約束の戦果
樹海の見回りとは言っても、基本は村の周りの時とやることは一緒だ。
歩きながら周囲を見渡し、魔物が居れば狩る。
それだけだ。
ただし村の周りとは異なり、猟師はこちらにまで魔物を狩りには来ないので、選別することなく全て倒すということになってはいる。
違いがあるとすれば、それぐらいだろうか。
もっとも、今のところその違いが発揮されることはないが。
単純に、魔物そのものの姿が見えないからである。
「いいことなんだろうけど、ここまで何もないとなぁ……」
「油断するなと言いたいところだが、ここまで魔物の姿がないとはさすがにわたしも予想外だ……もしかしたら、昨日の影響が出ているのかもしれないな」
「昨日の、ですか?」
「ああ。昨日倒したコボルト達は、ここら辺にまで出てきていたんだ。だからわたしは追っていったのだが……そもそもやつらの生息地は、もう少し奥のはずでな。ここまで出てきたということは、その途中に居る魔物も餌としていた可能性がある」
「魔物が魔物を餌にする、か……字面だけを見れば共食いにしか見えないよね」
「ま、所詮魔物と一括りにしているのはわたし達の都合だからな。向こうには向こうで色々とあるのだろう」
「それはともかく、そのせいでこの周辺の魔物は居なくなっている、ということでしょうか?」
「その可能性がある、というだけだが……この様子ではその可能性が高そうだな」
「確かに」
何せ既に見て回るべき場所のうち半分ほどを消化したのに、未だ一度足りとも魔物と遭遇していないのだ。
勿論五十メートル圏内にも存在していないし、となればクリスの推論が正しい可能性が高い。
「まあ村のことを考えると、そっちの方が都合がいいのかな?」
「確かに村に魔物が来る危険性のことを考えれば、悪くはないのだが……」
「……何か気になることでもあるのでしょうか?」
「うむ。まあ、基本的には考えすぎだろうとは思うのだが――っ!?」
クリスが勢いよく樹海の方へと視線を向けたのは、そんなことを暢気に話している時のことであった。
言葉を途中で切ると、そのまま身体もそちらに向け、完全な臨戦態勢を取る。
だがそんなクリスの姿を見て、悠人は首を傾げていた。
ユーリもまた同様であり、視線を交わし、同じことを思っているのだろうことを確認すると、クリスへと視線を戻し――
「クリス、どうかしたの?」
「すまないが、説明している余裕はない……! 二人とも、構え――なっ!? これは、まさか、ワイルドボアか……!? 二人とも、気をつけ――」
――アクティブスキル、アタックスキル:マグナムブレイク。
何故か焦った様子のその姿を眺めながら、樹海から飛び出してきたそれに向かって拳をぶち込んだ。
衝撃でその頭部が吹き飛び、制御を失った身体が横道へと逸れていく。
そのまま見当違いの方向へと走り、血と肉を撒き散らしながらもしばらく走り続けていたが、やがてその勢いを失うと地面に倒れ、地響きを立てた。
悠人はその顛末を一応横目で確認してはいたが、別に予想通りのものであるため特に何かを思うことはない。
それよりも気になるのは、先ほどのクリスの発言だ。
「ごめん、もしかして、何か気をつける必要がある魔物だった? ……もしかして、血に毒が含まれてるとか、そういう?」
「い、いや、そういうことではないのだが……もしかして、アレが接近してたことに、気付いていたのか?」
「え? うん、当然気付いてたけど……? ねえ?」
「はい。最初に気付いた時には五十メートルより先に居ましたから、何も言いませんでしたけれど。その後で動き出した時も、あの勢いのままでしたらこちらに来るのは明らかでしたから、やはり敢えて言う必要もないと思ったのですけれど……言った方がよかったでしょうか?」
悠人が言わなかったのも、基本的には同じ理由だ。
話の途中で気付いてはいたのだが、そもそも気配などがあからさま過ぎた。
ユーリも気付いているということは分かっていたし、勿論クリスも気付いていると思っていたのだが――
「もしかして、クリスって探知系苦手なの?」
「……いや、個人的には苦手にしているとは思っていないのだが……話を聞く限りでは、君達に比べれば苦手になるのかもしれんな。そもそも五十メートルを指定したのも、わたしが認識可能な範囲だからだ」
「なるほど、そういうことだったのですか」
レベル二百で五十メートルしか認識出来ないというと、悠人としては少し短いような気もしたのだが……或いはそんなものかもしれないと、すぐに思い直した。
考えてみれば、クリスは明らかに接近戦を主としたタイプだ。
しかも騎士ということだし、本来はこんな場所で見回りをするようなことは想定していないのだろう。
平野などの開けた場所を想定しているのであれば、確かに五十メートルもあれば十分ではある。
「ということは、今みたいなことがあったら、言っておいた方がいいのかな?」
「そうだな……そうしてくれると助かる」
「単純に五十メートルより先に魔物が居た場合は、今まで同じように言わなくてもいいのですよね?」
「ああ、こっちに来る可能性がないのであれば、その必要はない」
「分かりました」
とりあえずそうして、今後の指針が再決定されたわけだが――
「さて、移動の前にアレを消し飛ばして――いや、待てよ?」
「ん? どうかしたのか?」
「いや、ちょっと思い出したことがあって」
それは昨日、宿で交わした会話であった。
――大きな猪。
それに相当するものを持って帰ると、決意したことを、だ。
そしてアレの姿を見たのは一瞬ではあったが、アレも猪っぽかったはずだ。
ちょっと頭部が消し飛んでるが、大きさで言えば五メートルはあるし、十分ではなかろうか。
「ちょっとクリスに聞きたいんだけど、クリスが最初にあの村に来た時に持ってった猪って、もしかしてアレのこと?」
「いや、さすがにアレほど大きくはないが……そもそも、ワイルドボアはわたし一人では勝つことの出来ないような魔物だぞ?」
「あれ、そうなの?」
本当に一瞬しか見なかったのでレベルの確認をしていなかったのだが、そこそこの魔物だったようだ。
まあクリスが自分のことを過小評価しているだけの可能性もあるが……そこはどうでもいいことである。
重要なのは、アレならば大きさ的に十分っぽいということだ。
「まあそういうことなら、アレを持って帰ればアンナは喜んでくれるかな?」
「……まさか、昨日のあれのことか? 本気にしていたのか……いや、確かに喜ぶとは思うが、どうやって持ち帰る気だ? 大きさもそうだが、血の匂いで他の魔物を呼び寄せてしまうぞ?」
まあ今まで魔物を消し飛ばしていたのも、それを防ぐためなのだ。
故にそれに関しては承知しており――
「それなら大丈夫。一応考えがあるし」
言いながらそれに近づいていくと、未だそれは血を流していた。
普通であれば、これを運ぶとなると大変そうだが、特に問題はない。
血を流しているのならば止めればいいだけだし、匂いは周囲に漏らさないようにすればいいだけなのだ。
つまり。
――アクティブスキル、マジックスキル:アイスコフィン。
直後にその場に誕生したのは、氷の棺に収まった巨大な猪であった
これならば腐敗も防げるし、一石二鳥だ。
「これなら大丈夫だと思うけど、どうかな?」
出来に満足しながら振り返り……だが何故か、クリスは驚きの表情を浮かべていた。
さて、特に驚くようなことをした覚えはないのだが――
「馬鹿な、魔術、だと……!? まさか君は、魔術師だったのか……!?」
「え? うーん……魔術師、ではないかな? そこまで数が使えるわけじゃないし」
何をそこまで驚いているんだろうか、とは思ったものの、そういえば基本ずっと拳で殴ってばかりであった。
そのため、他のを使えるとは思っていなかったのかもしれない。
だがそれは使う必要がなかったから使わなかっただけである。
とはいえ今言ったように、さすがに数百種類も覚えてはいないので、魔術師と名乗れるほどではないのだが。
使えると思ったものを覚えていっただけなので、所詮は片手間で覚えていったものでしかないのである。
「つまり魔術も使うことが出来るだけ、ということか……? だがそれは……いや、それだけの強さを持つのであれば、不思議でもないのか……?」
何やらクリスは独り言を呟いているようであったが、その意味するところは分からない。
首を傾げていると、ユーリが納得したというように頷いていた。
「なるほど……あなたもそういったことが出来たのですか。私が魔法のことを話しても驚いた様子がなかったのは、そういうことだったのですね」
「いやまあ、それは別の理由によるものなんだけどね」
幾ら悠人でも、魔法というものを初めて知ったのであれば、さすがに驚いていただろう。
驚かなかったのは、単に事前知識があったからでしかないのである。
ともあれ。
「で、これなら持ち運んでも大丈夫だよね?」
「……確かに大丈夫ではあるが、まだ半分ほど残っているんだぞ?」
「いや、さすがに持ったまま見回りは続けないよ? 見回りが終わるまでここに置いておいて、帰りにちょっと寄って持っていけばいいだけだし」
「ふむ……それならば問題はなさそうだが、溶けないのか?」
「十二時間ぐらいは持つはずだから、大丈夫じゃないかな?」
「……そうか。ならばわたしが反対する理由はなくなったな」
「それは僥倖」
どうやら何とか昨日の約束は果たせそうである。
まあ正確には約束したわけではないが、悠人達の中ではそうなっているのだ。
あとは――
「残るは私の分、ですか……」
そう呟きながらユーリが樹海の方へと視線を向けたのは、今までのことから考えると、この後魔物が現れない可能性が低くはないからだろう。
そうなってしまえば、成果を持ち帰るも何もないのだ。
もっとも正確に言うならば、つい先ほどまではそんな可能性もあった、と言うべきなのだろうが。
「さて、果たしてこれは運がいいのか、悪いのか」
「私としましては、よかったと言ってしまっていいのですけれど」
「……? 君達は何を……いや、まさか……!?」
「あ、察したみたいだけど、一応言っておくね。大体百メートルぐらい先から、魔物がこっちに向かってるよ」
それを伝えるのが今になってしまったのは、別に忘れていたからではない。
魔物がやる気になったのが、ちょうど先ほどのことだったのだ。
それまではどうするか迷っていたのか、こっちの様子を窺うような素振りを見せているだけだったのだが――
「まあ戦果を持ち帰る事が出来るってことを考えれば、やっぱり運はいいのかな?」
「そうですね、少なくとも私にとっては、そうなります」
「……いや、君達、どうやらあまり暢気なことを言っていられる状況ではなさそうだ」
言った直後であった。
まるで出待ちでもしていたのかというタイミングで、樹海の方から一匹の魔物が姿を見せる。
地響きを立てながら目の前に降り立ち、パッと見で頭に浮かんだのは、虎という言葉だ。
ただし体長の方は、先ほどの猪よりも二周りほどは大きく――
「っ……やはり、ヘルタイガーか!? まずいな……二人とも、今度こそ気を付け――」
――ワールドハック、事象干渉:魔法・氷棺。
まあ、だからどうしたというわけでもないのだが。
ユーリが腕を振るった瞬間、そこには氷の塊だけが残されていた。
そしてそれからクリスの方へと向き直ると、小さく首を傾げる。
「申し訳ありません、何か言いかけていたようでしたけれど……もしかして、何か気をつけなければならないことがあったのでしょうか?」
「ふむ……実は物理攻撃以外効かない、とか?」
「普通に効いているように見えますけれど……?」
「いや、それって中に閉じ込めた後、冷気で徐々に体力奪っていく系の攻撃だよね?」
「はい、先ほどあなたのを見て思いついたばかりのものですけれど」
「うわぁ……これだからチートは。まあそれはいいとして……仮にそうだとすると、こうしながらも逆に冷気を吸収してるとしても、傍目には分からないんじゃないかな?」
「……なるほど、確かにそれは有り得ますね。つまりは、そういうことなのでしょうか?」
「……いや、別にそういうことではないのだが……」
どうやら違ったらしい。
まあ適当に言ったのだから、当たり前だろうが。
だがならばどういうことなのかとクリスの方を眺めてみれば、クリスは何とも言えない顔をした後で溜息を吐き出した。
それは呆れと諦めを混ぜ込んだようなものにも見え――
「……これでもわたしは、君達のことを高めに見積もっていたつもりだったのだがな。しかしどうやら、それは本当につもりでしかなかったらしい。そしてようやく、皆がわたしに何を言っていたのかも理解したよ。わたしも稀に常識がおかしい、などと言われたものだが……確かにこれは、常識がおかしいな」
「ふむ……どうやら僕達がディスられてるみたいなんだけど、心当たりとかある?」
「そもそも、でぃすられる、という言葉の意味が分かりませんけれど、批難されている、ということは分かります。もっとも、その理由の方はやはり分からないのですけれど……何故でしょうか?」
そう言って二人して首を傾げてみせれば、再度溜息を吐き出された。
しかも今度は、疲れたようなそれだ。
しかし意味が分からないこちらとしては、やはり首を傾げるしかないのである。
何かおかしなことでもしただろうか?
「いや、批難というわけではないのだが……まあ、わたしが何を言いたいのかは、そのうち理解出来るだろう。或いは、君達では理解することは出来ないのかもしれないが、まあその時はその時で問題ない話だ。それよりも、これは彼のと同様に、しばらくの間残っていたりするのか?」
「え、あ、はい、そのはずですけれど……そもそも、正確にはまだ倒せたわけではありませんし」
「ふむ……となると、一応見張っておく必要があるのか?」
「いや、その必要はないと思うよ? さっきはああ言ったけど、よくよく視てみれば、ちゃんと衰弱していってるみたいだし。氷が溶けるのよりも、そのまま死ぬ方が早いんじゃないかな? というか、この氷時間経過で溶けるの?」
「そういえば、特にそこら辺指定していませんでしたね……とにかく溶けにくい氷を、とだけ連想しましたので」
「じゃあやっぱり下手するとこれ放置しておくだけじゃ溶けないんじゃないかな……」
「まあ、安全ならば問題はない。それではこれからまた見回りに戻ろうと思うが……さすがにもう魔物の襲撃はないだろうな?」
「ああうん、とりあえずは大丈夫だと思うよ?」
「そうですね、襲撃が可能な距離にはいませんし」
「襲撃が可能な距離には、か……まあ、分かった。では、見回りを再開するとしようか」
それに異論があるはずもない。
悠人達は一先ずその場に二つの氷塊を置き去りにすると、見回りを再開するのであった。