初めての仕事
早寝早起きとは言うが、実際には早寝すると早起きしてしまう、というのが正解なのではないだろうか。
窓の外の、白み始めたばかりの空を眺めながら、悠人はそんなことを思った。
「ま、当たり前のことでしかないんだけど」
そんなことを呟きながら、身体を起こしグッと伸ばす。
二度寝をする気にはなれなかった。
どうせよく眠れないとかいうのではなく、逆にグッスリと眠ることが出来たからだ。
我ながらよくもまあ、とは思うものの、そんなものだろう。
「さて、と」
これ以上寝ないのであれば、部屋に長居する意味はない。
ベッドから降りた悠人は、早々に部屋を後にした。
正直なところ、自分以外に誰も起きていなかったらどうしようかなどと思っていたのだが、どうやら無用の心配であったらしい。
念のために足音を殺しながら降りた先、そこでは三人の人影が、思い思いに動いていた。
「おや、おはよう。随分と早いね。クリスちゃんの知り合いっていうのは、もしかして皆こうなのかい?」
そんな悠人に真っ先に気付き、声をかけてきたのは、女将のエルゼだ。
エルゼからすれば、こちらは唐突に現れたように感じるはずなのだが、何の動揺も見られないことを考えると、慣れているのかもしれない。
「あ、えっと、そういうわけじゃはないと思いますけど……とりあえず、おはようございます」
「おはようございます」
逆にこちらが驚きながら、それでも挨拶をし、何故かそこに居るユーリが、当然のように驚くことなく挨拶をしてくる。
しかし全員がそうだったというわけではなく、少なくとも一人は明確な驚きをその身体全体で表していた。
「え!? いつの間、あっ、とっ、わっ!?」
エルゼの言葉でこちらに気付いたアンナが、驚きに体勢を崩す。
しかもタイミングの悪いことに、その手には椅子を持っていた。
そのまま転んでしまえば危険であり、咄嗟に助けるべく動こうとし――だが、その必要はなかったようだ。
「大丈夫ですか?」
それより先に、ユーリが手を貸していたからである。
それに安堵の息を吐きながら、今度はしっかりと音を立て降りていく。
「ごめん、驚かせちゃったみたいだね。今ちょっと危なかったし」
「あ、ううんっ、今のはわたしが失敗しちゃっただけなの。それと、おはようございますなの。えっと、ユーリおねえちゃんも、ありがとうなのっ」
「どういたしまして」
アンナはそう言ってくれたが、どう考えても今のは悠人の失敗だろう。
気を使うところを間違えたというか、せめて先に階下の様子を探るべきであった。
要反省だなぁ、などと思い……それでも首を傾げたのは、今の発言の中で気になるものがあったからだ。
階下に降り立ち、その人物の前にまで来ると、その言葉を口にした。
「……おねえちゃん?」
「どうかしましたか?」
「いや、別にどうかはしないんだけど……」
しないが、疑問に思うのは当然だろう。
少なくとも昨日は、そんな呼び方をされていなかったはずだ。
まあどうでもいいと言えば、どうでもいいことではあるのだが。
「ふむ……ところで、何してるの? 僕の目には、なんか手伝ってるように見えるんだけど」
「手伝っていますから、間違っていないですね」
「何でまた?」
「何故と言われましても……人を助けるのに理由は必要ないと言ったのは、あなただったはずですけど?」
「え? いや確かに言ったけど、それとこれとは……」
いや、同じなのだろうか?
確かに人助けという意味では同じだ。
だがここは宿で、自分達は客である。
それを手伝うというのは――
「まあ、細かいことはどうでもいいか。実際二人で色々するのは大変そうだし」
「はい。それに、早く起きてしまって暇でしたから」
「なるほど」
自分の為になり、相手の為にもなる。
ならばそれを厭う理由の方が、存在しないだろう。
そしてそうしているうちに、ユーリとアンナは仲良くなったということか。
色々と納得し頷く。
「なら僕も手伝おうかな」
「いいのですか?」
「僕も暇だしね。今はちょうどテーブルの上にある椅子を下ろしてるところだよね?」
「はい。その後で軽く掃除も行なうそうです」
「なるほど……あ、エルゼさん、僕も手伝いたいんですけど、いいですか?」
「ん? こっちとしては助かるんだけど……いいのかい?」
「どうせ暇ですから」
「なら頼もうかね。その分は、さすがに宿代をただに、ってわけにはいかないけど……飯を奮発するよ」
「それは楽しみです」
それは本音だ。
異世界だから若干味覚系の心配をしていたのだが、ここも大丈夫なようだし。
昨日も本当に美味しかったし、さらに奮発してくれるというのならば、俄然やる気が出るというものだ。
「あ、っと、その前に、さっきはすみませんでした」
「ん? 何がだい?」
「いえ、アンナを驚かせちゃって」
「あー、いいよいいよ。冒険者を相手にしてりゃあんなことよくあることだしね。ま、こんなとこにまで来るような物好きは早々いないけど。それでもたまーに来ることはあるから、そのうちアンナも慣れるだろうさ」
そんなものなんだろうかとは思うものの、エルゼがそう言うのならばそういうものなのだろう。
それでも一応気をつけるようにはしておこう、などと思いながら手伝い始め――扉が開く音が聞こえたのは、そんな時のことであった。
こんな時間に誰か来たのか、と思い反射的に視線を向け、しかしそうではなかったのだということにすぐに気付く。
入ってきたのは見知った顔、クリスだったからだ。
「おや、皆もう起きていたのか……おはよう」
「おはよう。どっちかというと、こっちの台詞でもあるんだけど」
「おはようございます。私は一応、クリスさんが先に起きていたことは聞いていましたけれど」
そういえばと悠人も思い返してみれば、先ほどエルゼはクリスの知り合いは皆早起きなのか、みたいなことを言っていた。
なるほどそれはクリスも含んだ話であり、しかもその様子を見た限りでは、かなり前から起きていたようだ。
「もしかして、もう先に一回見回りに行ってきたとか?」
「ん? ああ、いや、ちょっと素振りをしてきただけだ。習慣のようになってしまっていて、どうにも毎朝やらないと気持ちが悪くてね」
「なるほど……」
だから剣を持っていたのかと納得する。
しかし昨日の様子からすれば、今日は筋肉痛にでもなっているのではないかと思うのだが……大丈夫なのかという意味を込めて視線を向けてみれば、苦笑と共に肩を竦められた。
多分大丈夫ではないが、支障があるほどでもない、というところなのだろう。
確かに若干のぎこちなさは感じるものの、問題がありそうなほどではなかった。
「ふむ……ところで君達は何をしてるんだ?」
「見ての通り手伝いかな」
「早く目覚めたものの、特にやることもありませんから」
「なるほど……ではわたしも手伝うとしようか。さすがに一人だけ何もしていないとなると、居心地が悪い」
「ありがとうなのっ」
「なに、いつもは手伝えていない分、今日は頑張るとしよう」
そうしてクリスも手伝い始めれば、椅子を下ろすのはあっという間に終わった。
あとはテーブルの上を拭くのと、軽く床を掃いたりするのだが、こちらも手分けすればそう時間もかからずに終わるだろう。
他には厨房の方の掃除もあるらしいが、そっちはエルゼが一人で仕込みを兼ねてやるらしい。
そちらも手伝うかと申し出たら、ここは自分だけでやりたいと断られた。
どうやら拘りのようなものがあるようだ。
だがまあならばそちらは任せることにして、一先ず悠人達は食堂の方の掃除を進めるのであった。
無事掃除を終えた悠人達は、そのまま食堂に残り、朝食兼作戦会議を行なっていた。
もっとも、作戦会議などと大仰な言い方をしたものの、要はただの今日の予定の確認だ。
奮発された朝食は確かに昨日よりもさらに美味く、舌鼓を打ちながら話を進めていく。
とはいえ、それにしたって確認することは多くない。
そもそもすることと言えば、村の周りと魔の樹海周りを文字通り見回るぐらいであり――
「ふむ……三人一緒に行動、か。まあ勝手が分からない場所なんだから、考えてみたら当然かな」
「それは確かにそうなのですけれど……本当にいいのでしょうか? それではあまりクリスさんの助けにならない気がしますけれど」
「いや、そんなことはないさ。自分一人で見回りをしなければならない、というのは意外とストレスが大きい。誰かと共に回れるというのは、君が考えている以上に有益だ」
「そういうことなのでしたら、いいのですけれど……」
まあ悠人としてもそこは若干の疑問があるのだが、クリスがそれでいいというのであればいいのだろう。
それに敢えて不慣れなことをして、手間を増やす必要もない。
「さて、ではあと質問等がなければ見回りに行こうかと思うが……」
クリスが窺うようにこちらを見てくるが、特に異論はない。
ユーリも同じようだ。
「うむ、では始めようか」
そうして始まった見回りは、まず村の周りから始まった。
魔の樹海の方も大事だが、村の人達はそこで働いているのだ。
既に働き出している者も多く、その安全の確認と確保が最優先なのである。
そして何でもないようなところにも、魔物というのは意外と多くいるらしい。
もっとも。
――アクティブスキル、アタックスキル:マグナムブレイク。
繰り出した拳の衝撃によって、複数の魔物が爆ぜた。
本来このスキルは、衝撃を拡散するのではなく、集中させて使用するべきものなのだが、そうしても問題ないほどに村の周囲の魔物が弱いのだ。
レベルにして表せば、大体十から三十の間というところだろうか。
魔の樹海のそれらと比べれば、差があるどころの話ではない。
「ふむ……魔の樹海の魔物よりも、こっちは大分弱いんだね」
「そこはさすがにと言うべきか、あそこと同じぐらい危険だったら、そんな場所にわざわざ村を作ろうとは思わないだろう?」
「辺境という以上に人も立ち寄らなそうですしね」
「確かに、言われてみればその通りか……じゃあ、全部倒してるわけじゃないのは? さっきから、敢えて幾つかの魔物を見逃してるよね?」
「それはそれで村人の為に、だな。わたし達はこうして魔物を狩ることそのものが仕事だが、村人の中には猟師なども居る。彼らもまた魔物を倒すことを生業としているが、それ以上に彼らに求められるのは魔物の死体だ。毛皮などは売ることも出来るし、肉は大切な食料だからな」
「なるほど……じゃあ僕達も持って帰った方がいいのかな? さっきから全部跡形もなく消し飛ばしてるけど」
「そもそも普通は消し飛ばせるものではなく、埋めるものなのだが……まあそれはともかく、それが自分の為ならばいいが、村人の為を思ってならば止めておくべきだ。知っての通り、あそこの村人の数は多くはないからな。明日から猟師は別の仕事を探さねばならなくなる」
「ふむ……じゃあ止めておくべきかな」
「それが懸命だ」
さすがと言うべきか、色々と考えているらしい。
それにしても――
「近くに魔の樹海があるからあれだけど、本来こういうことって、クリスのすることじゃないよね?」
「ふむ……何故そう思うんだね?」
「いや、明らかに実力にあってないでしょ」
「それは私も思いました。本来こういう仕事は、もっと下の立場の人間がやることではないのですか?」
「わたしを持ち上げてくれるのは嬉しいが、わたしの騎士団内での立場は決して高くはない……いや、むしろ低い方だ。入団してからの年月という意味でも下から数えた方が早く、わたしはこれを妥当だと思っているよ」
それはおそらく本心なのだろうが、何処となく諦め交じりにも聞こえた。
そういうことになっているのだから、仕方がない。
そんな風に聞こえたのだ。
まあ気のせいだと言われてしまえば、それまでだが。
「さて、とりあえずこれで一通りは回れたか……ではこれから、魔の樹海の方に行くとしよう」
そこでクリスが気を引き締め直したように見えたのは、気のせいではないだろう。
奥まで行かなければ大丈夫だとは思うが、樹海はクリスにとって油断出来るような場所ではないのだ。
勿論悠人達も、油断していいというわけではないが。
ともあれ、周囲が問題ないことを確認してから、三人は魔の樹海へ向けて歩き出した。
「ところで、見て回るのは、大体村から見渡せる程度の範囲でいいって話だったけど、本当にそれでいいの? 見てない部分で何かあるって可能性も、あると思うんだけど」
「確かに……そこだけは問題がなくとも、そこから少し離れた場所で異常が起こっていたとしたら大変ですね。それとも、他の場所は他に見て回る人がいるのでしょうか?」
「いや、そういうわけではないんだが……単純に妥協の結果だな。ここに派遣出来る騎士は一人だけだが、樹海の周囲を一人で見て回るのは時間的に無理がある。だから何かあった場合、すぐに問題になる村の近くだけ見るようになった、ということだ。樹海の周辺で人が住んでいるのがあの村だけだった、というのも理由の一つではあるがな」
「ふむ……ならそれこそ、僕達で手分けして見て回るべきじゃない?」
「そうですね……幸い今は三人居ることですし」
「それも考えなかったわけではないんだが……まあ、それをするにしても、もう少し後だろう。君達のことを信じていないわけではないが、出会ったばかりの者にのみ任せるというのも出来んからな」
まあでも確かに、その通りか。
そもそも、じゃあ任せるとか言われても、具体的に何をすればいいのか分からない、という問題もある。
今までのように文字通り見て回って、魔物を倒して回ればいいのだろうが、違う可能性もあるのだ。
とりあえずクリスの判断を信じ、一先ず共に行動してみるのが一番だろう。
「などと言っている間に着いたか。まあとはいえ、やることは今までと違いない。違いがあるとすれば、今までは主に平野を見ていればよかったが、今度は樹海との境界部分を見る、というところだろう」
「そういえば聞き忘れてたけど、具体的にどの程度確認すればいいの?」
「具体的に、か……とはいえ、大体目視出来る程度で構わないのだが……」
「目視、ですか……それは本気で、ということでしょうか?」
「ふむ……念のために聞いておくが、本気で目視すると、どの程度見えるのだ?」
「そうですね……透視系の魔法は目視ではない気がしますから、遠視系になるでしょうけれど……樹海ということもあって、場所にもよると思いますけれど、大体二キロ程度が限界でしょうか」
「僕は鷹の目を使えば三キロぐらいは……いや、目にのみ強化を回せばもっといけるかな?」
「分かった、もういい」
そこで溜息を吐き出したクリスに、悠人達は揃って首を傾げた。
どうやら何かがお気に召さなかったようである。
或いは、何処か呆れたような様子にも見えるし……つまり、なんだその程度か、ということだろうか。
確かに、悠人は遠距離系を得意としないだけあって、遠視系のスキルはあまり持っていない。
本職の者は、十キロほど離れた地点からヘッドショットを楽々決めていた、ということを考えれば、その程度かとなるのは当然だろう。
だが。
「ごめん、ちょっと待って。もう少し真面目に考えるから。スキルの組み合わせ次第では、十キロは無理でも五キロぐらいは――」
「違う、そうじゃない」
「……? 桁が足らない、ということでしょうか?」
「遠くなってどうする。……はぁ」
今度は明確に呆れの溜息を零され、悠人達は顔を見合わせる。
はて、何が気に入らなかったのだろうか。
「分かった、具体的に言おう。五十メートルほどで構わない」
「え、それだけでいいの?」
「むしろそれ以上は駄目だ、と言うべきだな。一応それにもきちんとした理由がある」
「ふむ……ま、理由があるんなら僕はそれで構わないんだけど」
「私も問題ありません」
「そうか……まあ理由はそれほど大したものでもないのだが、とりあえず見回りを始めてしまおう」
確かに、いつまでも話をしていても仕方がないし、話など見回りをしながらでも出来るのだ。
クリスの言葉に頷くと、悠人達は魔の樹海の見回りを始めるのであった。