに襲う気満々といった具合だ。
どう考えても戦闘は避けられない。
「まさか、空を翔ぶ蟻までおるのか……」
想定外の事に驚きつつ、魔法で迎撃しようとした時、
「ナナシ殿!」
赤色の何かが羽蟻の側面から目の前に飛び出してきた。
片手に槍を持った、くすんだ赤髪と赤い瞳が特徴的な美しい女性。
「おお、ルーベンスじゃな!」
「助太刀するぞ!」
ルーベンスが飛竜を駆って、部下とともに一斉に羽蟻に襲いかかる。
右手に持つ長槍に魔力を纏わせて、巨大羽蟻の頭部に勢いよく穂先を突き立てるルーベンス。
「爆ぜろ!」
言葉に従い、ボンッ、と槍の先端が小さな爆発を起こして、羽蟻の頭部が木っ端微塵になった。
ルーベンスの部下の飛竜兵士も同様に羽蟻を仕留めている。
意図せず自分が囮となって、ルーベンスが奇襲を成功させた形だろう。
突如交戦状態に入った中で、部下に指揮を任せてルーベンスが近寄ってきた。
「余計だったか?」
「いや、助かったのじゃ! 感謝する!」
「羽蟻は厄介な相手だ。出来ればナナシ殿にも倒すのに協力してもらいたいんだが……」
「承知したのじゃ、少々時間稼ぎを頼む」
「任せてくれ!!」
快諾してくれたルーベンス。
(有り難い。が、これは失敗できんのぉ……)
ルーベンスの期待に沿えるよう全力を尽くす。
腕を真っ直ぐ天に翳して、全身から魔力を掌に集める。
先程の兵士に倣って、自分も急いで同じ様に呪文を唱えてみる。
「ええと、確か……あれじゃ! ひ、光よ、全てを焼き尽くすのじゃー?」
次の瞬間、魔法が発動した。
ボワンと音を立てて出現したのは、人差し指サイズの小さな光球。
その小ささにガッカリしてしまう。
(もそっと大きくてもいいのにのぉ……)
と思った途端、光球が急激に大きくなっていく。
「なぬ? なんじゃこれ?」
人差し指サイズから掌サイズへ、腕全体へ、身体を包み込める大きさへ。
一瞬の内に巨大化する。
そのまま、とてつもない勢いで膨れ上がって、
「あわ、あわわ……」
僅か数秒足らずの時間にも関わらず、既に100メートルを超える巨大な光球になっている。
依然として勢いは衰えを知らないままで、味方まで飲み込みかけている。
「くっ、総員退避しろ!!」
ルーベンスが険しい声で部下に向けて叫んで、飛竜に乗った部下達と共に遠ざかっていく。
(ルーベンスが優秀で助かったのじゃ……!!)
距離を取ってくれた事に安堵して、蟻はどうなのかと注意を向けると、虫が光や熱に集まる性質が上手く作用したのだろうか。
光球に向かって、次から次へと羽蟻が突っ込んで、勝手に消滅していた。
意図せず羽蟻を掃討した所までは良かった。
だがーー
「この、収まらんか……!!」
思わず焦る声が口を衝いた。
今なお膨れ上がる光球を上手く制御出来ないのだ。
(どど、どうすれば!?)
このままだと地面も天井も、そして護るべき砦や都市さえも、全てが光の奔流に飲み込まれる。
切迫した状況下。
アルテに助けを求めて視線を向けると、彼女は呆然と眼を見開いていた。
「あなた、それ早く撃たないと!」
「何処に向ければよいかのぅ!?」
「ええ!? じゃあ、あっち!!」
珍しく慌てた声を出すアルテ。
言葉に従い、彼女が指差す大空洞の方向に光球ーーもはや太陽のように煌々と輝くソレを放り投げる。
「行けえぇぇ!!」
光球はゆっくりふわふわと進み、大空洞で蠢く巨大蟻の大群に着弾した。
次の瞬間ーー
ーーカッッ!!!っと閃光が広がった。
洞窟内だというのに、視界一面が真っ白に染まっている。
直視すれば眼が焼かれてしまいそうな光量。
咄嗟に眼を閉じるが、瞼越しでさえまだ強烈な光を感じて腕で顔を庇う。
「……」
ーー数秒後、眼を見開く。
静寂。洞窟に反響していた蟻達の不協和音が消えていた。
兵士達の手も止まっていた。
そして、誰もがその場で立ち尽くしていた。
「あ、これ色々と駄目な感じじゃ……」
魔物氾濫が始まる前に、ルーベンスがなんと言ったか。
記憶が正しければ、魔力の通り道を塞ぐのは厳禁と口にしていたはず。
だというのに、数千匹は居たであろう蟻の大群の上には何故か大量の瓦礫が積み上がって、大きな山ができていた。
「……やらかしてしもうた」
つまり、大空洞が崩壊して、迷宮に続く道が完全に埋まっていた。




